フィールディング公爵家



 運動神経まで良いのか、アルバート様は私たちが思うよりもずっとダンスがお上手で、一、二度踊ってすぐに殿下から「何の問題もない」と合格が出たらしい。


 対する私はというと、想像以上に……下手だった。


「……ヴィオラ様、大丈夫です。練習致しましょう……!」

「そ、そうだな。リズム感の悪さは致命的だが、相手の足を踏まなくなっただけ大進歩だ」


 ハーマンはともかく、デリカシーのカケラもない殿下にまで気を遣われている。

 絶対に笑いそうな人に焦りながら慰められて、逆にそんなに酷かったのか……? とずうんと気分が落ち込んだ。


 そんな私を気にも止めず、アルバート様が淡々と口を開く。


「ハーマン、ダンスはそろそろ仕舞いだ。お茶の準備を」

「! か、かしこまりました。すぐに」


 さすがは安定のアルバート様。気遣いゼロだ。

 だけどこれでアルバート様にまで気を遣われたら今夜は一人でしょぼしょぼと枕を濡らしていたと思う。


 夫が冷血で助かった……。微妙な感謝を込めてアルバート様に生温い視線を送っていると、横から殿下が吹き出す音が聞こえてきた。笑いの時差が起きてる。



 ◇



「食べないのか?」


 テーブルの上に広がるきらめく美味しいお菓子をなるべく視界に入れないように斜め上の壁を見ていた私は、訝しむ殿下の問いに頷いた。

 手に持つ紅茶も、今日はストレート。普段はお砂糖とミルクをたっぷり入れるけれども、当然ながらそれらは一切禁止である。


「ミルクも砂糖もお菓子も舞踏会までは禁止なのです……」


 食い意地の張った私がお菓子断ちをしていることが意外だったのだろう。

 アルバート様の紅茶を飲む手がピタリと止まり、殿下が焼きたてのクッキーをサクサクと食べながら「気の毒に……」と言い、もう一枚を手に取った。多分全然気の毒だと思っていない。


「では色々と気の毒なヴィオラ嬢に、特別な茶を贈ろう」


 そう言って殿下が何やら片手を上げると、気配を消して控えていた殿下の従者が忍びのように音もなくやってくる。

 その忍び従者は、どこからか取り出した紅茶の箱をハーマンへ差し出した。


「これは北方で、春に咲く花を使って作られた紅茶だ。高価ではないが、今の時期に手に入れるには苦労した」


 ハーマンが慣れた手つきで、しかしいつもよりも丁寧に紅茶を淹れる。

 湯気と共にふわりとたちのぼる香りは、ほのかに薔薇の香りがした。貴婦人のような気分になる、優雅な香りだ。思わず小指を立てて飲んじゃいそうな。


「懐かしい香りだ」


 カップに目を落とした殿下が言った。


「なあアルバート、懐かしくはないか?」

「……いえ、私には」

「そうか……」


 アルバート様の答えに若干残念そうな殿下が、「これはアルバートの母君が好きだった紅茶だ」と私に向かって説明をしてくれた。


「あの頃……五歳だったか。ここに来るたびに、いつもこの紅茶を飲んでいた。私はここで出されるいちごのマフィンが好きで、アルバートは紅茶のマフィンが好きだった。ルラヴィは太りたくないから甘いものなんて食べませんわと言っていたが、かぼちゃのマフィンだけは無言で食べていた」


 ルラヴィ様、可愛すぎか……。

 そして自発的に食事の制限なんて考えたこともなかった私は、ルラヴィ様の幼少期からの美意識に内心慄いた。


「マッシュの作るマフィンは最高ですよね。あれはいくつでも食べられます」

「はは、そうそう。競うように食べる私たちに、公爵夫人は食べ過ぎだといつも慌てて止めていたものだ。公爵はよく食べる子どもは育つと笑っていたが……あの頃は公爵も元気で、いや懐かしい」



 王侯貴族には珍しい、幸せな一家の団欒話に私は思わず微笑んだ。


 貴族の結婚は、政略結婚が多い。

 やっぱりその分、我が国の貴族の夫婦関係は多かれ少なかれドライな夫婦が多いらしい。まあ私とアルバート様ほどカッサカサな夫婦は珍しいと思うけど……。


 その点フィールディング公爵夫妻は、かなり仲が良いのではと思う。


 王都住まいは便利だ。最先端の流行と、楽しい遊び場がたくさんある。逆を言えば王都から離れれば離れるほど不便なのだ。

 情報は一月遅れることもザラだし、社交に出るのも超大変。買い物だって、流行のものを仕入れるのに苦労する。


 ゆえに高位貴族の殆どは王都に屋敷を構えるし、領地に住まなければならない時は妻だけ王都で過ごすことも珍しくない。

 特に、高位であればあるほどその傾向が強いと思う。


 それなのに公爵夫妻は王都から離れた領地でお二人で暮らしているのだ。

 しかも公爵が病に倒れた今、公爵夫人が看病なさっているらしい。中々できることじゃないと思う。



「公爵夫妻は、昔から本当に仲が良いんですね」

「……フィールディング公爵家は少し特殊なのだ」


 手元の紅茶をくるくるとかき混ぜながら、殿下が言った。


「特殊?」

「ああ。フィールディング公爵家の男たちは代々愛が重い。ひとたび恋に落ちれば、その情熱は物語をも凌ぐ。昔から多くの芸術家が、フィールディング公爵家をモデルとして詩を詠み歌を作り絵を描き、小説を書いた」

「……そうなんですか?」

「ああ。きっとヴィオラ嬢も知っている」


 殿下が挙げたいくつかの歌や物語の名前は、確かになんとなく聞いたことがあるものだ。確かにどれもややヤンデレみのある、愛の重い男性の悲恋話だったような……。


「結ばれれば良いのだ。他の女性には目もくれず、生涯一途にひとりの女性を愛し抜く。しかし思いを遂げられない場合……破滅に向かう者も少なくない。自分や相手や家族や、時には第三者まで交えて、な。とにかく愛が重いの一言だ。公爵も例外ではない」



 なるほど。つまり愛が重くてヤンデレの公爵様は、夫人と二人きりになりたくてアルバート様が成人した途端に領地に行ったということだろうか。


 しかしそれは、ちょっとアルバート様がお可哀想なのでは。

 だって私がもし十四歳の時に、夫婦水入らずで過ごすために引っ越すと言われていたら寂しいし、悲しいと思う。


 まあ我が国では十四歳で成人だし、独り立ちする人も少なくはないから……男の人だったら問題ないのかな。



 そんなことを思いながら、私はちらりとアルバート様の顔を見てーー、絶句した。


 その顔には何の表情も宿っていなかった。


 いつもの無表情とは、全然違う。

 美しい青い瞳がまるで木のうろのようだ。

 何の感情もない、としか言えないその表情は、アルバート様の美貌と相まって生きている人間の気配が全くしない。


 何も言えずに、目線を移す。彼は膝に置いた手を白くなるほど堅く握りしめ、震えていた。私は思わず咄嗟にその手を掴んだ。氷のように冷たかった。


「旦那様? 大丈夫ですか?」


 瞳を覗き込むと、彼がハッとしたように目を開く。


「……大丈夫だ。問題ない」


 そう言いながらアルバート様が私の手を払う。しかし顔色がひどく悪い。目にも生気がなく、体調が良くないことは一目瞭然だった。


「病人のような顔色で、問題ないわけがありません。今日はお休みになってください」

「だから問題はないとーー」

「小さな不調は大病の元です。寝るのが嫌だと仰るのなら、眠くなるようにずっと隣で子守唄を歌いますよ。ちなみに私、歌はド下手です」

「………………わかった」

「良かった。ではハーマン、旦那様を。殿下、申し訳ありませんがーー」


 殿下の方を振り向くと、一瞬だけ殿下が苦しそうな表情をしていたように見えた。


「ああ。――おそらく、疲れてるのだろう。ゆっくり休んでくれ」


 しかしそう言う殿下はいつも通りの笑顔で、私は見間違いだったのかと内心首を傾げたのだった。

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