第2話 勇者、生まれ変わる。

「お姉ちゃん、待ってよ。置いてかないでよー」

「まったく、マーニは心配性だなぁ。あたしはマーニを置いてなんていかないよ。ちょっと前を歩いてるだけだよ」


 マーニは三人きょうだいだ。

 二つ上には優秀な姉、そして二つ下には器量の良い妹。その二人に挟まれたマーニは、悪いところの寄せ集めなんて言われていた。


 姉のサファイアは勇者の直系であるエスタグレーン家の長女として生まれ、将来を嘱望されている。

 剣の腕は相当なもので、剣術大会に出ればいつも優勝。大会に参加を表明しただけで出場者が全員辞退、一戦も交えずに優勝したことだってある。

 武器はレイピアを得意にしていて、『月光のピアニスト(moon-ray pianist)』なんていう異名で呼ばれるほどだ。

 魔力だって相当なもの。六歳の時点で父の魔力量を上回り、魔法威力だって鍛錬を重ねるごとに増し続けた。

 当然ながら次期勇者候補の筆頭で、次回の魔王討伐では伝説の武具も不要では?と言われるほどの逸材だ。


 出来過ぎと思えるほどの親孝行で、マーニに対してもとても優しく、わがままにも嫌な顔一つせずに応えてくれる。けれども毎日の剣術と魔術の稽古では、容赦なくビシビシとしごく厳しい一面も持っていた。


「お姉ちゃん、魔王が復活したら勇者になるんでしょ?」

「どうだろうねー。魔王が復活するのは、まだもうちょっと先みたいだからねぇ」

「お姉ちゃんが勇者になったら、僕も一緒について行く!」

「魔王の討伐は、勇者一人で行かないといけないらしいよ?」

「それでもついて行く!」

「そっか、そっか、じゃぁ、お姉ちゃんが魔王に倒されちゃったら、マーニが代わりに魔王を倒してくれる?」

「お姉ちゃんが魔王なんかに倒されるはずないよ!」


 そんな魔王に倒されるはずのなかった姉は、三年前に病魔に倒されてしまった。

 悩む必要がなかった勇者候補は振り出しに戻され、実力面から判断してマーニの父が勇者候補に返り咲くことになった。

 けれど、姉の言葉が耳にこびりついて離れなかったマーニは、勇者候補の父に向かって宣言した。


「サファイア姉さんの代わりは僕がやる。僕が必ず魔王を倒して帰ってくる。だからお願いだ父さん、勇者候補を僕に譲ってください!」




 ――ドゥーン……。


 遠くで砲撃が着弾したような、腹を震わす低い音とともにマーニは目覚めた。と同時に、苛立ったような男のだみ声がマーニの耳に届く。


「気がついたかよ。あれっぽっちのことで伸びちまいやがって。てめえは今日も飯抜きだから覚悟しやがれ」


 マーニに蔑んだ目を向けるのは、筋骨隆々な四十歳ぐらいの貧しい身なりの男。その顔を見て、マーニは自分が左頬を張り倒されて気を失ったことを思い出した。

 『自分は、国王に勇者の兜を被せてもらおうと目を閉じていただけ』。そんな、ほんの束の間のことで居眠り扱いされるなんて納得がいかないと、マーニは声を荒げて男に抗議する。


「このマーニライト=シルヴェステル=エスタグレーン、お前なんかに頬を叩かれるようなことをした覚えはないぞ!」


 そして床に転がっている自分の身体を起こすために、マーニは手を突こうと……するけど、その手がなぜだか伸ばせない。


(ちょ、ちょっと。どうしたんだ? これ……)


 頭の中に疑問符を浮かべている間に、すぐさまマーニの体勢が崩れる。結局中途半端に上半身を浮かせただけで、マーニの身体は再び床へと転がった。

 そして見上げると、そこにあったのは晴れ渡る青空。

 玉座の前にいたはずなのに、一瞬にして屋外に放り出されたこの状況に、マーニは思わず困惑する。

 茫然と空を見上げるマーニの視界に、さっきの薄汚い男がヌッと顔を出す。

 見下ろす男はさらにあざ笑うように、マーニに侮蔑の言葉をかけてきた。


「なんだ? その呪文みてえな言葉は。ひっぱたかれて、おかしくなったのか?」


 憤慨して男を睨みつけながら、マーニは現状を再確認してみた。すると、さっき手を伸ばせなかった理由があっさりと判明する。

 マーニの目に映ったのは、手枷をはめられた自分の両手首。だから、手が自由にならなかったのは当たり前。だけど一体なんでこんなものが……。

 さらに服装に目を移すと勇者の鎧なんてどこにもなくて、身に着けているのはまるで麻袋。そこに開けられた三つの穴から首と両腕が出ているだけの、とても服とは呼べない代物。これじゃ、まるで囚人だ。


(これは一体、なにが起きたんだ……?)


 マーニは状況が飲み込めないままに、手の枷を外してみようと試みる。

 そんな落ち着きのないマーニの行動に腹を立てたのか、男はさっきよりも荒々しく怒鳴り散らした。


「てめえ、いい加減にしねえか! 商品なら商品らしく、じっとしてやがれ!」


 その激しい剣幕に、マーニは思わず身をすくめる。

 そんなおとなしくなったマーニを見て、男は満足したらしい。「フン!」と大きく鼻で笑うと、そのまま荷台から降りてマーニに背を向けた。

 続いて男は咳払いを一つすると、道行く人々に向けて商売文句をがなり始める。

 その口調は、さっきマーニに向けたものとはまったく違っていて、まるで媚びているかのようだった。


「活きの良いのが揃ってるよ、旦那! こき使ってよし、楽しむもよし、丈夫で長持ち。使い方はお客様のお好きなように!」


 気持ちを落ち着けて、マーニはゆっくりと辺りを見回す。

 どうやら、マーニが座っているのは荷馬車の荷台の上らしい。すぐ横には堀があって、さらに見上げれば立派な城壁も見える。さっきまでマーニはあの城の中で、伝説の武具たちを譲り受けていたっていうのに、今はなぜかその外だ。

 たぶんここは城のすぐ東側にある、富裕層が住まう地域の大通り。当然、道を行き交うのは裕福そうな人たちばかり。そしてマーニに向ける視線には、明らかに侮蔑をはらんだ嫌悪感が見て取れる。まるで汚物でも見るように……。

 そんな通行人へ向けて、男は商売文句を繰り返し叫び続けている。

 この状況を見れば考えるまでもなく、誰でもすぐに一つの結論へとたどり着く。


(これって……。どう見ても、僕が奴隷商人に売られてる図だよな……)


 だけど勇者に任命されて城に呼び出されたのに、奴隷として売り飛ばされるなんてマーニは承服できない。

 討伐をしくじったのならともかく、まだ旅立ってもいないのにだ。

 頭で考えてもわからないことは聞いてみるのが一番と、マーニは目の前で大声を張り上げ続ける奴隷商人に声をかけてみることにした。


「ちょっと話が……(えっ!? なんだ? この甲高い声)」

「なんだよ、しょんべんか?」

「いや、いや、なんでもない、なんでもない。勘違いだ……」


 自分から話しかけたくせに、マーニは慌てて発言を取り消す。

 頭の中で不安と焦燥が入り混じって混迷を極めるマーニに、追い打ちをかけるように男が再び言葉を荒げた。きっと商売を邪魔されたのが気に障ったのだろう。


「ちっ。ここ数日、ちっとも売れなくてイラついてんだ。妙なことばっかりしやがると、また張っ倒すぞ!」


 けれど、いっそ張り倒してもらった方が夢から覚めるんじゃと、マーニは本気でそんなことを考えてしまう。

 そして勘違いであることを願いつつ、マーニは自分の身体をもう一度確認した。


 ――どうして、こうなった?

 ――どうして、こうなった?

 ――ねぇ、どうしてこうなった?


 どうして自分が奴隷に? いや、今はそんなことはどうでもいい。

 下を向くと、膨らんだ胸。

 スッキリしてしまった、下腹部の感触。

 長く伸びたツヤツヤの黒髪。

 さらには甲高くなってしまった、この声の高さ。

 次々と観測される事象は、理解不能な現実へと集約されていく。


「――なんで僕が……、女になってるんだー!」

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