第258話 紅煉監禁「封獄」



  *

 


「はっ……! まずい!!」


 一点に集まるフルオート射撃が、容赦なく雪華とリカを襲う。


「えッ! うそ!!」


 その刹那、


「――――」


 銃弾の軌道を概算し終えた私は、レイピアの柄を握りしめ、目では追えないほどの電光石火で前進。

 雪華、リカの前で基礎工程単一減速魔法『寸減すんげん』を用い急ブレーキをかけ、銃弾に立ちはだかった。


「すぅ……」


 銀の弾丸の群れを前にして気息を整え、感覚を研ぎ澄ませ、身体意識を高める。


「はぁ……」


 そのコンマ何秒という世界。氷の張る道路面と、私の肉体という二極間でジリジリとアーク放電が生じ始める。

 全身から迸る、紅い魔力光。熾烈に明滅する紅い電光。


「…………」


 コンマ二秒、コンマ四秒、その僅かな時間で放電は極大化してゆく。

 目に沁みるほど強く、赤く、拡がってゆく。


 

 天照術式――領域定義――完了。


 ――『雷刃ライジン』――抜刀。



 構えから、抜刀した瞬刻。

 血しぶきのように煌めく火花。


「はぁ!?」

「え!!」


 外部から目視できるのはそれだけだろう。


 私は雪華、リカに発射された弾丸を迎え撃ち、余さず切り落とす。

 厳密には設定した領域内に入り込んだ直後の銃弾を、剪断力を高めたレイピアの電撃切断で全て迎撃し、捌いて威力を相殺したことになる。

 レイピアは細身で先端が鋭利ゆえに刺突重視の片手剣であるものの、扱いによって断ち切りを行うことも可能。


「助かった……のか……。ありがとう、あかねっち。だが、これは……速いなんてもんじゃないぞ……」

 

 そう喉を鳴らすリカと、


「天霧さん、どうして私を……」

 

 私は身体を正面に向けたまま、そう弱々しく口にした雪華を見やる。


「何をそんなに驚いてるのか分からないのだけど。部下を見殺しにする上司がどこにいるの? それより早く立って」


 私はそれ以上のことは何も言わず、再度敵に向き直る。

 

「銃弾を全て切るだと!? バケモンがァ!!」


 などと言いながら電柱から飛び降り、氷の壁を越えてこちらに向かってくる相手と、私は対峙した。

 相手の男はカチカチとトリガーを引くが、空しく、


「チッ……!」


 装填弾がなくなったであろうマシンガンを投げ捨て、


「フッ!」

 

 長身の大剣に持ち替えてから、案外素早い動きと足運びをもって切りつけてくる。


「死ねぇぇ!!」


 私がその速度に対応し、繰り出された四度の剣撃を最小限の剣さばきで押さえた。

 目下、剣同士の高速衝突で散らかる火花が、この闇を四度照らした。


「なんだとッ」


 相手は水中のエビのようにバックステップ。雪華の氷壁を背にする。


「チッ!」


 渾身の連続剣撃を凌がれ畏怖を覚えたようで、戦々恐々の眼差しを向けてくる。


「こうなったら……!」


 もう自棄になったのか大剣さえ投げ捨て、空手調子のポーズを取り格闘戦を挑んできた。

 身体に「一般異界術」……正式名「反情報強化」を施し魔力光波を振りまきながら、基礎工程単一加速魔法で直進してくる。


「ふうッ!!」


 しかしこちらは一片たりとも焦る必要はない。

 レイピアの刃の先端を相手に向け水平に構え、手首を引いた位置からの凄まじい刺突。

 作為的に陽電子二対の発散系を手元と胸部にて作り出し、大幅強化した斥力を流用し素早い一閃を食らわせる。


 紅き貫通。狙うは心臓部。

 相手の加速タイミングに合わせ、かわせない一突き。『相互拒絶リパルス・ランス』という刺突武器や打ち出し攻撃専用の雷電術式。


「ぐゥゥッ……!!」


 結果、敵のボディは体幹ごと貫かれ、その高熱で大部分が灰燼と化した。


「がぁッ……!」


 貫かれた末、言葉にならない声を漏らしたあと、二つに分裂した胴体が氷の床に落下し、血が生き物のように広がってゆく。


「つ、つよい……!」


 一連の光景を目の当たりにして雪華がそう口にしたとき、反対方向からも敵が迫り挟まれていることに気付く。


「……また敵か!?」

「尽きねぇな!」


 なぜか私が改めて状況を俯瞰した時には既に、拳銃、マシンガン、長剣などを持った代行者と思しき人物四名が殺意を乱し、四方から攻めてきていた。

 氷塊を運用した障壁と言っても、たかが七八メートルの代物。こちらの反撃が浅いと分かれば積極的に登り攻めてくるのは容易に想像ができた。


「よくもォ仲彦を!!」

「このクソアマ、捕らえた後ぶち犯してやるよ!!」

 

 激昂した風に叫ぶ敵。さっき殺した男はなかひこ、というらしい。

 申し訳ないとは思っている。しかしやらなければやられる状況にて手加減や情けをかけるほど私は生易しくはない。統也直々の命令であれば尚のこと。


 回避、反撃のため思い思いに散ろうとした「部下」に対して私は、ある命令を下す。

 それは彼女らにとっては至極意味不明で、言い知れぬ恐怖心しかない指示。

 安堵どころか、首にナイフをあてがわれたような気分になるかもしれない。


「総員、動かないで」


 その一言で味方は凍りつく。


「はァッ!?」

「なに言って――」


 面食らう部下。功刀家十八番の異能「重力制御グラビティリミット」の加重で敵の侵入を阻もうとした舞花さん。氷結晶を展開する寸前だった雪華さん。

 皆にそう指示した私はレイピアを鞘に納め、ゆっくりと両手を左右に伸ばした。

 その瞬間、私の諸手から放電音が鳴りだす。無数の電弧も赤、紫を振り撒く。

 それを確認して下手に動く方が得策ではないと気付いたようで、部下達は完全に銅像と化す。


「私がいいと言うまで動かないで」


 これは速射性の高い技で、兼ねてよりその放出の準備は整ってる。問題は発動を開始すれば途中の演算変更ができない点。

 要は、タイミングが命。


「天霧さん!?」

「おい、あかねっち! まだか!!」


 彼女らが狼狽の色を隠せないのは、あと間もなくすれば敵の攻撃が直撃するという切迫したシチュエーションに置かれているから。

 私の手から溢れる放光は赤々と、またバチバチとアーク放電しながらチャージのごとく収束されていき、圧力を受けたように円形を模る。


「まだ。まだ動かないで」


 私はそのような状況でも冷静な視点での観察をやめない。ぎりぎりまで、迫る計四名の敵がこの範囲へたどり着くまで、待った。

 対して相手はそれを好都合と捉える。四方、氷壁の頂部から早速開始された銃撃に、


「きゃっ!」

「ぐ!!」


 雪華とリカは、亜音速で迫ってくる弾丸から目を背けるようにしてぐっと両目を瞑る。

 しかし、鳴ったのは銃弾が肉体を貫通する音でも、血が弾け飛ぶ音でもなく、バチッ!と何かが強く反発するような音。


「へ――?」


 目を剥く雪華をよそに、その音響は矢継ぎ早に鳴り続ける。

 次々に静電気に触れたような、破裂のような電気音が響き渡る。

 銃弾が不可視の『雷電乖離』に侵入する度、赤にスパークし直後反発を得た。


「一体……何が……」

「電気の、バリア?」


 銃撃は発動中の異能技とは別に演算した虚電拡張『δ』の領域拡大によって完璧に封じてみせた。

 平時は身体域24cmと正確に定めている領域。けれど現在の範囲はおよそ十メートルに及ぶ。

 

 天照術式の虚数域・虚電拡張『δ』。VAI理論における虚数電荷によって生み出される仮想の虚数電界を操作する技術。体の周囲に高密度で纏い得られる異能効果を特に、『雷電乖離スパーク』と呼んでいる。


 普段は複素術式で実数処理と虚数処理をオートマにしているけれど、条件を変更する場合や、魔力をより込める際はマニュアルによる発動を行う。現在は後者。

 『雷電乖離スパーク』は完全自動で作動している術式ゆえに、効果距離の変更に必要な演算処理域も少ないため、現在準備している技との演算両立も容易。


「すごいなこりゃ……」

「銃弾が次々弾かれてく……。一体どうなってるんだ?」


 リカと大輝は私のバリア内(『雷電乖離』の現象が広がっているだけで、バリアが実際に展開されているわけではないのだけど)で、自分達の置かれてる状況を忘れているかのように感心した。

 仲間にとっては喜ばれても、一方で全て弾き返されるバリアは敵にとっては悪夢。


「おい! どんなに撃っても電気で跳ね返るぞ!!」

「なんなんだあいつ!」

「クソアマが!!」


 大声を上げ喚き散らかす代行者たち。

 少しうるさい蠅だけれど――今、楽にするから待ってて。


 敵が銃を捨て接近攻撃を開始する最中、私は心中で彼らに冷めたお別れを告げた。

 死因となる技名と共に。



 『陽電子加速砲ポジトロンコライダー』――。


 ――六芒星型ゼクスアンカー



 直後、轟音と赤い閃光を纏った雷撃のような高出力ビームが敵四人を捉え得る六方向に放たれた。


「え――!?」


 表情が急停止する雪華を尻目に、私は他の敵が来ないかを警戒する態勢に入った。それは同時に、迫っていた四人の代行者を気にしていない素振りでもある。

 瞬間的な出来事で、先の技をはっきりと視認した者はいないと思われた。最大で光速近くまで荷電粒子を加速させることができる。


「はっ、何ですの?」


 舞花さんも遅れて、驚いた顔であたりを見回す。

 程なくして、バタリと倒れ込む音が四方向から。

 二時、四時、六時、九時。それぞれの方角にいた四名の代行者はグロテスクにも胴体を紅い電気に貫かれ、焼かれて死亡した。


「嘘、でしょ……。なにこれ……」


 接近を目論んだ代行者たち四人の一掃に、驚愕を隠せない様子の雪華。

 一方でリカは誤って敵の亡骸を直視。慌てて口に手を当てる。


「うっ……」


 その凄惨な血塗れ死体に吐き気を催したのか咽込む。

 少し、刺激が強すぎたかもしれない。 


「やったことは簡単。放射した電撃がそれぞれ六方向にビームのように貫通して氷の壁や代行者に風穴を開けた。それだけ」


 アンカーを使用した『反電子雷爆レッド・スプライト』の汎用型術式。

 電界中にある電子は電界から静電力を受けるので、電界の中に電子を置くと電子は動き出す。高校で習うような電磁気学の基礎知識。陽電子と正電界を電子コントロールと魔力操作によって調節、静電ポテンシャルを弄りつつも、電束密度を正六角形一辺と垂直方向にシフトする。そうして帰還電流を必要としない方向の設定。

 電子を打ち出す機構は、サイクロトロン、静電加速器などの荷電粒子加速法からヒントを得た。


  

  *



「そんなことより、今は他の敵襲を警戒して」


 一応、私のやったことが納得できないような精神状態で戦闘に望まれることや、後々しこりを残すのも面倒なので、原理は伏せ、起ったことだけを簡潔に説明したけど……。


 私が警戒を促した瞬間だった。

 がちゃがちゃ、と。規則的な音が不規則に鳴る。得体の知れない音がしきりに鳴り響く。

 

「おいおい、逃がす訳ねーだろ~。やっと見つけた骨のありそうな女なんだー。楽しませてくれよぉ?」


 どこからともなく若めの男声が聞こえたのでそちらを確認する一同。黒光りするビー玉ほどの大きさの……金属の玉(?)のようなものを制御し積み上げることで塊にして、それに乗る異能者が見えた。氷の壁の奥からその金属玉を台として利用し登ってきた。

 私は『赫眼』を用いて彼の存在を悟っていたので、驚くことはないが、


「は……?」

「お前を楽しませる馬鹿な女なんていないぞ間抜け」


 と、息を飲む雪華と挑発を放つリカ。


「黙れよチビ。俺様が言ってんのあ、そこの長髪ロングだよ。遊んでやるから覚悟しろ」


 不良じみた口調で睨みを利かす。明らかに目線の先は私。


「私と遊ぶ? おそらく五体満足では帰れないけど、大丈夫そう?」


 不意打ちが狙える状況にて、わざわざ自ら位置を晒してくるような間抜けは敵にならない。発言も小者。何より、この程度の力量で慢心するようでは話にならない。

 私は見上げるようにしてその相手の男を観察し続けた。


 多分、ビー玉サイズのあの金属玉は鉄球でできている。無数の鉄球……先程私が『赫眼』でスキャンしたときにそのようなものはなかった。……のではなく、磁気を操作していたゆえに偶発的に見えなかった、と受け取るべきかな。

 偶発的、ではないかもしれない。私の視界をかいくぐるようなステルス状態にするためには背景の壁質と同じ磁力を帯びていなければならない。

 つまり、建物内部に潜伏していたと思われるこの男か、もしくは一緒に居た人物が、どういうわけか私の『赫眼』について知っていた、ということ。


「舞花さん」


 私が言うと、舞花は一切の躊躇もなくその意図を汲み取り、


「はい」


 言って、重力の加重でその鉄球に乗る敵を上から押さえつけると、


「ぐぅ!! なんだっ!!」


 なんといとも簡単に黒い鉄球ごと強重力を食らい、地面との垂直抗力に挟まれ拘束を受けた。

 彼は重力という圧倒的な上から下への作用力により押さえつけられ、身動きは愚か喋る事さえできなくなった。

 しかし歪んだ彼の表情は耐え難く憤慨していると告げており、舞花さんの加重をやめれば制御不能の殺意で即時殺しに向かってくると見受けられた。


「雪華さん、まだやれる?」


 氷を顕現できるか、の意だった。雪華は私の顔を見て、そのアクアブルーの宝石の眼を私に向けてきた。


「できないとでも? ……やるから……。はいはい、やりますから!」


 命を救ったという恩義から私に忠誠心を懐いていた、とまではいかないけれど、雪華は一人で謎の納得をしたあと、『氷牢』という対象を含む領域ごと氷漬けにする異能技で鉄球諸共閉じ込めるのに成功する。

 それを見ながらも私は何か、違和感の渦に嵌ったような、懸念の海に溺れたような感覚に陥っていた。


 そう――初手、散弾の衝撃を和らげた異能者がまだ姿を見せていない。この男に私の『赫眼』攻略法を教えた人物も他に居るはず。


 今のところ出てきたのは『加速アクセル』が三人、『クロックアイ』『サードアイ』『超聴覚』『空気抵抗調整エア・ドラガー』『固有加速ユニーク・アクセル』『風漂ドリフト』。名称不明、銃弾の火薬を操作する異能。そして金属玉を磁気操作か磁力で操る異能。

 目の前で無様に凍りついたこの男を除いて、この付近には敵勢力残り四人しかいないことになる。

 

 しかも。素直に言えば、戦った人の中に苦戦するような精鋭、エリート連中は混じっていなかった。

 風間薪、そのギア・八雲莉珠やくもりずを擁する代行者幹部チームは、統也に風間薪をぶつけ、ほぼ確実に仕留めようとしている。そういう計画を基盤にしている以上は少なくとも相手は「風間が統也に勝つ」ことを前提にしていなければならない。

 けれどその間に私達に逃遁を許し、雲隠れされるようでは意味がない。

 いえ……意味がないことはない。実質、青の境界という世界の均衡を保っている特級異能者を一人始末できる。


 けど、だからといって大輝をみすみす逃がすとも思えない。

 私達がこれ以上外部に逃げられないようにするための歯止めの仕掛けとして待ち伏せている彼ら……ここでいう総勢十五名は、大輝を確実に足止めする術を持っているはず。

 術を持っていると言うか、薪が子鼠に無理やり持たせたと言うか……。

 とにかく実力の乏しい「捨て駒」を私達にぶつけて時間を稼いでいる気がする。


 この感覚はなに? 私は何か凄い見落としを……。


 このときの思考時間は僅か三秒にも満たないけれど、


「あかねっち……?」

「どうしたのリカ」

「いやぁ、お前さんが珍しく浮かない顔してたもんで」

「気のせいよ。それより何をしてるの? 状況は一刻を争う。早く向こうへ走って」


 私はため息をつきたい気分に陥りながらも建物密集区を指差す。手筈通り陽動を舞花、雪華、リカとし、私が大輝の護衛を担うというフォーメンションを維持する英断を下す。

 数メートル先にいた舞花が先程と同様に先頭を走り出した。それに倣い、二人も後を追うという形。

 程なくしてこの場は、大輝と私だけになる。


「大輝。危なければ躊躇なんて要らない。影人化も、人殺しも」

「ああ……分かってる。今更そんなことで躊躇ったりしない」

「それと、私がもし――」


 そこまで言葉を発した、瞬間だった――。


「『光臨』」


 独特の放出音と共に光の束が一直線、凄まじい速度で放たれる。狙いは私。

 その一定方向の流れは、その高熱を以ってか分厚な氷壁までも溶かし、見事に貫通。


「はっ――!」

「茜!!」


 私は光線束の先端を視認した瞬刻、咄嗟に基礎工程単一加速魔法を用いて回避。隊服の布地すれすれでかわしながら、その光の正体が御三家・三宮一族の異能『穿光いと』かと思慮したけれど、発光が白色であるという点にそれを保留。

 直後、光の束は音もなく霧消した。結果的に氷壁にマンホールほどの溶解痕が残る。


「……怪我はないか?」

「うん。問題ない」

「にしてもアイツ、何者だ……?」


 白。でも、三宮拓海――ではない。彼にそんな演算力はない。

 よって、普通の人間が知覚することができるすべての光をほぼ均等に含んでいる「白色光」の方。波長の合成。その時点で配色因子に依拠していない。つまり三宮家の異能『糸』ではない。

 そんな思考に馳せながらも、すぐさま態勢を立て直し、光線が射出された異能源を向く。


「っ……?」

 

 無色透明な氷越し。そこには感情がなさそうな虚無の顔を持つ、しかし母性があるような雰囲気の女性が見えた。緩やかな歩みで近寄ってくる。


「お前っ、それ以上近づくな!」


 そう恫喝を加え、ドイツ銃器メーカーの黒いハンドガンを隊服の懐から出し、即座に構える。


「待って」

 

 相手の素性が判明していない以上、大輝の威嚇行為は正しい。しかし私はそれを右手で制止させた。


「え……?」


 不意を突かれたような顔で呆ける大輝を流し目に、正面の麗人を見据える。

 女性にしてはかなりの高身長で、せいぜい二十代前半。異邦人のような顔立ちだけれど、控えめで大人しそうな面持ち。色白。

 生脚が不必要なほど露出した修道服七割、チャイナドレス三割のような不思議な衣装を身に纏う、薄茶色またはクリーム色のボブヘア。そしてどことは言わないけれど、豊満な発育。

 瞳孔の色素は薄く、加えて自我や主張も薄そうな人間に見受けられる。

 正直、すぐに気付いた。実は、魔力光の凪とその雰囲気を確認したときから確信していた。


「あなた……あの『アリス』でしょう?」

「――これは……驚いた。最高傑作であらせられる方が、私を認知していてくれたなんて。……ええ、本当に」


 この人が代行者にいるなど、あり得ない……そう言い切れる。

 俄然私の処理領域は余裕を失う。内心は酷く動揺していたけれど、それを悟られぬよう平静を意識して尋ねてみる。


「あなた、こんな所で何をしているの?」

「見ての通り……貴女たちの行く手を阻んでいる」

「あなたがその気なら私以外はもうとっくに死んでいる」


 この人は代行者なんかじゃない。少なくとも心は売っていないでしょう。この件に関してはアリスを手放しで信頼できる。

 彼女の所属は絶対に、聖境教会。簡単に言うとスパイにあたる活動をしていることになる。

 何がしたいのか目的が分からない以上、どうすればいいのか対処に困惑した。

 彼女はどこに携帯していたのか背中側から白銀のフルートを取り出し、

 

「私がそんな罪業を犯すなど……万に一つしかないと、貴女ならよく分かっているはずだよ?」


 隠しきれていない母性が溢れ、語りかけるような口調かつ穏やかな動作で、


「『悔悟』」


 そう呟くとフルートの頭部管に口づけする。

 そうしてフルート型の演算装置ミッド(英、キャストメディエーター)へ異能式を注入し、複写増幅を果たす。その証拠にフルートからは白銀の魔力光が溢れでる。

 そのフルートは明るく澄んだ音色で、まるでこの世のものとは思えないような、素人の私にでも分かる美しいメロディを奏でた。

 女神のような、天使のような旋律が響き渡ると、瞬間――氷塊で作り上げた壁を、炎の拡散のような爆風で吹きとばす。

 突然四散する氷塊。弾け飛ぶ氷の欠片。


「なんだ、今の爆破!?」


 破壊を加えられた位置は舞花、雪華、リカが走って向かい、辿り着きそうだった建物が密集する区域に移る手前だった。

 私や大輝の位置からは既に遠方であり彼女らの声は愚か、姿さえ確認できない。

 しかし視ずとも分かっていることがある。この女性アリスは罰を与えるとき以外、人は殺さない。攻撃にも相手を殺そうという気概が感じられない。

 その確信はある種の、兄弟への信頼のようなものだった。そう、同じ出身の――。


「リカ達なら大丈夫。取り乱さないで大輝」

「え、そうなのか? ……ああ、それより目の前の敵に集中しろってことだな……」

「うん、まあ……。それと、彼女が先程派手に披露した爆発術式の正体は熱音響冷却システムのようなもの」

「熱音響……?」

「音波を介して、排熱を冷却エネルギーに変換する。またその変換過程を操作することで、爆発的な高熱エネルギーを得ている。通常は温度差による熱エネルギーを音波に変換したり、音波を熱エネルギーに変換したりするだけの現象、熱音響効果なのだけれど……それをフルートによる演奏にて引き出し、活用する彼女の専売特許」


 『振』派生の音波を操る異能者。固有の音色、旋律を式として奏でることで物理・精神問わず様々な作用を作りだす。異能名称は不明。

 ――コードネーム[Aliceアリス]。聖境教会「十二柱」序列第三位「赦し」の刻印と銘を持つ改造人間。二つ名「戒律」。

 本名も国籍も不明。

 ただし、能力詳細と出自だけは知り得ている。


「どうしてそんなことが茜に分かるんだよ?」

「うん、それは。――だって、」


 音波由来の催眠、精神干渉系の能力と、波動由来の力学的衝撃や緩和を生み出す能力を持った起源「歌」の元超聖体で、強化戦士。


「彼女は出身が私と同じ、だからね」

「は……? 同じ??」


 要するに、あの柳沢邦光が携わったオリジン計画研究で生み出された超聖体シリーズ「十二柱」の一人。

 ディアナや私を含むその超聖体「十二柱」は、起源として強い素質を持ち、またそれに耐えうる器となるような天賦の才を有する異能者のクローン人間から構成され、それぞれ十二ある起源宝石に対応している。

 ディアナはエミリア・ホワイトからDNA複製され、『真珠宝パール』を埋め込まれている。

 私なら雷電凛で、『紅電石ルビー』。他の十人も同じく起源に基づいた異能者が選定され、そのクローンとして世に産み落とされる。


 才能を複製し、招集した集団。そうしてそれぞれの起源の象徴で首位にある者「十二人」を数値的な成果と身勝手な理由で決定し、残りは殺処分。

 十二人は例外なく改造人間で、それぞれ何かしらの有機生命体の核を移植されて常人を逸した能力を獲得している。

 ――言わずもがな、私の場合のそれは「赤鬼」ということになる。


 しかし数年前、中国部によるサイバー攻撃で本部が致命的な打撃を受け衰退。オリジン計画は、私の失踪、柳沢の失脚と共に失敗に終わった。

 結果、異常とも言えるような異能力を有したディアナや、正面のアリスら十二人が畏怖の対象になり、異能社会には不要な異物として腫れ物扱いされるようになる。以降彼女らは姿を隠し、表に現れることはなかった。

 

 アリス。現在は「平癒の園の会」という聖境教会秘密部署に所属するセラピストで、慈悲深くも憂いを帯びた美貌を持つ心理の誘導者マインドコントローラーとして知られる。

 たとえ全ての罪を背負うようなことになったとしても、どんな残虐非道な現実を突きつけられようと、人々に救いを与えようとする人物だったと記憶している。


「あなた……どうしてこんな損な仕事を引き受けているの? 自ら進んで、というわけではないのでしょう? ……最初の散弾衝撃を緩和したのはあなたね。音波エネルギー変換術式」

「さすがは最高傑作。……ええ、その通りだよ。あれは『贖罪』という空気抵抗、流体力学を応用して緩衝する術式。神から授かった能力の一つだよ」


 フルートを持ったまま両手を大きく広げ、母性を覆わずに展開する柔和な世界観。

 その様子は、とても堂々としている。危機感など一縷もない余裕綽々が都度の仕草、態度から滲み出ていた。しかしこれが尊大、慢心の類でないと私は知っている。


「最高傑作、ね。私は自分のことをそんな風に思ったことは一度もないけど、一応あの場での私の銘だからね。そう名乗るようには意識している」

「はてさて……紛う事なき研究所内での頂点トップだった貴女が、何を無稽なことを。――十二柱・……[K:0916]。謙遜もそこまで行くと慇懃無礼、私はそう思うよ」

「そう……? あなたの実力は私と比べても遜色ないものと思っているけど、私の勘違いだった?」


 私を含む「十二柱」には階位が存在する。

 アリスが言うように、確かに私は、序列第一位だった。

 けれどあくまでステータスの指標的なものでしかなく、全員がほぼ同等の戦闘能力を有していた。


「さあ……分からない。その答えを知っているのは運命だけ。ただ……分かることは、私の旋律で貴女を苦戦させるのは難しくないよ?」

「あっそう。それで、あなたの目的は何?」

「ここでは、蒙昧な愚民から不要な差別を受けることがない。貴女も異能士だから、私の言っている意味が分かるはずだよ?」


 隣で銃を構えたままの大輝は「は、何の話だ……」と漏らす。

 私も、果たしてこの会話には意味があるのかと疑問に感じた。意味がないというより、中身がない。この所属では私と統也、二条紅葉にしか分からない含蓄ある台詞。けれど適当に紡いだ言葉を列挙したような、そんな話題だった。

 戦争の中軸となる話題をいきなり振られても困るだけ。


「はぁ……私の役割はもうじき終わりを迎える。この汚職は、私には荷が重すぎる」


 アリスは晴れた口調で、どうしてか踵を返す。

 私はそれを無視して他の索敵を開始する。アリスの意図を隠すような立ち回りに時間の使い方を見る限り、陽動作戦だろうと考えたからだった。

 しかし――その「陽動」は、別の攻撃を誘導するための時間稼ぎでもなければ、攻撃の連携でもなく、ましてや援軍を待っていたわけでもなかった。 


「は、い……――?」 


 魔力の爆発的起こり。その前触れはあった。――私のだ。

 けれどそれは、私という反応速度に自信がある人間でも即応できないほどの起動速度。

 おそらくは予め、呪詛か何かでその発動式を準備していた――のね。



「三連式紅煉監禁『封獄』―――開放―――」



 どこからともなく、男女三人の声が夜の闇に響いた。



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