第12話 勇者、自分を見つめ直す。

「――これがわたし……。なんて美しいのかしら……」


 お風呂に入ろうと麻袋の服を脱ぎ去ったマーニの口から、とても自然な女言葉で感嘆が洩れる。それは、宿屋のバスルームにある大鏡に映った自身の姿を、ウットリと眺めながらつぶやいた感想だった。


 十代と言っても違和感のない顔立ちは、腹を満たして血色が良くなったせいか、昨日手鏡で見た時よりもさらに美しく見える。

 長い黒髪に大きな瞳、愛嬌のある低めの鼻、そして控えめな薄い唇。憧れの姉にどことなく似ている自分好みのソフィの顔は、大きな鏡で見るとより一層映える。

 続けてマーニは、ゴクリと唾を飲み込みながら視線を落とした。

 すると、これでもかと存在感を放つ豊満な胸がマーニの目に飛び込んでくる。

 その大きさは、やせ細った身体に不釣り合いなほどだ。


「おおっ……むふぅっ……」


 さらにマーニが視線を下げると、身体の輪郭は柔らかな曲線を描きながら引き締まる。そしてウェストの部分を過ぎると、また滑らかに膨らみを増していく。

 ソフィの身体はいつまでも見飽きることのない芸術作品。マーニは鏡に映ったその姿を、角度を変えてみてはじっくりと鑑賞し続ける。

 それでは飽き足らず、身体をよじったり手を挙げたりしながら、マーニは裸のままで様々なポーズをとってみた。傍から見ればとんだナルシストだ。

 そしていよいよ感触を確かめるために、マーニはその手をゆっくり胸に伸ばす。


「……おぉぉ、至福の感触。やっぱり、おっぱいは最高だぁ……」


 ――ガチャリ。


 そこへ背後のドアが突然開いて、マーニはバスルームに乱入してきた身長二メートルの大男と鏡越しに目が合う。


「今、何をしてたのか、説明してもらえるかしら?」


 鏡の中のソフィはマーニに鋭い視線を突き刺すと、言葉遣いに似合わない野太い声を低く響かせた。

 感情と裏腹に思える穏やかな口調に、マーニの身体がビクリと強張る。

 いくつもの死線をくぐり抜けてきたような険しい顔つきに、マーニは恐怖心しか湧かない。たとえその中身が、今鏡の中で並んでいる美人だとわかっていてもだ。

 マーニは、その美しい顔を引きつらせながら慌てて振り返って、ソフィに向けて言い訳の言葉を並べ始める。


「誤解だから。この身体に異常がないか、ちょっと確かめてただけだから」

「そんな言葉、絶対信用できませんー。その身体、あなたのじゃないんだからね?わたしだって……って、もういいわ。あなただって、その身体になりたくてなったわけじゃないんだしね」

「え? それじゃぁ――」

「好きにしていいとは言ってないからね! まったく、男って……」


 マーニの言い訳はさすがに苦しすぎた。ソフィから向けられる冷ややかな視線を見ても、マーニの信用がどん底なのは明らかだ。


「ごめん……って、ソフィ!? ちょっ、ちょっ、ちょっ、何やってんの!」


 マーニは慌てながら大声を張り上げた。なぜなら、ソフィがいきなり服を脱ぎ始めたからだ。

 ソフィは恥じらうことなく次から次へと服を脱いで、あっという間にすっぽんぽんになってしまった。

 二メートルほどもあるその巨体は全身が鍛え上げられた筋肉で覆われ、肌の色は日焼けがそのまま染み込んだかのような赤黒さ。まるで銅の甲冑を身にまとっているかのようだ。

 そしてソフィは、マーニを見下ろしながら太い声で威圧感を与える。


「何って、わたしもお風呂に入るのよ」

「なにゆえー! それに、わたしもって……まさか一緒に!?」

「別にいいでしょ? その身体はわたしは見飽きてるし、あなただって男の人の裸を見たってなんとも思わないでしょ?」

「そ、そりゃそうかもしれないけど……」


 ソフィは、戸惑うマーニの肩に両手を掛けると、その怪力で回れ右をさせる。そしてそのまま背後に回って、浴室へとマーニを押し込んだ。


「ふふん、それにこうして一緒に入れば、あなたがその身体に変なことをしないか監視だってできるでしょ?」


 二十歳そこそこの美女と三十過ぎの大男とで、広くないバスルームに男女混浴。

 しかも美女の方は嫌がっていて、大男に強引に入浴させられているんだから、もはや犯罪。でも今回の犯人は美女の方だ。

 風呂だったらこの身体をじっくり堪能できるとマーニは楽しみにしていたのに、ソフィの監視のせいでぶち壊し。マーニは落胆のため息をつく。


「はぁ…………」

「どうしたの? なにかご不満でも?」

「いやいや、違う違う。えーっと、今のは風呂に入ってやっとくつろげたからさ。そうそう、ホッとしてため息が漏れただけなんだよ」


 マーニは身振り手振りで水面をバシャバシャとかき乱しながら、慌てて大きな胸も一緒に揺らして言い訳をしてみせる。

 そんな様子じゃ、やましい気持ちがありましたと白状しているようなもの。バスタブに向かい合って浸かるソフィの視線も、より一層冷ややかになる。

 そんな気まずさをごまかすように、マーニは話題を変えた。


「そうそう、そんなことよりお礼がまだだった。さっきはありがとう、飯をたらふく食わせてもらって。腹ペコで死にそうだったから、ほんと助かったよ」

「お礼を言うのはわたしの方よ。カティアたちまで助け出してくれたなんて、いくら感謝しても足りないわ。で、どう? カティアは無事に田舎に帰った?」

「あぁ、最後まで別れを惜しんでくれて、元気に帰って行ったよ」

「そう、良かった。わたしも奴隷商人の家に助けに行ったんだけど、着いてみたら牢屋は空っぽ、あの男だけが床に転がっててビックリしちゃった。いい気味だったから放っておいたけどね、ふふふ」


 風呂に入ってリラックスできたせいか、ようやく二人の会話が弾みだす。

 それにしても、男女二人が裸で膝を突き合わせてバスタブに浸かってるのに、間違いが起こる気配が微塵もない。

 だけど考えてみれば、ソフィの目の前は自分の身体、マーニの目の前はむさ苦しい三十過ぎの男の身体なんだから当たり前だった……。


「それにしてもいい部屋だよね、お風呂も広いし。宿代高いんじゃない?」

「二人で泊まれる部屋って言ったらこうなっちゃったのよね。勝手にリックさんの所持金から払っちゃったけど、本人に会ったらちゃんと返さないとね」

「ははは、その時は僕の持ち金から払うよ。自分の身体に会えれば……だけど」


 マーニはそう言いながら、自分の身体が投獄されていたことを思い出して、再びため息をついた。

 そんなマーニの様子を誤解したのか、ソフィが慰めの言葉を掛ける。


「自分の身体っていうと勇者様よね? 目立つでしょうし、きっとすぐに見つかるわよ。もちろんわたしも協力するし」

「実は自分の居場所は……っていうか、勇者の居場所はわかってるんだ」

「あら、そうなの? だったら、どうして一緒に行動してないの?」

「それがさ……したくてもできないんだよ。なにしろ、国家反逆罪で城の地下牢に囚われてるんだ」

「えーっ、なんですってーっ!?」


 ソフィが絶叫しながら立ち上がったものだから、水面が激しく波立つ。そのリアクションの大きさは、マーニが事実を知った時以上だ。

 マーニはびっくりして顔を上げる。その目の前にぶら下がっていたモノは……。

 再びびっくりしたマーニは、仰け反って風呂で溺れかけた。

 そんなマーニを見下ろしながら、ソフィは呆れかえる。


「何してるの? 大丈夫」

「いや、そんなモノを顔に当たりそうな距離で見たのは初めてだったんで……」

「だけど逆に考えれば、居所を変えられる心配もないってことよね。今日はもう夜だから、明日また考えましょ。どうやったら勇者様を助け出せるか」

「あ、あぁ。そうだね」


 ソフィの前向きな言葉のおかげで、マーニは少し元気を取り戻した。

 手を差し伸べたソフィの笑顔が紳士的で爽やかだったのも、マーニの励みになった一因だ。


「それよりも、お湯真っ黒になっちゃったわね。さぁ、その身体洗ってあげるから覚悟しなさいよ」


 ソフィは伸ばした手でマーニの腕を掴むと、壁に備え付けられているシャワーの前に立たせる。そして水栓を開いて、勢い良くシャワーをマーニに浴びせた。

 続けて石鹸を泡立てたソフィは、マーニの身体を念入りに洗い始める。

 全裸の美女の身体を洗う大男。けれどもソフィから見れば、自分で自分の身体を洗っているだけ。やましいことは何もない。


「ひゃはは、くすぐったい、くすぐったいって。身体ぐらい自分で洗えるから」

「我慢して! あなたに任せたら、偏った所しか洗わないに決まってるんだから」

「それ偏見。ちゃんと全身満遍なく洗うってば」

「信用できません。これからもお風呂は一緒に入りますからね!」

「なにゆえー!」


 マーニがソフィの身体を堪能できる日はまだまだ先になりそうだ……。

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