第89話 イーリスの目標

 アルドはイーリスのことについて最近悩んでいる。


 一緒に街に出かけている時でもイーリスはアルドにべったりと甘えている。


「ねえ、お父さん。本屋に行っても良い?」


 アルドの腕に組みつきながら、猫撫で声で甘えてくる。上目遣いで注がれる熱い視線にアルドはつい目をそらしてしまう。


「ああ、大丈夫だ」


「やった。ありがとうお父さん」


 はたから見れば仲が良い親子に見える。イーリスの身長が低いのもあって、そこまで年頃の娘に感じさせないのもあった。


 本屋に入るとイーリスはアルドから離れる。


「お父さん。色々と本を見ても良い?」


「ああ、いいよ」


 イーリスは本屋の中を自由に見て回る。本が好きということもあってか、本屋の中ではアルドから離れて自由に行動したいということだ。


 この時にアルドは心が休まる。


 アルドも自分が読みたい本を探してみる。子育てに関する悩みの本を探してみるも、イーリスの年齢に関する本はあまりなかった。もう少し年齢が低い幼児の子育ての本はあるのに。


「やっぱり……ないか」


 イーリスくらいの年齢になると親離れしている子も少なくない。ここまでくると子は勝手に育つというべきか、親も子育てに関して慣れてくるころであり、乳幼児の時と比べたら需要がなくなってくる。


 更に言えば、アルドの悩みは特殊な方であり、その解決法は心理カウンセリングが未発達のこの世界においてはまだ確立されていないのだ。


「お父さん。この本を買っても良い?」


 イーリスが持ってきた本は児童書ではなくて、もう少し難しい感じの本である。大人でも内容を理解するのが難しいとされている本で、イーリスの好みの本を見るに、彼女は順当に育っているのだ。


「その本、難しいけどいいのか?」


「うん。挑戦してみたいって思って」


 イーリスの笑顔を見ているとアルドは反対する気が起きなかった。娘がせっかく、挑戦しようって言うのだからそれを応援したいのが親というものである。


「わかった。イーリスが欲しいならその本を買おう」


「やったー!」


 無邪気に喜ぶイーリス。だが、そんなイーリスを横目に1人の少年がくすくすと笑っていた。見た目の年齢はイーリスより少し年上のように見える。


「やめておいた方が良いですよ。その本はそこの子供が理解できるような内容ではないと思います」


 少年がアルドに話しかける。言葉遣いこそは丁寧なものの、明らかにイーリスをバカにしている。


 突然現れた無礼な少年にイーリスは口をポカーンと開けて呆けている。そんな様子を見て少年は更に続ける。


「ほら、こんな間抜け面を晒しているようではこの本はまだ早いです。この本は僕みたいなエリートにこそ相応しいのです」


 少年はキリっとした顔でアルドを見ている。アルドはなんとなくこの少年の言おうとしていることを察してしまった。


「イーリス。その本は1冊しかなかったの?」


「うん。これしかなかったよ」


「そうなんです。この本は貴重なのです。学校にすら行ってないような子供が持っていて良い代物しろものではないのですよ。さあ、わかったら、その本を僕に渡してください」


 少年の狙いは本であった。本が欲しかった少年はイーリスを貶すことで本の価値を説き、アルドたちが購入を諦めるように仕向けていたのだ。


「キミ。悪いけど、この本を譲るつもりはない。こういうのは先に手を取ったものが優先なんだ」


「だから! その本はその子に相応しくないと言っているのです。僕はこの地域で最も賢い子が集まるルメス学院の生徒なのですよ! この子はその学院で見たことがない。よって、優秀な僕の方がその本を手にする権利があると言うのです」


 少年はかなり無理を通そうとしている。けれど、アルドもイーリスのために諦めるわけにはいかない。


 揉め事を聞きつけた店主がやってきた。


「どうされましたか?」


「聞いてくださいよ。店主さん。この人たちが僕の本を取ったんです」


「なに!?」


 店主がアルドたちを睨む。だが、アルドたちも言い分がある。


「それは人聞きが悪いですね。先にこの本を取ったのは娘です。それをこの子が難癖つけて横取りしようとしているんです」


「本当だよ! お父さん、嘘つかないもん!」


「うーん……」


 両者の意見が食い違っている。店主はお互いの顔を見合わせている。両者とも、この店の常連だけに店主はどっちを信じていいのかわからなかった。


「その本は……イーリスちゃんがいつも買うような本じゃないね」


 いつも本屋で児童書を買っているイーリス。それに対して……


「その本はトライ君が欲しがっていた本だ」


「そ、そうなんです! やっとお父さんの許可をもらえたから買えるんです」


 風向きが悪い方向に変わった。普段買っている本の内容的に信憑性があるのはトライと呼ばれた少年の方である。


 トライは勝ち誇った顔でアルドたちを見ている。


「それにですよ。学校にも行ってないような子供がこんな本を読めるわけないじゃないですか」


「読めるよ! 私だって勉強している!」


 イーリスがムキになって反論をする。しかし、店主はイーリスに疑いのまなざしを向けていた。


「うーん。確かに。イーリスちゃんは学校には行ってないからね。難しい本を読めるのかな?」


「イーリスは勉強をしています! この本屋でも参考書とか買ったりしましたよね?」


 アルドも反論をする。しかし、世間的には学校に行っている実績があるのとそうでないとでは信頼に大きな差がある。


 店主も困り果ててしまった。アルドの言っていることも一理あるし、信用はトライの方が上ではあるが、妄信するほどでもない状況だ。


「うーん。申し訳ないけど、私も一部始終を見ていたわけじゃないからね」


「……お父さん。もういいよ。この本。もういらない」


「イーリス?」


 イーリスはトライに向かって本を突き出す。トライはこれ幸いとイーリスから本を奪い取った。


「ほら、やっぱり僕が正しかったんだ。大体にして、学校にも通ってない子が読むような本じゃないんだよ。この本はエリートで将来性もある僕こそが読む本なんだ」


 トライは追い打ちをかける。イーリスは悔しくてうつむいている。


「ごめんね。イーリスちゃん。読みたかったらまたこの本を仕入れておくから」


 店主はイーリスを慰めるように語り掛ける。イーリスは黙ってうつむいている。


 本屋を後にしたイーリスは暗い表情で黙っていた。


「イーリス……」


 アルドがイーリスを励まそうと声をかけようとする。するとイーリスは――


「うがああぁああ!!」


「うわっ!」


 急に叫びだす。そして、ハァハァと息を荒げている。


「なんなのあの子。ちょっと私より背が高くて学校に行ってるからって偉そうに。学校に行っているのがそんなに偉いの? 私だって、学校には行ってないけどちゃんと勉強してるのに……なんだったら、魔法の勉強の成果をぶつけてやりたいくらいだったよ」


 イーリスは内心かなりストレスをため込んでいた。本を買えなかったこと以上にトライの物言いにかなり腹を立てている。


「お父さん。ごめん、私学校に行きたい」


「え?」


 学校に行きたくないと言っていたイーリスが急に心変わりをしたことにアルドは驚いた。


「学校に行って、あいつより良い成績を取って、絶対に謝らせてやる!」


 いつになく熱く燃えているイーリス。アルドとしてもイーリスを学校に入れることは賛成であるが、動機が少し危ういのが気になるところではあった。


「イーリス。あの本はまた仕入れてくれるみたいだから、その時にまた買おう」


「ううん。それはもういいの。あの本よりも難しい本なんてこの世にはいっぱいあるもん! 私はそっちを読めるようになるから」


 妙な対抗心を持ち始めたイーリスである。それが良いことなのか悪いことなのかアルドには判断しかねることだった。

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