第5話 勇者、天国へ行く。
――ぐぅ~。
マーニの腹がなんとも情けない音を牢屋中に響かせて、紛れていた空腹感を一瞬にして呼び戻す。マーニは置かれている状況を再認識した。
女性に囲まれながら、楽しく会話をしていても空腹は満たせない。
そして、こんなプライバシーとは無縁の環境じゃ、せっかくのこの身体を堪能することだってできやしない。
考えるまでもなく結論はただ一つ。これからどうするかはわかり切っていた。
(やっぱり、ここから逃げ出さないことには始まらないな。だけど、どうやってここから出よう……)
こんな粗末な牢屋なんて、魔法を使ってとっととぶっ壊してしまえばいい。と言いたいところだけど、今のマーニにはそれができない。
「くそー、魔法を使えばこんな貧弱な牢屋なんて、簡単に壊せるのに……。お腹が空きすぎて、魔力が枯渇してるや」
マーニは、穴が開いているような錯覚を起こし始めた空腹のお腹を抱えながら、ため息交じりに小声でボソボソとつぶやく。
そんな小さなつぶやきにもかかわらず、カティアはそれを聞き逃さなかった。
「ちょっと、ソフィ。あんた魔法が使えるのかい!? 今までそんなこと、一言も言ってなかったじゃないのさ!」
カティアは突然、物凄い剣幕でマーニに詰め寄る。
心の準備ができていなかったマーニは、下手な言い訳を探すのがやっとだ。
「あー、それねー。えーっと、それは……その、あー、うん、あの男に叩かれた拍子に、魔法が使えることを思い出したみたいで……えへへ」
「本当かい? あんた、本当に魔法が使えるのかい?」
「え? あ、うん。だって、わたし勇者……じゃない、その程度は使える……わ」
「だったらお願いだよ、あたしらをここから出しとくれよ!」
手枷のはまった両手で、カティアはマーニの肩を掴んで激しく揺さぶった。
今までの冷静さはすっかり消え失せて、カティアの目の奥には希望という輝きが灯ったように見える。
そんな必死に懇願するカティアとは対照的に、他の五人は真逆の反応を示した。
「ちょっとカティア、この子が魔法なんて使えるわけないでしょ」
「魔法が使える人は、神様から選ばれた人なんだよ? そんな人が、人さらいなんかに捕まるわけないじゃないの」
「ソフィもソフィよ、冗談にしてもちょっとやりすぎだわ。勇者様程度に魔法が使えるですって? それなら奴隷商人どころか、魔王だって倒せちゃうじゃないの」
(勇者の魔法なんて、装備品から力をもらわなきゃ大したことないんだよ……って言っても信じてくれないよね)
この世界で魔法が使えるのは千人に一人ぐらい。そして魔法が使えると言うだけでエリート、奴隷を使う側の人間になれるほどだ。
だから彼女らの反応の方が自然で、カティアの執拗な態度の方が異常に思える。
だけどそれには理由があるらしい。否定的な言葉を重ねる女奴隷達に反発するように、カティアは怒りにも似た声を上げた。
「あんたらはソフィの言葉が信じられないのかい!? あたしは信じるよ。いや、信じてすがるしかないんだよ……」
始めは強い口調だったものの、カティアの言葉はすぐに力を無くす。そしてそのままうつむいて、小刻みに肩を震わせ始めた。
さっきまでの頼り甲斐をすっかり失ったカティアの肩に手を乗せて、マーニはそっとつぶやくように声を掛けた。
「なんだか、深い事情があるみたいだ……わね」
「記憶を失くす前のあんたにしか話してなかったけどさ、あたしには田舎に病気の母ちゃんがいるんだよ。ずっと表には出さないようにしてたけど、無事に暮らせてるのか心配で仕方がないんだ」
「それで田舎に帰って、お母さんの安否を確認したい、と?」
「あたしは、三か月前のあの日も仕立てた服を売りに街に出て、薬を買って帰るはずだったんだ。でも、そこを人さらいにさらわれちまった。だから突然あたしがいなくなって、母ちゃんがどうしてるのか気が気じゃないんだよ」
心に訴えかけてくるようなカティアの身の上話に、牢屋中が静まり返る。
そしてそれに感化されたのか、『魔法を使える』っていうマーニの言葉を信じていなかった他の女奴隷たちも、少しずつ雰囲気が変わり始めた。
「私だってここを出て家に帰りたいよ。弟が生まれたばっかりだったんだもの」
「あたしもすぐに逃げ出したい。ソフィ、信じていいの? 魔法が使えるっていうのは本当なの?」
「ここから出してくれるなら、なんだってしてあげる。だから、私にできることなら何でも言って?」
(『なんだってしてあげる』だって!? なんていう素晴らしい響き……。あぁ、何をしてもらおうかな……)
――ぐぅ~。
マーニがいやらしい妄想を浮かべる猶予も与えず、腹の虫が現実を突きつける。今のマーニが女奴隷たちにしてもらうべきことなんて、考えるまでもなかった。
「わたしが魔法を使えるのは嘘じゃない。だけど、今はお腹が空きすぎて魔力が空っぽなんだ……わよ。だから食べ物を分けてもらえると、助かるっていうか――」
「わかった、食べ物だね。みんな、隠し持ってる食料全部出しな!」
マーニが言い切る前に、カティアが女奴隷たちに号令を出す。
女奴隷たちは一斉に散って各自の居所へと戻ると、またすぐにマーニのもとへと集結した。それぞれに食べ物を手にして。
どれも片手のひらにも満たない、ほんのわずかな食料たち。だけど彼女らにとっては、きっと命の次に大切なものに違いない。
彼女らは希望に目を輝かせながら、満面の笑みで惜しげもなくそれを差し出す。
「あたしはこれしかないけど、これで魔法が使えるようになる?」
「私はこれよ。その代わり、魔法が使えるようになったら私もここから出してね。お願いよ、ソフィ」
「魔法であの男をコテンパンにやっつけちゃってね」
ようやく食料にありつける。そう思って顔をほころばせたマーニだったけれど、その表情は一瞬にして凍り付いた。
目の前にあるのは黒ずんだパンらしき物体や、元はなんだかわからない干物、それにホコリが浮いた水みたいに薄いスープなどなど……。
だって、ここは牢屋の中。まともな食事が与えられているはずもない。さらにそれを蓄えておいたんだから、こうなるのも必然だった。
(本当に食べても平気か? せっかくの好意だけど、病気になりそうだぞ……?)
「どうしたの? 食べないの?」
「い、いやぁ……。み、みんなの大事な食糧だと思うと……。やっぱり、その、申し訳なくて……」
「遠慮しないで食べて」
「そうそう。それでここから出られるかもしれないなら、お安い物よ」
女奴隷たちの希望に満ち満ちた目と、空腹を満たしてあげたいという母性溢れる天使のような微笑み。その尊さがマーニの心を追い詰めていく。
(これは断れない。そんな目で見られちゃ、覚悟決めるしかないじゃないか……)
乾燥してカリカリになった、黒ずんだパンらしき物体。マーニは目を瞑って、それを一気に口に放り込んだ。噛むたびに滲み出る塩味、怪しさ満点だ。
今度は干物。薬のように苦い。慌てて水のようなスープで胃に流し込む。
干からびた豆は無味無臭、いやちょっと酸っぱい? ほんとに大丈夫?
さらに得体の知れない虫。さすがにこればかりは無理と、マーニは口に入れるふりをしてコッソリと背後に隠した。
味なんてもうわからない。というより、マーニは感じ取らないようにしていた。そうでもしないと、とてもじゃないけど食べられやしないから……。
そうやって何とか一通り平らげたマーニに、今度は女奴隷たちから期待に膨らむ視線が向けられる。
「どう? 魔力っていうのは回復した?」
正直言うとマーニは自信がない。女奴隷たちにとっては貴重な食料でも、たったあれっぽっちじゃどれだけ回復できることやら……。
それでも、彼女らの希望の光を吹き消すのは忍びない。それに全然回復しないはずもないだろうと、マーニは楽観的に返答した。
「あとは一晩休んで身体中に栄養を巡らせれば、きっと明日の朝には大丈夫」
「わかった、あとは休息ね。それならここへどうぞ」
女奴隷の一人が正座をして、手枷のはまった両手で太もものところをポンポンと叩いてみせる。
これは間違いなく膝枕の構え。差し出された母親以外の初めて膝に、マーニはウキウキ顔でゴロリと後頭部を着地させた。
「おぉ、膝枕だぁ……」
「ゆっくり休んで。こんなことしかしてあげられないけど、脱獄お願いね」
やせ細った脚だから、寝心地はあんまり良くない。でも、膝枕から見上げる彼女の微笑みや頭を撫でる優しい手に、マーニは彼女でも出来たかのような充足感を勝手に得る。
膝枕をしている女奴隷は、同性の友達としか思ってないだろうに……。
牢屋に放り込まれて孤立していたマーニが、今じゃ一躍希望の星。みんなの期待を一身に背負って、マーニの鼻息も荒くなる。
「ふふん、任せといて」
その頼もしい言葉を受けて、さらに他の女奴隷たちもマーニの周囲を取り巻く。
「じゃぁ、あたしはマッサージしてあげるね」
「私も、私も。私は左脚をやってあげる」
「じゃぁ、あたしはこっちね」
「おぉぉおおぉふ、ここは天国か……?」
行ったことはないけれど、マーニは天国のような心地良さに変な声が洩れる。
両腕、両脚にそれぞれ一人ずつが付いての全身マッサージ。そんな貴族にでもなったかのような待遇に、マーニはついつい調子に乗っていく。
「もうちょっと優しくお願いできるかな? あ、右脚はもうちょっと強めで」
「はい、はい。こんな感じ?」
「そう、そう。あぁ、マッサージ気持ちいいなぁ。あぁ、回復していく。魔力がジワジワと回復していくのが、ハッキリとわかるよぉ」
「ねぇ、ソフィ。明日にはここから出られる?」
「大丈夫! こんなひどいところとは、今日限りでおさらば、ね」
今日は色々なことが起こり過ぎた。
マーニは女奴隷に膝枕をしてもらい、さらにマッサージを受けながら、静かに目を閉じる。すると、あっという間に深い眠りに落ちていった。
「……そんな、お礼がしたいだなんて……。僕は勇者として当たり前のことをしただけさ……むにゃ……。え、どうしても? そこまで言うなら……ぐふふふ……」
マーニは良い夢を見てるみたいだ……。
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