第8話 勇者、唖然とする。

 ――腹ペコで死にそう。


 よくある比喩表現だけれど、今のマーニには言葉通りの意味。

 奴隷生活を抜け出したマーニを待ち受けていたのは厳しい現実だった。

 奴隷商人の家に残っていた食料を女奴隷のみんなで山分けにしたけれど、一人当たりの取り分は握り拳ぐらいのパンが一つだけ。それをマーニは一瞬で胃袋に放り込んだものの、その程度で空腹が満たされるはずがない。

 むしろ中途半端に胃袋を動かしたせいで、余計に空腹感が増した感じだ。


「自由を手に入れても、食い物を手に入れなきゃ死んじゃうっての……」


 マーニは今、ただ一点を目指して黙々と歩いている。

 猫背の力ない姿勢に、だらりと下げた両腕。ボサボサの長い黒髪に、目は虚ろでだらしなく開けたままの口。せっかくの美貌も台無し。それもこれも、極限に達している空腹のせい。もはや、気力だけで動いていると言ってもいい。

 時々気が遠くなりながら歩くマーニが目印にしているのは、ここ王都に居ればどこにいても視界に入る一番高い建物、タクティア城だ。

 当てのないマーニにとって、唯一の希望は元の身体。

 今の勇者マーニライトに会うことさえできれば、小難しい事情説明をすることなく全てを理解してもらえるはず。自前のお金だって持ってるはずだし、勇者としての支度金も支給されているに違いない。

 そう考えたマーニの足は、ただひたすらにタクティア城へと向かっていた。


(だけど入れ替わった同士が出会ったら、元の身体に戻っちゃうかも。それはちょっともったいないな……)


 そんなことを考えるぐらいなら、マーニの空腹はまだ大丈夫かもしれない……。




 やっとたどり着いたタクティア城を見上げながら、マーニがため息をつく。

 ここまでは平坦で賑やかな街並みだったけど、城門へ続くこの先は一気に過酷になる。城に簡単に攻め込まれないための長く続くクネクネとしたつづら折りは、今のマーニには神が与えた試練にすら見える。


(天使が舞い降りてきて、あの頂上の城門まで連れてってくれないかな……。でもその前に天国に連れて行かれちゃうかも……)


 自分が天国へ行けると思っている図々しいマーニは、仕方なく坂を上り始めた。

 急坂ではないけれど、長く続く登り斜面はマーニの残り少ない体力をじわりじわりと削っていく。

 そしてついに到着。けれどマーニは、半ば諦め顔だ。


(昨夜は壮行パーティがあって、勇者は城内で一泊したはず。だけどここに来るのに時間がかかり過ぎたから、出立した後かもしれないなぁ……)


 マーニが空を見上げると、太陽はもうてっぺん。思わずため息が漏れる。

 とはいえ、勇者と身体が入れ替わったソフィが、律儀に魔王の討伐に赴くとは思えない。だったら向こうだって途方に暮れているはず。

 そう考えたマーニは、手掛かりを求めて城の門番に話しかけた。


「すみません、今の勇者が立ち寄りそうな場所とかわかりませんか?」

「は? なんだお前は。物乞いか? 臭いが移るからあっちへ行け」

「物乞い風情が、どうして勇者様の動向を気に掛ける。目障りだ、帰れ!」


 あからさまに嫌悪感を示す門番の二人は、手にした槍をマーニの目の前で交差させて、城への侵入を阻む。

 だけどマーニにはこの程度は想定内。さっそく立てておいた作戦を実行に移す。


「そんな固いこと言わないで教えてよぉ。それにしても今日は暑いわねぇん。ここまで歩きっぱなしで汗かいちゃったわぁ」


 そう言ってマーニは、服とは呼べない麻袋の裾を軽く捲り上げてパタパタ扇ぐ。

 薄汚い身なりで魅力には少し欠けるものの、太ももを露わにしたところで門番の目つきが変わった。

 続けて畳みかけるように、マーニは穴が開いているだけの首周りを摘まむと、グイっと前に広げながらこちらもワサワサと扇ぐ。

 もちろん肝心な部分までは見せてやらない。門番にお預けを食らわせておいて、マーニは改めて勇者の行方を尋ねた。


「ねぇ、教えて。勇者がどっちに行ったのか。そしたら、もうちょっと……ね?」


 マーニは軽く首を傾げながら、上目遣いで微笑みかける。

 女奴隷たちとの日常会話じゃぎこちなかったくせに、男を篭絡するときはやたらと流暢に女言葉を話すマーニ。

 なんだかんだ言いながらも、女になり切るのを楽しんでいるように見える。

 そんなマーニのあからさまな演技でも、下心たっぷりの門番には効果てきめん。鼻息を荒くした門番は、表情をだらしなく緩めながらあっさりと口を割った。


「勇者様はな、実はまだここを通ってはおらん。何しろ国家反逆罪で捕らえられ、今は地下牢の中だからな」

「えぇぇぇっ! なにゆえぇぇっ!?」


 ――勇者が捕まって地下牢に入れられてるだって!?


 マーニは思いもよらない門番の返答に、絶叫した口が開きっぱなしだ。

 その言葉を信じられなかったマーニは、矢継ぎ早に門番に質問を投げかける。


「勇者は一体何をやらかしたんですか? これからどうなるんですか? どうしても会わなきゃならないんです、なんとかなりませんか?」

「そんなことを俺たちに言われても、なにもできるわけがないだろ。それよりも、教えてやったんだから早くこっちに来いよ」

「そうだ、そうだ。勇者様の行方を教えたら、俺たちを楽しませてくれる約束だっただろ? ほら、早くその麻袋の中身を……あっ、待て、コラ」


 これ以上の長居は貞操の危機。取り返しのつかないことになれば元の持ち主のソフィに申し訳が立たないと、マーニは回れ右して一目散で走り去る。

 持ち場を離れるわけにいかない門番たちは、舌打ちをしながらもマーニを追いかけてはこなかった……。

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