第24話 勇者、遭遇する。

「――貴様、魔物か……」


 魔物とは、この世を恨みながら死んでいった者の残留思念が、魔王が発する負の呪力によって実体化したものだと言われている。

 生前の記憶を持って蘇り、人のような思考の基に行動する。だから野生の獣が変異した魔獣と違ってかなり厄介な相手だ。


「ルシア、お前まさか……。魔物の気配に気づいて、ここへ……?」

「と、当然なのよねん。あたしぐらいの大魔法使いともなれば、それぐらい察知できて当然なんだわさ」


 いや、絶対嘘だ。

 声を震わせながら胸を張るルシアに向かって、魔物が雄たけびを上げる。


「ぐおぉぉおっ! その鎧、お前は勇者か。ならば魔物界最強のこの俺様がお前を打ち倒して、この世界を魔物一色に染めてやる!」


 身長三メートルの誰よりも高いところから放たれる威嚇の声は、周囲の木々までもビリビリと振動させるほどに大きく響き渡る。

 その言葉を聞いてマーニは激しくうろたえた。


「魔物界最強ってことは、魔王の次に強いってことか? そんな奴を相手にして、僕たちが勝てるのか?」


 弱気になるマーニを見て、魔物は高笑いを始めた。


「魔王の次? 会ったことはないから知らないが、俺様の魔力は魔王をも凌駕するかもしれんぞ、ハッハッハ」

「ふざけんなよ……。なんでそんな強敵が、旅を始めて最初に現れるんだよ」

「冒険の行く手を阻む者が弱い順に登場するなんて、物語の中だけの話だ。そもそも強者だからこそ、魔王城から遠い場所でも活動ができるとは思わんか?」

「くそっ、正論を振りかざしやがって……」

「ほう、よく見ればお前はなかなかに可愛い顔をしているな。その男勝りの言葉遣いといい、俺様好みだ。お前は生かして下僕にしてやるから安心しろ」


 魔物はニヤリと口角を上げると、そのまま舌なめずりをした。

 反射的に胸を両腕で隠しながら、そのおぞましい表情に嫌悪感を抱くマーニ。

 そんな青ざめたマーニを、リックが諭す。


「うろたえるでない。あんな言葉を真に受けて委縮しておったら、本来の持てる力など出しきれぬぞ。ただのハッタリかもしれんしな」


 けれどもそのリックの言葉を聞いた魔物は余裕の表情を浮かべると、自信たっぷりに言い放った。


「ほほう、小娘の癖に生意気な。俺様の言葉が嘘だと思うのか。ならば俺様の魔法の威力、とくと味わってみるが――」

「インフェルノタワー!」


 前口上を言いかけていた魔物が、突然天まで届きそうな巨大な火柱に包まれた。

 マーニとリックが驚いて後ろを振り返ると、そこには右手を突き出したルシアが勇者の風格を漂わせている。


「ぐわおぅっ! 不意打ちとは卑怯な奴め。だがこのままじゃ済まさ――」

「ブリザードカレス!」


 またしても魔物が言葉を言い終える前に、ルシアの魔法が炸裂する。

 炎に包まれていた魔物の身体は、今度は一瞬にして凍結した。

 そんな魔物に向かって、ルシアは容赦なく魔法を畳みかける。


「ブラストハリケーン!」


 ルシアは魔物にかざした右手を頭上へと振り上げる。

 すると強烈な突風が、凍ったままの魔物の身体を高々と上空へ打ち上げた。

 マーニとリックは呆気にとられながら、その光景を目で追うことしかできない。


「すげーな……」

「いやはや……」


 続けてルシアは空にかざした右手をグッと握り締め、地面に向けて振り下ろす。

 すると上空に舞い上がった魔物は一瞬の静止の後、今度は下に向かう突風で勢いづけられながら、地面に激しく叩きつけられた。

 氷結していた魔物の身体は、その衝撃で粉々に砕け散った……。

 


「ひょっとして……魔物、やっつけたの?」


 今まで身を潜めていたソフィが、木の陰から恐る恐る姿を現す。でもその大きな図体は、魔物との戦闘中も全然隠れ切れてはいなかった。

 それを見て、リックは思わずため息を漏らす。


「まったく、おぬしという奴は……。コソコソと隠れている姿は情けなかったぞ」

「だって……。魔物と戦うなんて、わたし怖くって……」

「まぁ、よい。無謀にも突っ込んでいって、無駄死にされても困るからな」


 確かにソフィが討ち死にしたら、リックが戻るべき身体がなくなってしまう。問題なく勝利を収めたこともあって、リックは珍しくソフィを咎めなかった。

 そしてリックはルシアに向き直ると、その小さな手でパチパチと拍手をしながら賛辞を送った。


「そなた、見直したぞ。これなら魔王にも問題なく勝てるやもしれぬな」

「いや、それはどうかな……」

「いかがした、マーニ殿。なにやら憂いでも?」

「まぁ、ちょっとね……」

「そんなこと、とりあえずどうでもいいのよね。本気で撃ち切った魔法は、とってもとっても気持ちが良かったんだわさ……」


 ルシアはうっとりと恍惚感が滲み出る表情を浮かべながら、地面にゴロリと大の字に寝転がる。

 するとその拍子に、勇者の兜がルシアの頭から外れてコロリと転がった。


「えっ!? 脱げた……兜が脱げたんだわさ!」


 どうやっても脱げなかった勇者の兜があっさりと脱げた。

 ルシアは呆気にとられた表情で、自分の顔や頭を何度も何度も撫で回す。今まで拘束していた勇者の兜が、そこに無いことを確認するように。

 続けてルシアは、傍らに転がっていた勇者の兜を拾い上げると、にらめっこでもするようにしげしげと眺め始めた。

 そこにマーニ、ソフィ、リックも駆け寄って、ルシアを取り囲む。

 けれども脱げた兜について語り合う暇もなく、さっき魔物が現れた辺りの灌木が再びざわめく。


「まさか、まだいるのか!?」


 マーニが叫んだ先では、灌木の根元で何やら影がうごめく。

 直後、這い出してきたのはマーニの腰丈ほどの大きな野犬だった。


「なんだ、犬かよ。脅かすなよ……」

「いや、まて、この犬、様子がおかしいぞ」


 よくよく見れば、リックの言う通り何やらおかしい。

 閉じた口に収まらないほど牙が鋭く伸び、吊り上がった目も赤黒く光っているように見える。

 そして何より不自然なのは、額から一本の角が突き出していることだ。


「こいつ、魔獣なのよね!」


 魔獣とは、魔王の負の呪力によって野生の動物が変異したもの。

 魔物のような知性はないけれど、魔力を宿していて本能的に魔法を放ってくる。

 その強さは元の動物にもよるけれど、鍛えられた屈強な兵士であっても命を落とすことは珍しくない。

 戒めを込めて、リックがみんなに注意を促す。


「元は犬やもしれぬが、手加減は無用だ。油断をしておったら命を落とすぞ」

「心配ご無用なのよねん。こいつもあたしの魔法でちょちょいとやっつけてあげちゃんだわさ」


 自信たっぷりに、ルシアは不敵に笑う。

 そして手のひらを魔獣にかざすと、すぐさま魔法を放つ。


「ダークネス・バレット!」


 今は魔獣だけど、元々はきっと野犬。罪のない動物がルシアの強烈な魔法でむごたらしい最後を迎えるかと思うと、マーニはちょっとばかりの罪悪感に駆られる。

 けれどもマーニのそんな予想を裏切って、ルシアの手のひらから放たれた漆黒の塊は豆粒ほどの大きさだった……。


「いくら相手が魔獣だからって、手を抜きすぎだろ。真面目に頼むよ」

「わ、わかってるのよね。ちょっとばっかり、力加減を間違えただけなんだわさ。今度は本気出すから、みんな巻き込まれないように下がってもらえるかつら?」


 そう言ってルシアは、抱えていた勇者の兜を被り直す。

 その瞬間……。 


 ――魔獣が目の前だっていうのに、みんなの視界は真っ暗になった……。

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