第6話 勇者、地獄に落ちる。

「――この野郎、いつまで寝てやがんだ!」


 昨夜の膝枕が天国だとするなら、今朝のマーニの目覚めは地獄だろう。

 怒鳴り声と共に蹴り起こされたマーニが見上げると、そこには食器を手に持った奴隷商人の姿があった。


「痛ったぁ……。何すんだよ、この野郎!」


 反射的に食ってかかったマーニは、手枷と足枷がはめられていることをすっかり忘れていた。

 身体を起こした拍子にバランスを崩したマーニは、もろに顔から着地する。


「大した威勢だな。昨日からどうしたんだ? 変なもんでも食ったか?」

「ふざけんな、食わせてもらってないから、こんなに腹が……ハラ……お腹が空いてるんじゃないか! ……のよ」

「こいつ、言葉遣いまでおかしくなりやがって……」


 言葉遣いを慌てて女言葉に直したものの、かえって不自然になるマーニ。奴隷商人にまで同情される。

 だけどひと騒ぎしたせいで、マーニの目はすっかり覚めた。そして昨夜の出来事を思い出す。


(そうだ、魔力! うーん、やっぱりあれっぽっちのご飯じゃ、ほとんど回復してないか。せいぜい、しょぼい魔法を一発ってところだな……。でも、これ以上お腹を空かせてたら死んじゃうぞ)


 空腹に耐えきれないマーニは、今日中に脱走しようと心に決めた。

 元々乏しい魔力がさらに枯渇寸前。それでも逃げ出す方法を模索するマーニ。けれど奴隷商人が牢から出ていくのを見たマーニは、慌ててそれを呼び止める。


「ちょっと、ちょっと。わ、わたし、まだ朝メシ……じゃなかった、お朝食をいただいておりません、ことよ?」

「おめぇ、何者だ? 寝坊した奴に食わせる朝食なんてねーから。もうすぐ今日の商売に出るから、その目とっとと覚ましとけ!」

「えーっ、そんなぁ。死んじゃうって、今日こそ餓死しちゃうってぇ」


 マーニの懇願も空しく、奴隷商人はさっさと牢から出る。そして厳重に鍵をかけると、そのまま奥へ消えて行った。

 だけど、捨てる神あれば拾う神あり。ガックリと肩を落とすマーニに、カティアから声が掛かる。


「ほら、これ食べな。あたしは一食ぐらい我慢できるから」


 カティアが差し出したのは、親指ぐらいのソーセージが一本。どうやらこれが、今日の朝食の全てらしい。

 それを一瞬で腹に流し込んだマーニに、カティアが小声で尋ねる。


「それで、どうだい? 魔力とやらは回復できたのかい?」

「ま、任せて。絶対にあの奴隷商人をやっつけてあげるから。でも打てるのはせいぜい一発だけ、チャンスは一回しかないかも」


 多少の強がりが入っているものの、奴隷商人を倒すのは不可能じゃない。

 カティアにもらったソーセージで、さらにちょっとだけ体力が回復したのも後押しとなって、マーニはそう判断した。


「そうかい。なら、もうすぐあいつは玄関の鍵を開けた後、あたしたちを荷馬車に乗せるためにみんなの足枷を外す。そこが一番のチャンスかもしれないね。街中に出てから騒動を起こしたんじゃ、あんたの方が捕まっちまうだろ?」

「わかった、わ。じゃぁ、みんなはあいつの注意を引くように、わざともたついてくれるかな? その隙に僕……わたしが、あいつに近づいて魔法をぶっ放すから」


 魔法の威力は対象との距離に比例する。

 要するに、至近距離でマーニが得意な攻撃魔法をぶっ放せば、現状のわずかな魔力でも大きな威力を出すことができる。

 それがマーニの考えた奴隷商人の倒し方だ。


「みんな、今の話は聞いたね? その段取りで行くよ?」

「うん、わかったわ」

「任せて、お腹痛いとか言って気を引けばいいのね」

「ソフィもしっかりお願いよ」

「ふふん、任せておいて!」


 女奴隷たちの期待を一身に背負ったマーニは、頼られる嬉しさに笑みが溢れる。返す言葉も力強い。

 そして今度はカティアが、みんなの士気を高めるように号令をかける。


「さぁ、奴隷暮らしも今日でお終いだよ。みんな、しっかりやるんだよ!」

「おー!」


 結束した女奴隷たちもカティアとマーニを取り囲みながら、もうすぐ手に入るかもしれない自由を夢見て勝どきを上げた。

 奥の部屋のランプの明かりも、一緒に勝どきを上げるように揺らめいた……。




 やがて奴隷商人が現れると、牢の鍵を開けて中に入ってきた。

 そして外の荷馬車に乗り込ませるために、奴隷商人は女奴隷の足枷を一人ずつ外していく。カティアの言った通りだ。

 すべての女奴隷の足枷を外し終えた奴隷商人は、今度は七人の女奴隷が連なるように、腰縄を結わえ始めた。カティアを筆頭に次々と腰縄でつないでいって、最後尾はマーニ。ここでの暮らしが長い順らしい。

 全員結び終えた奴隷商人は、腰縄の先頭を掴んで女奴隷たちを牢から連れ出す。

 腕一本分ほどの間隔の一列縦隊。女奴隷たちをまとめて移動させるには、これが効率のいい方法なのだろう。


「いたたた、お腹が痛い。ちょっと休ませて」

「何言ってやがんだ、キリキリ歩きやがれ」

「あ、あたし、おトイレに行きたくなっちゃったわ」

「朝飯食ったら商売に出るのはわかってただろ。なんで済ませておかねえんだよ」


 事前の打ち合わせ通り、女奴隷たちの芝居が始まった。

 イライラしながら女奴隷たちに気を取られる奴隷商人に、マーニはそっと背後から忍び寄る。


 ――さぁ、脱獄作戦決行だ!


 力が足りなければ作戦で補えばいい。

 狙うは奴隷商人のみぞおち。人の急所であるそこに、マーニは一番得意な光属性の攻撃魔法を撃ち込むことに決めた。

 一般人の奴隷商人が相手なら、今の魔力でも間違いなくそれで気絶させられる。

 ただしチャンスは一度だけ。

 一発撃てばきっとその時点で魔力は枯渇。

 二発目を放つ余力はない。

 試し打ちさえもできない一発勝負だ。


「オラ、キリキリ歩かねえか! いつまでもチンタラしてんじゃねぇぞ!」


 ちっとも動こうとしない女奴隷たちに、奴隷商人の怒りも限界がきたらしい。奴隷商人は女奴隷に向けて、拳を握り締めた右手を振り上げる。

 その瞬間、マーニはここぞとばかりに奴隷商人の左肩を叩きながら呼びかけた。


「おい、こっちだ」

「あん?」


 拳を振り上げた体勢のまま、首だけで左向きに振り返る奴隷商人。

 逃さずマーニは奴隷商人の右脇をすり抜けて、その正面に回り込む。

 虚を突かれた奴隷商人は、顔をマーニに向けるのがやっと。

 マーニはまんまと奴隷商人を出し抜いて、そのみぞおちへと手枷がかかったままの両手をあてがうことに成功した。

 狙い通り! マーニは念願の仕返しができる喜びに、ニヤリと顔を緩める。

 そしてそのまま魔法の名を叫び、お得意の攻撃魔法を奴隷商人のみぞおちめがけて撃ち込んだ。


「フォトンンン……バレットォ!」


 マーニの絶叫が余韻として聞こえるほどに、シーンと静まり返る室内。

 成り行きを見守る女奴隷たちの、ゴクリという固唾を呑む音も聞こえてくる。

 マーニの標的となった奴隷商人は、その身を一瞬硬直させた。

 そして次の瞬間――。


「てめえ、なんの真似だ! それは魔法のつもりか? お前に魔法が撃てるなら、こんなところに売られるわけがねえだろ。とうとうイカレちまったか?」


 まさかの不発。奴隷商人はピンピンしている。

 基本中の基本の単純な攻撃魔法を撃ち損なうなんていう初歩的なミスに、マーニ自身も信じられずに呆然とする。


「…………なにゆえ?」


 我に返ったマーニは、慌てて奴隷商人のみぞおちに再び両手をあてがうと、叫びながら何度も魔法を撃ちこんでみる。


「フォトンバレット!」

「フォトンバレット!」

「ウォーターバレット!」

「アイスジャベリン!」


 マーニは繰り返し魔法を唱えてみたけれど、ちっとも効果を現さない。

 様々な魔法を試してみても、どれ一つとして発動しない。


「気は済んだか?」

「……………………はい」


 奴隷商人の声は妙に優しい。

 これは俗にいう『嵐の前の静けさ』というやつだろう。

 はにかみながらマーニが上目遣いで恐る恐る見上げると、そこには冷ややかに見下ろす奴隷商人の視線があった。


「この野郎! 昨日からおかしな真似ばっかりしやがって。ったく、いつの間に腰縄から抜け出しやがったんだよ。どうやった!?」

「そこは魔法でちょちょっと」

「嘘つきやがれ。だったら撃ってみろよ、魔法とやらを。何度も試して失敗したばっかりじゃねぇか」

「…………はい。嘘です……」


 マーニが縄を抜けたのは、腰縄を結わかれるときに奴隷商人に気付かれないように腕を挟んでおいて、後で抜いて緩めただけ。魔法でもなんでもない。


「今日という今日は……もう、許さねえから覚悟しろよ!」


 ギロリとマーニを睨みつける奴隷商人。

 絶体絶命の危機に、マーニは奴隷商人の言葉通りに覚悟を決めた……。

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