第19話 勇者、イチャイチャする。

「ねぇ、絶対にこの手を離さないでね?」

「あ、うん」


 地下牢の探索を始めると、数歩と進まないうちにソフィはマーニの手を取った。

 ジットリと冷や汗の滲む手のひらを重ねると、ソフィはさらにピトリと身体をマーニに寄せる。そして積極的に腕を絡めながら、甘えた声を出す。


「わたし、怖いの。一人にしないでね? 絶対だよ? 約束」

「あ、ああ」


 左手にランタンを下げたマーニは、物陰を照らしながら慎重に奥へと進む。

 右腕にはソフィが絡みついて、マーニの自由が奪われている。こんな状態で勇者に襲われたらひとたまりもない。

 ソフィは怯えた様子で、身体と声を震わせている。そして恐怖心を紛らわせるためなのか、話題を探し出しては頻繁にマーニに話しかける。


「ねぇ、マーニ。どの牢屋にも誰もいないよ?」

「この地下牢は勇者が入れられるまで、ここ何十年も使われてなかったらしいね。でも昔は冤罪をかけられて、非業の死を遂げた囚人もいっぱいいたらしいぞぉ?」

「いやぁ。やめて、やめて。怖いこと言わないで。お漏らししちゃうからぁ」


 二人のやり取りだけ聞けば、まるで肝試し中のバカップル。

 だけど漏らしそうになっているのは、二メートルの巨体の方だ。身体の入れ替わりをマーニが嘆いているのは言うまでもない。


 少し奥へ進むと、二人で並んで歩くには通路が狭くなった。

 マーニは手にしたランタンで前方を照らしながら、薄暗い通路を注意深く一本ずつ見て回る。ソフィは後方を……と言えば聞こえはいいけれど、マーニの肩に手を乗せて、小さく身をかがめながら隠れるようについて歩いているだけだった。

 探索した通路は五本、そして次が六本目……。

 牢獄の通路なんて代り映えがしない。繰り返される同じ風景に、マーニがいい加減飽き飽きし始めた時だった――。


「ダークネス・バレット!」


 石造りの通路に声が反響する。

 と同時に、正面の奥の方から漆黒の塊が猛烈な勢いで飛んできた。

 マーニは反射的にしゃがんで、それをかわす。


 ――ふがっ!


 後方から聞こえた音にマーニが振り返ると、涙目のソフィがうずくまっていた。


「痛い、痛い、鼻が……」

「急いで隠れろ!」


 反転したマーニは、慌ててソフィを押し出す。そして今曲がったばかりの角に身を隠して一息ついた。

 マーニの隣では両手で鼻を押さえながら、ソフィが目を潤ませている。


「今のは間違いなく僕の声だ。ってことは、勇者がこの奥にいる」

「それで、次はどうするの?」

「決まってるだろ」


 ソフィの質問に、マーニは得意気にニヤリと口角を上げてみせる。


「あ、そっか。そうだったわね。まずは説得――」

「外に逃げるぞ! ついて来い!」

「えーーっ!?」


 マーニはソフィのゴツゴツした手を握り締めると、大声を張り上げてダッシュで走り出す。ここまで来た道をたどりながら。


「ほら、急げ! 捕まったら人質にされちゃうぞーっ!」

「ちょっと、待ってよ、待ってってば」


 ソフィは手を引かれるままに、必死にマーニの後を追いかける。

 どことなく緊迫感に欠けるマーニの煽り言葉にも従順に反応して、泣き出しそうな表情を見せながら。

 脇目も振らずに逃げるマーニに、ソフィは息を切らしつつ不満の声を漏らした。


「もぅ、なんなのよ、かっこ悪い。あんな表情を見せるから、説得に自信があるのかと思ったじゃない」

「僕の経験上、いきなり闇属性の魔法をぶっ放してくる奴は説得には応じないよ」

「じゃぁ、なんの属性だったら説得に応じるっていうのよ。それに、逃げ出しちゃったら意味ないんじゃないの?」

「これでいいんだよ。あいつはここから出たいのに、その手段が見つけられずにいるんだろ? だから、あいつに聞こえるようにその方法を教えてやったんだ。きっと僕たちを人質にするために、必死になって追いかけてくれるさ」

「あぁ、そっか。わたしたちは勇者さんをおびき出すだけでいいんだもんね」

「そういうこと。でも油断するなよ」

「え? どういうこと?」


 ソフィはマーニに尋ねると同時に、その意味を身体で知る。


「痛い、痛い! ちょっと、やめて。今度は熱いってばー!」


 懸命に逃げる二人の背後から飛んでくる魔法の数々。後ろを走るソフィの大きな身体は格好の的だ。通路をふさぐほどの体格じゃ外す方が難しい。

 いくら魔封じの術で威力が弱められているとはいえ、ソフィは勇者の魔法を背中に浴びまくった。


「ねぇ、出口はまだなの!? 背中が焼けるように熱いんだけど!」

「もうすぐだから、少しの辛抱……って、燃えてる、燃えてる」

「えーっ、消して、消して、早く消して!」


 勇者の魔法が着弾したのだろう、ソフィの背中からは炎が立ちのぼっていた。

 ソフィはすぐさまその場に仰向けに寝転ぶと、必死に床を転げ回って背中の火を消そうとする。マーニも手ではたいて、慌ててそれを手伝った。

 そんな二人に忍び寄る不穏な影。

 その気配にマーニが顔を上げると、そこには囚人服を着た人物が立っていた。さらにその顔を拝もうと視線を上げると、その人物はあの日マーニが国王から授かった勇者の兜を被っている。

 けれども、兜の前面が閉じられているせいで顔は見えない。


「勇者…………なん、だよな?」


 マーニのつぶやきにも無反応で、勇者はゆっくりと右手を上げていく。そして寄り添うマーニとソフィに向けて、手のひらを広げてかざした。

 これは魔法を放つときの体勢。それを見て、マーニとソフィは慌てて勇者に言い訳を始めた。


「ちょっと待ってくれ、本気じゃないよな? 僕たちは敵じゃない。だからまずはその手を下げてくれ」

「そ、そうよ。わたしたちは味方よ。勇者さんを助けに来たんだから」


 男女二人が互いの手を握り締め合って勇者に許しを懇願する。

 よくあるドラマのワンシーンも、言葉遣いが入れ替わっているとどうにも締まらない。そして、そんな二人の言葉を勇者は完全に拒絶した。


「そんな言葉、信じられないのよね。どうせ、あたしのことを捕まえに来たに決まってるんだわさ」


 勇者は右手を突き出したまま、二人にジリジリと詰め寄る。

 そして外しようがないほど接近したところで、勇者は魔法の名を叫ぶためだろう、上体を反らすほどに大きく息を吸い込んだ。

 これはやられる。マーニがそう覚悟した瞬間だった――。


「待て! そなたの相手は吾輩がいたす」


 その声を聞いて、勇者が動きを止める。

 勇者が目を向けたのは、マーニとソフィの後方から近づいてくるランタンの灯。少しずつ明るさを増す灯火は、次第次第にリックの容姿を浮かび上がらせていく。

 間一髪で駆けつけたリックが、その小さな身体やあどけない顔をハッキリと見せつけた時、勇者はゆっくりと右手を下ろした。

 そして小刻みに、その肩を震わせ始める。


「う……」


 勇者の肩の震えが徐々に大きくなる。

 マーニは勇者のつぶやきを、確認するように反芻した。


「う?」

「うぅぅ……うわぁぁあん。心細かったのよねぇ、会いたかったのよねぇ、あたしの身体ぁ!」


 勇者は泣き叫びながら走り出す。

 マーニとソフィを通り過ぎて、リックに向かって一直線に突き進む。

 どうやら勇者の中身が、リックの身体の持ち主だったらしい。


(僕、ソフィ、リック、そしてこの勇者で一回りか……。入れ替わりも完結、これで全員集結できたってわけだな……)


 身体が入れ替わった四人が全員揃って大団円。

 そんな事情を知らない勇者も数日ぶりに自分の身体と対面して、思わずリックに飛びつく。感動の瞬間だ。


「せやぁっ!」


 けれどリックは容赦なく勇者を蹴り倒した……。

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