第3話 勇者、腹が減る。

「――なんで僕が……、女になってるんだー!」


 マーニが思わず叫び声をあげると、奴隷商人の眉がピクリと吊り上がる。

 そして再び荷馬車の荷台によじ登った奴隷商人は、間髪入れずにマーニの頭を力任せにひっぱたいた。

 続けて奴隷商人は、険しい形相でまたしてもマーニを怒鳴りつける。もう何回目だろう……。


「お前は俺に買われた時から女だったじゃねえか! まったく……さっきからてめえは、なにを訳のわかんねぇことばっかり言ってやがんだ!」


 奴隷商人から告げられたその言葉にマーニは愕然とする。男として十八年間生きてきたのに、その根本的な部分を否定されたら冷静でいられるわけがない。


「本当に? 僕は、本当に女だったか?」

「しっかり確認したから間違いねえ! って、なんでお前が聞いてくるんだよ」

「確認したって……。見たのか?」

「ま、まあな。寝てる間に、こう……チラッとな」

「この、スケベ親父が!」

「う、うるせえ。お前は俺に買われた身だ。文句を言われる筋合いはねえ」


 ――いったい何が起こった?

 ――いったい何が起こった?

 ――ねぇ、いったい何が起こった?


 動転するマーニが、必死に考えを巡らせてたどり着いた結論はただ一つ。それはマーニが、この女奴隷の身体と入れ替わってしまったということ。

 現実離れはしているけれど、マーニにはそれぐらいしかこの状況に説明のつけようがなかった。

 となるとマーニは、もはやマーニなのか女奴隷なのか……。

 マーニは考えれば考えるほど、頭の中が混乱していく。


「どうして……。どうして、こんなことになったんだー!」

「知らねぇよ。あらかた、ぼんやりしてたところを人さらいにでも遭ったんだろ?回りまわって俺に買われたから、今こうなってんだよ」

「そんなことを聞いてるんじゃない。……なんで僕が女に……」


 マーニが聞きたいのは、どうしてこの女が奴隷になったかじゃくて、どうして身体が入れ替わったのかだ。とは言っても、マーニが奴隷商人にそんなことを聞いたところで、頭がおかしくなったと思われるのがオチだろう。

 納得のいかないマーニが苛立ちを募らせていると、奴隷商人が御者台をゴソゴソと漁り始めた。


「これでもまだ、俺様の言うことが信じられねえか!」


 怒鳴り声をあげながら、奴隷商人が小さな手鏡をマーニに突き付ける。

 そこに映し出された顔を見たマーニは、反射的に驚きの言葉を漏らしながら目が釘付けになった。


「――これが、僕の顔……だと?」


 そのつぶやきを最後に、マーニは言葉を失くす。

 鏡の中の顔は、歳の頃は二十歳そこそこ。長い黒髪に大きな瞳、鼻は少し低めなものの、控えめな薄い唇。風呂に入れられてないせいか肌は煤けているけど、どことなく憧れの姉の雰囲気を漂わせる顔立ちは、まさにマーニの好みのタイプ。

 その顔は、マーニが首を左右に振れば同じ向きに、口を開けば同じように開く。初めて鏡を見た子供みたいに繰り返し確認しても、やっぱりこれが今の自分の顔に間違いなかった。


「これで納得したかよ。まったく、おかしな野郎だぜ。あっ、コラ、返しやがれ」


 マーニは奴隷商人から手鏡を奪い取ると、食い入るようにそこに映る美女を見つめる。その呆けた表情は、もはや一目惚れ。今は自分の顔だというのに……。

 そんなマーニの目の保養は、あっという間に終わりを告げた。


「いつまで見てやがんだよ、コラ! 自分大好き女かよ、てめえは」

「あっ……」


 手鏡は奴隷商人に奪い返され、マーニは一目惚れの彼女との別れを惜しむ。

 押し黙ったマーニの姿を見て奴隷商人は「ふん!」と大きく鼻を鳴らすと、また荷台を降りて中断していた商売に戻った。



 ここまで証拠を突きつけられたら、マーニだって受け入れるしかない。

 まずは今後の身の振り方について、マーニは冷静に考えてみることにした。


(ここから逃げ出さないことには、僕は魔王の討伐ができない。だけど今は慌てて脱走するより、この女の手掛かりを集める方が先か。なにしろ僕は、この女の名前すら知らないんだからな……)


 この姿の間はこの人物になり切るしかないと、マーニは覚悟を決めた。

 だけどマーニはまるで記憶を失くしたみたいに、この身体の人物のことを何も知らない。まずは情報を集めるために、マーニは他の女奴隷たちに声をかけてみることにした。


「あのさぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「な、なぁに?」


 女奴隷はマーニの他に六人。荷台の隅で肩を寄せ合いながら小さくなっている。彼女らもさっき奴隷商人が言ってたように、人さらいに遭ったんだろうか……。

 服は同じく麻袋。彼女らも風呂には入れてもらえてないみたいで、肌は黒く煤けている。だけどあの奴隷商人はセンスがいいのか、みんなそれなりに可愛かった。


(まぁ、僕ほどの美人はいないけどね)


 自分の身体でもないのに……いや、今は自分の身体なのか……得意げになっているマーニは、さっそく今一番知りたいことを単刀直入に尋ねた。


「僕の名前って、なんて言うの?」

「……は? 名前?」


 マーニを見る女奴隷たちの目が、一斉に不信感一色に染まる。

 それは当然。自分の名前を他人に尋ねるなんて、どう考えたっておかしな話だ。だけどマーニの愚問は無駄じゃなかったらしい。


「ソフィ、あんた一体どうしたんだい? さっきから変だよ?」

「ソフィ!? ソフィって言うんだね? 僕の名前は」

「何言ってんだい。ここに連れてこられた時に、自分で名乗ったじゃないさ」


(ソフィ、ソフィか……。美しい顔にぴったりな良い名前だな。よし、僕は今からソフィだ。この身体でいる間は、ソフィとして生きていくしかないもんな)


 やっと……っていうほど苦労はしてないけれど、マーニは手に入れた名前を繰り返し念じて記憶に染みこませる。

 そして感謝の気持ちを込めて、マーニは名前を教えてくれた女奴隷に駆け寄る。


「教えてくれてありが……ふがっ」


 でもその足は一歩も踏み出せずに、美しい顔を荷台にしこたま打ち付けた。

 そういえば枷は足にもはまってた。マーニは自分の置かれてる状況をまだよくわかっていない。


「ソフィ、あんた大丈夫かい? 鼻血出てるよ?」

「大丈夫、大丈夫。つい、興奮して……」


(よし、名前はわかったぞ。さて次は……)


 そう思った矢先、周囲に鳴り響いた音でマーニは今が緊急事態だと知る。


 ――ぐぅ……。


 音の出所は自分の腹。

 ここまで色々なことが起こりすぎて気にならなかったけど、とてつもなくお腹が空いていることにマーニは気が付いてしまった。

 気付いてしまったら、マーニはこの空腹感を我慢できない。

 もう、気付いてなかった頃には戻れない。

 情報収集なんてそっちのけで、商売中の奴隷商人にすがるように声を絞り出す。


「なあ。お腹が空いたんだけど、なにか食べ物ないかぁ?」

「はぁ? 奴隷の分際で何をほざいてやがる。家に帰るまで飯なんてねえよ」

「頼むよぉ、もう腹ペコで死にそうなんだってぇ。ちょっとでいいから――」

「コラ、放せ! 放しやがれ!」


 半べそをかきながら、マーニは枷のはまった手で必死に奴隷商人にしがみつく。

 何しろこの空腹感は半端ない。命の危険を感じるほどだからマーニも必死だ。

 すると、立派な鎧を身に着けた兵士がそこへ割って入る。城の警護をしている衛兵が、騒ぎを聞きつけてやって来たらしい。


「この騒ぎはなんだ! まさかお前……奴隷売買をしていたんじゃないだろうな?だとしたら、国王陛下のお膝元でいい度胸だな」

「滅相もありやせん、旦那。そんな大罪、犯すはずがないじゃないですか。ここは一つ、穏便にお願げえしやすぜ」


 何かを衛兵に手渡しながら、頭を下げる奴隷商人。きっと袖の下だろう。


「ああ、わかった、わかった。今回は見逃してやるから、とっとと去れ!」

「へえ、お騒がせしやした。すぐに帰りやす」


 慌てて御者台に乗り込むと、すぐさま馬車を走らせ始める奴隷商人。城から急いで遠ざかっていく。

 街並みは徐々に庶民的に、そしてさらに貧しいたたずまいへ……。

 馬車が止まった頃には、周囲はすっかり貧民街へと様変わりしていた。


(家に着いたみたいだし、これでようやく食事にありつけそうだな……)


 こんな状況ながら、マーニは笑みを浮かべてホッと胸を撫でおろす。

 一方の奴隷商人はマーニとは対照的に、荷馬車から奴隷たちを降ろしながら首を傾げてブツブツとつぶやいた。


「まったく、なんなんだよてめえは、突然豹変しやがって……。いいか、今日はてめえのせいで商売にならなかった上に、余計な金まで払わされたんだ。今夜のてめえの飯は抜きだからな!」

「ちょ、それ死んじゃうから。今でさえ、腹ペコで死にそうだっていうのに……」


 ――マーニの念願の食事は、奴隷商人の非情な言葉でおあずけとなった……。

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