第260話 業火の領域



  *



 さかのぼること一時間。



「――――『青玉』」


 オレは空間発散で一帯を吹き飛ばし、景色を淡い青の発光で埋め尽くした。

 その奔流に巻き込まれ、地面に円形状の亀裂が入り、激しく隆起。異常な風圧が起こる。

 空間をも巻き込む衝撃波で地面はお椀のように抉られ、周辺木々はその全てが根こそぎ消滅した。

 よって、森林は自分を中心に円形に削げていた。オレは自衛の『檻』から出て、


「さて、これで奇襲はできない」


 元より当てる気なんてないわけだが。どうせ風間薪はその異次元の速度をもってこの空間発散をかわしているだろう。かわしていると言うか、範囲的に考慮して発散速度を上回れば衝撃波はしのげる。

 こちらも、はなから風間薪に射出系統術式で傷を負わせられるなどとは驕っていない。

 しかし、周りの更地を見渡しても奴の姿はない。


「森に逃げたか」


 だがこれで、オレへの接近は以前よりも至難に――、


 思考を巡らせた瞬間。バシンと、『檻』の青い障壁と高密度火炎が衝突し発生する魔力光波。彩色溢れる、荒れ狂う火花。その凄まじい風圧に、少しだがバランスを崩す。


「バケモンが……よく防御したな。褒めてやるぜ」

「それはどうも。嬉しくて涙が出る」


 確かに木々を吹き飛ばし辺りを更地にした恩恵で、立体的コンパクトな攻めはもうできない。しかし、遠距離から直進しより加速する助走スペースを作ってしまったか。


「このままだとどちらかが先にバテる。そう思わないか名瀬統也!」


 風間は言って、陽炎かげろうを帯びる炎の拳で打撃してくる。

 だが奴の不規則な空間経路にも慣れてきた。かわすのは難しくない。


「っ…………」


 よけた直後、オレは、更に数度の火炎攻撃をも『檻』の展開で塞き止め、


「チッ、また『境界それ』か……!」


 高熱プラズマが放出される猛焔を浄眼に収めながら、近くにいると危ないという危機察知のもと、


「ふっ――」


 即座に『蒼玉』で、背後遠方の樹木との相対距離を縮小し、回避。


「相変わらず速いな……」


 しかも先刻よりバースト力が上がっている。 

 エンジンや機器と同じで回路が温まってきたか。同じ要領ならいずれオーバーヒートや排熱の処理に追われるのは必至。『焔』を酷使し重症化すれば異能副作用サイドエフェクト「細胞灰化」で黒煙を肺から吐く場合もあると聞く。

 なのにこいつは回避のみを重視し、領域構築での必中攻撃を開始しない。


 ――何故だ。


 一体、何を躊躇っているのか。風間薪。


 その本意がオレにはいまひとつ分からなかった。

 茜の話曰く、こいつは領域構築の干渉が得意な異能士なんじゃなかったのか。

 

 奴は少しでも隙を見せれば食らうだろうオレの射出技――『蒼玉』の「星鳴り」や『青玉』を相当警戒して回避行動に徹している。

 「次元火炎」……反情報強化や反情報領域アンチテリトリーといった有効なエネルギー構築を燃焼の宿主として燃やしながら通過する炎形態。ないし、高火力での破壊。そのダイレクトな貫通力の高さというアドバンテージを捨て、緻密な魔力操作と術式制御で高速移動し逃げながら、つまらない小規模攻撃を連続している。


 オレの攻撃をよけつつ狙いをずらし、確実にオレを仕留められる一手のチャンスを待っている――はずだ。

 尚更その必殺の領域を構築しない理由が不鮮明になる。


 激しくぶつかり合う戦闘が続く。同じような炎の攻撃が続く。ヤツは続けざまに同様の攻撃を繰り返す。

 だが、こちらはそこまでこいつに時間と魔力をかけたくない。


「『爆炎球』!」

「――――」


 無言のままマフラーを持つ右手を出し、飽きずに『檻』の障壁を展開する。気球ほど大規模な火炎の威力を、蒼い壁で封じる。

 とりわけ殺傷力を重視した攻撃。しかしオレに防がれ、凄まじい熱風とその激流が左右へ分散する。


「おい、風間」

「なんだよボケ!」


 これらが無意味な攻撃と、この男も分かっているはずだ。殊更こんな攻撃をいくら繰り返そうと意味はないと。屈指の防御障壁『檻』を貫通する術はないと。

 なあ、初めの『戮炎術式』の最大火力でその事実を確かめたんだろ? 


「――――」


 いや、そうか……。

 もしや……そういうことなのか。


「――――」


 ここまで至り、オレはこの場でただ一人、たった一つの可能性に辿り着いた。

 堅実思考の塊、理論を構築し動く以前のオレならば辿り着くことはなかっただろう。


「もういいさ、風間薪。充分遊んだだろ」


 右側からの豪炎をマフラーで薙ぎ、左の火球を青き正方形で防ぎ、散る火花を尻目に見た。


「フッ……そうかもなぁ!」


 その瞬く間で、オレは演算に集中し、片手だけの手印を模る。左手、中指と親指を当て握り拳を作った。それから中指を折り、親指の付け根にあてがう。

 その一連の動作は、オレの場合、手印の発動条件。

 結果はフィンガースナップとなり、パチンという軽快な音と同時にオレの主観は元来見える現実から、音も色彩もない世界へ没入する。



「領域構築『時空零域』」



  *



 俺は人生において腐るほど多くの異能者と対峙してきた。

 とんだクズ。訳も分からんようなアホ。仲間のために命を懸けるマヌケ。命知らずなキチガイ。

 ただし、全て強者――。

 俺は数多の強者を潰してきたんだ。


 名瀬統也。あんまり覚えてねぇなんてのは嘘だ。俺はお前を、はっきりと覚えている。

 当時、懸賞金がかけれらたマフラーの少年。

 数年前。あの、尻が青いガキながら俺に初めて恐怖心を植え付けた、その蒼き瞳を。


 その蒼を見て以来、異能社会の崩壊と流れの変化、打ち寄せる大きな波を俺は感じた。

 原因不明の世界の変革。魔法の革新、オリジン社の発達、起源の渦の激化……本格的に歯車が回り始めた。

 で、俺にもその原因の一端が分かったんだ。


 ――てめえだ。


 てめえが世界に生まれ、王という立場で世界を回し始めた。どんなに勘が鈍くても、他の異能者だって明確に分かんなくたって漠然と理解するはずだぜ。お前の異常さを。その王としての気迫を。

 心のどこかで、なんて抽象的な表現ではねぇ。お前は王としての魔性の魅力を秘めてやがった。それに気づかされんだよ。


 あれは――紛うことなき「蒼の王」だ、と。


 起源「王」の前継承者エミリア? 

 伏見旬のギアだった、王権一族ホワイトの偉才か。確かにあの女は強いと自明。だが、そういう次元の話ではねぇ。


 腰抜けどもはなぜ気づかない? 世界中の実力者ども、なぜ気づかない?

 向こうで恐れらている未観測の特級異能者『00ダブルゼロ』の正体はこいつだ。こいつ以外あり得ねぇ。


 眼を見れば、ただそれだけで分かるはずだろ?


 名瀬統也。こいつは生まれながらにしての王だ。この世に居ちゃいけねぇ存在だ。

 

「もういいさ、風間薪。充分遊んだだろ」


 異能照準を拡張し展開していく魔力マナ標準領域は、空間上に構築し始めた時点で、相手にも展開する猶予ができる。物理的に隙ができるという意味でなく、情報的に引き起こされる事前硬直のようなもんだ。


 そして両方の領域ねらいが構築され同時空間に現れた時、それらは“押しのけ合い”を起こす。

 結果は人間の理とおんなじだ。強い奴が弱い奴を食らい尽くす。


 これはマナ標準領域の構築術に置いては常識で、変わることのない原理。

 「固有領域」だろうと、「反情報領域」だろうと同じ。

 外で、これを知らない異能者の連中は「領域魔法」に勝てず、即死する。


 ――って、固定観念がある。

 強い異能者、もしくは自身を信じ抜くタイプには特に顕著に。


 だから俺の領域は、こういう賢くて抜け目のない奴が相手であるほどよく嵌る。

 そしててめえは焼け死ぬんだぜ。この消えることない、地獄の炎を食らってな。


 はっ、よくぞ領域の勝負を始めてくれた名瀬統也。

 その勇断、感謝するぜ。



「領域構築『劫火燼滅』」


 

 俺の『戮炎術式』の固有能力は、情報体(魔力が形質を持ち、偏ってできる塊のようなもの)を次元火炎の燃料にして燃え上がる事象を司る。

 つまり、相手の領域を焼き、同時にこちらの煉獄の範囲を拡大させていくカウンターの領域構築。

 領域を食らう、そのための領域。


「じゃあな蒼の王。強かったぜ、お前はよぉ!」



  *


 

 その瞬間――オレは一か八か、「一秒間」の領域構築を行った。

 


 領域の種類は大きく分けて三つある。

 ①一定のエリアのマギオンを定義せず、情報を強化、干渉力のみを持たせた術式で覆うことにより、他者から攻撃を防御する反情報効果「反情報領域アンチテリトリー」。

 ②選定された対象や物体ではなく、空間域に対し行使する上級魔法「領域魔法」。

 ③自らの生得的な異能術式を魔力マナ標準として具現化、空間エリアに押し広げる「領域構築」。


 細かくすれば雷電一族の『雷刃』の照準領域や、理緒のように自身の周辺に取り巻く波導防壁。瑠璃の『炎霊化』や、結界で広範囲を閉じることで逃げ場を封じる「固有領域」など様々だが、オレの『時空零域』は中でも更に特殊。


 体感効果が相対的な領域で、自身の行動速度を限界まで光速度に近づけ、周囲の時間を限りなくゼロに近づけている。

 そういう原則を持つ律空間をオンオフしている感覚に近い。


 その律空間内での一秒は、起動、転移、術式の発動遅延など諸々を考慮しても二十万キロメートルは容易に進める時間だ。

 しかし現在、その効果が実際に発揮されることはなく、ただオレンジに燃え盛る煉獄が周りに広がるだけ。


「っ――――」


 獄炎だ。耐え難いほどに熱い。そう思ったのは最初だけだった。熱すぎて、すぐに感覚さえ失う。

 すると一秒後『時空零域』が途切れ照準が消失した瞬間から、豪焔の海は燃料を失くしたと言わんばかりに勢いを失くし、直後、雲散霧消。

 その消失は一瞬だが、一秒間でもその摂氏数千万度の灼熱に肉体が晒されたこと考えれば、オレの身体が無事ではないことが想像できるだろう。


アーク


 ロード……。


 全組織情報――取得。


 有機構築材料――決定。


 全身の生体情報――取得。


 DNA情報――複製。生体細胞――復元。


 全工程完了。


 発動――『再構築ダブルゼロ』。



 オレは焼けていく全身の情報体を静かに再構成した。

 それに要した時間は、言うなればゼロ秒だ。

 世界の修正力に付随して、肉体が一瞬にして再生してゆく。


 この世の修正力は凄まじく、これによって為される魔法は数知れず。異能もこの作用を上手く活用し、事象破綻を防いでいるケースがある。

 たとえば名瀬家秘奥義『檻花』は、放った直後、花形に定められたプリズム空間を押し出し、ジェンガのごとく三次元という空間ごと「物体」「存在」「情報」を無関係に、無秩序に抜き取る。

 すると押し出され、抜き取られた「世界」は虚空となり抜け殻となる。耐えられなくなった空間は情報体のブラックホールのような現象を巣作る。

 しかしすぐさま世界の修正力によって補正され、新たな空間を生じ、何事もなく終わる仕組みだ。


 まるで神が「何も起こりませんでした」と誤魔化すように、また予めプログラムされているかのように、浄眼ですら視認識できない速度でその世界は修復される。

 この現象は光速度を優にこえており、光速度不変の原理を局所的に否定する。所謂、EPRパラドックスというものだ。

 ゆえにこれらの他にも多数ある物理学の“量子的な間違い”は「起源」から生ずるものではないかと、オレは推測している。


「さて」


 オレは関係のない思考の中、『蒼玉』の座標収束で、自身と風間薪の空間距離を狭める。

 つっ立っているヤツは、これ以上開かないだろうというほどに目を見開いていた。

 その顔面に映し出されているのは絶望か、畏怖か、驚愕か。おそらく全てだ。

 全ての感情が入り交じり彼を襲っているだろう。


「は――――――――」


 すかさずオレは茫然としていた風間の背後に回るが、その時には既に両手足を切り落としたあとだ。

 バタリと重力のままに、無抵抗にうつ伏せになる男の首に、オレはマフラーを突きつける。


「なぜだ……お前……熱くはなかったのか」


 口から血を吐きながらそう尋ねてくる風間。うつ伏せのまま顔だけ横にして、尻目に上のオレを見上げた。その目には諦めの色を含んでいた。


「熱かったさ。痛覚が麻痺するほどにな」

「なら、なぜ動ける……?」

「あんたは知らないんだ。オレは本当の意味で傷つくことはない。オレに怪我を負わせること自体不可能だと」

「いやぁ……分かってたさ。最初に二度の『再構築』。あんときうしろに居た雑魚とお前自身の傷を治した時はビビったけどな。流石にあんなノーリスクの権能を三度目はないだろうと、そう思ってたぜ」


 これは嘘だろう。おそらく杏姉が事前に教えた能力情報で『再構築』の上限回数は一度と思っていたはずだ。つまり、二度使った時点でこいつはオレの『再構築』行使の限度が数度ではないと見破っていたことになる。

 それでもこいつはオレに勝負を仕掛けてきた。負けると分かっていたはずだ。

 矜持か。男の意地か。自尊心か。

 分からない。何故、この男は果敢にもオレに立ち向かってきた。


「……ぶち壊してみたかった。否定したかったんだ。お前という存在。御三家という異能界の頂点。王として世界に君臨するお前を。そして肯定したかった……俺という闇に生きる存在を」

「あんたは、どうして杏子らが大輝を欲しがるのか知ってるのか?」

「いや、知らねぇ。そもそも興味ねぇしな。……だいたい、あのイカれたドーピング女のことを知ろうとする向こう見ずな奴はいねぇよ。あの女は現異能界でも闇界隈でもカイブツだったよ」

「ドーピング?」

「芯が強く、その目的のためならどんな犠牲も厭わない。周りの人間も全て道具さ。そして自分の中の感情すら見失うほど、ドーピングに溺れてった」

 

 喋るなかでも薪の腕からの出血は地面をじわじわと這い出ていく。


「あぁ、お前は正規出身の人間だからアレの存在を知らねぇのか。……まあ……かつて碧い閃光にも、なんとしても守りたいもんがあったんだろ。……今はそれさえ見失っているようだがな」


 杏姉の様子がおかしくなったと気付いたのはここで再会し、釧路駅付近で対峙した時だ。

 彼女は表情に煩雑な感情を乗せながらもどこか虚ろで、オレが気に入っていた長くも美しい黒髪をばっさり切っていた。まるで失恋でもしたように。オレへのケジメのように。

 理由を聞いても、なんだか返事や返答が妙に曖昧で、記憶もあやふやなように感じた。自我をギリギリ保てているかどうかの瀬戸際という風に見えた。


「ドーピングとはなんだ? 危険なのか」

「危険というか……まんま自殺行為だ。他の生物的影響は詳しく知らねぇが、寿命は確実に減る……。知りたきゃ会いに……行け……。きっと、首を長くして待ってるぜ……」


 風間の双眸は既に瞑られていた。口調や呼吸も浅くなっていく。


「もう……眠い…………終わらせてくれ」


 オレは謎の不安感を胸に、しかしこれ以上聞き出せることは無いだろうと判断し、静かに手早く、風間薪の介錯を済ませた。

 そして彼との戦闘を無事終え、『檻』のオーラで血などを弾いたマフラーを首に巻き、茜達と合流を果たすべく行動しようと振り返ったそのときだった。


「ん?」


 同時か少しあと、左斜め後方上部に違和感を感じ、そのまま真っ暗な空をスッと見上げてみる。

 数秒、違和感のような気配の原因を探ったものの、浄眼では何も見つからず、また視認も叶わなかった。

 ただ『境界』の天井が、オレの「蒼」と誰かの「菫」によって二重に張られているだけ。


「なんだ……? 気のせいか?」


 

  ***



 二〇二二年、同日同刻。

 時刻は未だ昼間だが周囲は暗く、夜のように錯覚する。

 雪華の言う異能者「X」――「両利きの姫クロスドミナンス」は、部屋着のまま借家のダイニングテーブルに左頬をくっつける態勢で突っ伏していた。その目線の先には衛星モニター。

 しかしその中間、鼻先に、来栖くるす詩羽々しううが熱いコンレーチェのカップと、ボンボローニが乗った皿を置く。

 両利きの姫クロスドミナンスはテーブルに顔と長い髪をつけた体勢のまま片手を上げて来栖に謝意を示した。


「さすが、と言うべきかしら……勝ったわね。領域構築を一瞬で解く、なんて聞いたこともない。異能力のみならず頭脳、勘、そしてセンス……すべてにおいて規格外なのね。凄いわ」


 誰がとは明言せず、灰化色素由来の赤髪ツインテールを揺らし、来栖が称賛の意を述べる。


「当然でしょ。統也が負けるわけない。逆に疑ってたの?」

「別にそうは言ってない。ただ、もう少し苦戦するかと思っただけよ」

「ないない。圧勝だよ圧勝」


 両利きの姫クロスドミナンスは言っている最中、来栖の表情から何かに気付き、


「あー……同じ『焔』を扱う異能者として少し複雑なんだ?」

「…………」


 来栖の無言と、逸らしたつり目が肯定を意味した。


「成程ね」

「風間薪は中でもかなりの実力者ツワモノ。S級異能士やあなたでも手こずるかもしれない相手よ」

「ふーん……そなんだ。どうでもいい。それよかさ、あたし説教されて疲れてるから寝たいんだけど、アリスからの報告がまだ来てないし寝たら怒られるよね?」

「知らないわ」


 複雑な心に土足でずかずかと踏み込んできた挙句すぐに話題を変えられたお返しに、ぶっきらぼうに言う。


「ちぇー」


 それに対し「X」は唇を尖らせた。

 「X」は昨晩、今日とあれから教会に戻って、ターゲットを援護した経緯を柳沢邦光に報告した。邦光は予想どおり彼女の説明に理解を示したが、「十二柱」の連中はそう簡単に納得しなかった。

 彼女にどんな事情があろうと勝手に対象を護衛し、敵勢の代行者に干渉、任務完遂を防いだことに変わりはない、という態度を中々崩そうとしなかった。ましてや彼女が、その対象――統也のためなら何でもする、掟破りで有名な闇業界の札付きとあっては尚更だった。


 なお、その場に来栖はいなかった。つまり彼女は異能者「X」と弁明の労苦を分かち合っていない。

 それも当然で、来栖は聖境教会の教徒ではあるが、また「X」と即席のギアでもあるが、仲間と言い合える温かい関係ではない。そして実際に行動していたわけでもない。聖境教会役員から譴責を受ける筋合いは皆無。

 しかしながら、当然とはいえ自分だけ被災を免れたことに後ろめたさは覚えていて、だから今日は彼女の自堕落をある程度容認していたし、たったいまコンレーチェとボンボローニも振る舞った。

 

「あれっ、いま統也、こっち見た?」


 モニターを眺めながらそう言い、「X」は咄嗟に身体を起こした。

 こういうときだけ元気になる、まるで犬のようね、と来栖は思った。


「何を言ってるのかしら。このモニター現場を撮影している監視衛星が、高度いくらにあると思ってるの?」

「うん、だけど今……」

「気のせいよ」

「えー、でもさ……」

「絶対にありえないわ。高度だけじゃない……呪詛術式による不可視化、反情報による媒体分断。不可能よ」

「はいはい、分かったってば。自意識過剰でした、すみませんね!」


 彼女はコンレーチェのカップを掴んで中身をグッと飲み干した。


「にがっ」

 

 そして顔を少し歪ませ、ボソッと呟く。

 それを耳にした来栖は、ポーカーフェイスを維持しようとして失敗した。

 このコンレーチェは本人の味覚に合わせた、普通の人間には甘すぎて飲めない代物だったはずなのだ。来栖は「X」に数週間前も同じ物を出したのだが「苦い」とは言われなかった。「X」は日に日に甘党になっていく。これも脳の消費演算領域の肥大化が原因だろう。

 今まで眠らせていた演算領域を開発し、新たに使用し始めたらそれはこうなるか、と来栖は溜息を吐いた。


「ご馳走さま」


 「X」がボンボローニを平らげ、手を合わせ、来栖が「お粗末さま」と応じたちょうどその時だった。通信用のワイヤレスイヤホンに繋がる特殊な通話機器の着信音が鳴った。

 来栖が背後のコンソールに駆け寄り発信人を確認する。


「誰から?」


 黒髪ロングを揺らし振り返った「X」に、来栖は神妙な表情で「アリスさまから」と応えた。

 「X」が「あの人苦手なんだよねー」と言いながら顔を顰めて、イヤホンを装着すると、


「……よし、繋いでいいよ」


 来栖がコクンと頷き、コンソールにて一定の操作をした。その後、美女から発せられたものだと分かる美声を耳に流し込んだ。


『こんにちは。それともこんばんわ? 「極夜」は時間感覚を狂わせるから厄介だけど……って、そんな話がしたいわけじゃなかった。……聞いてほしい。司祭から直々の命令がある』

「なに、仕事?」

『貴女、熱いコーヒーでも飲んでるの?』


 まるでこの場が見えているかのような発言を唐突に貰う。しかし「X」に動揺の色はなかった。音波に詳しいアリスは絶対音感は愚か、音を明細に分析する聴覚まで備えている。

 ――あたしの火傷した喉から発する音声の高低や息遣いでバレたんだ。

 彼女はそう納得した。


「ちょうど飲み終わったところだから大丈夫だよ。で、用件は?」


 「X」は無駄話をせず、そう訊ねた。


『簡単にいうと、名瀬杏子と統也さまの戦闘は絶対に傍観しろと、そういう命令が下りた』


 すぐに本題を述べた。世間話をするような間柄ではないので、当然の反応と言えた。


「別にあたしはそれでも全然構わないんだけどさ、万が一統也が負けた時……というかそういう状況についてはどう対処するの?」

『それはあり得ないと、司祭は言っていたよ』


 来栖も赤いツインテールをうしろ側へ払い、すぐにイヤホンを付け、


「外部からの横やりなども考慮すれば、あり得ないことはないと思いますが? その辺については何か言及がありましたか?」


 通信を開始し話に割って入った。


『さあ……私には分からない。ただ運命のみが、その答えを知っているだけだよ』

「では、彼……の後方護衛をしなくてもよろしいのですか」


 来栖が嫌そうに顔を顰めながら、我慢して訊いた。過去、痛い目にあった経験から、来栖は「彼」こと名瀬統也に苦手意識を持っている。いや、トラウマや本能的恐怖と表現する方が妥当かもしれない。

 名を聴くのはいい。しかし口に出すのは憚られた。


『ただ今回、統也さまの処理する相手は決まっている。もしかしたら来栖さんはこちら側から、ではなくて、杏子側の後方援護を潰す係りとしては役に立てるかもしれないよ?』

「珍しいね。『処理』することも決まってるの?」


 統也の優しい一面について、かつて「X」は触れて、感じて、随一知っている。その温かさを。その温情を。だからこそ姉を処理するという統也の躊躇のない決定に違和感を抱いた。


『決まっている、というか、統也さまもさすがの彼女相手には変に手加減できないはずだから』


 否、前の統也ならそもそも論、杏子を生かす選択を取ったのではないかと、「X」は思った。


 ――やっぱり、数多な不穏要素を生かして、そのせいであたしらを失ったことを気にしてるんだ。


 敵を殺せるのに、生きているモノだからという理由で殺さなかった。結果彼は、生かした敵のせいで沢山のものを失った。

 だから今度は、失う前にそれらの理想をかなぐり捨てて、残酷でも前に進むと決めたのだろう、と。

 その思考で、統也が自分を大事に思っていてくれたことが証明され、微かな喜びを覚えた自分を「X」は自ら窘めたい気分に陥った。


『あと。その間、もしくは収束して落ち着いた頃かな……分からないけど……聖境特別委員も十二柱も別件で忙しいみたいだよ。そこで、貴女に仕事がある。ターゲットはアメリカ陸軍のメイソン少佐、アッシャー少尉、そしてアメリカの企業「オリジンモデリングス」のエージェント、ユウキ・ミカエラ。詳しいデータはファイルで送るからね』


 アリスは「X」、来栖の反応に構わず、手早く用件を告げた。


「分かった。一応訊いとくけど、その人達をる理由は統也を狙ってるから、ってことで良いんだよね?」


 「X」にとっては最も重要なことだった。


『そうだよ。詳しい経緯も今から送るファイルを見て』

「了解」


 アリスは「じゃあ、よろしくね。頼んだよ?」と柔和に言い残して電話を切った。


「この件、厄介事の匂いが充満してるんですけど……」


 外し、テーブルに置かれたワイヤレスイヤホンを睨みながら「X」が思わず愚痴をこぼす。その独り言に、


「アリスさまがわざわざあなたに依頼を出した時点で、厄介な案件なのは確定なんじゃないかしら?」


 来栖が身も蓋もない意見を返した。

 アリスほどの人間が依頼する仕事。また、「X」ほどの人間に直接依頼した仕事。それ相応な任務であるのは自明の理だ。

 「X」は重力で垂れていた右の髪を右手で耳にかけ、世界で一番大切なヘアピンを左手にて付け直しながら、苦虫を噛み潰す。分かっていてもオブラートに包まず指摘されては面白くないのでそれを無視して、


「データファイルは?」

「ええ、着信済みよ。デコードする?」


 しかし、来栖の回答に「X」の意識は完全な仕事モードに切り替わった。「X」はそういう切り替えは得意だ。


「うん、お願い」

「少し待って」


 来栖は復号機デコーダーにデータをダウンロードし、記憶媒体をセット。受信機と復号機を直接つながないのは平文にされたデータの流出を避けるためだ。

 来栖はデコードが完了した記憶媒体を復号機から取り出し、タブレット端末に差し込んで「X」に手渡した。

 「X」は早速端末に電源を入れ、ファイルに目を通す。そしていきなり「えっ」と声を上げた。

 「X」が漏らした驚きに、来栖が大して反応を示さなかったのは、デコーダーのモニターで内容をあらかじめ見ていたからだろう。


「この人達、明らかに海外の諜報潜入官アドバンサーじゃないの? 一人FBIとかいるしダイジョブなわけ?」

「そのようね」

「どういうこと?」

「単なる偶然じゃない?」


 来栖はそこに偶然以上の特別なものを感じなかった。その点が来栖と「両利きの姫クロスドミナンス」の違いだった。


「偶然……なのかな」

「アリスさまには、依頼を分けるなんて面倒な真似をする動機は無いと思うけど」

「……そりゃそうだけどさ」


 来栖の冷静な指摘に、「X」の疑心暗鬼もすぐに晴れたようだ。

 彼女は一時的な混乱から脱すると、別の理由で頭を抱えた。


諜報潜入官アドバンサーってことは、記憶の改竄受けてないんじゃないの? そうだよね、シュー?」

「そうね。それは確実だと思うわ、理緒」


 「X」の正体――霞流理緒の問いに、来栖詩羽々ことシュペンサー・ヒバナ・クルスが同じように暗い表情で肯定を返した。


「面倒そー……」

「頑張って、新進気鋭の魔法士。まぁ、異能と魔法を巧みに使い分けることができて。片や一流の異能力、片や特級レベルの魔法力。さらには記憶改竄を受けてないのと同水準の知識と技術を身につけたあなたになら、その相手は難しくないわ」

「どうでもいいから、早く統也に会いたい……」


 理緒がうんざりした顔で切実なまでの本懐を漏らし、また溜息を吐いた。


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