第10話 娘のやきもち

「ただいまー」


「おかえりー。お父さーん」


 たったったとアルドを走って出迎えるイーリス。アルドが手を差し出すとイーリスがその手をとって一緒にリビングへと歩いていく。


「イーリス。ちゃんといい子でお留守番していたか?」


「うん。でも、本を読み終わっちゃったんだ」


 イーリスはシュンとうつむいてしまった。彼女は日中外に出ないで家の中にいる。だから、すぐに本を読み終わってしまうのだ。


「うーん。あれだけ本があったのにな」


「でも、いいの。いつもみたいに新しい本を何度も読み返すんだ」


「まあ、本は読み返すことで新しい発見もあるけど、同じ本ばかり読んでいてもつまらないだろ?」


「ううー」


 イーリスが唸る。確かに、アルドに数年も本を買い与えられなかったイーリスにとって、同じ本を読み続けることの辛さはわかってしまうことだ。


「ほら、そうだろ。僕が新しい本をイーリスに買ってあげるから」


「お父さん。大丈夫? お金あるの?」


 イーリスは上目遣いでアルドを心配する。アルドは困ったように頭を掻いた。


「まあ、イーリスにお金の心配をされないようにがんばるよ。ほら。僕もまたダンジョンに潜ることになったからさ」


「また? 私、心配だよ……」


 イーリスがアルドの服の裾をぎゅっと掴んだ。幼くて力が弱いイーリスの精一杯のアピール。アルドを掴んで離したくない気持ちの表れである。


「ああ、大丈夫。ディガーの同業者と一緒に潜ることになったんだ。だから、危険なことはあまりないよ」


「本当? その人強いの?」


「ああ。強いよ。なにせ、スラム街にいる筋肉のかたまりみたいな大男。それを倒したんだから」


「ほほー!」


 イーリスが目を輝かせてアルドの話を興味深そうに聞く。治安が悪いスラム街にいるタチの悪い輩。そいつらを倒してくれるのは正に英雄である。


「ねえねえ。その人ってどんな人? やっぱり、クマみたいな大男なの?」


「いや。違う。全くの逆。女の子だよ。歳は……13歳から15歳くらいかな」


「女の子……?」


 イーリスがアルドを横目でじーっと見た。その視線にアルドは戸惑った。


「な、なんだよ。その視線は」


「ふーん、女の子なんだ。へー。お父さん、女の子と仲良くなったんだ」


 イーリスは口を尖らせてそっぽを向いてしまった。アルドはイーリスがどうして機嫌が悪くなったのかわからないまま、あたふたと手を動かす。


「あ、あのなあ。イーリス。別に僕はその子のことをどうこうするつもりはないぞ。そもそも、僕の年齢がその子に手を出したら犯罪だし、娘みたいなもんだよ」


「へー。娘みたいなもんなんだー」


 イーリスの機嫌が更に悪くなる。「フン」とねて、寝室へと向かった。追いかけるアルド。そのまま、イーリスはベッドに寝転がった。


「イーリス。もう寝るのか? まだ早くないか?」


「おやすみー」


 アルドの質問に無視をして、イーリスはふて寝をしてしまった。アルドに背を向けて、わざとらしく偽の寝息を立てる。


 アルドはわけがわからないと思うも、イーリスのその行動に少し安心して「ふっ」と笑ってしまう。


 素直で良い子なだけが子供ではない。こうして、親の言うことを聞かなかったり、拗ねたり、頑固になったり。そういう一面を自分に見せてくれるようになって、イーリスが真の意味で自分に甘えてくれているのだと思った。


 だが、それはそれとして……やっぱり、娘に嫌われるのは父親としては心苦しい。そんな二律背反のもやもやとした感情を抱えたまま、アルドはその日を過ごした。



 翌朝、アルドが起床する。ふと隣のベッドを見てみるとイーリスがいない。今日はイーリスが先に起きたようである。


 キッチンへ向かうとイーリスががんばって朝食を作っている。アルドはそれを冷や冷やとしながらも、娘の様子を見守っていた。


「あ、お父さん。おはよう」


「ああ、おはよう。イーリス」


 イーリスは昨日の拗ねた態度を見せることなく、笑顔でアルドに挨拶をした。アルドは機嫌が直ったと思って安心して食卓についた。


「はい、どうぞ」


 イーリスがアルドの分の朝食を運んだ。トーストとスープとサラダ。実に健康的な朝食である。こうした食事を続けている影響か、イーリスのやせ細っていた体は段々と健康的な肉付きになり、血色も良くなってきた。


「ああ、ありがとう。イーリス」


「お父さん。今日、ダンジョン行くんだよね?」


「まあ、ダンジョンの前に炭鉱での仕事があるかな。一応、本業はそっちだし」


 アルドはそう答えてから、サラダを口にした。もしゃもしゃとした食感のレタス。スラム街にはあまりシャキシャキの新鮮なレタスは出回らない。でも、アルドは新鮮なレタスはシャキシャキだという謎の記憶を持っていて、いつかそれをイーリスに食べさせてあげたいと思っていた。


「仕事終わってからダンジョン行くんだ……ねえ、お父さん。今日は早く帰って来てほしいなー」


 イーリスがアルドの方をチラチラっと上目遣いで見て来る。甘えるような視線にアルドの心が揺らいでしまう。


「なんかあるのか?」


「なんにもないけど……お父さんがいないと、私寂しいんだよ」


 素直に自分の気持ちをぶつけるイーリス。アルドとしてもイーリスのお願いはできるだけ聞き入れたい。しかし、なんでもかんでも思い通りになると思わせるのもよくないことだ。できないことはできない。それはキッチリと教えていかなければならない。


「それだったら、ダメだな。イーリス。僕はクララと約束をしたんだ」


「クララ?」


「ああ……一緒にダンジョンに潜るディガーだよ。彼女は今日の約束のために、準備をしている。だから、僕がその約束を破るわけにはいかない。それは彼女に対する裏切りだ。イーリスも約束を破られたら悲しいだろ?」


 イーリスは想像した。アルドとした約束。自分が将来、魔法使いになったらお願いをなんでも聞いてくれるというもの。実際に、自分が魔法使いになる夢を叶えてもアルドがその約束をなかったことにしたら、とても悲しい気持ちになる。


 きっと、クララという人もお父さんに約束を破られたら、悲しい気持ちになるだろう。そう思ったイーリスは自分を恥じた。


「ごめんなさい。お父さん。私、自分のことしか考えてなかった」


 イーリスは悲し気にうつむいてしまう。だが、アルドはそんなイーリスの肩をポンと叩いた。


「ああ、大丈夫だよ。イーリス。人間、誰だってそういう時はある。特にイーリスはまだ子供なんだからワガママを言ってもいいんだよ。まあ、こっちもきけるワガママとそうじゃないものがあるけどね。そこは勘弁してほしい」


 アルドはイーリスを優しく諭した。これで、イーリスの心が少し晴れて、見知らぬ女の元にアルドを送り出すことに対する抵抗が減った。と言っても、まだちょっと嫉妬しっとめいた感情があることは否定できない。


「わかった。お父さん! でも、クララさんと一緒にダンジョンに潜ることを赦します!」


「そうか、わかってくれて嬉しいよ」


「でも、なるべく早く帰ってくるように。私に寂しい想いをさせたら、抱っこの刑に処します!」


 腰に手を当てて、謎の判決を下すイーリス。アルドは「ははは」と乾いた笑いをしてしまう。


「抱っこの刑か。それは恐ろしいな」


「うん。恐ろしいでしょ。だから、早く帰って来てね!」


「ああ。わかった」


 アルドは仕事にいくための準備とダンジョンに潜るための装備を整えて、玄関へと向かった。イーリスも見送りに来た。


「いってらっしゃい、お父さん!」


「ああ。いってくるよ」

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