第10話 美女、頬を赤らめる。

 ソフィは人里離れた山奥から、ここタクティアの城下町へとやってきた。

 長らく風呂に入っていないソフィは、まずは宿屋を探そうと街を散策する。

 見たことのない立派な建物、煌びやかな人々の服装、目に映るもの全てが新鮮。ソフィは遠い昔の子供の頃に抱いた、夢心地の高揚感を思い出す。

 けれども、街に転がっているのは良いことばかりじゃない。悪意を持つ人もいるということを、ソフィは永らくぶりに思い知らされる羽目になった……。


「よぉ、姉ちゃん、いい身体してんなぁ。顔だってべっぴんだし、売れっ子間違いなしだ。どうだい? 働いちゃみないかい?」

「あ、いえ、大丈夫です。わたしには大事な用があるんで」

「まぁ、そういうな……よっ!」


 その瞬間みぞおちに衝撃を受けて、ソフィの目の前は真っ暗になった……。

 目を覚ますと牢の中。そしていつの間にか、ソフィの所有権は別な人物へ。どうやら人さらいは、奴隷商人へとソフィを売り飛ばしたらしい。

 手には手枷、足には足枷。ソフィの身体は奴隷商人によって拘束された。

 麻袋同然の身なりと、粗末な食事しか与えられない女奴隷としての扱い。

 朝は荷馬車で繁華街まで運ばれ、一日中商品として人前にさらされ、日が暮れると再び奴隷商人の家に戻って牢に入れられる。

 良い意味じゃない、ソフィにとっての非日常的な生活。三日目の今日は、城のそばで売り物にされていた時のことだった……。


 ――激しいめまいが突然ソフィを襲う。


 意識を薄れさせながら、ソフィは静かに闇へと落ちていった……。




「リック殿! リック殿! 大丈夫でございますか!?」


 聞いたことのない男の声で目覚めると、ソフィは革張りの椅子に腰掛けていた。

 目の前には高級感溢れる木目が立派な両袖机、周囲を取り囲むのは落ち着いた色調の書棚、さらに背後は陽の光がさんさんと射し込む大きな窓。

 突然の環境の変化にソフィは戸惑う。

 ソフィがまず確認したのは自分の両手と両足。どちらにも枷ははまってなくて、自分の意思で自由に動かすことができた。


(自由……。自由になってるわ……)


 目の前で両手首を回しながら、ソフィは手枷のはまっていない手のひら、手の甲を交互に眺める。三日ぶりに手に入れた自由を満喫するように。


「大丈夫でございましたか。突然意識を失くされたので心配いたしました。それではこのブリッツ、もう少々準備をしてまいりますので……。では!」


 ソフィは気分が高揚して、ブリッツと名乗った男の言葉なんて耳に入らない。

 ブリッツが退室して部屋に一人になると、今度は立ち上がって足の自由の確認。

 足も自由。その軽やかさに、思わずその場でくるりと回って少し踊ってみる。


(ああ、自由に動けるって素晴らしい! でも、嫌な予感がするのよね……)


 嫌な予感……それはこの軍服。

 そして、さっき眺めたゴツゴツとした手。

 立ち上がってみれば視点はやけに高く、下を向いても胸に膨らみはない。


(まさかとは思うんだけど……)


 意を決して、緩めるベルト。

 そして外す、ズボンのボタン。

 思い切って、ズボンとパンツをまとめてズリ下ろす。


「――うわぁっ……! やっぱり付いてるぅ!」


 思わず絶叫。ソフィは真っ赤にした顔を両手で覆い、天井を見上げる。

 予感通りだった。そこには遠い昔に見た覚えのある、男にしかついていないモノがぶら下がっていた。


(間違いない、わたしはこの男の人と入れ替わったのね。名前は確か……さっきの男の人がリックって呼んでたわよね)


「リック殿、いかがされましたか! 今、叫び声が……あっ」


 人の気配に気が付いて、ソフィは慌ててズボンを引き上げたけれど既に手遅れ。

 部屋に飛び込んできたのは、さっき部屋を出て行ったブリッツ。下半身を丸出しにして棒立ちだったソフィの姿を見て、ブリッツもまた棒立ちになる。

 そして顔を赤らめながら、なぜか嬉しそうに一礼をした。


「リック殿のような崇高なお方でも、全てが御立派というわけではないのですね。なるほど、このブリッツにもリック殿に勝るモノがあるとわかって自信が持てました! 最後の最後にありがとうございます!」

「ど、どうしてお礼を? それに自信って……」

「い、いえ……お気になさらず。それよりも、準備が整いましたのでお迎えに上がりました。どうぞこちらへ」

「準備って……なんの?」

「いやですねぇ、先刻申し上げたじゃありませんか。最後の晩餐ですよ」


 ――えーっ、最後の晩餐!?


 叫びたい気持ちをグッと堪えて、ソフィはブリッツの後について歩く。

 『最後の晩餐』なんて言われたら、嫌な予感しかしない。とは言ってもここで不穏な動きを見せれば、中身が別人に入れ替わったとバレてしまうかもしれない。


(まさか、戦地の最前線行き……なんてことないわよね? このブリッツって人、悪い人じゃなさそうだし大丈夫よね……?)


 ソフィは不安を抱えながら、堂々と胸を張って闊歩するブリッツの背中に隠れるように、大きな身体を小さくして後に続いた……。



 ソフィが連れて来られたのはどうやら食堂。すでに中からは、ガヤガヤと賑わう声が聞こえてくる。

 そしてソフィが、その広い部屋に足を一歩踏み入れた途端のことだった……。


「リック大隊長、今までありがとうございました!」


 一歩前を歩いていたブリッツが、振り返りざまに叫び声をあげる。

 そしてそれを皮切りに、部屋に集まっていた大勢の人たちからも異口同音に歓声が湧き上がる。


「大隊長、お世話になりました」

「大隊長、ご恩は一生忘れません」

「お疲れさまでした、大隊長」


 どうやらこれは送別会。ブリッツが『最後の晩餐』と言った意味を、ソフィはようやく理解した。と同時に、こんな晴れの席を元の身体の持ち主のリックから奪ってしまったことを、ソフィは申し訳なく感じた。


「最後の晩餐って言ってたけど、まだ昼過ぎよ?」

「早くから始めませんと、夜勤組はお別れの挨拶ができませんので。今日はたっぷりとお付き合い願いますよ」

「えーっ……。まいったわね……」

「リック殿、どうかなさいましたか? なにやら、お言葉が……」

「あーっ、なんでもない、なんでもない」


 ソフィは慌てて取り繕う。言葉遣いにまで気を使わなきゃいけないとなると、いくら送別会っていってもお酒なんて飲んでいられない。ソフィは近寄ってくる人物すべてを警戒しながら、慎重に言葉を選んだ。

 次から次へとお酒を注ぎに来る部下たちにも、ソフィは丁重に断りを入れる。

 そんな部下たちは、みんな涙ぐみ、名残惜しそうにしている。きっとリックという人物は、人望が厚くて慕われているんだろう。

 さらに部下たちは、みんな口を揃えて退役の理由を尋ねてくる。


「大隊長、どうして辞めちゃうんですか?」

「大隊長、お辞めになるのは私たちが至らなかったせいでしょうか?」

「ご退役された後、大隊長は何をなさるご予定なのですか?」


 いくら部下たちに迫られても、身体が入れ替わる前のリックが考えていたことなんてソフィにわかるはずがない。むしろソフィの方が知りたいぐらいだ。

 そこでソフィは名案を思い付く。部下も自分も理由を知る方法を。


「あぁ、コホン。ブリッツくん、みんなに教えてあげて……くれたまえ。わたしが辞める理由とやらを」


 たぶんブリッツはリックの側近中の側近。きっと彼にだけは、それぐらいの話は伝えてあるに違いない。


「何をおっしゃいます、リック殿。いくらこのブリッツがお尋ねしても、とうとうお教えいただけなかったではありませんか。改めてリック殿にお伺いいたします、どうして御退役なさるのですか?」

「はは……そう、だったかしら。あ、お酒、いただきます」


 ソフィは裏目に出た名案をごまかすように、テーブルに置かれていたワインを一気に飲み干した……。

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