第262話 真紅の断罪



  ***



「でも、数度の攻撃であなたの能力は割れているかな。光線状の砲撃……ありたいていに言えばビーム。だから――」

「待ってよ。皆まで言わないで」


 莉珠は相変わらずの薄い嘲笑を浮かべながら手をこちらへ差し出し、慌てて雪華の言葉を遮る。


「はぁ……?」

「私も、シロウト相手にイキりたいお年頃なの」

「……?」


 雪華はこの女性の発言に困惑を強いられた。発言そのものではなく発言のニュアンスに、だ。確かに雪華らは統也や翠蘭、茜なんかと比べれば異能士としては粗末な点も目立つ未熟者だろう。しかし有識者であると同時に、IWではかなりの実力を有する者達だ。雑魚や弱者という表現なら納得いくが、「素人」とは少し違うのではないかと雪華は思った。


「マギオンを基にしたエネルギー、魔力――じゃなくって、『マナ』だね? ふふふ、ごめんねぇ、あんた達には少し難しすぎたわ。私の異能術式はそのマギオンによって、どっちつかずを維持させる粒子機構を持つ」


 魔子、魔素(マギオン、英名:Magion)。情報次元に由来する非物質的な素粒子で、認識や思考の結果を記録可能な情報素子のこと。魔力という物理的なエネルギーに変換できる。

 そしてこれらの知識を、ここにいる三人は正しく知らない。厳密には知っていたのだが――という話になる。

 三人は理解不能なワードと耳新しい単語に戸惑いを隠せないし、セリフも咀嚼できない。


「はっ、自分から能力の詳細を明かすとか馬鹿かよ!」


 雪華、舞花の後方で控えているリカは、その短躯で息巻くが、


「ええ、ですが…………」


 一方で舞花は以前ネメとダークテリトリー調査時に対峙した記憶を蘇らせていた。

 あのとき、ネメは惜しむことなく自らの能力を開示した。異能『反転』について。


「なにさ?」

 

 とリカ。それに対し舞花が、


「先の天霧茜もそうだった。技の詳細を隠すようなことはあまりしない。知られて不利にならないのなら、むしろ積極的に自身の能力を開示していこうとする姿勢だったのですわ」


 自らの賢妹、舞も以前言っていた。「能力詳細を述べたり、技名をわざわざ大声で叫んだりするのって、本当に意味がないのかな~?」と。

 舞花はそれらの思考と経験則に基づき、あることの推理を得る。

 それは、自身の能力の暴露に何かしらの利点があるのでは、ということ。


「これだからシ・ロ・ウ・トは」


 滾るような、恍惚とした目で、囃す莉珠は何かを知っているような口振りで両手から輝く蛍光色光線を構築、射出する。その速度は実に『神紡』に並ぶ。


「なにっ!?」


 先刻より速い。両手の光線二本がそれぞれ一本ずつ左右に散り、直進。固まって分布していた雪華達のサイドへ広がった。しかしまるで狙いが自分達ではないように思えるその光線。照準をミスしたのか。

 答えは否だった。


「はっ、まずいですわ!」


 舞花は莉珠の意図に気付き、重力加重をその蛍光グリーンの先端部に付与するが、直進をやめることはなかった。


「くっ! どうして!」


 おそらく重力のような外部の力の影響を受けない、そのような現象を司っていると舞花は瞬時の思考の末、思い至る。


「これは……質量ゼロ! 間違いない! 光子ですわ!!」

「せいっかい!! 大当たりィィ!!」


 量子力学の基本的な概念の一つに「波動粒子の二重性」がある。 これは、光子などがある観測では粒子の性質を、別の観測では波動の性質を示すという、一見矛盾する特質を併せ持つ現象。


 名瀬家『檻』の防御・攻撃に転用される障壁「空間固定」は、その次元断裂理論を除く固定のみのメカニズムとして、空間に滞留する性質を持った異能体の展開だとされている。

 では、その「滞留する性質」とは何か。

 統也と茜の異能共役性など、名瀬一族と雷電一族の相性が抜群な機構を鑑みれば、自ずと答えは知れる。

 つまりは「電子」関連。

 答えは、量子論を無視した「波動粒子の二重性」の不確定状態での固定。波動でも粒子でもない、どっちつかずの光子ひかり電子でんき。それが物理学上で観測できる『檻』の壁としての性質。


 この世界においてn次元の物体を切断すると、断面はn-1次元になる。ケーキは立体、その断面は平面というように、三次元では二次元。二次元では一次元。

 では、空間を切断するとどうなるか。それは三次元――空間の断面を二次元に滞留させるということ。そのために必要なのが、この「どっちつかずの電子」の壁だと云われている。


 莉珠の能力の真髄は、その原理の模倣。そして、その壁そのものを対象にぶつける。


「異能『泡沫ウタカタ』、正式名称『亜境界粒泡ニュートラルバブル』。この能力は原子ごと対象を消滅させる、その一言に尽きるわぁ。あんたらマヌケがどうこうできるものじゃないのよぉー」


 数代前の三宮家当主が『檻』の空間固定の手法に憧れを抱き、その次元理論や固定理論を模倣した結果、生み出された三宮家の異能。

 これの反動を微々たるものとして扱えるのは、強化戦士として生まれ、暗部として生きることを天命に決められていた八雲莉珠ただ一人。


 言うなれば、三宮家ながら名瀬家の異能理論を叩きこまれた人物。

 準特級異能者とまで言われるその実力は底知れず。

 

 雪華側から見て漢字の八の字に砲撃された光線は、雪華のラインに到達直後、それぞれ同角度で屈折し、ひし形を描くように最後尾に控えていたリカに向かう。


「リカぁ!!」


 そして彼女に直撃と同時、光線が合流する。エネルギーの衝突により、一帯が魔力光と共に破裂する。

 

「がぁっっ!!」


 リカは一般異界術で防御する暇もなく腹部を抉られ、吐血すると間もなく前方に倒れ込んだ。腹からの赤く温かい液体は止めどなく流れる。明らかな致命傷だった。


「くはっ!」

「リカ!!」

「――……」

 

 リカが気を失ったのと同時、莉珠は素早く光線の放流を停止し、再び照準を定めると、連射を試みるが「ちっ」と舌打ちしながら顔を顰め、それが出来なかったことに苛立っていた。


「だめか……」


 威力は凄まじいビーム。だが、一発ごとの反動も大きい。

 照準を正確に合わせなければならないのは、その絶大な破壊力であるが故に一歩間違えれば自滅する可能性があるからだ。

 彼女は再照準までの時間、間を持て余した。


「無知のあんた達に、特大サービス。もう一つ大事なことを教えてあげるわ。名瀬統也って男は周りに敵しかいないヤバイ奴よ。私の知る限り、世界中のアドバンサーを敵に回していると言っても過言じゃない。いぜれ海外からも刺客が訪れるだろうね。そんな奴に味方する、実力も何もない無知な集団……それがあんた達よ」

「へぇ――あっそう!!」


 その瞬間、雪華は白極の術式を解放する。



 第一術式『星霜』!!



 ピキピキと鳴らしながら、瞬時に凍結してゆく前方地面。平屋ほどの高さまで氷結晶が発達すると、まるで生き物のように莉珠に襲いかかる。『氷瀑』のように過冷却に対する衝撃の必要性はない。

 しかし、


「無駄無駄」


 莉珠は目の前にどっちつかずの光子・電子の集合体障壁を円盤形で構築。『檻』の障壁のように盾として運用する。それらの滞留する性質を用いて、ぶつかる氷塊――水分子を次々破壊、雲散霧消してゆく。


「ちっ……これもだめ……」


 雪華は舌打ちをして、何をしても消し飛ばされる無念に唇を噛んだ。

 しかし、そんな無念とは無縁の舞花は、その隙を狙わない手はないと考え、すかさず莉珠の座標を強重力で押し潰す。


「墜ちるのですわ!!」


 が――それもいとも簡単にかわされる。

 莉珠は加速魔法[瞬敏]による右への回避で済ませた。


「くッ!」

「ふん――」


 噛みしめる舞花に、莉珠は鼻で笑う。

 また莉珠は、舞花の異能を予め知っている。既知か無知かは異能戦闘の優位性に大きく反映される。『力場の魔眼』の特質についても、能力域まで詳しく、とまでは言えなくともよく知っていた。


「ふふふ」


 嘲笑を浮かべて再び『泡沫』のビーム照準を開始した。今度の狙いは舞花と雪華か。

 それぞれ左右の掌から、光るそれを射出する。放出音の特徴は、先の戦闘にて茜が見せた『陽電子加速砲ポジトロンコライダー』の轟音振動に酷似していた。

  

「は――っ」


 彼女らに『泡沫』を防御する術はない。急ぎ肉体強化を果たし、その足でよけるための動きを取る。舞花、雪華はそれぞれ左右に飛び、その緑の直線をかわした。

 背後のリカは既に意識を失っていると、雪華は回避先で流し目に確認する。

 ――申し訳ないけど、リカを介抱する暇や余裕さえない、そう雪華が思っていたそのとき、


「―――ッ!」


 彼女は気付いた。輝かしいまでの線状は、雪華でも舞花でもなく、地面に倒れるリカに向かっている事実に。


(まずいっ)

 

「死ねっ! はははははっ!」


 莉珠は狂気を浮かべ、悪魔のように嗤い、両手からの『泡沫』をリカへ精密射撃する。

 刹那、固唾を飲む舞花と雪華。しかし雪華にその覚悟はあった。何の覚悟か。それは、


「雪華さん!! 何を!!?」


 雪華は舞花の戸惑う声を聞きながら、素早くリカの前に立ち、壁となった。


「ごめん、舞花さん……」


 そう呟きながら。

 しかし絶え間なく「滞留する性質」を持つ電子塊は一般異界術という反情報強化をコーティングする雪華の胴体をものともせず、完璧に貫く。弾ける血飛沫。


「くはッッッ!!」


 そして腸骨あたりを貫通し、後方のリカにも直撃。次の瞬間には周辺が爆発の煙で満たされた。

 黒煙の中。雪華までもが倒れ、失神してしまう。その様子を妖精眼で視て、舞花は本格的に焦り始める。ここで、死ぬのではない無いか、と。

 

「はぁーい、あとはあなたね、功刀舞花さん。これからあんたとお遊びするのも悪くはないけど、生憎と予定が立て込んでるの。だからごめんねぇ? ふふふ」



  ***



 交戦時間にして約十分が経過した頃か。一般に、異能士間の戦闘において十分未満で決着のつくものは、圧倒的な実力差を露呈する。一般的にお互いの実力が拮抗すればするほどその時間は長くなると言われている。たとえば、旬と渉が分かりやすいケースだ。

 

 ――舞花、雪華、リカら三人は八雲莉珠に惨敗した。


「ふふふふ、はは。すっっごくよわよわで可愛らしかったわよ。それじゃあ――」


 莉珠は、倒れて意識も持たない彼女らに対して語り掛けた。その目は果てしなく三人を見下す色。そうして最後には声のトーンを下げ、異常なまでの冷徹さを押し出した。顔には殺意の二文字しか映し出されていない、他人にはそう見えるだろう。

 掌には『泡沫』の粒子滞留機構が収束されてゆく。莉珠は三人に照準を合わせ、


「――ばいばい」


 瞬間、蛍光を発する『泡沫』の放射が莉珠の両手から放たれる――。



 ―――ことはなかった。


「――――!」


 その代わり、一帯には凄まじい電磁波音と、赤い電撃の雨が降り落ちる。黒煙が舞い、周囲は電荷を持った粒子の集団にかき回され、プラズマ環境に置かれる。一方で地面がビリビリと電撃の余波を生じ続けた。


「んっ! これは……!」


 莉珠は『泡沫』を放出する暇もなく、他のある処理に手を負わされた。もっと言えば「回避」に専念しなければいけない状況になったのだ。

 素早い身のこなしで四時の方角へ高速バックしながら、それでも上空より追尾してくる電撃に対し上部に『泡沫』バリアを展開して防御を果たす。その雨が納まり次第彼女は周囲を警戒しながら口を開いた。


「電気……? あんた……ナニモン?」


 莉珠は煙の中に気配を感じ、その相手に素性を訊いた。電磁的なプラズマ波の拡散と同時に、霧消する黒煙。そして、澄み渡るような透明声がした。


「あら? あなた、随分と私の部下を可愛がってくれたみたいね」


 と、自分のペースを崩さずにそう発した女性が。一帯の煙が完全に晴れると、そこに――黒を基調としたダブルブレストの隊服とショートスカート。黒タイツ、白い手袋。風に舞う黒髪ロングを莉珠は視認した。

 

「……天霧、さん…………?」


 微かな意識回復と共に、痛々しいほど弱った声で雪華が「正答」を口にした。

 佇む位置から、茜を中心にジリジリと音を立てて赤い電弧が広がり、威圧とばかりに勢いを増す。


「天霧さん……この人は危険……。……あなたでも勝てるかどうか――」

「雪華さん。やっぱりまだ私を信用できない?」

「……そういうことじゃ、なくて……」

「悪いけど、この程度の人間に私は止められない。だから、安心して。ここで私が彼女を終わらせてみせる。……そうね、『雷鳴に誓って』」

 

 茜は莉珠を横目にそう宣誓しながら流れるような動きで立膝し、虚数術式の治癒効果で、一番重傷のリカから致命傷の治療を開始。同様に雪華、舞花にもそれを施すと、


「情報的にいずれ完治はするけど、全回復って意味じゃないから。しばらくは動かないで」


 体を反転しながら立ち上がり、ランウェイでのモデルウォークのような歩みで莉珠の方へ数歩前進。その場で立ち止まり、紅い眼光をもって彼女を睨む。


「あなたが、あの有名な八雲?」

「ふふ、遅かったじゃない? 『封獄』の破壊に案外手間取ったみたいねぇ。重役出勤とはいいご身分。コードネーム[K]……噂に聞く残虐な人間には思えない。どんな恐ろしい魔女かと思えば、容姿端麗のお姉さんだったとはねぇ。あんたもそいつらと同じく、ぐちゃぐちゃにして躾けてあげるから――ネ?」


 莉珠は茜の全身をくまなく観察した。レイピア以外に武器は備えているのか。また、ハイヒールでの戦闘などとても不可能に思えるという感想を抱いた。そして、


(さらさらな髪に、透き通るような肌。長いまつ毛に鋭い目付き。綺麗な輪郭、端正な顔立ちに凛とした猫顔。モデル顔負けのスタイルに、妖艶な体躯)

(この、他を寄せ付けることない圧倒的な美貌)

(あぁ……私がこの手で壊したいわぁ)


「にしてもあなた、ほんとにべっぴんさんねぇ。可愛いすぎて女の私でも惚れてしまいそうなほどに」

「そう? それはどうも」


 莉珠にしては珍しく相手の容姿を褒めたが、当の茜はまるでどうでもいい、というように軽くあしらう。


「ただ一つ、その不気味な瞳以外は、ね」


 煽るつもりでの発言だったが、茜はこの種類の嫌味を嫌というほど聞き、慣れて耐性を得ていた。また、意図的に作られた彼女は、雷電一族としての誇りも責任も持っていない。

 

(この赤目は確か……「呪いのバレンタイン」以降迫害されその被害が激増した……)

(雷電一族……?)


 莉珠は考える。どうしてこんなところに生き残りがいるのか、と。あまり詳しくないが彼女は雷電凛という名前にだけ心当たりがあった。当時テレビニュースでしつこく放送されていた少女。

 その父、雷電晴馬が特例をもって国会議事堂で「雷電一族不可侵条約」を締結し、無事娘だけは奇跡的に助けることが叶った、と。


 アリスから、コードネーム[K]という人間がいるから先に封じた方がいい、監禁をすべきとアドバイスを受けて、言われるままにしたのだが、よく考えれば色々妙な事ばかりだと今更ながらに気付いた莉珠。

 しかしまあ、そこまで厄介な敵でも、速射の高火力を有する『泡沫』ビームですぐさま撃ち抜くまで。莉珠はそう考えた。そこには緊張感などなく、ただすぐに殺せると思っていた。それはいつもの無機質な作業と何ら変わりない。


「ふふ――!」


 笑みと共に、茜を殺せると――。

 そうして『泡沫』の光線は容赦なく茜へ直進する。


 しかし。何故か茜は防御態勢を取らない。また、回避しようとする姿勢の片鱗さえ見せず、ただ黙ってじっとしている。

 そして攻撃されている状況など事も無げにゆっくりと目を瞑る。赤い瞳を閉じる。


 直後、ズドンと鳴り響く。衝突の気配。

 そして、爆発的風圧と共にグレーな煙が立つ。

 それを見て莉珠は勝利を確信した。これを防げる者などいない。『泡沫』を受けないためには、逃げるしか方法はないのだ。


「可愛い奴ばっっっかり。『この程度の人間に私は止められない』だって? 笑わせないでよぉ」


 回避をしなかった茜は当然『泡沫』のビームを食らい、死ぬ。そう考えるのが自然。

 莉珠は[K]の処理を終えたつもりで、他の三人も始末するため軽い足取りで一歩踏み出すと、瞬間、煙の中から――。


「かはっ、かはっ。……煙い」


 あろうことか、澄んだ声が聞こえた。


「は――――?? な、に……? どういう、こと……?」


 莉珠に沸き上がった感情。それは驚きというより、もはや恐怖だった。

 今までこれを防げた者はゼロ。おそらく、純度が低ければ『檻』でも完全防御は不可能な代物。それほどに火力が高く、貫通性も侮れないはずだ。

 瞠目して煙の中を凝視する莉珠に、ゆっくり応える茜。


「何が?」


 煙が完全に晴れる。黒い隊服の茜が姿を見せる。

 怖いことに、当然のように、無傷。

 莉珠は今までにないほど、脳内がぐらぐらする眩暈のような感覚を味わっていた。

 

「あんた……! どうやって『泡沫』を……!」

「ごめんね。あなたごときに私を傷つけることはできない。はっきり言って、不可能」


 茜は久しくか冷酷な目付きで、見下ろすように微かに顎を突き出した。





―――――――――――――――――――――――――――

※補足:以降、はっきりと区別するため異能系を『 』で、魔法系を[ ]で表記します。(例:『檻』、『蒼玉』、[瞬速]、[紅蓮地獄])

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