第13話 勇者、着せ替え人形になる。

 風呂から上がったマーニは全身が真っ赤。嫌というほどソフィに垢を擦り落とされたせいだ。

 マーニがその悲惨な有様を大鏡に映して確認していると、相変わらず全裸のままのソフィが背後に立って、ニンマリと表情を緩める。

 きっとリックという人物はこんな表情なんて作らない。そうマーニが確信するほどに、厳つい顔が作る笑顔は薄気味悪かった。


「さぁっ、これを着てちょうだい。きっと似合うから、早く着てみせて」


 ソフィが鏡越しに広げているのは、さっき大通りで買った水色のワンピース。まるでソフィは自分で着るかのように、何軒も店を回って選び抜いていた。

 ある意味、自分で着るのだけれど……。


「女物の服なんて着たことないよ。ちょっと手伝ってよ」

「仕方ないわねー。じゃぁ、まずはここに腕を通して?」


 巨漢のソフィが持つ女性向けの服は、まるで着せ替え人形の衣装のよう。それをウキウキした様子で、下着から順にマーニに着せていく。

 その姿は、まるでお人形遊びに夢中になっている大男。厳つい顔なのに目尻を下げたそのニヤケ顔は、充分すぎるほどに犯罪臭が漂う。

 やがてソフィが背中のボタンを留めて着替えは終了。

 そこでマーニの口から出た第一声は、大いなる不満だった。


「えー、なんだこれ、動きにくいな。ほんとにこれ着て歩かなきゃいけないの?」

「何言ってるの。わたしの見立てた通り、とっても似合ってるじゃない。ついでに髪の毛もやってあげるわね」


 どうやらソフィは見栄えに満足したらしく、ご機嫌でマーニの髪を結い始めた。

 ソフィは鼻歌交じりで身体をくねらせながら、手際良くマーニの髪をまとめ上げていく。その所作は明らかに女性そのもの、二メートルの巨体には似合わない。

 違和感しかないマーニは、堪えきれずにアドバイスを贈った。


「ソフィはもう少し動きを勇ましくした方がいいんじゃないか? それにその雰囲気だと『わたし』よりも『吾輩』の方がいいと思うぞ?」

「あはは、吾輩? 無理無理、急にそんなこと言われても無理。そういうあなたも『僕』って言ってるじゃない。わたしの身体なんだから単語にも『お』を付けたりして、もう少しおしとやかなにしてくれないかしら?」

「うーん、それを言われると……。少しずつ慣らすしかないか、お互いに……」


 マーニも自分のことを『わたし』と言うと全身に鳥肌が立つ。

 けれども言葉遣いのせいで、女奴隷たちから不審がられたことがあるのも確か。マーニは自分の言葉遣いについても改めなければと少し反省した。

 そこへ「パン!」と、両手を合わせた音が響く。

 どうやらソフィが、マーニの髪を結い終えたらしい。


「はい、完成! とっても可愛いわよぉ」


 マーニの目に最初に飛び込んだのは、見事に結い上げられた髪の毛じゃなくて、強面の顔を大きく歪めた喜色満面のソフィの表情だった。

 その気色悪さに、マーニは思わずたじろぐ。

 一方のソフィは拗ねたように唇を尖らせながら、軽く冗談を口走った。


「わたしの身の周りには、こんなことをしてくれる人がずーっといなかったから、ちょっと羨ましいな。ねぇ、その身体、わたしに返してくれない?」

「返せるもんなら返したいよ! って、それはちょっと惜しいな。僕はずっとこのままでもいいかも」

「ちょっとぉ……今なんて言ったのかしら? よーく、聞こえなかったんだけど」

「すいません。冗談です。お返しできるものなら、すぐにでもお返ししたいです」


 ギロリと睨みつけたソフィの表情に恐れおののき、マーニはすぐさま謝罪する。

 謝るぐらいなら言わなきゃいいのに……。


「それにしても、この身体。どうやったら元に戻るんだ? 入れ替わった人に会えれば戻るかもって思ったけど、そうはならなかったし」

「うーん、どうなのかしらねー」

「知ってるわけがないよな。わかってるなら、とっくに試してるだろうしな」


 マーニはソフィに尋ねてみたものの、その返事は上の空。マーニ自身も期待して尋ねたわけじゃない。

 そんな他愛もない会話をしながら、二人は部屋へと戻って行った。



「あぁ……昨日、今日と、色んな事があったわね。ちょっと疲れちゃった」


 部屋に戻ったソフィは大きな身体を大の字にして、ベッドにゴロリと寝転ぶ。

 その隣のベッドに、マーニもちょこんと腰かけた。


「確かに……。ようやく本当に落ち着いたよ」


 マーニの目の前に横たわる大きなソフィ。ベッドの寸法に収まり切れず、足首から先をはみ出させている。

 そのガッシリとした体格は体重も重そうで、ベッドの脚が悲鳴を上げている。

 そんなソフィの丸太のような腕に、血が滲んでいるのがマーニの目に留まった。


「怪我してるよ、そこ」

「あ、本当だ。追いかけっこした時に、どこかに引っ掛けちゃったのかなー」

「そっか。でもそれぐらいの傷なら治せるよ、たぶんね。……キュア!」


 マーニの回復魔法の効果で、ソフィの腕の傷がみるみると塞がっていく。

 回復魔法は初めて使ったけれど、奴隷商人の家で防御魔法が使えたからマーニは推測していた、白魔法の系統なら使えるだろうと……。


 魔法の系統には二種類ある。攻撃系の黒魔法と、防御系の白魔法だ。

 本来は相容れない系統で、魔法が使える選ばれし者でも扱えるのはどちらか片方だけ。ただ唯一、勇者直系の血筋を持つ者だけがその両方を使いこなせる。

 そのはずなのに、勇者の身体を失ったマーニはどういうわけか黒魔法が使えなくなってしまったらしい。

 そして回復魔法を成功させたマーニは、推測を確信に変えた。


(やっぱり白魔法はいつも通り使えるみたいだな……)


 ソフィは一瞬にして塞がった傷に感心すると、マーニの方へと寝返りを打つ。

 そして肘枕の体勢になると、傷を治してもらったお礼の言葉を伝える。


「ありがとう……って、なんでそんなに大股開いて腰掛けてるの! 下着が丸見えじゃない。ちょっとは恥じらいも身に付けてよー」


 真っ赤な顔になって両頬を押さえ、身悶えしながらマーニの醜態を恥ずかしがるソフィ。たぶん今の姿がいかつい大男だっていうのを忘れているのだろう。

 けれどソフィの指摘は正にその通り。普段の調子で座ったマーニの膝は、肩幅以上に開いていた。

 マーニが身体を丸めて軽く覗き込んだだけで下着は丸見え。マーニは慌てて膝を閉じると、ソフィに言い訳をする。


「ごめん、ごめん。スカートなんて履いたことないからさ」

「だけど魔法が使えるなんて、勇者って言ってたのは本当だったみたいね」

「信じてなかったのか!? って、まぁ今は白魔法しか使えなくなっちゃってて、勇者だった証明はできないんだけどね」


 白魔法と黒魔法の両方を使ってみせれば、勇者の血を引く一族の証明は簡単だ。だけど今のマーニには白魔法しか使えない。

 なんとか証明してみせる方法はないかとマーニは頭を悩ませたけれど、ソフィにその労力は不要だったらしい。


「信じるよ、あなたが勇者だって」

「ソフィ……」

「だって『僕が勇者だ』なんて、そんなすぐバレる嘘をつく人なんていないもの」


 そう言って、ソフィは体を震わせながら笑い始めた。

 けれどその笑いもすぐに収まり、ソフィは寝返りを打ってマーニに背を向けた。そして少し申し訳なさそうにつぶやく。


「勇者なのに白魔法しか使えなくなったのは、そんな身体と入れ替わっちゃったせいだよね。ごめんね」

「別に君が謝ることじゃないさ。それにこの身体すごくいいよ、最高だよ」

「ふふ、慰めてくれてありがと。明日も忙しそうだから、そろそろ寝ましょ」


 ソフィはそう言うと、もぞもぞと丸くなって就寝の体勢を取る。

 マーニも枕元のランプを消して、ベッドへと潜り込んだ。


(この身体が最高なのは、かなり本心だったんだけどな……)




 翌日、宿屋を後にしたマーニとソフィは街へと繰り出す。

 まずは、城に囚われている勇者を助け出す方法を見つけなくちゃいけない。


「さて、どうしたものかな……」

「そうね、とりあえずその辺で朝食でも食べながら考えましょうか」

「あ、その前に僕、ちょっとしょんべんしてくる」

「なによ、その言葉遣いは。もっとお上品に言ってよね!」

「ごめんごめん。ちょっと『おしょんべん』に行ってまいりますわ」


 そこへ、正面から駆け込んでくる一人の少女、というより幼女。

 その幼女はソフィの二メートルほど手前でジャンプすると、雄叫びと共にそのまま足から飛び込んでくる。


「盗人めぇぇええ、覚悟ぉぉおお!」


 見事に伸びたその幼女の足はソフィの骨ばった顔面にめり込み、そのままそのたくましい体躯の巨漢を後方へと跳ね飛ばした……。

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