なんで絶望
一歩ダンスホールに足を踏み入れると、そこは異次元のように美しい世界が広がっていた。
豪奢に金を纏う柱や天井を、シャンデリアの光が照らしてキラキラと輝いている。
正装の楽団が音楽を奏で、着飾った老若男女が談笑する姿はまるで映画のワンシーンのようだ。
「だ、旦那様! 見てください、どこもかしこもキラキラしてますよ……!」
「ああ」
「参加されてる方の衣装もみんなお洒落で素敵ですね……! いつもこうなんですか!?」
「……おそらくは」
興奮して小声でまくしたてる私に呆れているのか、アルバート様は何故か私を見つめていた。
その視線を受けて、確かに淑女が興奮してはいけないだろうと我に返る。
こほん、と咳払いをしつつ、冷静を装ってさりげなくあたりを見回すと会場中がそれとなく私たちに注目しているようだった。
少し離れた場所にはルラヴィ様が他のご令嬢と一緒にいた。扇子で目元以外は隠れているけれども、誰が見てもわかる程に冷ややかな、射抜くような眼差しでこちらを見ている。
わあ……嫌われている……。
若干悲しい気持ちになりながら挨拶すべきかしないべきか悩んでいると、私の耳にヒソヒソと女性たちの声が飛び込んできた。ルラヴィ様たちではなく、別の場所にいる他のご令嬢たちだ。
「あれが……噂よりはお綺麗ですわね」
「確かに以前お見かけした時とは別人のようですけれど……」
「しかし釣り合いませんわ。ルラヴィ様のように、全てに恵まれた方ならともかく」
彼女たちの言葉に、私はうつむいて唇を噛んだ。
悲しかったわけではない。
噂よりはお綺麗!
以前お見かけした時とは別人!
努力が報われた勝利のファンファーレが脳内に高らかに鳴り響く。
だって褒めてくれるのは雇い主に忖度せざるを得ないハーマンやローズマリー、それからゴドウィンだけだった。
例え嫌味であっても、いや嫌味だからこそ、人から言われる『綺麗』の言葉は私の頬をニヤつかせるには充分な威力がある。
しかし嫌味を言われてニヤニヤしてたら変人なので、私は引き続き唇を噛んで、必死でゆるみそうになる頬を引き締めた。
「ヴィ……」
「やあ、アルバート! ヴィオラ夫人もよく来てくれた」
横のアルバート様が何かを言いかけた時、遮るように聞き覚えのある声が聞こえた。
黒い正装に身を包んだエセルバート殿下だ。
「殿下。本日はお招き頂き……」
「良い、堅苦しい挨拶はいらぬ。アルバート、ヴィオラ夫人。先日は心地よいもてなしをありがとう」
今日の殿下は短い赤毛を後ろに撫でつけ、いつもよりも大人びた精悍な雰囲気を纏っている。
どこか作り物めいた完璧な微笑みを私に向け、よく通る威厳のある声で言葉を続けた。
「いや、アルバートは大変良い妻をもらった。以前は氷の薔薇なんて呼ばれていたが、結婚してからはその棘も抜けてきたようにも思える。朴念仁の友人が君のような妻に出会えたことが私は大変嬉しい。是非ともまた三人で茶を飲もうではないか」
殿下の言葉に、会場中がハッと息を呑む。
突然の褒め言葉に狼狽えながら「ありがとうございます」と礼をすると、殿下はにこやかに笑った。
「……殿下」
小声で殿下を呼ぶアルバート様が、何故か少し怒っているような目を向けた。
殿下はアルバート様の肩をポン、と叩き、周りには聞こえないような小さな声でこう言った。
「アルバート。私が彼女に目をかけていると公言したのは、彼女を守るためだ」
殿下の言葉に、アルバート様は微かに眉根を寄せた。そんな彼の顔を見た殿下が、私には聞き取れないほど小さな声で何事かを囁いた。
「それは……」
「エセルバート王太子殿下。アルバート様。私共も、夫人にご挨拶をさせて頂いてよろしいでしょうか」
アルバート様がまた何かを言いかけようとした時、何やら偉い人といった雰囲気を醸し出した男女がやってきた。
ルラヴィ様のお父様であるアッシュフィールド公爵夫妻や、ゴーンウッド侯爵夫妻、バシュクラウド侯爵夫妻など名だたる高位貴族が、微笑みながら次々と私に挨拶にやってきて、いつしか人だかりまでできていた。
◇
挨拶の波に一区切りがついたところで、お手洗いを装って逃げるようにホールから出た私は廊下の片隅でふう、と一息ついていた。
王族の一声、すごい。
気を遣ってくれたのだろう殿下の鶴の一声で、私を見る周りの目は一瞬にして変わった。虎の威を借りる狐ならぬ殿下の威を借りるヴィオラである。あの権力、めっちゃ欲しい。
それにしてもつくづく私の周りは優しい人が多い。強メンタル以外は何も持たない小娘の私を色々な人が気遣ってくれていて、今回の人生の恵まれように思わず胸が熱くなる。
彼らの恩に報いるためにも、今日はとことん楽しんで帰らなければいけない……!
まずは全然見れていなかった軽食の種類を見つつ、そろそろ始まるダンスを一回こなしたあとに散歩と称して中庭やテラスを観察し、今日はシャンパンなんかも飲んじゃおう!
そうと決まれば善は急げだ。ホールに戻ろうと足を進めたとき、私の前にシャンパングラスを手に持った二人の女性が立ち塞がった。
「慣れてない場所に来て、お疲れのようですね」
「身の丈に合わない場所に来られると大変ではありません?」
そう言うのは、先程ルラヴィ様と一緒にいたご令嬢のうちの二人だ。
「見た目だけを繕っても、場違いですわ。いくら殿下に目をかけられていようと、少し何かを言われただけでうつむく方に王城は向いてなくてよ」
「お父君の友情を汚してまでアルバート様を手に入れた執念には脱帽致しますけれど、そろそろ身の程を弁えたほうがよろしいのではなくて」
少女漫画でよく見るやつだ……!
まさか自分がリアルに体験するとは思わなかった。驚きつつも、絶対誤解されたくないところだけは訂正しようと口を開く。
「私も、私の父もフィールディング公爵家に縁談を持ちかけたことはありません。これは現公爵閣下が決められた結婚です」
ここだけは誤解されたくない。この結婚、公爵閣下と、それから微妙に私のお父様。その二人しか喜んでいないのだ。
そう言うと二人はまなじりを赤くし、更に気色ばんだ。
「けれどもあなたにアルバート様の妻の地位は不相応でしょう! お断りなさるべきだったわ」
「そうよ。何故ルラヴィ様ではなくてあなたがアルバート様の妻なの? 見た目も家格も教養も何もかもルラヴィ様の足元にも及ばないくせに」
「仰る通り私は色々な面でルラヴィ様の足元にも及びません。だからこそ公爵家からのお申し出をお断りできる立場にはなかったので……」
私が淡々とそう言うと、二人はキッと私を睨んだ。
「……まあ、ルラヴィ様の気持ちを知っていながらこんな田舎娘と結婚したアルバート様も、おかしいですわ」
「……それもそうですわね。愛が重いと言われてるけれど、実際狂人の家系ですもの。ルラヴィ様はあんな人と結婚しなくて良かったわ」
「あなたは愛されることがないから平気でしょうけど、ルラヴィ様と結婚なさったら大変だったわ。新婚の慣例を無視されるどころか、生涯監禁されていたかもしれないもの」
「……私の夫を侮辱するのはやめて頂けますか?」
怒りの矛先をアルバート様に向けた彼女たちを、キッと睨んだ。
「人に恋をされたら必ずその気持ちに応えなければおかしいなんて……そんなことはありません。ルラヴィ様にも失礼です。それに家系がそうだから、先祖がそうだからといって、そんなことをしていない本人を貶めるなんて許されません」
何にも興味を示さないアルバート様の姿を思い出して、わけもなくふつふつと怒りが込み上げる。
仲の良い夫婦ではないし、大して会話をしたわけでもないけれど彼は死ぬほど不器用で失礼なだけで、誰かを傷つけたり、感情のままに振る舞うような人ではない。
「謝ってください」
「なっ……私がどうしてあなたなんかに」
「私ではなく夫にです」
「侯爵家の娘である私に向かって、生意気なことを……!」
女性の一人が、私にシャンパンを持ったグラスを勢いよく振り上げる。
えっ。あの素振り、どう考えてもシャンパンをかけるのではなくシャンパングラスで殴るつもりの構え方なんだけど……!
高いヒールでは身動きが取りにくく、咄嗟に目を瞑って衝撃に身構える。
次の瞬間何か大きなものに包まれる感触と、ガラスが砕けるような音、それからルラヴィ様の「何をしているの!」と悲鳴混じりの声と、一拍置いてシャンパンが降りかかる冷たさを感じた。
目を開けると、そこには私を抱きしめて額から血を流し、『絶望』みたいな顔を浮かべるアルバート様がそこにいた。
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