もやもやと違和感
ひとしきり笑ったあと、殿下は目尻に浮かぶ涙を拭った。
「はあ……こんなに笑ったのは久しぶりだ……」
「笑うところじゃないですよ…… 」
こっちは罪悪感に押し潰されそうだというのに……。
じとりと湿った視線を向けると、殿下がくく、と笑いながら屋敷の方へ視線を向けた。
「悪かった。それより、そろそろ戻ろうか。先ほどから視線がうるさくて敵わん」
殿下が向ける視線の先には、アルバート様がいるであろう応接室の窓がある。お日様に反射して、キラ……キラ……と不気味に光が瞬いた。
やっぱりあれ、アルバート様かなあ……。「何をあんなに笑わせていたんだ」と言われたらどうしよう……。
◇
「突然押しかけてしまってすまなかったな。今日は楽しかった」
金の装飾があちこちになされた真っ白な馬車を背に、殿下がにこにこと機嫌良くそう言った。
そんなご満悦な殿下に対し、屋敷組といえば。
……表情の見本市みたいだわ。
キリっとしつつもくたびれ顔のハーマンと、微笑みつつも引くほど冷たい眼差しのルラヴィ様。アルバート様は……変わらないな。安定の無表情。
「では、近々また会おう」
そう言って殿下が馬車に乗り込むと、ずっと黙ったままだったルラヴィ様が急に私の両手を握り、ふわっと微笑んだ。
「今日は素敵な時間をありがとうございます、ヴィオラ様。緊張してしまって、失礼な態度をとってしまってごめんなさい」
「い、いえ、とんでもない! こちらこそ!」
「まあ、お優しい。また会える日を楽しみにしておりますわね」
いきなり近づいた距離にドギマギしてそう言うと、微笑んだままルラヴィ様が、私の耳元に唇を寄せて囁いた。
「……あなたがアルの妻だなんて、私は絶対に認めないわ」
「え?」
「あの人の本当の顔をあなたは見たことないでしょう?……見れないわよ、一生ね」
私が驚いて顔を上げると、すぐにルラヴィ様が離れる。微笑みは崩していないはずなのに、泣きそうな子どものような表情に見えた。
「それではご機嫌よう」と馬車に乗り込むその背中を、私は呆然と見送った。
◇
私が何をしたと言うんだ……。
満月の下、夜の庭園で。
いつも通りの無言の夕食を終えた私は、やさぐれた気持ちで花壇のお花を眺めていた。
しゃがんだまま、夜風に震える花びらをじいっと見つめる。
うまくいかない時は、手を動かすのが一番。雑草でも抜くか! と思ってやってきたのに、優秀庭師のハリーが全ての雑草を抜いてしまっているらしい。偉いが悲しい。
はあ、とため息を吐く。
刺激的ながら今日もおおむね楽しい一日だったけれど、やっぱり思い出すのはルラヴィ様の泣き出しそうな顔だった。
私だって、別に望んで結婚したわけじゃない。
文句は公爵様に言ってくれ、と思いつつ、知らず知らずに人を傷つけていた罪悪感は、今まで経験したことがないような後味の悪さだった。
私には想像することしかできないけれど、ずっと好きだった人が他の女性と結婚したらきっととてもショックだろう。
「それになんだかちょっとモヤモヤしちゃうのよね……」
夜風に揺れるお花の、しっとりとした花びらをつんつんしながら私は呟いた。
そう、なんだかモヤモヤするのだ。
ルラヴィ様への申し訳なさや、ルラヴィ様が結婚相手の方が色んな面でよかったのでは……? という憤り混じりの疑問だけでなく、何か胸に引っかかるものがある。喉に小骨が刺さったような歯痒い感じ。
この屋敷に来た時から感じていた違和感が、急速に膨らんでいるような。
「……何が、モヤモヤするんだ?」
「ひえッ!!!」
誰もいないはずのこの場所に声がして、私は驚いて飛び上がった。
心臓をバクバクさせながらふり向くと、驚いたように目を見張るアルバート様がそこに立っていた。
お風呂上がりなのか、アルバート様はラフなシャツ姿だ。
見慣れない姿にちょっとびっくりする。
彼のラフな姿を見るのは初めてかもしれない。初夜の時にも、そういえば彼は式のままの正装だった。
「……驚かせるつもりはなかった」
「……いえ、すみません。まさかこの時間に人がいるとは思わなくて」
今は大体、九時過ぎだろうか。
雑草を抜きに来た私が言うのもなんだけど、この時間に庭に出てるなんて見回りの護衛か泥棒くらいだと思う。
「旦那様もお散歩に?」
お散歩を楽しむようなキャラだとは思えないけれど、他に理由が思いつかずに首を傾げた。
しかし彼は何も答えず、何故か感情の読めない無表情のまま、じいっと私の顔を見た。
え、これ、人目がない隙を狙ってお前を消しにきたぞパターンじゃないよね?
心当たりの多い私が冷や汗をかきながら逃げ出す心の準備をしていると、アルバート様が一瞬口を開いては閉じて、たっぷり十秒沈黙した後、また口を開いた。
「……今日は申し訳なかったな」
「え?」
「殿下とルラヴィだ。突然すぎて先触れも間に合わなかった」
「ああ……」
どうやら怒っているわけではないらしい。ほっと胸を撫で下ろしながら、私は「大丈夫です」と首を振った。
殿下、思い立ったら即行動しそうだもんねえ……。今日初めて会っただけだけれど、やり取りの予想がつきすぎる。
「それから、ルラヴィのことも。彼女も謝っていたが、失礼な態度を取っていただろう」
「それは別に旦那様が悪いわけではないので……」
先ほどから別人のように人が良い常識人みたいなことを言い出すアルバート様に、若干戸惑いながら私は言った。
「いくら仲の良い幼馴染だからって、人の行動について旦那様が謝らなくて良いんですよ」
「しかし私が連れてきた客人があなたに失礼をしたら、謝るのが道理だろう」
「それは確かに……?」
しかし、誰よりも私に失礼なことをしたアルバート様が一体何を……? と怪訝な眼差しを送ると、彼はちょっとばつが悪かったのか気まずそうに目を逸らした。
「まあでも、お気遣いありがとうございます。楽しかったところもあったので、もう大丈夫です!」
「楽しかった?」
「はい! 最初はちょっと緊張もしましたけれど、殿下とのお喋りは割と」
「……そうか」
そう頷くアルバート様の瞳が、戸惑うように揺れたのを見て私は、あ、しまった、と思った。
この流れは夕飯の時には回避できた「何をあんなに笑わせていた?」ターンが来かねない。いそいそと立ち上がって口を開く。
「それでは私はそろそろ戻ります。……旦那様は?」
「……私は、もう少しここにいる」
「その格好でですか?」
晩秋の夜は普通に冷える。下は部屋着といえど、コートにマフラーを巻いた完全防備の私と比べ、夜風の前に彼の防御力は塵に等しい。
私はちょっと悩んでマフラーを取り、「失礼します」と彼の首にかけた。
「!」
「風邪は万病の元ですよ。夜出歩くならば暖かい格好をしてくださいね」
そのままぐるぐるに巻きつけて、何も言わないアルバート様にペコリと礼をする。
「じゃあそれでは先に。…あ、そうだ、旦那様!」
絶対に言わなければならないことを思い出して唐突に声を上げると、アルバート様は驚いたのか一瞬びっくりしたように跳ねた。
「な、何だ」
「昼間に落ち葉で書いてた男の人は、旦那様じゃないですからね! ほら、あれは金髪でしたし!」
「……わかってる。あなたが私を描くわけがないだろう」
頷くアルバート様は、いつも通りの無表情で。
誤解を避けられてやれやれと安心した私は、モヤモヤする違和感のことなど忘れて屋敷の中へと戻ったのだった。
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