りっちゃん
青いひつじ
第1話
私の名前は高橋友紀(たかはし ゆき)
現在、夫の転勤によりアメリカに来た私は、シアトルにあるモンテッソーリ教育推進の保育園でアシスタントの先生として勤務している。
私は9月から、2歳半〜3歳半の幼児クラスを担当することになった。
新年度が始まり、お母さんとの朝の別れを惜しむ声が響き渡る中、どしんと座り貫禄を感じさせる1人の男の子がいた。
名前は律(りつ)くんといい、私たち彼をりっちゃんと呼んでいた。
彼は少し癇癪を起こしやすかったが、チャーミングな人間であった。
「お仕事片付けようね〜」と近づくと、「いらなーい。いらなーい」と知らないふりをする。
オムツを交換しようと近づくと、「あ、まってまって」と慌てふためき拒絶した。
そして最後には、強く腕でも掴んだかのように号泣してしまう。
しかし、後になると「せんせーないてごめんね」と言い、オムツを変えさせてくれるなんともずるい性格だ。
朝、登園してきた際には「りっちゃんのお洋服かっこいいねー!」と言うと、「いやっほー!!」とご機嫌で教室に入っていくことが最近分かった。
「うーーっ!」と口を突き出し目を閉じているのは嬉しい、楽しいのサインである。
彼は少し不思議な感性の持ち主でもあった。
飼っている犬は白と黒の斑模様で、名前はパンダという。彼はパンパンと呼んでいる。
朝食は決まってシリアルといちごだ。
私は彼がどうすれば癇癪を起こさず、一日ご機嫌で過ごせるか考えた。
最近は私達が「りっちゃんかわいいね〜」というと、「え〜かっこいいでしょ〜」と言う。
彼は「かっこいい」がいいらしい。
ある日のランチタイム。
「せんせー、にじはなにからできてるの?」
と質問してきた。なんでなんで期が来ているようだ。
彼は知識欲が旺盛で想像力も豊かだった。
「にんじんの種を土に植えて水をあげると、にんじんが育つよ」と私は答えた。
「そーなんだー!じゃあ、にじはなにでできてるのー?」
空気中の水に光が反射して、、とか言っても難しいよな。
的確な返事が見つからなかった私は「りっちゃんは、何でできてると思う?」と聞いた。
すると彼は、
「もしかしたら、だれかがにじのたねをもっていて、それをばらまいているのかなー」
と両手でほっぺを包みながら嬉しそうに答えた。
2月になった。
半年が経ち、クラスが始まったばかりの頃と比べると子どもたちも成長し、平穏な日々が続いていた。
しかし、少しの変化の積み重ねが、クラスの雰囲気を大きく変えてしまうことがある。
私は、子供たちと関わる中でストレスを感じるようになっていた。
理不尽に癇癪を起こし泣き喚く声、先生達をテストするかのような態度、止まらない殴り合いのケンカ、荒れていく教室。
私自身、言葉が未熟な3歳前後の子供たちとずっと一緒に過ごすのが初めての経験で、疲れてしまったのかもしれない。
どうしてこんなにしてあげてるのに。
こんなに時間をかけてあげてるのに。
登らないでって何度も言ってるのに。
前を向いて食べてって言ってるのに。
走らないでって何度も言ってるのに。
無条件の愛情を注いであげてるのに。
本当に些細な、ちょっとした出来事で
モヤモヤした気持ちになってしまっていた。
怒涛の午前中が終わり、ランチタイムになった。今日のランチは子供達が大好きなサーモンライスだ。
「りっちゃん、ご飯は美味しいですか?」
「おいひー!!
ゆきせんせー。これはなんてさかな?」
「これは、サーモンっていう魚だよ」
「じゃあ、さーもんはなにでできてるの?」
この時私は、またか。と思い、何も考えず「今分からないから、後で調べておくね」と伝えた。
少し突き放すような言い方をしてしまったかと後悔したが、彼は「わかったー!!」と、なぜか嬉しそうだった。
次の日。
りっちゃんは登園してくると私の元へ走ってきた。
「ゆきせんせーおはよおー!」
「りっちゃんおはよう」
「せんせー、さーもんはなにでできてるの?」
私の心臓がドキッと音を立てる。
彼との約束をぞんざいにしたこと。
彼はきっと今から残念な顔をする。そう思うと心がザワザワした。
「りっちゃん、ごめんね。先生調べるの忘れちゃった。思い出させてくれてありがとう。今日調べるね」
そう伝えると彼は、
「そーかー!でもわすれちゃっててもせんせーのことすきだよー!」
それだけ言って、ご機嫌にバックパックを片付けに行った。
私は涙が止まらなかった。
無条件の愛情をもらっているのは、私の方なのかもしれない。
りっちゃん 青いひつじ @zue23
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