第51話 勇者、勇者と対峙する。

 いよいよ始まる対決の時。

 だけどこの珍妙な光景は、事情を知らない者が見たらどう思うだろう。

 魔王の玉座を背にする、勇者の姿形をした元魔王。対峙するのは魔王の姿の元勇者マーニと、魔王討伐の命を受けている勇者の仲間たち。

 マーニは魔王の討伐に来たはずなのに、自分の身体を相手にするなんて夢にも思わなかった。

 リックと並んで前衛に立つマーニは、五代目から顔を背けることなくソフィに指示を出す。


「ソフィ、予定が狂っちゃったけど、作戦通りに防御と強化魔法をかけよう」

「わかったわ」


 五代目と睨み合いながら、マーニとソフィは白魔法でみんなの防御力を高める。

 戦闘が始まって集中力を切らせば、マーニの魔法は切れてしまうかもしれない。だからソフィは、後方に下げて援護に専念させる作戦だ。

 不安なのは、ほとんど残っていない回復薬。長期戦になればたぶん厳しい。

 昨夜の作戦では、レイピアに属性付与をかけて前線で戦う予定だったルシアは、ソフィと並ぶように後ろに下がった。魔王だったはずの対戦相手が五代目勇者になったことで、何か考えが浮かんだのかもしれない。

 一人孤立する五代目は、マーニ以外のメンバーに誘惑の声をかける。


「なぁ、俺と一緒に、そこにいる魔王を倒さないか? 魔王を討伐したメンバーになれば、国民的英雄になれるぞ?」

「何言ってんのよね。さっき自分で、お前ら全員皆殺しにしてやるって言ったばっかりなんだわさ。忘れたとは言わせないのよね」

「この秘密を黙っていてくれるなら、命は保証するからよ」

「ならば、まずは貴殿がその剣を収めよ。そして円満な解決方法を共に探ろうではないか」


 リックは背中の両手剣の柄を握ってはいるものの、まだ引き抜いてはいない。

 ギリギリまで平和的に解決しようと、五代目をなだめようとする。

 けれどもその言葉は、五代目の心には響かなかったらしい。


「うるさい! そんなものがあるはずないだろ。手伝えとは言わねぇ、ただ邪魔さえしなけりゃ、命は助けてやる。それでどうだ」

「解決方法はきっとあるから! だからまずはわたしたちに倒されて。お願い」

「また先代の時みたく口車に乗せようったって、そうはいかねぇぞ。もうこれ以上ここに縛り付けられるのは、まっぴらご免なんだ!」

「気持ちはわかる。だけど――」

「交渉は決裂ってやつだな。覚悟しろ!」


 五代目はこちらの言葉には耳を貸さない感じだ。きっと最初から、協力してくれるなんて思ってなかったんだろう。

 五代目は自虐的な薄ら笑いを浮かべると、剣を持っていない右手を突き出す。

 そして、開戦の号砲よろしく魔法を放った。


「フォトン・バレット!」


 五代目が放った巨大な光弾が四人をまとめて襲う。その大きさはマーニが唱えたときの倍以上。

 四人は左右に散って難を逃れたが、乱れた隊列を突いて五代目がマーニに迫る。そしてその腹へ右手を当てると、再び五代目は魔法を唱えた。


「フォトン・バレット!」


 その威力はマーニの身体を軽々と跳ね飛ばす衝撃。マーニは魔王のマントを翻しながら、出口の扉の前へと転がった。

 五代目の強烈な魔法は見事にみぞおちに入ったらしく、マーニは油汗を流しながら息を詰まらせる。


「くそっ、なんて魔力だよ……。妬ましいな……」


 さらにマーニに向かって駆け出す五代目。

 マーニは自分への追撃に備えて、慌てて防御姿勢を取る。

 そこへルシアの叫び声が響いた。


「五代目に逃げられちゃうのよね! アイス・ウォール!」


 マーニの背後は出口の扉。それをルシアの魔法が生み出した氷壁が塞ぐ。

 けれどルシアの残念な魔力では壁には程遠くて、せいぜい板といったところ。

 向かってくる五代目を身体で止めようと、マーニは両手を広げて立ち塞がる。が、すぐにうずくまってしまった。


「なんだよ、この猛烈な腹痛は……」


 足元に空き瓶が転がる。吹き飛ばされたさっきの衝撃で懐から転がり出たらしい。その骨董品級の古びた瓶は、マーニの見覚えのあるものだった。


「また『ミラケルト』かよ……くぅぅっ……」

「何やってるんだわさ。五代目が逃げちゃうのよね!」


 ルシアにそう言われても、マーニは立ち上がることもままならない。


「くそっ、このままじゃ逃げられる……」


 マーニは五代目の足を捕えようと、両腕で掴みかかった。

 けれど、その五代目の右足は掴まれるより早く振り上げられて、マーニの腹へとめり込んだ。

 五代目に蹴り上げられたマーニは宙を舞い、そのままルシアが作り出した氷の板へと叩きつけられる。


 ――グワッシャーン!


 マーニの身体が氷の板を打ち砕く。

 そのまま扉から飛び出すかと思われたマーニの身体は今は魔王の姿。結界にその身を叩きつけられて、再び室内へと転がった。

 ソフィも声を張り上げて叫ぶ。


「逃げられちゃうわよ!」


 五代目の逃亡を間一髪留まらせたのは、リックが振り下ろした両手剣だった。

 けれども五代目はリックが背後から斬りかかったというのに、その奇襲を振り向きざまに勇者の剣で受け止める。まるで、背中に目でもついているかのよう。

 そしてそのまま、つばぜり合いでリックを押し返していく五代目。熊を相手にしても引かないリックが、力で負けるなんてただ事じゃない。


「こやつはきっと、逃げ出しはせぬ。ここにいる者を全て根絶やしにするまでは、この場を離れまい……」

「あぁ、その通りだ。復活して以降の魔王が、すべて勇者だったなんて、知られるわけにはいかないから……な」


 つばぜり合いで優位に立つ五代目は、余裕の表情を見せ始める。

 マーニの頭上で繰り広げられる二人のせめぎあい。その隙に、マーニは五代目のみぞおちに自分の右手を押し付ける。

 そしてニヤリと笑みを浮かべながら、渾身の魔法を撃ち込んだ。


「フォトンンン・バレットォォォ!」

「リフレクション!」


 五代目のリフレクションの発動は、マーニの詠唱完了よりも一瞬早かった。

 マーニの渾身の攻撃魔法が、そのまま自らの身体にダメージとして跳ね返る。


「ぐわぉぉうう……」

「何やってるのよね。勇者のことは、自分が一番わかってるんじゃないのかつら」


 魔王が魔法を唱えてきたら、それをリフレクションで全て跳ね返す。その対処法はまさに、マーニが事前に立てていた作戦だ。

 こちらの切り札だったはずのリフレクションは、今は勇者である五代目のもの。しかもマーニよりも魔力も集中力も遥かに上だ。


「……漆黒の大王よ、我が呼びかけに応じ給え。我が名はルシア、今は魔法剣士を名乗る者。勇者に扮した五代目の悪行、断じて――」

「精霊魔法かよ……タップ!」

「痛たっ……もう、忌々しいんだわさ」


 リフレクションにも有効な精霊魔法を詠唱し始めたルシアに、五代目は素早く発動させられる攻撃魔法で対抗する。

 『タップ』は軽くはたく程度の影響しかないものの、詠唱の阻害には充分。

 六百年もこの地に縛り付けられていたというのに、五代目の実戦経験は誰よりも豊富なようだ。


「はんっ、精霊魔法なんて、こんな密集戦で役に立つかよ!」

「単純魔法はリフレクション、精霊魔法も阻害されるんじゃ、やっぱりあたしにはこれしかないのよね! イメージング! ファイアブレイド!」


 ルシアが腰から引き抜いたレイピアが、メラメラと炎をまとう。

 そしてルシアは五代目に果敢に挑みかかった。


「マーニのお姉さん、あたしに力を貸して欲しいのよね!」

「アイス・シールド!」


 炎のレイピアで斬りかかるルシアを、五代目は氷の盾で防ぐ。

 けれどもその影響でリックの剣を片手で受けざるを得なくなった五代目は、少しずつ形勢が苦しくなり始めた。


「くっ……。きついな……」

「一対一で我が剣が押されるとは思わなんだ。しかし今は我が弟子含めて二対一、もう引かぬぞ」

「ふっ、こりゃ、降参かな……?」


 そうつぶやいたと思ったら、突然五代目が脱力する。

 けれどもそれは罠。力で押していたリックは、五代目の引きにバランスを崩す。

 その一瞬で間をとった五代目は、後ろに跳ねながら魔法を放った。


「なーんちゃって、な! アローレイン!」


 直後、マーニたちの上方に多数の矢が出現して、一気に降り注ぐ。


「なんて魔力だよ。こんなに一気に出現させるなんて……」


 マーニが驚いたのはその矢の数。一般的には同時に十本も放てば上出来なのに、五代目が出現させた矢は百を優に超えていた。

 この大量の矢の対処に、マーニは一瞬戸惑う。

 矢や弾の類は壁を作って防ぐのが定石。だけど、今は上空に壁を出現させると、それ自体が落下してきて自滅してしまう。

 ここは風で吹き飛ばす一手だ。


「ゲイルブロー!」

「ゲイルブロー!」


 マーニとルシアは同じことを考えたらしい。

 二人で突風を巻き起こす魔法を唱えると、マーニたち四人に向けて放たれた矢は吹き飛ばされた。

 けれども矢があまりにも多すぎる。吹き飛ばし切れなかった矢の何本かは、リックの大きな背中に突き刺さった。

 すると畳みかけるように五代目が魔法を唱える。


「イメージング! エンシェント・ポイズン!」

「属性付与なんだわさ。こんな使い方があるなんて、考えもしなかったのよね」


 リックに突き刺さった矢が毒矢に変わる。

 無数の毒矢を放つのは魔力的に無理でも、刺さった数本の矢を毒矢に変えるのは容易い。もちろん魔法知識があればの話だが。

 そして体表に毒を振りかけるのとは違って、刺さった矢の毒は直接血液に乗って全身を駆け巡る。リックはあっという間に苦しみ始めた。

 マーニは慌てて解毒魔法をリックにかける。


「デトックス!」


 けれどもリックの呻き声は収まらない。それどころか毒の影響なのか、体中がガクガクと痙攣を始めた。

 効果を示さない解毒魔法に動揺するマーニを、ソフィがなだめる。


「回復はわたしに任せて。マーニは五代目の相手を」

「いや、しかし……」

「リックを癒せ、リカバー!」


 リックに向けて広げた手のひらから、淡く青い光が注がれる。

 そして徐々にリックの痙攣が収まりだす。


「あの聞いたことのない、魔法大辞典にも載っていない『リカバー』って言葉が、有効な呪文だったなんて驚きなんだわさ……」


 魔法大辞典の暗記にルシアは自信を持っていた。けれどもそこに収録されていない魔法があることに、ルシアは驚愕した。

 でも驚いているのはルシアだけじゃない。五代目も悔しそうに唇を噛む。


「くそっ、俺の必殺毒の解毒ができる奴がいるとは……。だがな、すぐには回復しないはずだ。最大戦力が欠けた今のお前たちは崩壊寸前だ」


 五代目は距離を取ったまま、向かってくる気配が感じられない。

 精神を集中し始めた五代目を見て、強烈な魔法攻撃を使ってくると予測したマーニは、障壁魔法を掛けつつソフィに指示を出した。


「ソフィ、強烈な魔法が来そうだ。対処頼む! マジックバリア!」

「わかったわ。マジックバリア! フィジカルバリア!」


 マーニの指示通り、ソフィも四人全員に魔法障壁の魔法を掛けた、物理障壁の魔法も追加して。

 これで魔法障壁についてはマーニとソフィの二枚掛け。これで五代目の魔法攻撃はほぼ無効化できるだろう。


「……五代目勇者の得意属性は、火であったはず。であれば……火属性対処も怠るでないぞ……」


 解毒の効果が出てきたらしく、リックが目を開いてソフィにアドバイスを贈る。

 それを聞いたソフィは、火属性の耐性魔法を追加した。


「レジスタンス・ファイア!」


 距離を取った五代目に対して、ルシアも対抗手段に出る。


「イメージング! ロングスピア!」


 メラメラと燃えていたレイピアの炎が消え、今度は長さがグングンと伸びる。

 属性付与の利点はその重量。長槍の形状になったものの武器自体はレイピアのままだから、腕力に劣るルシアでも扱いが容易だ。

 ルシアはその利点を活かして、距離を取った五代目を長槍で攻撃する。


「てやぁぁあっ、だわさぁ!」


 長槍によるルシアの渾身の突きは、勇者の鎧の防御の薄い内腿に突き刺さった。

 五代目が魔法の詠唱に集中していたお陰で当たったルシアの攻撃。それでも刺さったのはほんの刃先だけだった。

 けれどもこのチャンスを逃さずに、ルシアは魔法を畳みかける。


「イメージング! エンシェント・ポイズン!」

「ぐっ……さっき俺が使ったのを見て、すぐに真似てみせたのか? なかなかの魔法センスだと認めてやるが、魔力が弱すぎる。食らえ、インフェルノタワー!」


 天井まで届く巨大な火柱が、マーニたちを四人まとめて包み込む。

 その猛烈な業火に、四人はただ呻きながら耐えるしかなかった。


「……ぐぐぅ……」

「ちっ、毒が回り出しやがったか……デトックス! まさか俺の連続技を真似て、リフレクションを破るとは……」


 五代目はこの炎獄魔法で止めを刺すつもりだったようだが、ルシアの毒で集中が途切れたお陰で火柱は消滅した。

 それでもマーニたちはみんな、今の魔法で瀕死の状態。魔法障壁二枚と、火属性の耐性魔法を掛けていたというのに……。

 圧倒的な五代目の魔力に、マーニは心も体も折れかける。


「くそっ、あんなの倒せるのかよ……」


 マーニたちはみんな、体力が尽きかけて肩で息をしている状況。

 それを見て余裕ができたのか、五代目もルシアの毒の治療をし始めた。

 そして、四人に向けて最後の通告をする。


「伝説の装備品に身を包んだ俺に、ダメージを与えたことは褒めてやろう。だが、お前たちに反撃する力は残ってないだろう? 回復が済んだら楽にしてやるから、今のうちに最後の祈りでも捧げておくんだな」


 ソフィが胸に手を当てながら、ブツブツとつぶやき始める。

 魔法障壁と耐性魔法のおかげで燃えはしなかったものの、黒く煤けたローブがソフィのつぶやきと共に輝きだす。


「……慈愛の女神よ、疲弊した皆に新たなる活力を与えるため力を貸し給え――」


 ルシアはまた自分の知らない魔法の予感に、好奇心と共に恐怖心を抱いた。


「なに? なんなのよね、これ……?」


 そしてソフィの詠唱は続く……。


「――皆の全ての傷を、我が全魔力と引き換えに今ここに癒せ。女神降臨!」


 ソフィの身体が輝きだす。と同時に、ソフィを中心に身体を横たえていた三人も光に包まれる。そしてマーニたちは、みるみると体力が回復していくのを感じた。

 永遠のような、ほんの一瞬のような、長くて短い天国にいるような夢心地から覚めた時、四人全員の体力は完全に回復した。


「すごいぞ! ありがとう、ソフィ。今のはなんだった……って、ソフィ! 大丈夫か? ソフィ!」


 振り返ったマーニの目の前で、ソフィがガックリと力を失う。

 慌ててマーニがそれを受け止めたけれど、ソフィは目を開かない。いくら呼び掛けても、頬をはたいてもソフィの目は開かなかった。


「たぶん一気に魔力を放出したから気を失ってるだけなのよね。しばらく休んで魔力を取り戻し始めたら、きっと目覚めるかつら」

「ソフィ殿は心配だが、今は掛かりきりになっておる場合ではないぞ」

「そうだった。これ、借りるぞ!」


 リックの言葉にハッとしたマーニは、ソフィの身体をルシアに預ける。

 そしてルシアが握り締めていたレイピアを借り受けると、五代目に向かって駆け出した。


「ソフィ殿につないでもらったこの命を、吾輩も賭しに行くとしようか」


 リックも立ち上がって五代目を睨みつける。

 するとルシアがその腕を捕まえて、リックを引き寄せた……。

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