第8話 ダンジョンから帰還。娘を甘やかす

 アルドはダンジョンに足を踏み入れた。初めて入るダンジョン。洞窟の中なのに不思議と光で満ちている。1歩1歩慎重に歩いていくと、巨大は羽音が聞こえてきた。


 アルドの目の前に現れたのは、黒い甲殻に覆われた蜂である。大きさは成人男性の手のひらほどと蜂にしては大きいサイズだ。この邪霊は、ダークバグという名で邪霊の中でも最弱のグループに属している。


「ブゥウゥウゥウゥウゥン」


 ダークバグが羽は羽ばたかせて侵入者であるアルドに近づく。アルドは持っている剣を構えてから、ダークバグに斬りかかった。


「ていや!」


 掛け声と共にアルドが剣を振るった。だが、ダークバグは剣の素振りで発生するわずかな風、気流に反応して攻撃をかわした。ぶんぶんと飛んでいるハチに攻撃が当たらない。


「これが最弱の邪霊なのか?」


 アルドは驚いた。最弱の邪霊ならばもっと簡単に倒せると思っていた。しかし、そんなことはない。アルドは選ばれた勇者でも歴戦の英雄でも何でもない。ただの炭鉱で働く一般人。最弱の邪霊相手でも苦戦はしてしまうのは自明の理だ。


「僕は……娘の、イーリスのためにも負けるわけにはいかない!」


 アルドは剣をぶんぶんと振りまわした。数撃てば当たる作戦だ。ダークバグはアルドの攻撃を何度も避けていく。そして、それを数十回ほど無駄に繰り返して、ダークバグがようやく疲労して動きが鈍った。その隙を突いて、アルドがダークバグを剣で斬った。


 ザシュっと音がして、ダークバグは真っ二つになり、その場で消滅した。ダークバグが消滅したところから、黒い石の欠片が出てきた。


「これが邪霊を倒した時に得られる素材か」


 アルドはその素材を袋の中に詰めた。これはこれで売れるのである。もっとも、ダークバグの素材は供給過多なので、二束三文で買いたたかれるのがオチではある。


「最弱モンスターを狩るだけでこの労力か……ふう、これはダンジョンクリアは難しいかな」


 ダンジョンクリアの条件。それは、ダンジョンの最深部にいる邪霊を倒すことである。その邪霊を倒せば、精霊の封印も解けて精霊も解放される。ダンジョンだった場所は役目を終えて元の土地に戻るのだ。


 アルドはダンジョンの岩壁に目を向けた。そこを持ち込んだツルハシで思いきり削った。削ったところから出てきたのは、とある原石だ。この原石は邪霊の影響を受けていて不思議な力を宿している素材だ。


「やっぱり。なにかここにある気がしたんだよな。僕の炭鉱夫の勘とでも言うのかな。僕は戦闘よりもこうした、採取の方が向いているのかもね。ははは」


 自嘲気味に笑うアルド。意気揚々と娘のためにダンジョンに潜ったものの戦闘の成果はあまり得られず。結局、ディガーの名の通り、掘ることしかできずに最初のダンジョン探索を終えた。


 ダンジョンから帰還したアルドはディガー協会にダンジョンで得た素材を持ち込んだ。ダンジョンで得たものは全て、ディガー協会に報告する義務がある。そこでディガーの所有物だと認められたものは、そのままディガーのものに。研究対象等で教会側が必要な時は、強制的に買い取りの形となる。


 今回の素材は、全てディガー、即ちアルドの取り分である。しかし、アルドはダークバグの素材も原石も別にいらない。それらをディガー協会に売却をして金を得た。


 ダークバグの素材はともかく、原石の方はそれなりの値がついた。アルドはほくほく顔でディガー協会の建物を去り、稼いだ金を持って愛娘が待つ家へと帰った。


「ただいまー」


「あ、お父さん!」


 イーリスはアルドが帰ってくるなり早々、彼の胸に飛び込んできた。


「おっと、どうした、イーリス」


「お父さん……良かった」


 イーリスはアルドが無事に帰って来たことに心の底から安堵している。アルドが帰ってくるまでの間、気が気でなかったのだ。


「イーリス。心配かけてごめんな。でも、僕は強いから大丈夫だよ」


 アルドはイーリスに嘘をついた。本当は最弱モンスター相手にすら

苦戦するほどの実力しかないのに。


 けれども、イーリスの不安が解消されるなら、こうして嘘をつくのもやぶさかではない。


「そうなんだ。お父さん強かったんだ。えへへ。それなら少しは安心したよ」


 イーリスはアルドから離れてくるっと回転して、きびすを返した。イーリスのスカートがふわりと舞う。


「さあ、お父さん。ご飯食べちゃおう。今日も私が作ったんだから」


 イーリスがニコっと笑う。アルドはその笑顔に癒されながら食卓へとついた。


 今日の料理はポトフだった。アルドはそれを口にして、いつものようにイーリスの料理を褒める。


「美味しい。流石イーリスだ」


「わーい。ありがとう」


 夕食後、風呂に入ってその後、のんびりと過ごすアルド。本を読んでいるイーリス。だが、彼女の目は半目になっていてうとうとしている。


「ふあーあ……」


 イーリスが可愛らしい欠伸あくびをする。アルドはその可愛らしさに思わず「ふっ」と笑ってしまう。


「イーリス。そろそろ寝たらどうだ?」


「うん……」


 イーリスは本に栞を挟んでパタンと本を閉じた。そして、本を本棚に戻して、自分のベッドへと向かおうとする……が、アルドの方をちらちらと見ている。何かを訴えようとしているようであるとアルドは察した。


「どうしたんだ? イーリス。なにか僕に言いたいことがあるんじゃないのか?」


 イーリスの様子を察したアルドは声をかける。しかし、イーリスはもじもじとしていて答えない。今までの環境が環境だっただけに、イーリスはアルドに対して自分からワガママを言うことができない性格になっていたのだ。


「大丈夫。イーリス。キミは僕の娘なんだ。遠慮なくワガママを言ったり、甘えたりしても良い」


 イーリスはその言葉に気を許して、恥ずかしそうに俯きながら答えた。


「お父さん……今日は一緒に寝て欲しいの」


「一緒に?」


「うん。今日はその独りで不安だったから、だから……」


 自分の気持ちを上手く表現できないイーリス。だが、アルドはきちんと察している。不安な気持ちが強かった分、その分強い安心を得たい。その不安の原因は間違いなくアルドがいなかったことに関係している。だからこそ、イーリスはアルドがいなかった分、アルドの存在をどこかで感じたい。


「ああ、わかったよ。今日は一緒に寝ようか」


「うん!」


 正直言うと、今のアルドはそんなに眠くない。けれど、イーリスが眠る時間に合わせて一緒にベッドに向かった。アルドと一緒のベッドに入るイーリス。自分から言い出した割には、あまりアルドにくっつこうとしない。ちょっとだけ距離を取っている。アルドに対する警戒心はもう皆無に近いが、それでも、まだちょっと遠慮している部分はある。


 アルドはそこで無理に距離を詰めようとはせずに、イーリスの好きなようにさせた。自分から歩み寄ることも大切ではあるが、歩み寄りすぎるとまた警戒されてしまう可能性がある。イーリスがきちんと自分から甘えてくれるようになるまで、じっくりと待つことにした。


「おやすみ。イーリス」


「うん、おやすみ……パパ」


「パパ?」


「あ!」


 イーリスは思わず口に手を当ててしまった。今まで「お父さん」と呼んできたのに急に子供の時に読んでいた「パパ」と言ってしまった。


「い、今のはナシ! 間違えただけだから」


「ああ。わかったよ。聞かなかったことにするよ」


 そうは言っても、イーリスは恥ずかしくて、アルドに背中を向けてしまった。そのままイーリスは静かに寝息を立てて、眠りの世界へと入る。


 アルドもイーリスが寝たのを確認した後にゆっくりと目を瞑った。そして、しばらく時間が経った後に、アルドもまた夢の世界へと入っていく。

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