第9話 勇者、途方に暮れる。

「おーい、ソフィ……。一体なにをしてくれちゃったんだよ……」


 美しい顔を悲壮感に歪ませながら、マーニは城下町の大通りをとぼとぼと歩く。

 唯一の希望だった自分の身体が国家反逆罪で捕まっていたんだから、マーニが気落ちするのも無理はない。


「このまんまじゃ餓死しちゃう……。とはいえ、実家に帰ってもこの身体だしな。そもそも、村に帰りつく前に死んじゃうよ……」


 途方に暮れて、マーニはあてもなく城下町をさまよう。

 近隣諸国から風光明媚と噂される街並みも、今のマーニの目には映らない。

 時折、美味しそうな料理の匂いが暴力的に漂ってくるたびに、マーニの腹の虫が切なく哀しい大きな悲鳴をあげる。


「何か食べさせてくれませんか? 皿洗いでもなんでもしますんで」

「お前みたいなのがいたら客が寄り付かないんだよ。帰れ、帰れ!」


 マーニはあちこちの食堂に掛け合ってみたものの、ことごとく門前払い。

 小汚い麻袋を被って、何日も風呂に入っていない煤けた肌じゃ無理もない。


「この身なりじゃ職にありつけなくてお金を稼げないから身なりも整えられなくて職にありつけない……。どうしよう……頭がボーっとしてきた……」


 トボトボとうつむいて歩くマーニの前に、突然大きな黒い影がヌッと現れた。その影はマーニの行く手を阻むように、真正面に立ち塞がる。

 マーニが見上げると、そこには身長が二メートルはありそうな三十を少し過ぎたぐらいの大男の姿。瞳は珍しい紫色に輝き、赤黒い肌の顔には歴戦の証と思われる傷が多数刻まれていた。

 着ている服は高級そうな布製の鎧。ブリガンダインと呼ばれる、裏地が金属製のものだろう。さらに背中には、なにやら馬鹿でかい大剣まで背負っている。


(なんだ? この大男は……)


 それだけなら別に問題ない、マーニが道を開ければ済む話だ。

 けれどマーニが右へ避けようとすると右へ、左へ避けようとすると左へと、大男は間違いなく通せんぼをして進路を塞いでくる。

 イラついたマーニは不快感を示すように怪訝な表情を作ると、再び大男を見上げて睨みつけた。

 すると獲物を狙う猛禽類のような鋭い大男の眼光が、マーニの頭上から強烈に突き刺さった。


「ひぃっ!」


 尋常じゃないその気迫に、思わずマーニは短い悲鳴を上げる。

 さらに手を伸ばしてきた大男に背を向けると、マーニは一目散に駆け出した。


(なにあれ、殺される。捕まったら、絶対殺される……)


 『腹ペコで死にそう』なんて言ってる場合じゃない。今は『後ろに迫る大男に殺されそう』だ。

 足をもつれさせながら、必死に逃げるマーニ。振り返る余裕なんてない。

 そして振り返らなくてもわかる、迫ってくる大男の足音。ドタドタとしていて素早さはないけれど、その広い歩幅のせいで距離は詰まる一方だ。


「待って!」


 大男が低く野太い声で呼び止める。でも、待てと言われても待てるわけがない。


(あんな恐ろしい大男に追いかけられるなんて、このソフィって女は一体なにをしでかしたんだ? 美人局? 結婚詐欺?)


 さらに懸命に逃げるマーニ。

 けれど人気のない路地を曲がったところで、その必要はなくなった。


 ――万事休すの袋小路。


 身体が入れ替わる前のマーニなら、あんな大男が相手でもなんとかできたはず。

 けれど今のマーニは、飢えて瘦せ細ったソフィの身体。しかも最後の力を振り絞って走ったせいで、立っているのがやっとの体力だ。

 観念したマーニは、身体を反転させて後ろに向き直る。その視界の正面には路地の出口を塞ぐように、追い付いた大男が両手を広げて立っていた。

 大男は追い詰めた余裕からか、マーニが見上げる位置にある恐ろしい顔をわずかに緩めて、ニンマリと薄ら笑いを浮かべる。

 そしてゆっくりと一歩、さらに一歩と、マーニに向かって迫り始めた。


(……やるしかないか)


 マーニは、フーッと小さく息を吐きだして覚悟を決めた。今自分が持っている武器で勝負に出るしかないと……。

 少し斜に構え、右肩を前へ。あごに右手の人差し指を当てて、少し首を傾げる。さらに上目遣いではにかんでみせながら、甘ったるい声で大男に話し掛けた。


「えーっと、わ、わたしに……何か用なのかなーぁ?」


 今のマーニの最大の武器、それは愛嬌。

 ソフィの容姿でこのポーズ、さらにこの可愛い言葉が加われば、落ちない男なんていない。マーニはそう確信して、さらに大男に投げキッスをしてみせる。


(僕だったら、これで絶対イチコロだからな!)


 確信でもなんでもない、ただのマーニの好みの話だった……。

 打つ手のないマーニにとっては一か八かの賭け。マーニの小芝居が大男に通用するかは未知数。マーニは冷や汗を滲ませながら、大男の反応を待つ。

 すると、迫る大男の足がピタリと止まった。


 ――成功したのか?


 マーニが安堵のため息をつこうとした瞬間。大男は猛烈な勢いでマーニに向かって突進を始めた。

 完全に虚を突かれて、反応が遅れたマーニ。そこへ大男がガバっと、大きく両腕を広げて猛獣のように襲い掛かる。

 大男は勢いそのままに身体をかがめると、マーニの腰のあたりに腕を回してヒシッと抱きついた。


「なにゆえー!?」


 大男の腕から逃れようにも、マーニとの力の差は歴然。マーニの足よりも太い二の腕はピクリとも動かない。

 マーニの身体は、大男によって完全に拘束されてしまった。

 すると大男は大きく身体を震わせながら、低くて太い声で叫びだす。


「良かったぁ。もう会えないのかと思っちゃったわよぉ!」

「ちょ、ちょっと、申し訳ないけど、誰? 僕にはわからないんだけど……」


 マーニが焦りながら声を掛けると、ガバっと顔を上げた大男が見つめる。

 さっきまでの鋭い目つきの、恐ろしい猛禽類のような容貌はどこへやら。

 目尻を下げた瞳からはとめどなく涙が溢れ、鼻水まで垂らしている始末。まるで子供みたいな泣き顔に、マーニはどう対処していいのかわからない。

 そんな困惑するマーニに、大男は地面を揺さぶるほど低く大きな声で言い放つ。


「とぼけても無駄。っていうか自分自身を前にして、よくそんな嘘がつけるわね。あなたは嬉しくないの? 自分の身体が見つかったっていうのに」


「――え?」


 マーニは耳を疑った。

 大男の声は低くて渋いくせに、その口調には違和感がある。

 さらに驚いたのはその内容。この威圧感のある三十過ぎのおっさんの姿は、どう考えてもマーニの身体じゃない。

 マーニは恐る恐る、大男に今の言葉を聞き返した。


「ごめん、聞き間違いかもしれないけど……。今、『自分の身体』って言った?」


 その言葉を聞いた大男は、納得のいかない表情で膝立ちになると、その大きな手をマーニの両肩に置く。

 そして肩の骨が砕けそうな力で掴むと、ドスの利いた声でマーニを問い詰めた。


「そうよ。あなたはわたし、わたしはあなた。そうじゃなくて?」


(うーん。どうやら、この男も別な誰かと中身が入れ替わってるみたいだな……)


 マーニは頭が混乱してきた。

 そんなマーニの両肩を今度は必死に揺すりながら、大男が問い詰め続ける。


「ねぇ、どうなの? ちゃんと聞いてる? お願いだから何か言って――」


(だけど僕は、こんな大男なんて見たこともない。となると……)


 状況を理解してもらいたい表れかもしれないけれど、むち打ちになりそうなほど激しく前後に頭が揺さぶられて、マーニはちっとも考えがまとまらない。

 とりあえず大男を落ち着かせようと、マーニは端的に呼びかける。


「とりあえず落ち着いてくれ、君はソフィなのか?」


 すると大男は、マーニを揺さぶる手をピタリと止めた。

 そして大男は自信たっぷりにマーニに質問を返す。


「当たり前じゃない。あなただって、リックなんでしょ?」


 一足先に結論にたどり着いていたマーニは、リックという名前を出した大男に首を横に振ってみせる。

 すると大男は納得がいかなかったらしく、再度マーニの両肩をがっしり掴んでその身体を激しく揺さぶった。


「リックじゃないって言うなら、あなたはいったい誰なのよ!?」

「答える、答えるから、いちいちその身体を揺するのをやめてくれ。脳みそが泡立っちゃうから!」

「あっ、ごめんなさい」


 大男の手から再度解放されたマーニは、満を持して名乗りを上げる。

 斜に構えてあごに手を当て、クールに流し目を送りながら……。


「僕はマーニライト=シルヴェステル=エスタグレーン、人呼んでマーニ。魔王を討伐しに行くはずだった、しがない元勇者さ」


 大男はしばらく黙っていたけれど、やがて強面の顔を震わせ始めると堪えきれずに吹き出した。


「…………ぷっ」

「何かおかしいか?」

「あ、ごめんなさい、ごめんなさい。でも、わたしの顔で『しがない元勇者さ』なんていうもんだから。しかも、なんかポーズも決めてるし……。あぁ、おかしい。マーニさんは、役者さんか何か?」

「だから、勇者だってば!」


 いかつい顔で、腹を抱えて笑い出した身長二メートルの大男。

 真面目に自己紹介をしたのに笑われたのは不愉快。大人げないとは思いつつも、マーニは大男を睨みつけながら食ってかった。


「それを言うならそっちだって同じだろ? その怖い顔で『あなたはわたし』なんて言われても困るっての。どう見たって『吾輩』とか言いそうな顔だぞ?」

「やっぱり……怖いわよね、この顔。どうしたらいいと思う? 女の人に話しかけても、男の人に話しかけても、みーんな逃げていっちゃうのよ」

「それは女の人は恐怖心で、男は貞操の危機を感じて逃げてるんだよ」


 少し会話が弾んだところで、二人はハッと気づいたように同時に言葉を止めた。

 そしてしばらくの沈黙の後――。


「………………くくく……」

「………………ぷっ……」


 見つめ合った二人は、こらえきれなくなり笑い出す。

 まさに美女と野獣。

 その男女が逆転したその口調は、どこをどう見ても冗談でしかない……。



「さて……。君がソフィで、その身体の名前がリックだとわかったところで……」


 会話が落ち着いたところで、マーニは改めて今の状況を整理することにした。

 そして今回の入れ替わりについての考えを、身振りを交えてソフィに伝える。


「勇者の僕がソフィの身体に、ソフィがリックっていう人の身体に移った。つまり玉突きのように順繰りに、その中身が入れ替わったに違いないよ」

「常識的に考えて、入れ替わりなんて一対一しか思いつかなかったわ」

「いやいや、そもそも人が入れ替わること自体が非常識だって。でもそう考えないと、今の状況に説明がつかないからね。それで、この後なんだけど――」


 マーニが食事を提案しかけたところで、ソフィが地べたに力なくへたり込んだ。そして脱力したまま巨体を壁にもたれさせて、少し虚ろな目でため息を漏らす。


「やっと自分の身体が見つかったから、なんだかホッとしちゃって腰が抜けたわ。田舎から出てきて以来、色んなことがあり過ぎてちょっと疲れてたから……」


 そのまま目を閉じると、ソフィは寝息を立て始めた。

 どうやら緊張の糸が途切れたらしい。


「こんなところで寝たら風邪引くぞ、ソフィ。おい、ソフィってば……」


 いくらマーニが必死に呼びかけても、ソフィはちっとも目覚めない。

 それなら無理に起こすこともないかと、マーニはソフィの隣に座り込んだ。未だに空腹の続くお腹を抱えながら……。


「よっぽど疲れたんだろうな。おやすみ、ソフィ。色々あったことは、僕も少しは知ってるよ……ソフィ――」


 マーニはそっとソフィの寝顔を覗き込んだ。

 スヤスヤと寝息を立てるソフィを見ながら、マーニはボソッとつぶやく。


「君はこんなに美しいのに、今の見た目はただのおっさんだな……」

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