地獄の門
おしゃれは心が浮きたつし、新しいドレスや化粧品にはいつも心をときめかせている。
しかし美容はあくまでも人生を楽しむための趣味の一つ!
……と思っていたので、巷でよく言われる「美容に痛みはつきもの」という言葉に、私はいまいちピンときていなかった。
「さあ、始めるわよ。少し痛いけれど頑張りましょう」
少しって、どれくらい痛いんだろう。注射以上腹痛未満ってとこかしら……。
横たわって身構える私の頬骨を、ゴドウィンが凄まじい強さでゴリゴリィと押し始めた。
「!!!!!!」
イッターーーー!!!!
「これはねえ、骨と筋肉に圧を加えることによって小顔に見せる施術で……」
「!!!!!!」
「これは繊細な技術が必要で、アタシも習得には本当に苦労して……」
「!!!!!!」
「終わったら三日はうんたら……体に悪いものが溜まっていると痛くてかんたら……」
痛すぎて何言ってるのかわからないんですけど!?
その地獄の責め苦がようやく終わった後も、私は超激臭パックを顔に乗せられたり、髪にぬるぬるとする謎の液体を塗り込まれたり……まるで怪しげな呪術の生贄になったような気持ちで苦行を乗り越えたのだった。
◇
「初日にしては良い感じよ。顔面はアタシにしかできないからあと半月後にまた来るけど……侍女さんたち、この通りに身嗜みを整えてやってちょうだいね」
疲労困憊した私がぐったりとソファの上で白目を剥いていると、心なしか晴れやかな顔をしたゴドウィンが先ほど書きつけていた紙をパメラとローズマリーの二人に手渡していた。
「それと食事も気をつけないといけないわ。糖と油、いわゆる美味しいものはこれから一ヶ月半は必要最低限のみ。飲み物も水だけ。食べてもいい食材と調理法を書いたから、これを料理長に渡してくれるかしら」
「!?」
お菓子のみならず食事、お前まで……!
あまりの絶望に黒目を取り戻して起き上がり抗議しようとすると、ゴドウィンはどこか遠い眼差しで、私に一枚の紙を渡した。
「あなたは覚えていないかもしれないけど……アタシはあなたに恩返しができる日を待っていたのよ」
「え?」
「男のアタシにこの仕事は無理、諦めようと思ってた時、女性言葉を使えば親しみが湧くはずよ! と言ってくれたのはヴィオぴでしょう? おかげでアタシ、今じゃこんなに売れっ子よ。あなたはアタシのミューズで、恩人」
そんなこともあった……ことを思い出した。
単純に前世で、男性のヘアメイクアップアーティストはオネエ言葉の人が多かったよな、と思い出して咄嗟に口に出した思いつきだった。
つまり完全にアイディアを丸パクリしただけだ。感謝されることでもない。
「いやいやそれはゴドウィンの腕がいいからで感謝されることでは……」
「アタシにできる恩返しって、結局美しさを引き出すことだけなのよね」
「いやあの、ゴドウィンーー」
「あなたが例えアタシの感謝を重荷に思っていても、やっぱり恩返ししたいわ。それにーーあなたの美しさを引き出してみんなに見せるのが、アタシの夢だったの」
感傷的な瞳でそう言うゴドウィンに、「痛いのも食事制限も嫌なのでやりません」とは私の性格上言えなかった。
その姿にしてやったり、と言った笑みを見せ、ひらりとゴドウィンが手を振る。
「じゃ。アタシ、そろそろ帰るわ。また半月後にね〜」
颯爽と帰っていくゴドウィンの背中を力なく見送り、先ほど手渡された紙に目を落とす。
『ダンスの練習は本腰入れてね。全ては気合よ』
気合……。
◇
くう。どうせ捕虜の飯のような侘しい食事になるのだろうと思っていたのに美味しいだなんて、マッシュの腕が良すぎてボーナスを支給したい……!
野菜たっぷり、だけど満足感のある食事を出された私はご満悦で舌鼓を打っていた。
アルバート様は今日も変わりなく無表情で、変わらない食事を摂っている。いつも澄ました顔をしているけれど、あそこにデスソースとか仕込んでいたらさすがに辛くて飛び上がるのかしら……?
そんなことを考えていると、アルバート様が怪訝そうに「……なんだ」と眉根を寄せた。
「べ、別に不埒なことは何も。……あ、そうだ。旦那様、私どこかちょっと変わったと思いませんか?」
「……何?」
「いつもと少し変わってませんか?」
聞かれたら鬱陶しいであろう質問だけれど、なんせチャームポイントの丸顔がいつもよりもキュッと小顔になり、肌艶は良く、髪の毛もシャンプーのCMの如きサラサラ加減。
いつもの凡庸令嬢に、心なしか気品が漂っていませんか。
これはさすがのアルバート様も、褒めざるを得ないのではないだろうか。
「……変わりはなさそうだが。何かあったのか?」
「…………イエ。別に何も」
あんな苦痛に耐えたのに、誰もが見てわかる効果がないとは……。
こんなに苦労したのだから、別人級の誰もが振り向くくらいの美人にならないと割に合わないのだが……?
と思うけど、相手は情緒の死んだアルバート様だ。薔薇とカーネーションの区別もつくか怪しいし、仕方ないかもしれない。
ちょっとショックを受けつつも、私は気を取り直して横に控えているハーマンに声をかけた。
「そうだハーマン。後で時間がある時に、ダンスの練習に付き合ってほしいの」
「ダンス?」
驚いたように目を見開くハーマンに頷いた。
「そう。私、舞踏会ではいつも壁の花になってたから踊るのに慣れてなくて。ゴドウィンに練習しなさいと言われてて」
元々舞踏会にはあまり参加はしてこなかったけれど、たまに参加してもキラキラ系男女たちを眺めるのに忙しく、いつも壁と同化していたのだ。
「……なるほど。勿論構いませんが……それなら私よりも、適任がいるではありませんか」
「え? 誰?」
「目の前にいらっしゃいます、アルバート様です」
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