第25話 勇者、襲われる。
「こんな時に、なにゆえーーっ!」
魔獣を目の前にして視界が途切れたマーニは、思わず叫んだ。
でもそれは一瞬、マーニはすぐに視界を取り戻す。だけどそれは、マーニが味わったことのない視点の高さだった。
「うわあやぁっ!」
そしてマーニはすぐに後ろへとひっくり返る。まるで地面に向かって強烈な力で引っ張られたように。
異変を感じているのはマーニだけじゃなさそうだ。マーニが他の三人に目を向けると、みんなも動揺を隠せずにキョロキョロと周囲を見回している。
伝説の武具をまとった勇者、皮鎧を着た背の低い幼女風の二十歳、そしてなぜだか純白のローブを着た美人もいる。
となると、そこにいないのは……。マーニはすぐに悟った――。
「僕の身体がリックになってる!」
マーニが後方に引き落とされたのは、背負っていた重いリュックのせいだった。
そして他の三人も、銘々がそれぞれに叫び声をあげる。
「ぬおおお! 吾輩が勇者に!」
「うひょーっ! ボインボインなのよね!」
「わたしは……これってルシアちゃん!?」
けれど今は一刻の猶予もない。
マーニは慌てて叫んだ。
「魔獣が来るぞ!」
魔獣は険しい目を赤く光らせながら、獰猛に襲い掛かってきた。
ターゲットにされたのはソフィの身体、今は確かルシアだ。
ルシアは咄嗟に右手を突き出して、魔法を唱える。
「アイスウォール!」
アイスウォールは氷壁の魔法。攻撃魔法だが、それを盾に使うのは常套手段だ。
ルシアは目の前に分厚い氷の壁を出現させて、とびかかってきた魔獣をそこへ叩きつける……はずだった。
しかし氷の壁は出現せず、魔獣はそのままルシアに飛び掛かる。
「魔法が発動しないのよね。きゃーっ、だわさ!」
身をよじってかわしたものの、魔獣の長く伸びた鋭い爪が、すれ違いざまにルシアの二の腕を切り裂いた。
一瞬にして、ルシアの血で真っ赤に染まる純白のローブ。
ルシアを通り過ぎた魔獣は、身体を踏み留めてすぐにこちらに向き直る。そして地を這うような低い姿勢で、再び攻撃の機会をうかがっている。
「うぅぅ……痛い、痛いのよね……」
「大丈夫? えーっと、その言葉遣いは……ルシアちゃん?」
ソフィは涙を浮かべながら、心配そうに小さな身体で駆け寄った。
マーニも咄嗟に飛び出し、入れ替わった二メートルの巨体で覆い被さることで、身体を寄せ合う二人の女性たちをかばう。
その三人の前に踏み出したのはリック。リックは伝説の武具をまとったその身体で、腰に下げた勇者の剣をスルリと引き抜くと、魔獣に向かって構えた。
「拙者がお相手いたす!」
「気をつけろ、魔獣は魔法を撃ってくるぞ。マジックシールド!」
マーニはリックを援護するために、魔法に耐性を与える防御魔法を唱える。
けれどもそれは発動しなかった。
「くそっ、発動しない。まさか……キュアっ!」
腕に深手を負ったルシアに手をかざして、マーニは治癒魔法を唱えてみた。
けれどもやっぱりそれも発動しない。
そうしている間に魔獣は身体をさらに深く沈め、すぐに伸び上がるようにしながら大きく口を開いた。
「ワォオーン!」
魔獣が吠えると同時に、どす黒い塊が口から飛び出す。
それはリックに向かって一直線に放たれた。
「ぐぅうっ……」
リックは腰を落としながら左半身に構えて、左腕を盾にして魔獣の魔法攻撃をまともに受け止めた。避ければ真後ろにいる三人に被害が及ぶと考えたのだろう。
けれども魔法をもろに受けて無事なはずがない。リックの左腕は、だらりと力なく垂れ下がった。
腕には激痛が走っているはずなのに、リックは魔獣に向かって強がってみせる。
「腕一本で済むとはありがたい。一撃で命も奪えないくせに、吾輩と仲間たちに牙を向けたことを後悔するがいい。でりゃぁああ!」
リックはすぐに駆け出すと、魔獣の右側に回り込みながら斬りかかる。
魔獣も再び口を開いて、すぐさまリックに向けて魔法を放った。けれどもその瞬間を狙い澄ましたように、リックは大きく飛び上がってそれを避ける。
ジャンプしたリックを追うように、顔を上げて大きく口を開く魔獣。けれどその口から魔法が放たれることはなく、代わりに勇者の剣が深々と突き立てられた。
魔獣が息絶えると、みるみるうちにその身体は腐敗して風化していく。
そしてその場には、魔王の負の呪力の結晶である角だけが遺された……。
「ソフィ殿の身体は無事であるか!? 今は……ルシア殿か?」
リックは角を回収するとすぐに、ローブを赤く染めたルシアの元に駆け寄った。
呻き声を上げながら、血の流れる右腕を押さえて苦痛に顔を歪めるルシア。その横では、一気に幼い雰囲気になったソフィが懸命に看病をしている。
「リカバー! もう、どうしてダメなの? リカバー!」
「なんなのよね……それ。魔法のつもり、かつら? そんな魔法、聞いたことがないのよね。治癒魔法を、唱えたいんだったら、『キュア』だわさ……」
必死なソフィの姿を見て、ルシアは引きつった笑顔で声を震わせながら、即席の魔法指導をする。
ルシアの傷は想像以上に深くて出血もひどく、顔も真っ青だ。それを目の当たりにしたソフィは、ルシアに教わった魔法をさらに必死に叫び続けた。
「キュア! お願い……キュアッ!」
「気持ちは嬉しいんだけど、魔法は唱えれば……誰でも使えるってもんじゃ、ないんだわさ。その気持ちだけ……いただいておくのよね……」
ソフィが唱えた魔法はやっぱり発動しない。
その一方で、出血のひどいルシアは刻一刻と力を失っていく。
ポタポタと血の滴るルシアに顔を埋めながら、ソフィが泣きじゃくり始めた。
「死んじゃう、ルシアちゃんが死んじゃう……うぅぅ……」
「大げさ、なのよね。ちょっと派手に……血が出てるだけ、なんだわさ」
「だって、こんなに血が出てるよ? 本当に大丈夫なの?」
「僕も魔法は使えなくなったけど、魔法薬を使えば大丈夫だから。あぁっ、でもどこに入ってるんだろ……くそっ、見つからない……」
マーニは、不安で胸が張り裂けそうになっているソフィをなだめる。
とはいえマーニも焦りが隠せない。なかなか目的の魔法薬を見つけられずに、大きなリュックの中身を乱暴に掻き出していく。
そんなマーニが待ちきれないソフィは、相変わらず魔法を唱え続ける。
「キュア、キュア! ごめんね、ルシアちゃん、治してあげられなくてごめんね」
「魔法は、生まれ持っての能力だから……使えなくても……仕方がないのよね」
そこへ、やっと薬を見つけたマーニが割って入る。
マーニは大急ぎで薬瓶の口を開き、ドクドクと血が湧き出しているルシアの二の腕に中身を振りかけた。さらにビンに残った薬もルシアに飲ませる。
「うへぇーっ、なんなのよね、このまずさ。あの薬屋ぼったくりじゃないかつら?それにしても遅すぎるんだわさ。何度も気が遠くなりかけたのよね!」
「ごめん、なかなか薬が見つけられなかったからさ。でもこれで大丈夫なはずだ。後はしばらく横になってれば、元気だって取り戻せるよ」
あまりの不味さに飛び起きたルシアも、マーニの言葉に安心したらしくて再び地面に横たわった。
すると今度は兜の前面を跳ね上げたリックが、横からヌッと顔を出す。
「すまぬ。吾輩にも治療薬をもらえまいか」
「あぁ、そういえばさっき魔獣の魔法をまともに受けてたね。大丈夫か……って、それダメだろ!」
マーニはリックの左腕を見て、思わず叫び声をあげる。なにしろ肘と手首の中間地点で、関節でもないのに見事に腕が直角に折れ曲がっていたのだから。
激痛が走っているのは明白なのに、リックは淡々とマーニに詫びる。
「そなたの身体を、このようにしてしまって申し訳ない。吾輩も必死だったゆえ、あれ以上の策が思いつかなんだ。許せぬのであれば、その身体を同じ目に遭わせてもらっても構わぬぞ」
「いやいや、それって僕が痛いだけだから。大体、みんなを守ってくれたヒーローなんだから感謝の言葉しかないよ。だけど命を落とさない程度に頼むよ?」
「相分かった。肝に銘じておこう」
マーニはリックの篭手を外すと、曲がった腕を力尽くで真っすぐに伸ばす。そして治療薬を瓶の半分ほど振りかけて、残りは飲ませるためにリックに手渡した。
受け取った薬を一気に飲み干すリック。マーニの荒療治は相当の激痛だったはずなのに、リックは一言も声を上げることはなかった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます