第21話 勇者、逃げ出す。

 無事に国家反逆罪の執行を猶予された勇者たちは、城門を抜けて城を後にする。

 すれ違いざまに門番たちへの嫌味も忘れない。


「今回は貴様らの上官に会う暇がなかったゆえ、報告は勘弁してやろう。せいぜい感謝するのだな」

「はっ! ありがとうございます、リックハイド様のお嬢様!」

「これからは、いくら可愛い子が来たからって、お仕事さぼっちゃダメよぉ?」

「はっ! 先ほどはご無礼いたしました、リックハイド元大隊長様! って、そのお言葉は……」

「男なら仕方ないよねー。僕だってこの身体で迫られたら間違いなくああなるよ」

「申し訳ございませんでした! リックハイド様の奥方。しかし、昨日はなぜあのようなお姿で……」


 門番たちは、何一つ疑問を解消できないまま一行を見送る。

 そして最後に、伝説の武具たちで身を包んだ勇者が、ガックリと肩を落としながら門を潜り抜ける。


「勇者様。魔王を無事討伐できますよう、心よりお祈り申し上げます」

「ご武運を!」

「…………無理だわさ」


 二人の門番の激励も勇者には逆効果だった。

 国王から魔王討伐の任務を請け負わされたものの、自信のない勇者はただただ力なく、マーニたち三人の後をトボトボと歩く。

 そして、城門から続く下り坂の中腹辺りに差し掛かった時だった……。


「なんとか無事に自由になって良かったよ。そう言えば、君の本当の名前をまだ聞いてなかった――」


 マーニが後ろを振り返りながら勇者に名前を尋ねると、その姿が見えない。慌てて辺りを見回したマーニは、直前の分かれ道を別方向に走る勇者の姿を見つけた。


「勇者が逃げた!」

「えっ!? なんですって?」

「くぅ、あやつ……。許すまじ」


 リックは歯ぎしりを一つすると、すぐに勇者の後を追って駆け出す。

 マーニとソフィも慌てて続いたけれど、身体が小さくて身軽なリックとはどんどん差が開いていく。

 このペースじゃ追い付けないと悟ったマーニは、全てをリックに託した。


「リーーック、頼んだぞー!」



 勇者を追うリックは、じわりじわりとその差を詰めていく。

 完全に三人を出し抜いたはずだった勇者は、着慣れない甲冑装備のせいでスピードを上げられずにいる。

 そして勇者を射程圏内に捉えたリックは、さらにもう一段加速した。


「てぇい!」


 リックは勇者に飛び掛かって、その足首を掴んだ。

 足を前に出せなくなった勇者は、そのままもんどりうって前方に転がる。


「キーッ! 痛いんだわさ。何するのよね」

「貴様に逃げられると、吾輩は命を捧げねばならぬのでな。さぁ、我々と共に魔王の討伐に同行してもらうぞ!」


 地面に座り込んでいる勇者にリックは手を差し出す。だけどその身長じゃ、勇者を起こすために手を差し伸べているというよりは、握手を求めているみたいだ。

 そこへ息を切らしながら、マーニとソフィも追い付く。

 その二人の目の前で、勇者はリックの伸ばした手を打ち払って言った。


「それはあんたたちが、勝手に国王と約束しただけなのよね。あたしはこの身体で好き勝手にやらせてもらうんだわさ」

「おぬしは、この自分の身体に未練はないと申すのか?」


 リックがそう尋ねると、勇者は一瞬の戸惑いもなく答える。


「そんな役立たずの身体、どうなってもいいんだわさ。あたしの身体と入れ替わったあんたには同情するけど、運が悪かったって諦めて欲しいのよね」

「この身体が不満か? 足も速いし、身体も身軽に動く。もちろん鍛え上げた吾輩の身体の方が良いに決まっておるが、なかなかどうして。この身体も悪くないぞ」


 そこへ勇者が返答するよりも早く、ソフィが茶々を入れる。


「あらぁ、その身体が気に入っちゃったの? やーい、ロリコン」

「貴様……。吾輩は断じてロリコンなどではないわ!」


 リックとソフィのやり取りを、勇者の叫びが一蹴する。


「その身体が気に入ったんなら好きにすればいいんだわさ! だけど、あたしが掴んだチャンスを阻む人は、魔法でぶっ倒してあげるから覚悟するといいかつら!」


 そして勇者はすかさず、右手を突き出して身構える。魔法詠唱の構えだ。

 それを見たマーニとソフィは、巻き添えを食わないように慌てて飛び退くと、そのまま物陰に身を隠す。

 けれどもリックだけは、堂々と勇者の前に立ちはだかったままだった。


「ほう。やれるものならやってみるが良い」

「どうせあんた、あたしが自分の身体を傷つけられるわけがないって思ってるに違いないのよね。甘いんだわさ。むしろ、跡形もなく消し去ってやるのよね」

「おぬしの覚悟は相分かった。だが吾輩も、みすみすやられるほどのお人好しではないのでな」

「ちょっと、危ないわよ、リックちゃん!」

「無茶するなよ、リック。そいつの魔法の威力はわかってるだろ!」


 物陰からのマーニやソフィの注意にも耳を貸すことなく、リックは不敵にニヤついてみせる。

 後に引く気配はない。間違いなくリックは立ち向かう気だ。


「ダークバレット――」


 その声と共に勇者が突き出した手のひらから、目の前のリックに向かって暗黒の塊が打ち出される。

 一瞬にして着弾……したと思ったが、リックは間一髪でかわしていた。

 暗黒の塊はそのまま直進して岩に当たる。と同時に大きな衝撃音を発しながら、それを粉々に砕いてしまった。

 その圧巻の光景に、戦闘を見守るマーニから独り言が洩れる。


「ひーっ、なんて魔法の威力だ。僕の身体があんな強烈な魔法をぶっ放すなんて、夢でも見てるみたいだよ」


 勇者の魔法は本気だ。さっきの魔法がリックに直撃していたら、幼い小さな身体なんてひとたまりもない。


「どこに撃っておる。吾輩はこっちだ」


 魔法を寸前でかわしたリックは、勇者の左側に回り込んでいた。

 その声に慌てて左を向いたものの、リックを完全に見失った勇者はキョロキョロと周囲を見回している。

 どうやら兜のせいで視界が狭まっているらしい。勇者は兜の前面を跳ね上げた。


「ちょっ……どこなのよね」

「ふはは、こっちだ、ウスノロの勇者め」

「くっ、すばしっこい奴なのよね」

「ほれほれ、勇者。全然ついて来れておらぬぞ、この間抜けめ。こんな小娘一人相手にできぬとは、勇者の名が泣くぞ」


 物陰から手に汗を握りながら、マーニが思わず叫ぶ。


「それは言い過ぎだぞ! まるで僕がバカにされてるみたいじゃないか!」


 マーニの声は戦闘に何の影響も与えない。

 リックはその小さい身体で、勇者を嘲りながらその周囲を回り出す。

 勇者も右手を突き出したまま、挑発を続けるリックの声を追うようにその場でクルクルと回りだす。

 だけどリックの素早い動きについて行けず、その姿を捉えられない。

 勇者はこのままじゃ埒が明かないとみえて、クルクル回っていた自転を止めた。そして胸に手を当てて呼吸を整えると、自信たっぷりに魔法の講釈を垂れる。


「ふん! 魔法はね、相手の姿が見えなくったって当てられるのよねん。思い知るといいんだわさ。ファイアサーク……ひぃあっ!」


 勇者が魔法名を叫び終わらない内に、その場で尻もちをつく。左に回り込んだ瞬間に勇者から抜き去った剣の腹で、リックが足を払ったからだ。

 身体を起こそうと、勇者が右手を地面についたところをリックが踏みつける。リックはそのまま、跳ね上げた兜から覗く勇者の顔に剣の切っ先を突き付けた。


「どうだ? 自分の身体に打ち負かされた気分は。おぬしはその勇者の身体を気に入ったようだが、そなたの身体も悪くはなかろう?」


 リックに完全に言い伏せられた勇者は、剣先を見つめながらポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。


「う、うぅ……。ひっく、どうして……どうしてその身体で……」


 敵意が完全に消え失せた勇者は、空を見上げたまま口を震わせて鼻水を垂らし、顔じゅうにシワを作りながら号泣する。

 さらに泣き続けてシャックリが始まったころ、見ていられなくなったマーニが勇者のもとに歩み寄る。そしてハンカチを差し出した。


「もう泣くな。これで涙を拭きなよ」

「だって、だって……ヒック……うぅぅ」


 それでも泣き止まない勇者に、マーニはさらに優しい口調で言葉をかける。


「もう泣くなって。勇者ともあろう者が、そんな顔を他人に見せるんじゃない」


 そして兜の前面をそっと閉じる。


「――その顔は僕の顔なんだから……」

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