第259話 交差する思惑



  ***



 茜の黒髪が爽籟に煽られ、靡く矢先、



「三連式紅煉監禁『封獄』―――開放―――」



 茜が直立するポイント、その道路面に浮き出た正方形の照準領域が、劇的に赤く発光した。

 その領域は、何等かの術式による魔力情報コードが投影され、様々な幾何学模様を映し出していた。


「くッ――!」


 茜はその正方形の赤い領域の内部に佇んでいた。――というより、人間の認識や感覚では一瞬の間、地に足がついていた、というだけ。

 それほど刹那の出来事だった。


「はぁっ!! なんだよ、これ!!」

 

 大輝は隣のアスファルトから発せられる模様に、発光陣に目を見張り、今日一番の警戒心と焦燥を抱く。

 その焦眉の状況下、茜は抵抗――しなかった。タイミングの観点から間に合わないことを悟っているからだった。

 眉を寄せながら茜は『檻』の正方形が収束し、赤く透明な立方体を形作り閉じ込められる中で、自己の想定の過失に気付く。


 境界術式は名瀬家の生得的な固有術式である一方、監獄術式は数名の名瀬の遠縁が束になれば演算できてしまう。

 相手の陣営は代行者オンリーではなく、名瀬杏子も。その手下を動員することも可能だ、と。

 その後、茜は微動する隙や単一魔法で加速する暇などなく、赤紅の『檻』による監禁を受けた。



 ―――閉鎖―――。



 「檻」の起動、展開から僅か零コンマ零秒単位の監禁。――ガコン、と立方体に閉じたのは一瞬。


「おいおい……嘘だろ……」

「嘘じゃない。見ればわかると思うけれど……ごめん、すぐには出られない。大輝、あとは一人で頑張って逃げて」

「は? 待て待て待て! そんなん無理だっ――」

「いいから! 早く走って!」


 茜は珍しくも声を荒げた。

 その、澄み切りながらも響いた喝を受け、大輝は本当にもうどうしようもないのだと悟った。


「うっ……! ……分かった」


 未練を残したような眼差しを向けたあと、大輝は以降振り返ることもなく生体異界術……基礎工程単一加速魔法で猛ダッシュし、この場を離れてゆく。

 亜異能体で構築された赤い透明な箱の内部、その背を眺める茜は、苛立ったような顔で親指の爪を噛んでいた。


「くそ、やられた……」

 

 しかし、いつまでも後悔を引きずっているわけにもいかないと、そうして周囲の『檻』の解析を始める。


「これは「紅」次元の……? 純度的には一番低級の『檻』だけれど……」


(『檻』というか、『檻』に限りなく近い何かで、科学的精密さを基にするとその本質は別かな)


「デルタ粒子、異能共に私とは相性がいいとはいえ、破壊には時間がかかる、か」


 落胆を隠さず溜息を漏らす茜は、自身の凝り固まった思考を猛省した。


 その後の展開は呆れるほどスムーズで、みすぼらしい光景が続いた。この隊の人間は才能こそあるものの全体的に経験が浅く、茜の指揮なしではあまりにも情けなく映った。


 まず、大輝らの動揺の波は、リカらにも伝播していた。

 その揺らぎの隙に舞花はアリスによって強烈な音波異能の衝撃波を食らい、脳震盪を起こし気絶。

 雪華が『氷瀑』を展開し対抗するが、代行者(永瀬、東瀬)の連中がリカへ暴行を加え、それを助けようとした途中に水瀬という代行者の反撃を受けてしまい、同じく気絶。

 逃げようとこの場を全速力で離れる大輝には、水瀬が背後から量子波形の同心円状型切断を付与し、大輝の背面に致命傷を負わせ、その足を停止させた。

 必死の逃走も空しく、また影人化の暇もなく、多量に出血を散らせバタリと倒れ込んだ大輝に、

 

「大輝ィィィーーーーー!!!」


 リカは半狂乱状態で叫び散らかす。唯一ぎりぎり意識があった彼女は満身創痍、半泣き状態で地べたを這いながら、連れ去られる大輝へ届かない右手を伸ばした。


 代行者らは大輝を担ぎ、どこか遠くへと向かった。

 遠く、遠くへと。

 


  ***



 街中を、一般民間人に異常なほど注目を浴びながらも進んでゆくアリスの姿が。

 旭川市民の中には、彼女をコスプレイヤーだと勘違いしカメラに収める者もいたが、当のアリスは別に気にする素振りはなかった。


「全ては九神の導きのままに」

『その声、アリスか?』


 特注ワイヤレスイヤホン。秘匿回線での通信。それはこの地域の管轄、三宮家の電波的なインターセプション監視網をかいくぐるためか、男はアリスの通信手段に合点がいった。


「ええ……それ以外ないと思うよ。でも司祭……これでよかったのか私は疑義を抱くよ。……[K:0916]、虐めなくとも簡単に捕まってしまった」


 通信相手の正体は聖境教会最高司祭を務める柳沢邦光だった。通信を続けるアリス。


『予期せぬ展開だろうからな。さすがの彼女も対応しきれなかったようだ。しかしなにも問題はないのさ。私が作り上げた最高傑作が負けるはずはないからね』

「こっから逆転できると言いたいの?」

『愚問だ。「1+1」の解答は?』


 どうでもいいし面倒だったアリスが返答を滞納させていると、


『解答は? 答えろアリシア』


 柳沢は強め、命令形を口にした。

 遺伝子クローンのオリジナルの名、その脅しめいた発言を受け仕方なく答えることにした。


「そのような脅迫行為はパワハラの一環と云われている。貴方も気を付けた方がいいと思うよ。それから……1+1の解答は世間一般的には2と知られている」

『相違ないな。要はそれと同じことなのだ。単純明快な計算式のように、結果は初めから見えている。私が言っているのだ。間違いはない』


 自身満々といった口振りで、[K:0916]……天霧茜側の勝利を全く疑っていない。その事実は消して揺るがないと明言する柳沢に、一体どこからそんな非科学的な根拠、確証を得るのか、アリスには謎で仕方がなかった。しかし、ここまで強気に言い切っている彼に無理に反論する意味も理由もない。


 この男は全ての理学研究所、最先端の科学者、権力者の反感を押し切り、世に超聖体シリーズ「十二柱」を生み出した最恐生粋の(元)マッドサイエンティスト。

 しかも実際、そのうちの体細胞クローン二人……個体コード[Deanna]と[K:0916]……ディアナと茜などは精良適合し、彼の思惑通り「起源」の継承に成功した。

 邦光がオリジン社本社陣営に公表したのはこの二名だけだったが、人工的に起源継承を制御できるのではないかという革命的発見だった。

 しかし同時に、生物実験の規定違反。倫理に反する非人道的なクローン複製実験。意図的に特定の遺伝的性質を持つ人間を作る問題性が問われ、また茜の失踪を機に異能・魔法世間的にその管理難易度が問題視され、その座を降りた。


「そう……。じゃあ、あとは予定の通り代行者を抜けたことにする」

『ふ、なにを今更。君は元々こちらの人間だ。どうだ、スパイ活動は初めての経験だろ?』

「そうだね。あまり私の柄に似合わない……好まない利己的な罪業……。でも、今回は仕方がなかったと受け取っておくよ。でも、次からはもうやらない。ええ、絶対に」


 いつも通り穏やかな口調で言ったが、少し怒っているのかもしれないと邦光が感じるほどにはとげとげしかった。


『そうかそうか。まあしかし今回、現在のKの戦闘データも取れたことだし良しとしよう。じゃあ、「両利きの姫クロスドミナンス」と来栖くるすにも伝えといてくれ。杏子と彼の戦闘では手出しするな、助力するな、と。お前も例外ではないからな』


 この発言はある部分において飛躍し過ぎているように思えるが、彼らの想定においては実はそうでもなかった。


「本当にそれでいいの? このまま負けるかもしれないよ?」

『ない、百パーセントないな。断言できる。Kも、我らが王子様も、華麗に勝ってくれるさ』

「私も[K:0916]は勝つと予見しているよ。でも、彼の方はどうか分からない、そう思うよ」

『なんだ。手出ししたいのか? それとも体制に不服なのか?』

「そういうわけではなくて……ただ……私も彼には会いたかったから。ええ……でも仕方ない。じゃあ……青の境界が永劫不朽となりますよう、祈祷を』


 論破できるほどの反論を持たなかったアリスは、そのまま無味乾燥な会話の終了を促した。

 マッドな司祭とのお喋りを一刻も早くやめたかったのだ。


『ああ。祈祷を』







―――――――――――――――


 クロスドミナンスっていうのは、日本語で「交差利き」「分け利き」などと呼ばれるもので、箸は左手を使って、文字を書くのは右手を使うというように用途で使い分けることを示すんですけど、使う手が用途で異なるだけで、いわゆる「両利き」とは、別物なんです。

 ですが、今回出てる「両利きの姫」は、原義的には両方を包括していて、なおかつ人物としての能力使用状況的には「交差利き」なので、クロスドミナンスって名前にしてます。了承ください。


 あと、来栖ってどっかで聞いたことあるよね? あるよね??(圧)

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