寛容、まじめ、リズム感
そもそもこの丸顔がどうやって気高さを……あっ、だからゴドウィンは一生懸命私の頰を押していたということ……? と一人で考え込んでいる私の頰に、視線が刺さる。
顔を上げるとこちらを見ているアルバート様と目が合って、私はハッとして慌てて口を開いた。
「あの、旦那様。ゴドウィンは私の昔からの親友で、ちょっと過保護な兄? のような人でして」
「……そうか」
「私を心配してくれただけなので、処罰とかはしないで欲しいです……」
平民のゴドウィンが、貴族のトップである公爵家の嫡男に物申すのはどんなに重いことか。ゴドウィンにはわかっていたはずだ。
それでも私のために怒ってくれた
私の燃えるような決意に、アルバート様が一瞬考えるような表情を見せたあと被りを振った。
「……最初から処罰などする気はない」
「! ありがとうございます」
「面倒だからだ。あなたのためではない」
そう素っ気なく言うアルバート様に安堵して「旦那様って意外と心が広いんですね」とほっと息を吐いた。
「だからあなたのためでは……」
「それでもです。だって普通、ぐうの音も出ない正論で殴られたら腹が立つじゃないですか!」
否定しかけるアルバート様に首を振る。
「それなのに言い返すこともなく、黙って聞いた上で処罰もなしなんて。私、最初は旦那様のことを血も涙もない冷血ゲス人間だと誤解してましたけど、最近はそうでもないのかなと思い始めて……今本当にそうではないんだとわかりました!」
「…………」
そもそも半月前、体調を崩された日からアルバート様は微妙に私を避けていた。
多分勝手に一国の王太子殿下を呼んだり、その殿下の前で笑えないほど下手なダンスを披露したからだと思う。
普通の仲が悪い夫婦だったら……きっとマジギレされていた。
それをそっと距離を置くだけに留めているのだから、その時点でアルバート様は優しい。まあ、怒るのも面倒くさかったのかもしれないけれど。
……それにしても、そんな避けていた私の部屋に一体なんの用事だろう?
「それよりも旦那様。今日はどうなさったのですか? 何かご用が?」
微妙そうな顔のアルバート様に尋ねると、彼は不意をつかれたように口を開いた。
「あ、ああ……。ゴドウィン・ラヴリー……彼に話があった」
「ゴドウィンと?」
驚いて目をパチパチと瞬かせる。
「彼に用があるのなら、呼び戻しましょうか? それとも手紙を代筆しましょうか?」
「……いや。もう、何でもない。私が浅はかだったようだ」
アルバート様は自嘲気味に唇の右端を上げ「失礼する」ときびすを返した。
「あ、旦那様! ちょっと待ってください」
去ろうとする後ろ姿に慌てて声をかける。振り返る顔に、私は「一緒にダンスの練習をしてください!」と声をかけた。
「…………ダンス?」
「そうです。私、一向に上達しないのです」
昨日、もはや諦めすぎて菩薩のような表情を浮かべていたハーマンを思い出す。
ここ半月、毎日のように彼にダンスの練習に付き合ってもらっていた私は、悲しいことに上達する予兆すらなくハーマンを驚愕させその頭を抱えさせていた。
これ以上はハーマンが可哀想だ。それに私も自分自身の才能の無さに、そろそろうんざりしてきている。いや、ハーマンの方がうんざりしてるとは思うけれども。
「ですので、ちょっと邪道かとは思うのですが……旦那様に、ぜひ練習に付き合って頂きたくて」
「邪道?」
「はい。私はリズム感が壊滅的でして……」
私は、運動神経は多分そこまで悪くはない。と思う。
悪いのはリズム感。どんな曲でも何故かテンポと動きが合わず、合わせようと懸命に音を聴いているうちに足や手がもつれ始め、惨憺たる有様になる。
「なので、私は音楽を聴かないようにして旦那様の動きに合わせて体を動かしてみようかと」
「……なるほど」
「なので旦那様と息を合わせる練習をしたいのです」
「しかし……」
「ダンスが上手にできれば、魑魅魍魎たちもちょっとは怯むかもしれませんし……」
忙しい……と断りそうなアルバート様の、微かな良心を攻撃する。
効くかなあ、と思っていたけど、彼は十秒迷って微かに頷いた。やっぱり、良い人だと思う。
◇
一度や二度の練習ではうまくいかない。
途中で「忙しい」とか言って断るかなと思っていたアルバート様だが、意外や意外真剣にアドバイスをしてくれ、まじめに取り組んでくれていた。
「力が入りすぎている」
「うーん……難しいですね……」
アルバート様の指摘に、私はむむっと眉根を寄せた。
音楽を聴かない選択肢は正解だった。昨日までよりははるかに『なんとかなるかもしれない』という微かな希望が見えてきている。しかし今のところ私の動きはカクカクとぎこちないらしい。
「音楽を聴かないよう無心無心と思っていると、どうしても力が入りすぎてしまって……」
私は、ため息を吐きながら知恵を絞った。
「無心のイメージがよくないのかも……ちょっと、何か力が抜けたものをイメージしてみます」
力が抜けたもの……力が抜けたもの?
ええと……海底を漂う弱ったタコとかかしら……。
そのイメージのまま、アルバート様の動きに合わせてただただ体を動かす。
イメージした脱力感が良かったのか、先ほどよりもスムーズに踊ることができた。
「……まだまだだが、今までで一番踊れている、とは思う」
「やった!」
私は嬉しくなって、さらに練習に精を燃やした。
そしてこれから先の一ヶ月間、途中で様子を見に来たハーマンの強い圧力により、アルバート様と三日に一度一緒に練習をすることになった。
それら全てが無駄になるとは、この時点では知る筈もなく。
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