隣隣国にて

 「サク、ではそろそろ行こうではないか」

 始め、御師様が何を仰っているのか分からなかった。それだけ、長くて退屈な年月をすごした。

 隣々国、中央都市から大分離れたこの町の一角で、わたくし御師様おしさまが小さく胡散臭い店を営んで大体十年目のことである。


 旅を始めた直後は決して退屈でもなく、むしろ毎日が刺激的でさえあった。

 私の故郷を発った後、私達は平地と山を幾つか越え、海へ出た。すると私の故郷へ行商をしていた僧にばったりと会った。

 僧は私の境遇を憐れんでくれて、他の地へ行く同教の僧を紹介してくれた。私と御師様はその僧の塩作りや薬草取り、行商を手伝い、旅費を作って僧と一緒に隣国へ渡る船旅に出た。


 安い船だったから、大きく古い船に他の人達も乗り込んでの船旅だった。仕事を探す若者や、小さな店の商人、まじない師もいた。

 いかんせん古い船だったのでよく揺れたし雨漏りもした。カビと磯臭い部屋も沢山あった。


 しかしあの船旅は楽しかった。

 僧は自分たちの信仰を説いてくれた。文字も教えてくれて、自分達の大事にしている経文さえ見せてくれた。

 船乗りは星や海の見方を教えてくれた。

 商人はどこで何が良く売れるのかや、今までした商売の成功談や失敗談を面白おかしく語ってくれた。

 若者とは兄弟のように一緒に船で小間使いをした。こういう時に積極的に働くと、周りに可愛がってもらえるぞ、というのが彼の言い分で全くその通りだった。

 まじない師は、何を考えているのかよく分からない人だった。いつも小声で俯いて喋っているので話が良く聞き取れなかったのだ。部屋に波の音が常に聞こえていたので尚の事だった。しかし彼は御師様と何かを良く語り合っていた。彼が語りかけ、御師様がそれに返事をして、彼が嬉しそうに何度も何度も頷く。そういった光景を何度も見ていた。


 船旅が終わると、次は更に隣の国へ向かうことになった。

 港に船が着くと、皆に別れの挨拶を軽くだけすませて御師様がふらりと歩いて行ったのでついて行った。御師様はいつも一人で歩くようにスタスタと行ってしまうので、気を付けなくてはいけない。

「次はどちらへ行かれるのですか?」

「この更に隣の国へ」

 御師様がこうお答えになるのは珍しい。大抵は「んー」「ううん、そうだねえ」と煙に巻くような答えにならない答えが返ってくる。


 歩きながら後ろを振り返り、皆に大声であいさつと感謝を述べた。皆、御師様の気質を知っていたので、手を振りながら応えてくれた。

 しかし、まじない師だけが私達と同行することになった。

 私が後ろを振りかえったままで手を振り歩き、彼らから遠ざかるにつれて、まじない師はオロオロしはじめ、遂に私達に向かって走ってきたのだ。

 彼の話は地上で聞いても聞き取りづらく、要領を得なかったが、御師様が望む場所を案内出来るから一緒に行こう、との事だった。

「いやあ、ありがたいね。サク、さあ、お言葉に甘えさせてもらおう」

 そんなわけで、今度は三人での旅になった。


 ひたすらに歩き、人が住むところに着いたら数日安宿にとどまって日雇いで路銀をかせぐ。そして必要な物資を買いそろえたらまた歩く。

 歩くばかりの旅。しかし、毎日はあわただしく過ぎていった。


 路銀をかせぐのは主に私の仕事だった。

 私はどちらかというと楽にその日その日の仕事が決まったからだ。

 船旅に同行した若者と船で色々な力仕事をしたし、僧に文字も教えてもらった。だから、小さな村でも仕事にありつけた。貧しい集落でお金がもらえなくても食事と寝床を出してもらえる程度には働けた。

 商人に商売の話を聞いたのも良かった。人の多い場所に行けば一日だけ雇ってくれそうな儲かっていて人手が足りなそうな店をすぐに見つけられた。


 御師様は働きたがらない。どうも御師様のお体は食事を必要としないらしく、飲まず食わずでも平気なようだ。眠る場所もどこでも構わないから、木の上に登って眠るので十分なお方なのだ。だからお金を必要としない。

 更に働いても何をなさったのか、雇い主から追い出される。

「君たちばかりに働かせるのも悪いからねえ。僕も働いてみようとしたら、お店の店長に昼前に追い出されたよ」

 まあ、船旅に出る前の僧の手伝いの時から私も何となくわかっていた。

 

 まじない師もなかなか路銀かせぎには苦戦していた。

 まじない師だから、と人里や町にとどまる時は道の端で占いなどをしていたようだったが、客が入らないらしかった。

 日雇いの仕事の最中、偶然に彼を見かけることがあったが、古い木の板に消えかけの字で「占い・まじない」とだけ書かれた看板を体の横に立てかけ、道の端に座りこんでいた。

 たまに客が来て路銀を手に入れることもあったが、ほとんどは私より朝早く出かけ、夜にしょぼくれて帰ってくる。そして、私に「ごめんねえ、ごめんねえ」と言いながら私が手に入れた賃金の一部を受け取り、私と食事に出かけるのだ。御師様が気が向いたら三人で。


 気にしなくて良いんですよ、と私は常にまじない師に言い続けていた。

 あなたがいなければ、寝食を必要としない御師様はどんどん先に行ってしまう。

 寝食を必要とするあなたがいて、御師様の行きたい場所に案内して下さるあなたがいて、それで私は御師様に一緒に行けるんです。

 そう言いながら、食事の時に遠慮して一番小さくて安いものを頼もうとするまじない師を止めて、まじない師の好きな麺料理を頼むのが常だった。

 

「あの、さ、サク君は、どうして、俺にきちんと接してくれるの?」

 町の中で、二人で食事をしているときに、おもむろにそう聞かれたことがある。

「なぜ、と言われましても。御師様の大事なご友人ですから。それに、あなたが本物のまじない師だということも知っています」

 町中でこそ、まじない師はこうだったが、町の外で野営をするときのまじない師はいきいきとしたものだった。まじない師が導く場所に行くと、山菜や木の実や魚がたくさん取れた。本当に食べ物が無いときに彼が選んだ、見たこともないキノコや草木や木の根を食べても食あたりを起こさずに済んだ。

 まじない師もその場所に来るのは初めてだし、そのキノコなどを食べるのも初めてだそうだ。どうやったのかたずねる度に、まじない師は照れながら決まって汚れた鉄板を見せた。デコボコしている鉄板には何も書かれておらず、「これをね、見るんだ、子供のころから」とまじない師も一度言ったきりだが、それでも彼はその板でまじないをしているらしかった。


「う、うん、うん、そっか。あのね、それでも俺の事、いやがっちゃう人、いるんだよ。そっか。サク君はえらい人だね。それに御師様の事、大事なんだねえ」

 私と目を合わせずまじない師は何度もうなずく。

「あ、あのね、一つしか持っていけないよ。一つ。でも、その一つが、一番の君の武器だ。忘れているけど、とてもとても大事なものだよ。それは未練じゃないからね。大丈夫だからね」

 怪訝に首をかしげる私を見て、まじない師は、彼なりに頑張ったのだろう、私を見てぎこちなく笑って、そしてすぐ目をそらした。

 その後はずっと無言で二人で麺をすすった。

 この言葉は、事あるごとに、今の今まで、なぜかはっきりと思い出されるのだ。


 ひたすら、ひたすら歩いた。

 小さな村でずっと暮らしていた私にとって、全ての道が初めて通る道だった。

 町に数日とどまれば、見たことない町並みがあって、やったことのない仕事が待ち受けていた。

 小さな人里だって、同じものはどれ一つなく、人のいるところは全て、違う暮らしが文化が信仰があった。

 草花の匂い、水の音、土の感触、どれもが私にとって新鮮だった。


 遂に隣国に着いても、私たちはしばらく同じように歩き続けた。

 大きな山道と、街道を越えて。中央都市と呼ばれる今まで見た中で一番大きな町で少しとどまって働き、また街を越えて。

 そしてしばらく歩いて、今住んでいる町に着いた時、御師様とまじない師がそろえて足を止めた。

「ここだね」

「あ、はい、はい、そうです。この町の南西の」

 まじない師はカバンから例の板を取り出して歩きだした。板を大事になでさすりながら。

 御師様と私もその後についていく。

 町の南西部に着いたら、こんどはあちらでもない、こちらでもないとまじない師と御師様は話しながら町中をうろうろする。小さな町なので、町民が私達を物珍しげに見てくる。

 同じところをぐるぐるすることもあったから尚のことだ。

 遂に日も暮れかけたころ。

「あ、ここ。ここですね」

「うん、ここなら良いだろうねえ」

 二人がそう言ったのは古い古い家の前だった。この町の家は比較的等間隔に並んで建てられているのに、この家の両隣だけ距離が離れて建てられていた。

 古い家の横を通って、家の後ろに回り込む。するとぼうぼうに生えた雑草の合間に小さな水路が流れていた。古い家の真後ろにだけ、水を少し多めに留めておくために水路の幅が掘られて広げられた跡があった。大分昔に広げられたものらしく、底にしきつめられた陶器の破片には土が積もり、土の合間から陶器がところどころあらわになって日の光を反射していた。

 この水路と広げられた箇所を見て、御師様とまじない師は満足そうにうなずいた。

「すみませーん」

 御師様がおもむろに私達を遠巻きに見ていた人に近寄り声をかける。

 まさか話しかけられるとは思わなかった人達は御師様が来るのを見てビクリと肩を震わせた。

「この家に住まわせてほしいのですが、家の持ち主はどこに?」


 その後、家の持ち主に二つ返事で家に住ませてもらい、それ以来ずっとその家に御師様と住んでいる。

 まじない師はその後、隣国へ戻っていった。私達と同行すると言ってくれたあの港まで戻るのだそうだ。なんと私達がここまで来る為だけに同行してくれたらしい。

 何度も何度も礼を言い、旅費の一部と食料を無理やり押し付けるようにして渡す。

 照れ笑いをしながら顔をうつむけるまじない師に、「一つだけなんですよね」とたずねると、パッと顔を上げてがくがくとうなずいた。

 まじない師が見えなくなるまで手を振って別れて、まじない師とはそれ以来会っていない。


 ボロ屋と言っても差し支えない家の中に入り、少ない荷物を降ろすと、御師様が言った。

「これからが本当の旅の始まりだよ。どこに行くでもない。ここに留まる。でもそれが旅の始まり。サク、いいね、やめたくなったらいつでもやめなさい。ここでも、今まで行った町でも、全く別の町で暮らしたって良いんだ」

 もっと何か言いたそうにしていたが、私が強く首を横に振ると、御師様は溜息をおつきになり、話を止めた。


 その後、御師様がこの家で店を開きたいと仰ったので、日雇いの仕事をもらいながら、家を直しながら、店を開いた。

 私が日雇いの仕事の為に朝家を出る時、御師様はまだ眠っておられる。

 そして私が夕方に帰ってくると、御師様の手には二つ、三つ程不思議な形をしたものが握られているのだ。

 木のようなもので出来たくにゃくにゃ曲がったものや、不思議な模様の貝殻。土を練って固めてそこに目と口のような穴をあけて白い染料で装飾したらしきものなど、とても日用品には使えないなにか。

「おかえり、サク。今日はこれを仕入れたよ」

 そう言いながら大事そうに両手で抱えておられる。それを家の店で売るのだ。


 御師様が売るのを急かす事もある。

 そういう時は日雇いの仕事を休み、家の前に看板を出す。そして簡素な木の箱をひっくり返したものにその不思議なものを並べ、日がな一日客が来るのを御師様と待つ。

 たいていの場合は客は来ない。たまに私をよく雇ってくれる店の一人娘が顔を出しに来るか、近所の人が遠巻きに見ているか。この辺では見かけない通りすがりがふらりと通ることもある。

 そして不思議なことに売れないわけではない。木の箱からあふれるほど商品を並べなくてはいけないこともしばしばだが、その商品を気に入って惚れ込んで買っていく人が一定数いるのだ。

 旅の行商人が商品を全てまとめ買いしたこともあった。「これを欲しがる人は多くないが世界中にいるだろうから」と言い残して。

 

 御師様が途中でふらりと店先から離れることもある。そういう時は大体裏庭の小川をきれいにしている。特に広げられて陶磁器の破片を埋めこまれた場所を。

 代わりに私がすると言ったこともあったが、すげなく断られた。いいから店番をしていなさい、と。

 

 小川をある程度いじると、また店先に御師様が戻られる。

 そして私の横でずっと座り、めったに来ない客を待つのだ。

 時に眩しく熱い日差しの下で。時に空が真っ赤な夕暮れ色から夜の色になるまで。時に曇り空の下びゅうびゅう吹き付ける風を浴びながら。

 御師様の隣で、ずっと。

 御師様を独り占めしながら、ずっと。


 こうして、十年が過ぎ去った。

 日雇いの仕事に行き、たまに店を出し、御師様と暮らしながら。

 退屈で、何も変わることがなくて、でもそれでも穏やかで、御師様と一緒の十年が。


 

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