第18話 勇者、悲鳴をあげる。

「ねぇ、待ってよ、マーニ。ちょっと、待ってってばぁ。ほんとにここを進むの?ねぇ、やめよ? お化けとか出そうじゃない?」


 地下牢へと続く薄暗い石の階段を降りながら、ソフィは前を歩くマーニの背中をヒシッと掴む。

 マーニは重心を後ろに持っていかれて、危うく階段を踏み外しそうになった。


「もたもたしてたら置いてくぞ、ソフィ。そんなことより勇者だよ。国王に向かって魔法をぶっ放すなんて、絶対ヤバい奴に決まってる。あぁ、僕の身体はどんな奴に乗っ取られちゃってるんだろ……はぁ」

「しかも、壁を壊しちゃうぐらい凄いのよね? わたしたちで太刀打ちできるの?って……ひぃぁあああ!」


 天井から染み出た地下水が、お約束のようにソフィの首筋にポタリと垂れた。

 ソフィは悲鳴を上げながら、今度はマーニの柔らかい身体にガバっと抱きつく。

 不意を突かれたマーニは、思わずソフィと同じような叫び声を上げた。


「ひぃぁあああああ! って脅かさないでくれよ……」

「ごめんね、お化けでも出たのかと思って……」


 マーニだって元は男。暗がりを怖がる女性にしがみつかれれば悪い気はしない。

 だけどソフィの今の外見は身長二メートルの厳つい大男。どうせなら、元の身体に戻ってからやってくれと、マーニはため息を漏らす。


「はぁ……。心配しなくてもお化けなんて出ないよ。それよりも、急がないと軍の勇者捕獲チームが来ちゃうぞ」

「だって、この先は地下牢なんでしょ? だったら、恨みを抱えたまま死んじゃった人なんかもきっといるよね? だったら、ほら、そういう……ね?」


 大きな背中を小さく丸めながら弱気な発言を続けるソフィに、マーニのさらに前で先導していたリックが険しい形相で振り返った。

 けれどもあどけなさの残るその顔じゃ、逆に可愛く見えてしまう。


「情けない! それは吾輩の身体なのだぞ。しかもここは城内。リックハイド大隊長は実は臆病者だったなどという噂が立ったら、いったいどうしてくれるのだ」

「そんなこと言ったって、怖いものは怖いんだから仕方ないじゃない……」

「貴様は己に自信が持てぬから臆病者なのだ。心身を鍛え自信を高めれば、恐れなどなくなるというものよ。そんな調子では、勇者と遭遇しても手も足も出せぬのではないか?」


 リックの言葉は虚勢ではなく、明らかに堂々と落ち着き払っていて、その幼い身体に似つかわしくない自信が内面からみなぎっている。

 表面上は平静を装いながらも恐怖心と戦っていたマーニにとって、そんなリックはまるで救世主だ。

 だけどその姿は見るからに幼女。マーニは縋り付きたい気分をグッと堪えた。



「さて……」


 先導していたリックがポツリとつぶやき、ソフィの半分ほどの小さな身体がピタリと止まる。

 足を止めたリックは一つ大きく息を吐くと、振り返ってマーニとソフィに作戦の説明を始めた。


「ここから先が地下牢だ。これから勇者を捕らえるわけだが――」

「ねぇ、本当にやるの? 国王に報せが来てからずいぶん経ってるんだし、きっともう逃げちゃってるわよぉ。こんな不気味なところからは早く帰りましょ?」


 けれどもリックの言葉に、すぐさまソフィが口を挟む。しかもその口調から察するに気乗りがしないらしい。

 ソフィは恐怖心から、まだ身体を震わせている。


「また貴様という奴は――」

「まぁ、まぁ、今は抑えて」


 クリクリした可愛らしい両目を吊り上げたリックも、マーニの仲裁で落ち着きを取り戻す。

 そして気を取り直したリックは、淡々とソフィの疑問に答え始めた。


「この地下牢から出るには、さっきの一本道の通路を通るしかない。そして出口も一か所のみ。そこを軍が封鎖しておるのだから、勇者殿がこの中に潜んでおるのは必然であろう」

「ちぇーっ、わかったわよ……」


 逃げ帰る口実を潰されて、ソフィも観念したらしい。

 だけど納得のいかないソフィは、今度はブツブツと愚痴をこぼし始めた。


「だけど、勇者捕獲部隊まで結成されたのに、どうして『吾輩に考えがあるゆえ、まずは我々だけで向かわせて欲しい』なんて志願したのよ。勇者を捕まえるって言うけど、三人だけじゃ勝てっこないわよぉ」

「その理由の内の一つが、貴様のその情けない姿を他人に見せぬためだ! この、たわけがっ!」

「それなら、勇者を捕まえるなんて危険なことは、捕獲部隊に任せれば良かったじゃないの。詳しい話なら、その後で面会させてもらえば」

「はぁ、貴様は事の重大さがまだ分かっておらぬようだな……」


 リックからはソフィの言葉が浅はかに見えたのだろう。呆れたように顔を手で押さえて、二度三度と首を横に振る。幼女が見せるような仕草じゃない。

 リックがその『事の重大さ』を語らなかったので、代わりにマーニがソフィに今の深刻な状況を説明した。


「今の勇者は国王に向けて魔法を放った国家反逆の重罪人。さらに魔法を使って脱獄した凶悪犯なんだよ。軍に任せたら、見つかり次第処刑されかねないよ」

「その時はその時でしょ」

「僕の命なのに諦めが良すぎだろ!」

「でもまぁ、わたしたちだけで捕獲部隊より先に勇者を捕まえなきゃいけない理由はわかったわよ……」


 マーニに強くたしなめられて、ソフィは渋々と理解を示した。口を尖らせて、面白くない表情を作りながらも。

 となれば、いよいよ作戦会議。マーニはリックに相談を持ち掛ける。


「それじゃぁ、どうやって勇者を捕まえようか」

「作戦なら考えてある。地上へ出るにはここを通るしかない。ゆえに吾輩がここに留まり監視を続けておれば、勇者に逃げられることはない。そこでだが、二人に勇者の探索を頼みたい」

「で? 見つけたらどうするのさ」

「そなたらが説得して勇者が投降すれば、それが最善。だがそれが叶わぬ場合は、勇者をここまで誘い出してはもらえぬか。後は、吾輩が必ずや捕えてみせようぞ」

「えーっ、なによ、その無責任な作戦。相手はいきなり国王に魔法を撃ってくるような奴なのよ? わたしたちが襲われたらどうすんのよ!」


 リックの大雑把な作戦を聞き終えたソフィは、野太い大きな声を張り上げた。気持ちに余裕がないせいか、いつも以上に口調が女性っぽい。

 その言葉遣いを聞いてリックが黙っているわけがない。対抗するように可愛い声で捲し立てて、こんな場所でも言い争いが始まる。


「だから、その言葉遣いをなんとかせい! それに吾輩は、勇者を捕らえよとは言っておらぬ。ここへおびき寄せてもらえれば、吾輩が何とかすると申しておる!」


 いつもなら口論を放置するかリックの擁護に回るマーニも、今回ばかりは賛同できなかった。リックの作戦に異論を唱える。


「いや、でも、勇者の魔法の威力は王の間で見せつけられたよね? あんなのを食らったら、おびき出す前に死んじゃうって。危険すぎるだろ、そんなの」

「そうよ、そうよ」

「案ずるな。この牢獄は魔封じの術が掛けられているゆえ、勇者といえども魔法の威力は相当に弱められておる。衛兵の話によれば、勇者も扉を破壊したわけではなく、錠前に魔法を繰り返し当ててやっと外したらしい。それでさえも恐るべきことなのだがな」

「ふーん……。キュア! ヒール! ……確かに、僕の魔力程度じゃ完全にかき消されちゃうみたいだな」


 よくよく聞いてみれば、無謀に思えたリックの作戦もそうひどいものじゃない。

 軍が介入すれば勇者の身の安全は保障できないから、マーニたち三人だけで捕らえる必要がある。けれど、か弱い体格のマーニや臆病なソフィには、勇者なんて捕まえられそうもない。

 そしてあそこまで言うからには、リックは勇者を捕まえる自信があるのだろう。

 マーニは冷静に考え直して、リックの作戦を受け入れることにした。マーニが思考を重ねている間も、ソフィはやかましく喚いていたけれど……。


「わかった、リックを信じてやってみるよ。ここに勇者を連れてきたら、後は何とかしてくれるんだよな?」

「吾輩に任せておけ」

「マーニが賛成するんじゃ、仕方ないわね。わたしも行ってくるわよ……」

「だから、貴様は言葉遣い!」


 腕組みをしたまま送り出すリックに、マーニは手を振りながら、ソフィはあっかんべーをしながら牢獄の奥に向かって歩き出した……。

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