第46話 カレンダーの花丸
「お父さん。髪
イーリスがクシを持ってアルドにおねだりをしてきた。
「髪を? 普段は自分でやってるじゃないか」
「えー。お父さんにやって欲しいよー」
イーリスはくちびるを尖らせてクシを更に突きだす。その仕草に愛らしさを感じたアルドは微笑みながらクシを受け取る。
「ああ。わかった。ほら、後ろ向いて」
「うん」
イーリスが椅子に座って後ろを向く。その状態でアルドがクシでイーリスの髪を梳いていく。アルドからは見えないもののイーリスは目を細めて脚をバタバタとさせている。
「イーリス。少し髪が伸びて来たんじゃないのか?」
「そうかな?」
ロクに栄養もなく手入れもされてなくて傷んだ髪をバッサリと切ったイーリスの髪。アルドが良い父親になったことをきっかけに切ったものである。それが伸びると感じるほどに2人の関係は月日を重ねていた。
イーリスの伸びた髪に想いを馳せていたアルドはふとカレンダーを見た。確かに自分が退院した日からそれなりの日が経っている。と同時にあることに気づく。
「イーリス。あの花丸はなんだ?」
「あ、そっか……」
アルドの質問にイーリスはちょっと声のトーンがダウンする。うつむいてから、数秒して再び顔をあげる。
「私の誕生日だよ。お父さん、私の誕生日も忘れちゃったんだよね」
「あ、ごめん。イーリス」
仕方のないこととはいえ、実の娘の誕生日を知らなかったアルド。去年も一昨年も誕生日を祝ってもらえなかったイーリスは今年こそアルドに誕生日を祝ってもらえるのではないかと淡い期待をしていたのだ。
自分から誕生日を祝ってとも言い出せずにイーリスはカレンダーに花丸をつければアルドに誕生日を思い出してもらえると思っていたのだ。しかし、結局、アルドは自力でイーリスの誕生日を思い出すことはなかった。
「ううん、いいの。だって、お父さんは記憶喪失なんだから」
イーリスはため息をつく。そのため息が耳に入ったアルドの手が止まる。
「イーリス。誕生日会をしよう。クララとミラも呼んでさ」
「え? いいの? お父さん」
「ああ、盛大に祝ってあげるから覚悟しといて」
「うん!」
振り返り満面の笑顔を見せるイーリス。その表情に誕生日は絶対にイーリスを楽しませると決意をするアルドだった。
◇
アルドはクララとミラを街中に呼び出して、イーリスの誕生日のことを話した。まずは食いついたのはクララだった。
「あー。イーリスちゃんの誕生日か。何歳になるの?」
「10歳になるな」
「10歳かー。ついに年齢が2桁になるんだね! イーリスちゃんも大人になったね」
「大人……イーリスはまだ10歳だから大人ってほどでは」
「甘いぞ。アルドさん。クララは14歳でアタシは15歳だ。後、数年も経てば、イーリスちゃんもこれくらい大きくなる」
「なるほど……」
クララもミラももう体格的には大人の女性と大差はないほどである。まだ少しの成長の予知は残してはいるが、それでも誤差の範囲内である。実際、このクララもミラも自分で生計を立てて働いている。この国の社会においては珍しいことではない。そうした価値観を持つクララとミラにとっては、10歳になるイーリスは十分に大人に片足を突っ込んでいると言っても良い。
「それとアルドさん。イーリスちゃんはアルドさんには懐いてはいるけれど、なんでもかんでも悩みとかは聞きださない方がいい」
「え?」
「イーリスちゃんの年頃にもなると女子特有の悩みとかも出て来るかもしれない。特に体の変化のこととかは、親とはいえ男性には相談しにくいからな。そうしたデリケートなところは女子同士で話した方が良いこともあるってこと」
ミラの言葉に納得したアルド。確かに自分は片親でしかも異性の親。娘も父親に相談しにくいこともあるに決まっている。母親がいないイーリスにとって、相談できる年上の同性が2人もいることは、環境としては幸いと言える。
「そうだね。ミラの言う通り。私も色々あったけれど、父さんには相談しにくかったよ。別に父さんが嫌いってわけじゃなかったけれどね」
「そうか……そういうものか」
アルドは自分が解決できない問題があることに少し寂しさを覚えた。でも、それと同時にイーリスの成長というものが実感できると前向きに思うが……やはり、寂しいものは寂しい。いつかはやってくるイーリスの第二次成長期。それに覚悟を決めながら、アルドは本題に戻す。
「まあ、そんなちょっと遠い未来のことより、今は目の前の誕生日だ。その……まあ、僕は男親だし、年齢も年齢だから女子が喜ぶような誕生日会はどうしたらいいのかわからないんだ」
「あ、そっか。アルドさんは記憶喪失になっちゃったから、去年までの誕生日はどうしていたのか知らないんだ」
誕生日をどうしていたか、それは何もしていなかった。まさか、あの親子関係で誕生日会を開いていないとは夢にも思わないクララ。
「アルドさん。イーリスちゃんが好きなものってなんだ?」
「本かな? イーリスは本を読むのが好きなんだ」
「そっか。それなら、アルドさんはイーリスちゃんが喜びそうな本を買うといいかな」
「ありがとうミラ。本屋に行ってみる」
「それじゃあ、私たちは私たちでイーリスちゃんのプレゼントを用意しておくね」
「クララ、ミラ。イーリスのために本当にありがとう」
アルドは2人に頭を下げた。
「あはは。大丈夫だよ。イーリスちゃんは私たちにとっても可愛い妹みたいなもんだし」
アルドは2人と別れた後に本屋に来た。本屋に行くとクララとミラの師匠であるジェフがいた。ジェフは本屋の最奥のコーナーで本を物色している。
「ジェフさん」
「ん? ああ。アルドさんか。かっかっか。ウチの弟子たちが迷惑かけてないか?」
「いえ、迷惑どころか、むしろ助けられています」
「そうか。それは良かった」
アルドは内心ジェフが本屋にいることが意外だと思った。普段は昼間から酒場で飲んでいるような生活だけに本を読むイメージはなかった。
だが、アルドはジェフがいる本棚のコーナーを見て察してしまった。ここはいわゆる子供が立ち寄ってはいけないような場所である。
「アルドさん。アンタも嫁さんに逃げられて大変なんだってな」
「ええ、まあ」
「俺のオススメの本があるけれど、紹介しようか?」
「いえ。お気持ちだけで結構です」
流石にイーリスがいる家にそういう本は置けないし、置くつもりはない。興味がないと言えば嘘にはなるが、今はそういうことよりもイーリスとの生活の方が大事である。
「そうか。まあ、たまには大人の男同士で仲良く飲もうぜ」
「あ、ははは。折角のお誘いですが、イーリスは僕がお酒を飲むの嫌がるので」
「なんだ。意外と酒癖が悪いタイプか?」
アルドは記憶を失って以来、飲酒を控えている。イーリスはずっとアルドの嫌な酔っぱらった姿を見てきた。もし、アルドが酔ってしまって、元の毒親の人格が復活してしまわないか不安なのである。
「まあ、酒癖が悪いかどうかの記憶はないですね」
「記憶がなくなるほどか……相当だな」
なぜか変な勘違いをするジェフ。と言ってもジェフの勘違いは正当なものである。酔うことで記憶をなくすタイプは確かに存在する。
「まあ……なんというか。記憶喪失というか」
「記憶喪失レベルか。それはもう、酒癖が悪いって次元ではないな」
ジェフの勘違いが加速したところで、アルドは説明をするのが面倒になった。そこまで深い付き合いというわけでもないし、アルドが酒癖悪いと思われたままでも特に支障はないのでそのままにしておくことにした。
アルドは、イーリスの誕生日プレゼントのための本を買って店を後にした。ジェフも自分が"使う”分の本を購入した。
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