怒りのゴドウィン
アルバート様が部屋に戻り、殿下も王城に帰ることになった。
出発の用意ができた馬車に乗り込もうとする殿下に頭を下げ、お礼を言う。
「今日は本当にありがとうございました」
「大して役には立てなかったがな」
そう苦笑する殿下は、「まあアルバートは大抵のことをこなすから、執事一人でも大丈夫と思いつつ来てしまったんだが」と、少し弁解するような口調で言った。
「とんでもないです。とっても助かりました……本当に、殿下は旦那様のことが大好きなんですね」
前回もひしひしと伝わってきたけれど、殿下はアルバート様とルラヴィ様が大好きだ。
まあだからこそ、アルバート様が困っているなら助けてくれるかもしれないという気持ちで、いつでも良いのでダンスの指南をとお願いしたのだけれど……。
昨日の夜に出した手紙を見て、今朝来るのだもの。大好きが過ぎると思う。
しかし殿下は私の言葉に優しく微笑んだあと、小さくかぶりを振った。
「……ヴィオラ嬢の思う世界は、優しいのだろうな」
「え?」
「しかし私は好き嫌いでは動かんよ。これでも王太子だ」
そういうと困ったように一瞬沈黙すると、すぐにまた微笑んで手を挙げた。
「……申し訳ない。アルバートを、よろしく頼む」
そう言った殿下が馬車に乗り込むと、馬車はすぐに行ってしまった。
……申し訳ないとは、どういう意味だろう?
私は首を傾げながら、あっという間に遠ざかる馬車の背中を不思議な気持ちで見つめたのだった。
◇
「フィールディング公爵家の愛の深さは有名よね。と言っても痴情のもつれがない家系なんてただの一つもないけれど」
やってきたゴドウィンが、私が手にしていためくるめくヤンデレ恋愛小説たちに目を向けた。
殿下のダンス指南から半月が経つ。その間お菓子を禁じられて何か現実逃避がしたくなった私が書斎に行くと、殿下が言っていたフィールディング公爵家をモデルとした小説や詩集が揃っていた。
ちょっと自分に縁があると思うと、途端に読んでみたくなるから不思議だと思う。
それになんとなく、なんとなくだけれど、私はこの公爵家について知らなければならないんじゃないかと思うのだ。
……ということで読み出したのだけれど。
それらの本は全て、詩情溢れる美しい文体で狂気が描かれていた。
妻を監禁するのは序の口だ。すでに他の男性の妻だった女性を手に入れるために夫を地獄に叩き落としたり、婚約者がいる女性を脅迫したり、果ては無理心中をしたりと男たちは意中の女性を手に入れるべく数々の犯罪行為に手を染めていた。愛が重いというか、完全に倫理観がぶっ飛んでいる。
唯一ピュアだとほっこりしたのが、愛し合った恋人に先立たれた男がお墓の前で彼女が蘇るのを死ぬまで待ち続けた男の人の話だろうか。完全に病んでいるけれど、人を傷つけていないのでセーフです。
とまあ、だいぶ重いというか狂った恋愛小説たちだけど、これは全てフィールディング公爵家の実在の人物をモデルにしたものらしい。
男たちは、例外なく愛が重いようなのだ。
とんでもない家に嫁いでしまった。
愛される可能性がほぼゼロの私には何の問題もないけれど、アルバート様がもしも誰かに恋に落ちたら邪魔者として始末される前に速攻で離婚しよう。
「……とはいえ小説だもの。脚色されてるだろうし、実際にこんなことがあったかなんてわからないわよね」
「まあそうでしょうね。それに美貌で知られるフィールディング公爵家に求婚されたら大体の女性は喜んで恋に落ちるでしょうから」
上着を脱いだゴドウィンがコキコキと首を回し、手首をぶらぶらと準備運動をさせながら言った。
「先代公爵は先代の夫人を絶対に人の目に触れさせたくないと外出を禁じてたらしいけど……現公爵閣下は若い頃から理性的で、夫人と常に一緒にいるもののそんなことまではなさらないようよ。同じ血筋とはいえ、人によるんでしょうね」
「ヘエ……ヒトニヨル……」
私はゴドウィンの準備運動を見て前回の苦痛を思い出し、逃げ出したい衝動に駆られながらギギギ……と悪あがきで逃げ口を目で探すと、控えていたローズマリーとパメラが示し合わせたようにしっかりと私の両手を握る。と言うより押さえつけられているような気もする。
「さあ、始めましょうか」
恐怖のゴングが鳴る。
最初の一押しで、先ほどまで話していた内容はすっぱりと抜け落ちた。
◇
「うっうっうっ……痛いよう……」
激痛のショックで涙目になる私に、パメラが困ったような顔をしてラベンダーの香りのするハーブティーを淹れてくれた。鎮静効果があるらしい。何と気の利く良い子だろう。
「ちょっと痛いわよねぇ〜! 次回からは痛みも少なくなると思うけど」
そう言うゴドウィンはご機嫌に身支度を整え、サッと荷物を持って「また来るわねぇ〜」とイイ笑顔で手を振った。なんという悪魔だろうか。
出て行こうと扉を開けるゴドウィンの姿を恨めしく見つめていると、ゴドウィンが部屋を出る前に急に立ち止まる。その向こうに銀色のキラキラした髪が見えた。
「……旦那様?」
今まで一度も私の部屋に訪れたことがないアルバート様が、どういうわけか私の部屋をノックしようとしていたらしい。
驚いて呼びかけた私に目を向けたアルバート様は、何故か無表情のまま五秒ほど固まり、背筋が凍るような瞳をゴドウィンに向けた。
「……妻の目が赤い。一体、何があった」
「妻!?」
まさか誰かの前で妻扱いされるとは思わず、愕然とした。
そんな私とは対照的に、ゴドウィンは臆すことなくアルバート様に慇懃に礼をし、普段とは違う本来の男性の声を出した。
「お目にかかれて光栄です。私は舞踏会でヴィオラ夫人の髪結を担当させていただく、ゴドウィン・ラヴリーと申します。本日奥様には骨格を整えるため痛みの出る施術を行いましたゆえ、生理的な涙を出されたのかと拝察致します」
「痛みの出る施術?」
アルバート様の眉が不愉快そうに持ち上がる。何を怒っているのかわからないけれど、屋敷に人を入れたのが嫌だったのだろうか。しかしハーマンには事前に報告してるし、それで文句を言うような人かなあ……?
「食事制限も行っていたな。その上痛みのある施術。良い嫁ぎ先を見つけなければならない令嬢に行うのならば理解だけはできるが、妻に必要か?」
「はい。あなた様の妻だからこそ、ヴィオラ夫人には必要なのです」
ゴドウィンの表情は見えないけれど、言葉の端々に怒りが滲んでいることはわかる。
「新婚の慣例を無視され、公爵家に蔑ろにされていると公言されているも同然のヴィオラ夫人には、魑魅魍魎が渦巻く社交界において何の武器もありませんので」
「……」
「私は無力ゆえ、差し上げられる武器は何一つとして持ってはおりません。私にできることは、夫人を誰にも文句を言わせないほど気高く美しくさせることだけです」
ゴドウィンの言葉に、アルバート様は不快の表情を崩さないまま、しかし黙って耳を傾けていた。
「……大変失礼なことを申し上げました。どのように処分してくださっても構いません。ですが、舞踏会の日までは夫人の髪結を務めさせて頂きたいと思います」
そう言ってゴドウィンが去っていく。
私はゴドウィンの言葉に『一生の心の友〜!』と泣き出したいほど深く感動していた。それと同時に、ものすごくずれた期待をされているのではと愕然とした後、冷や汗が出てきた。
たぬきをいくら着飾っても、たぬきはたぬき。
私が誰にも文句を言わせないほど気高く美しく……はならないでしょう……。
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