舞踏会当日
まさか生きている間にリアル『これが私……!?』をやることになるとは思わなかった。
苦節一月半。
艱難辛苦の果てに鏡の前に映った私は、ちょっと自分じゃないくらいの美人だった。
目はいつもの五割増しで大きく、鼻筋は通り、かつてない程顔が小さくなっている。洗練された品の良い水色のドレスに、複雑に結い上げられた髪型は大人っぽいのに可憐だった。
何故か普段の三倍くらい賢そうにも見えて、良いお家の麗しき貴婦人のオーラがありありである。
「まあ、アタシがかなり本気を出せばこんなものよ」
この上ないドヤ顔でゴドウィンが言い、確かに彼は本気だったな……と遠い目でこの一月半を振り返る。
私も確実に今世で一番頑張った。
最終的には『舞踏会とかもうどうでも良いな……』と思うくらいに鬱だったけど、こうして我慢の一月半を終えた今となっては解放感が指先から足の爪先まで疾風のように駆け巡り、清々しい気持ちでいっぱいだ。
それに何より、自分が美女。今まで味わったことのない新感覚に気持ちがほわほわと浮き立ってしまう。一生鏡を見ていたい。
「ヴィオラ様。そろそろお時間です」
パメラに急かされ、名残惜しく鏡から目を離してゴドウィンにお礼を言った。
「ゴドウィン、綺麗にしてくれてありがとう!」
「…………いいえ、よく頑張ったわね」
ゴドウィンが私の髪に真珠の髪飾りを挿し、「頑張って戦ってらっしゃい」と優しく微笑んだ。
「お化粧が落ちないように夜会中は絶対に顔には触らない、水には濡れない、大きく表情を動かさない、を徹底してね」
「イエスボス!」
「……なんだか心配ねえ……」
敬礼する私に不安そうな表情を向けるゴドウィンに心配ないと笑って、私はアルバート様が待っているだろう馬車へと向かったのだった。
◇
馬車の前でハーマンと何かを話しているアルバート様は、真っ白な正装姿に身を包み、私のドレスと同じ水色のタイを身につけていた。
彼の銀髪と青い瞳にその色はよく似合っていて、やっぱり見た目は世界一かっこいいな……と改めて感心した。
磨き上げて詐欺の域に達した私の過去最高の美人度を、サラッと正装しただけで易々と追い抜いている。ゴドウィンが見たら泣くかもしれない。
しかし普段は路傍の雑草みたいな私である。正装姿の彼の側に並んでちょっと見劣りするくらいで済んでいるのは、逆にすごい。
「お待たせしました」
そんなことを思いながら声をかけると、振り向いたアルバート様が私を見て一瞬だけ驚いたような顔をした。無言のまま数秒沈黙したあと「ああ」と謎に頷き、そのまま素っ気なく馬車に乗り込んでしまった。
「ヴィオラ様。今日はいつもにましてお綺麗ですね」
私も馬車に乗り込もうと足を進めると、ハーマンが目を細めて褒めてくれた。
「人生で一番綺麗にしてもらいました! ダンスもなんとか形になってきましたし、今日はばっちりです」
「ダンス……大変努力なさいましたね……」
遠い目をしたハーマンが、感慨深げに頷く。行ってらっしゃいませ、と深く礼をしたハーマンに手を振り、馬車に乗り込んだ。
馬車はゆっくりと、しかし徐々に足早に進み始める。
物珍しい外の景色を見ていると、アルバート様が珍しく自分から口を開いた。
「……今日は、いつもと違うのだな」
「!」
さすがに今日の私の変わりように気付いたようだった。
アルバート様の成長なのか、それとも連日のダンスの練習で距離が縮まったのか、ゴドウィンの腕が良すぎるのか、そのどれもなのか。
アルバート様の滅びた筈の情緒の息吹に思わず「お気づきになりましたか?」と声を弾ませると、彼は小さく頷いて口を開いた。
「さすがに今回はわかる。目がいつもよりも格段に大きく、輪郭が心なしか小さい。それと顔色が、普段より赤みがかっている」
「…………」
アルバート様の情緒はやはりただのしかばねのようだった。
診察か。もしくはスマホの顔認証か。
著しく感受性の低い認識の仕方に、私は脱力しつつ口を開いた。
「……旦那様。それをですね、全てひっくるめて『可愛くなった』『綺麗になった』と仰ってくだされば、私は素直に嬉しいです」
「可愛く……綺麗に……?」
そんなことは思っていなかった、とでも言いたげにアルバート様が困惑している。
「まあでも……違いに気づいてくださっただけでも嬉しいです」
多少がっかりな流れだったとはいえ、あのアルバート様がいつもと違うと認識し、しかもそれを自分から口に出すなんてすごいことだと思う。
何より今日の私は、解放感やら初めての王城舞踏会やらで機嫌が良いしテンションが上がってるのだ。
「旦那様の正装も素敵です」
そう微笑んで、私の思いは今日初めて訪れる王城へと飛んでいく。
「王城ってどんな場所でしょう。きっときらびやかで、美味しいものがたくさんあって、美男美女がたくさんいるんでしょうね……!」
テンションが上がっていく。
ようやく今日から、好きなものを好きなだけ食べられる生活に戻れるのだ……!
といってもウエストをコルセットできつくきつく締め付けられている私には、水三杯入るかどうかも怪しい。
まずは出される食べ物たちの全体像を眺めて、何を口に入れるかの計画を立てなければ!
脳内で完璧な計画を立てることに集中していると、あっという間に馬車は王城についた。
先に馬車から降りたアルバート様の後に続こうと、降りようとした私は目に飛び込んでくる光景にハッと息を呑んだ。
「きれい……」
初めて見る王城は、とても綺麗だった。
夜の中に浮かび上がる白を基調とした大きな城。あちらこちらにキラキラとまばゆい純金が贅沢に装飾として使われているのを、無数の灯が照らしていた。
目を離さないまま馬車から降り、高揚した気分のままで前に進むと、石畳につまづいた。
今この格好で転んだら一巻の終わりーーと焦った瞬間、アルバート様が私の腕を掴み、すんでのところで転ぶのは回避できた。
「あ、ありがとうございます……」
「足元を見て歩いたほうが良い」
それだけ言うと、彼は腕からパッと手を離す。
優しいところもあるんだな……。
雨の日に子猫を拾う不良を見たときのような気持ちになりながら、私は転ばないように足元を見つつ、しかし周りの観察は怠らずに会場へと進んだのだった。
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