話せないと話さないは違うのだ包丁で君が刻むリズムよ
「私の恋心は泡と消えました」
あら、失声症が治ったの? 良かったわね……じゃなくて!
その両足の挙動は、スムーズを通り越して、ズカズカといったところだ。さすがは叡智の魔女たる私の施術ね……でもなくて。
気持ち良く送り出したはずの元人魚姫が、その日のうちに戻ってきた。
彼女は、なぜかたんまりと食材を抱えており、アトリエに踏み込むや、奥の台所へと直行した。
「料理人としてここに置いてください。毎日働くことで、施術の対価をお支払いします」
ちょっと、支払い方法を勝手に変更するんじゃありません!……と言いたかったけど、言えなかった。
元人魚姫が早速ふるいだした包丁が、いちいち死刑を執行するように物騒な音を立てたからである。
こりゃあ、人間の王子相手に失恋したってことが、相当ショックだったんだろう。
そうか。今さら親元へは帰りにくいだろうし、お妃になるという未来が潰えたから、「出世払い」という目論見も、水の泡というわけか。
でも、その体ごと消えてしまわなくて良かったわね。え? 私はただ、施術の成功例たるあなたを惜しんだだけよ。
それにしても、王子の本命が他にいると知っただけで身を引くなんて、あなたも大人になったわねえ……てのは、こっちの話だわよ。
「あなたに身を任せて生まれ変わった経験が、私に冷静さをくれました」
何、なんなのよ、その言い方ぁーっ!
私は、あっさりと胃袋を掴まれた。
人魚の姫君として育てられたお方が、ここまでの料理の腕をお持ちとは。末永くどうぞよろしく、料理人として雇わせてください。
「人間の船が、もうもうと煙を上げていました」
船火事?
「いえ、船の真ん中に煙突があって」
ある日、二人で食卓で向かい合った時、彼女は言った。
そうか、そうなんだ、人間はまたもや辿り着いちゃったんだ、産業革命に。蒸気船を建造できるレベルに。
我が料理人殿は、毎日食材の調達に出掛けるついでに、人間のお船ウォッチングを行っているらしい。彼女のことだ。新しい王子、新しい恋を見付けて、いつかこのアトリエを去るだろうと思っていたけど、気付けば、人間の文明がいくらか進歩するほどの年月、二人一緒の生活が続いていたというわけだ。
ああ、今夜もディナーが美味しい。
「デザートはいかがですか?」
あなたに訊かれると、なぜだかほんのちょっと緊張する……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます