第4話 勇者、投獄される。
(うーん……なんで僕がソフィって名前の女奴隷と身体が入れ替わったのかわかんないけど、元の身体に戻るまではこのまま生きていくしかないのは確かだな……)
帰るなり、食事も与えられずにマーニは牢屋に放り込まれてしまった。
牢屋といっても、石造りに鉄格子なんていう頑丈なものじゃない。
粗末で貧弱な木製の造りは、屈強な男なら体当たりで破壊できるかもしれないけれど、か弱い女奴隷たちを捕えておくには充分な代物だ。
魔王を討伐して颯爽と凱旋する予定だったのに、マーニはその第一歩も踏み出せないうちに投獄。勇者としての地位も、気が付けば奴隷へと転げ落ちていた。
天国から地獄に突き落とされて、マーニはさぞや落胆していることだろう……。
(うひょーっ! この、おっぱいってやつはすごいな。この柔らかさ、半端ねぇ。ぽよっぽよで不思議な感触、まるで天国にいるみたいだ……)
全然そんなことはなかった。マーニにとっては、むしろ今の方が天国らしい。
表情をニンマリと緩めながら、自分の胸元をずっと覗き込んでいるマーニ。
両手には枷が嵌まっているっていうのに、感触を確かめたい一心で知恵の輪を解くように器用に体をねじって、その手を届かせたりしている。
そんなマーニが頭に思い浮かべているのは、昼間に鏡で見たソフィの顔。
一目で惚れ込んだ美貌と、目の前の立派な胸を頭の中でつなぎ合わせて、マーニは妄想にふけっていた。今はどっちも自分自身の身体だっていうのに……。
「うほぉ……。バインバインだぁ……」
よだれをこぼしそうなほどに、だらしなく口元を緩めるマーニ。
だけど、それも束の間。自分に視線が集まっていることにマーニは気付く。
視線をたどると、そこには同房の六人の女奴隷たち。しかも全員が一様に、軽蔑するような眼差しでマーニを見つめていた。
「…………」
「…………」
(うわぁぁ、しまった。見られてたぁ! そりゃぁ、自分の胸を触りながらニヤニヤしてたら気持ち悪いよな……。どうしよう、さすがに気まずいぞ?)
そこへなんとも情けない、気の抜けた大きな音が鳴り響く。マーニの腹の虫だ。
マーニは夕食を抜かれたせいで、限界のさらに先をいく空腹状態。この状況を利用しない手はないと、マーニは目を虚ろにさせて小芝居を始めた。
「あぅ、お腹空いたなぁ。あぁ、これ美味しそうだなー、どんな味がするんだろ。モチモチのパン? それともフワフワのソフトクリーム?」
「…………」
「…………」
マーニは空腹のあまり、自分の胸に幻覚を見てる風を装ってみたけど自爆。
女奴隷たちの視線がさらに冷ややかになった上に、密談まで始まった。
(こんなことなら余計な演技するんじゃなかった……。無反応とか、気まずすぎて顔も上げられない……)
マーニは辛気臭い牢の中で孤立する。空気が重い。
そもそも、ここにいる女奴隷たちは奴隷商人に囚われていて、ここから出られるのだって奴隷として買われていくとき。牢の中は地獄、外も地獄。そんな環境なんだから、明るい空気が生まれるはずがなかった。
「はぁ…………。(昼間はもうちょっと好意的に見えたんだけどなぁ)」
ペコペコのお腹を抱えながら、マーニは深い深いため息をつく。
すると、女奴隷たちの中からボサボサ髪の最年長と思われる一人が、マーニのもとへとにじり寄ってきた。
最年長といっても老婆ってわけじゃない。三十歳ぐらいだろうか……。
「ソフィ、ほんとに今日はどうしちゃったんだい? 昨日までとは別人だよ?」
その言葉は正しい。だけどマーニが事情を説明したところで、この女奴隷に信じてもらえるわけがない。
マーニが目を泳がせながら返答に困っていると、遠巻きに様子を見ていた女奴隷たちからも心配そうな声が次々とかかる。
「昨日まではお嬢様って感じだったのにね。今日は言葉遣いもなんだか乱暴だし」
「そうそう、さっきだって『僕』なんて言ってたわよね」
「なんだか、男の人みたい……」
(ああ、そっか。自分の言動なんて意識してなかったけど、今は女だっけ……)
女奴隷たちから受ける不信感の原因は、マーニの言葉遣いにあるらしい。
ちょっと躊躇ったけれどマーニは覚悟を決めた、今は女になりきるしかないと。
「あ、ああ……ちょっと、お腹が空きすぎてイライラしてるのかもしれない、わ。今日のわ、わ、わたしって、そんなに変、かしら?」
上ずる声、不自然なイントネーション、怪しげな語尾。使い慣れない女言葉は、口に出してみるとやっぱり気色が悪くて、鳥肌がつま先からゾワゾワとマーニの全身を包んでいく。
それでも言葉遣いを変えたのは効果があったようで、少しずつだけど女奴隷たちの警戒心が緩み始めた。
「変に決まってるわよ。さっきだって、自分の名前を尋ねてきたじゃない」
「あー、それねー。えーっと、それは……その、うん、記憶がねー、失くなっちゃったみたいで……えへへ」
「えっ!? 記憶を失くしちゃったの? なんでそんな大事なこと、すぐに教えてくれなかったのよ」
「それは今思い付……ゲフン、ゲフン、みんなに心配かけちゃいけないと思って」
記憶喪失っていう嘘は、咄嗟の思い付きとしては上出来だったらしい。
その一言で、身体が入れ替わってからのマーニの奇行は全部帳消しになったみたいで、遠巻きだった女奴隷たちも集まってきて同情の大合唱が始まる。
「あいつ、力いっぱい叩いてたもんね。大丈夫? 痛くなかった? ソフィ」
「あんな奴、地獄に落ちちゃえばいいのよ」
「いつか絶対、復讐してやりましょうね!」
昼間叩かれた頬を撫でてもらったり、身体を優しく抱きしめてもらったりと、マーニは女奴隷たちから温かく迎え入れられ始めた。
中でも、マーニの傍に最初にやってきた人物は、さらに親身な気遣いをみせる。
「記憶を失くしちゃったんじゃ、あたしの名前も覚えてないよね。あたしはカティアだよ。早く記憶が戻るといいね」
「ありがとう。わ、わ、わたしはソフィ……よ」
「うん、知ってる。あたしが教えたんだし」
「そうでした……」
このカティアっていう女性は鋭い目つきのせいか、ちょっとばっかり近寄りがたいところがある。だけど話してみれば優しくて、ソフィとも仲が良かった感じだ。
カティアは、落ち着いた様子でと言えば聞こえがいいけれど、全てを諦めたような冷めた口調で語り掛けてきた。
今はその中身が、ソフィとは別人とも知らずに……。
「改めて説明しとくと、ここじゃあたしが最年長だから、いつの間にかリーダーみたいになっちまってる。まだ三十路前なんだけどね。だから、気になることがあったらなんでもお聞き。ってまぁ、三日前にあんたがここに連れて来られた時にもおんなじこと言ったんだけどね」
「三日前……」
「そうだよ。そん時にあんたが自分で『ソフィ』って名乗ったのさ。『名もない辺鄙な山奥から王都に憧れて出てきたけど、後ろからガツンって殴られて、いつの間にかこんなことになっちゃった』って言ってたっけね。舌を出しながら、皿でも割っちまった程度の失敗話みたいな感じでさ」
「……ソフィって、やっぱり実在するんだ……」
「ん? そいつは哲学的な何かかい?」
「あぁ、いえ、なんでもないです」
マーニは、カティアからソフィの思い出話を聞かされて、つくづく実感した。ここには確かに『ソフィ』っていう名前の女奴隷が存在して、彼女らと語り合ったりしてたんだと。
そしてソフィのことをもっと知ろうと、マーニはカティアに質問を始めた。
「ねぇ、カティアさん。一つ、大事なことを聞いてもいいか……しら?」
「『さん』付けとかやめとくれよ。で、大事なことってなんだい?」
「じゃぁ、カティア。わ、わたしの、スリーサイズって、いくつ?」
「上から……」
「うん、うん」
「って、あたしが知るわけないだろ。マイペースは相変わらずだねぇ」
『ソフィはマイペースな人物』、そんな些細な情報を手に入れただけでも、マーニはソフィへの情が深まる。そして興味がさらに膨らむ。
「歳は?」
「二十三って言ってたかねぇ?」
「それじゃ、好きな男のタイプとかは……?」
「あのねぇ、あたしたちゃ奴隷として売られていく身なんだよ? こんな状況で夢見てる場合じゃないだろ。まぁでも、さっきまでは別人にでもなっちまったかと思ったけど、その呑気さは記憶を失くしてもやっぱりソフィだね」
(『やっぱりソフィ』じゃなくて、『別人になっちまった』が正解なんだが……)
別人を疑われたままギスギスするよりはよっぽどマシだけど、マーニはソフィだと認められて複雑な心境に陥る。
だけどどうやら言葉遣いさえ気をつければ、このままソフィとしてやっていけそうだとマーニは安堵した……。
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