第7話 勇者、覚悟を決める。

「――今日という今日は……もう、許さねえから覚悟しろよ!」


 さすがにこれだけのことをしたら、ただで済むはずがない。

 奴隷商人は右の握り拳を左手で包みながらポキポキ、そして手を変えてさらにポキポキと指を鳴らす。

 奴隷商人は怒りで顔が真っ赤。

 これは顔の形が変わるぐらい殴られるか、血尿が出るほどに蹴られるか……。

 恐怖心のあまりにマーニが奴隷商人から目を背けると、今度は女奴隷たちの冷え切った視線が目に入る。


(うわー、怒ってるよねー。当然だよねー。昨夜は非常食をもらった上に、膝枕にマッサージまでさせちゃったもんねー……)


 部屋が静まり返っているせいで、ヒソヒソ話もハッキリとマーニの耳に届く。


「……魔法が使えるなんて、やっぱり嘘だったんじゃないの……」

「……ひどいよね……。あたしたちを騙したんだね……」


 その声は奴隷商人の耳にも届いたらしく、すかさず威嚇してみせた。


「この女の折檻が済んだら、次はお前たちだからな。覚悟しとけよ」

「ひぃっ!」

「そんな……」


 奴隷商人の恫喝に、女奴隷たちが悲鳴と共にすくみ上る。

 そんな彼女たちに向けて、マーニは軽い口調で謝罪の言葉を掛けた。


「ごめんねー、騙しちゃって。どうしてもお腹が空いてたから、魔法が使えるなんて嘘ついちゃった。そんなわけで、あの子らは被害者だから大目に見てあげてよ」


 マーニは奴隷商人に振り返って、作り笑いをしてみせる。

 すると奴隷商人は首を振りながら鼻を鳴らし、苦笑いを浮かべた。


「はんっ。まったく、揃いも揃ってお人好しどもだな。こいつのそんな言葉を真に受けたのかよ。呆れ果てて同情心すら沸いてくるぜ。おめぇのお望み通り、あいつらは勘弁してやる。でもな、おめぇだけは絶対許さねえ。覚悟しやがれ!」


 奴隷商人はマーニの胸倉を掴みながら、右の拳を大きく振り上げる。

 どうすることもできないマーニは穏やかに微笑むと、覚悟を決めて目を閉じ、きつく歯を食いしばった。

 その直後だった。部屋中に響き渡る大声に、マーニまでもが身をすくませた。


「その子に手を上げたら、あたしが承知しないよ!」


 大声の主は、奴隷商人のすぐ横にいたカティアだった。

 さらにカティアは勢いをつけて、奴隷商人に体当たりを仕掛ける。

 腕っぷしの強そうな奴隷商人も、カティアの不意打ちに面食らったらしい。振り上げていた拳は、マーニを殴りつけることなくそのまま下ろされた。

 だけどそのせいで、奴隷商人のターゲットは今度はカティアに。奴隷商人の左手は、マーニの胸倉からカティアの胸倉へと掴む相手を変える。

 それでもカティアは臆することなく、マーニに母性溢れる言葉を掛けた。


「あんたは嘘をつくような子じゃない。きっと魔力って奴が足りなかっただけなんだろ? だから今は、あんただけでもお逃げ。そして魔法が使えるようになったときには、戻って来てあたしたちを助けておくれ」


 今はソフィの身体だけど、マーニだって勇者のはしくれ。一人だけ逃げ出すなんてできるはずがない。だけどカティアの言うことにも一理ある。

 考えている時間なんてない。マーニは自分の直感に従って、今なら鍵が開いている玄関のドアに向かって駆け出した。


「くっ……ごめん! すぐに戻ってくるから!」

「あっ、待ちやがれ、この野郎!」


 奴隷商人にとって今のマーニは大事な商品。逃げられるわけにはいかないと、すぐに手を伸ばす。

 けれどもそれを、カティアが必死にしがみついて阻止した。


「早くお行き!」

「くそっ、このアマ」


 奴隷商人はすがるカティアを床に叩きつけるほど乱暴に振り払うと、すぐにマーニを追いかける。

 こうなれば早い者勝ち。外に転がり出さえすれば助けを求められると、マーニは死に物狂いで枷がはまったままの手をドアへと伸ばす。

 そしてそれはマーニが一歩早かった。カティアが身を挺して時間を稼いでくれたおかげだ。

 マーニは必死に掴んだドアノブを、急いで一気に……回せなかった。


「残念だったな。夕べからおめえらの様子がおかしかったから、今日はまだ玄関の鍵は開けておかなかったんだよ」

「悪党のくせに、きちんと戸締りしやがって……」

「わかってねぇな、悪党だからこそ用心深くなるんだよ」


 逃げ場を失くしたマーニは、玄関のドアを背にしてへたり込む。

 元の身体なら、体当たりで玄関をぶち破れたかもしれないし、武術でこの奴隷商人ともやり合えたはず。でもこの餓死寸前の弱々しいソフィの身体じゃ、奴隷商人に太刀打ちなんてできやしない。

 それに、頼みの綱だった魔法も発動しなかった。

 万事休す。マーニはガックリと肩を落とす。

 奴隷商人は、うなだれるマーニのあごを掴んで強引に上を向かせると、顔を寄せてニヤリと下品な笑顔を見せた。


「俺はよ、てめえのことがちょっと気になってたんだよ。売り物の価値が下がるから我慢してたが、もう構いやしねぇ。とっちめた後でたっぷり可愛がってやんよ。でもまずは、その可愛い顔を歪ませてやるとするか……」


 奴隷商人は冷酷な炎を目に灯すと、硬く握りしめた右の拳を振り上げた。

 そしてマーニの顔面目掛けて、一直線にその拳を振り下ろす。

 あごを掴まれているので、マーニは顔を背けることもできない。目前にゴツゴツとした大きな拳が迫る。


「――スチール・ボディ!」


 マーニはやけくそで叫んだ。全然発動しなかった魔法だけれど、この期に及んで出来ることなんて他にないから……。

 同時にマーニの顔面へと、勢いを増した奴隷商人の拳がめり込む。


 ――ゴキリッ!


 痛々しく鈍い音が室内に鳴り響いた。

 と同時に、みんなの鼓膜を破くほどの叫び声が、部屋の窓をビリビリ震わせた。


「ぐあぁ、痛てぇ! 痛てぇ、痛てぇよぉ」


 大きな大きなダミ声。声の主は奴隷商人だった。

 奴隷商人はマーニの目の前で、右拳を左手で押さえながらのたうち回る。

 咄嗟に唱えた硬化魔法が発動したことを確信したマーニは、その効力を失う前に奴隷商人の頭めがけて鋼鉄と化した両腕を手枷ごと振り下ろした。

 どうやら奴隷商人は気を失ったらしく、おとなしくなった……。




「これで家に帰れるわ。ありがとうね」

「ありがとう、ソフィ」

「あなたは命の恩人よ。本当に助かったわ」

「いやいや、そんな。こっちだって食料を分けてもらったりしたし……」


 抱きしめられ、頬ずりされ、頭を撫でられ、胸を押し付けられ……。

 奴隷商人の小屋から脱出するなり、マーニは夢のような手厚い歓待を受ける。顔がだらしなく緩んでいるのは、もちろん言うまでもない。

 もうすぐ奴隷商人が目を覚ますかもしれない。

 けれどその両手両足には、奪った鍵を使って全員分の枷が嵌められている。今頃はきっと身動き一つ取れないだろう。

 女奴隷たちのお礼の言葉が一通り落ち着くと、今度は一斉に謝罪が始まった。


「ソフィすごい。本当に魔法が使えたのね! ごめんね。信じてあげられなくて」

「ごめんなさい。私も途中であなたのことを疑っちゃった」

「あたしもよ。噓つき呼ばわりしてごめんね」

「でも攻撃魔法が発動しなかったのは事実だし……」


 一人一人が礼を言いながら、マーニをきつく抱きしめる。その都度みんなの胸の感触を、息を詰まらせながらマーニはその顔面で味わった。

 でもそれはハーレム終了の合図。最後の抱擁を終えた女奴隷から順に、大きく手を振りながらそれぞれの家へと帰っていく。

 そして最後にカティアがマーニのことを、自由を取り戻した両手できつくきつく抱きしめた。


「ありがとう。本当にありがとうね、ソフィ」

「いや……あの……。なんとか、上手くいって良かった……むぐっ」

「母ちゃんのところには、もう一生帰れないと思ってたから本当に嬉しいよ。ソフィも達者で暮らすんだよ? あたしはあんたのこと、死ぬまで忘れないよ」

「魔法が発動しなかったときも信じてくれてありがとう。ぼ……わたしの方こそ、お世話になったカティアのこと、ずっと忘れない、わ」


 長い長い抱擁もやがて終わりを迎える。そろそろお互いに旅立ちの時間だ。

 明確な目的地のあるカティアは意気揚々と歩き出す。

 一方のマーニは胸の内に不安を抱えたまま、大きく手を振ってカティアを見送ることしかできなかった。


「ソフィ! あたしの田舎は、西の方にあるロウエンっていう村だ。もしも近くにくることがあったら、きっと遊びに来ておくれー!」

「わかったー! 元気でねー、カティア!」


 次第次第にカティアの後姿が小さくなっていく。

 それと反比例するようにマーニの不安は大きく、そして明確になっていく。


(お腹空いた……。このままじゃ死んじゃうかも……)

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