第246話 『forget-me-not』
*
――ネメは異能領域のほとんどを『反転』演算に回し、その「難攻不落」を身体域に領域構築した。
「今だけは逃げるが勝ちです」
会話が出来ている所を見るに、可聴周波数のみ反転しない選別式にしたようだ。おそらく電磁波は見えていないだろう。
光波をも反射することは即ち鏡を纏っているも同義であるため、体感は暗闇の中ってとこだな。
「音波以外のあらゆる事象、影響の反転……それで最後か?」
「最後……? 笑わせないでください。これからが始まりですよ」
「いや、何も始まらない。――『天無二日、土無二王』、性善説に基づく王道政治を説いた孟子の言葉だ。……雹理が来る前にお前を処刑する」
これは最後の通告であり、自身への戒め。
正直オレのマナ残量は、命に蘇生を受け復活した時から少なめではあった。更に言えばここに来る前、翠蘭と雪華の肉体に対して『再構築』を行使し残り僅かと言えよう。
若干足りないか……そう思っていると、折よく猛スピードでこの場に接近する気配をオレの浄眼が感知する。
「お待たせ――統也」
その閃光のような軍服女性は、赤い稲妻の尾を引きながら電光石火で屋根を移動し、到着と同時にオレの左側に降り立つ。スタッと着地、ビリッと火花が弾ける。
ライブ会場付近の現場に残存していた、およそ千体の影人全てを片付け終わった茜がこの場に合流した。
「流石。仕事が早いな」
相槌を打った茜はすぐに、ネメが這いつくばりながらも「無敵」を纏う様態を視認し、
「彼女、どうして動かないの?」
「オリジン武装『反転剣』の内部に秘蔵してあった特別紫紺石を先に破壊した。ヤツの可動作は基礎代謝量に依存するレベルまで後退してるはずだ」
「……?
「いや、しおり……女影らもそうだった。心臓の働きを失ってないのと、そもそも紫紺石やら起源宝石ってのは、その結晶構造にデータファイルを凝縮する技術なんだろ。オレにも詳しいことは分からない。保存しているアーカイブみたいなもので、それを失っても出しているタブは消えないってことかもな」
「宝石の結晶構造にアークのデータを……。CDみたいな記憶媒体ってこと?」
「おそらく。ただの推測だが」
翠蘭が不死身なのは、自身の肉体やマナといった情報を全てデータ化して起源宝石にバックアップしているからなんだろう。それをいつ何時でも同期できる条件下に置き、虚数術式による
「ふーん……じゃあ本体の息の根を止めれば、終わり?」
「ああ」
影人の肉体が再生できるのは、
しかしコイツのように格納データの方から破壊された場合はこの限りではない。つまり、再生のための糸口は消えた。
「ネメ」
オレはそのまま数歩進み、立ち止まる。反撃の手を残している可能性も考慮し、およそ車三台分ほどの直線距離を開けて、
「……オレは昔、名瀬家でも追放されるレベルの無能力者だった。……知ってるか? 『異能』という技術は『魔法』とは大きく異なり、『配色因子』と『異能領域』という二つが揃って初めて形になる。オレの場合、演算領域は持ってたが因子が無くてな」
「いきなり、なんの話ですか……」
「無能力者だったオレが、凛の
『檻』は、異能体の構築に関しては紛れもない発電系能力。無色な布地に「蒼」を落とせば、無垢な檻は「蒼」に染まった。逆に、「蒼」の布地に「紅」を落とせばその間色に転化するのも道理だ。
次元や空間とは、みんなが難しく理解しているよりも単純なものだ。
「……なにを今更。私は今、反転防壁の最終形態を構築している。いかなる攻撃を何重にしようとも無駄に響くだけですッ」
そう、コイツにとどめを刺せなかったのは、最終奥義なのだろう反転防壁『
それは術式中和とベクトル反転を『
しかし仮の浄眼の環境下とはいえかなり無理な強化で、術式や異能演算領域の消耗も尋常じゃない。雹理の救助がなければ放っておいても数日で死に至るだろう。
「多分嘘はついてない。今の彼女、帯電による電荷の受理も反転している」
茜は電磁の伝播を読み取るルギアサイトの上位互換、『
「ああ、分かっている。一応あれで、雹理が助けにくるのを待っているんだ。その時間稼ぎに全神経を注いでる」
だがネメ、お前は知らないようだな。
「茜、少し
訊くと彼女は小首を傾げ、
「うん勿論……ただ術式に正味の特質を組み込みたいのなら、統也のマナ回路に私のを直結する必要がある。少しビリッと来るかもしれない。それと……普通に『マナ』で通じるから」
少し怒ったように漏らす彼女を横目に見た。今のオレの意向を全て汲んだ彼女に驚きつつも、承諾と了解の意で頷いたのち、差し出された右手をそっと掴み、互いに握り合う。
いつぞやの夕暮れ。凛と隣り合い、繋いだあの手の感触と同質のものを感じる。滑らかな柔肌も、伝わる温もりも――同じだ。
「やっぱりな。あれは、茜だったんだろ」
「え……なんの話?」
「いや」
茜の右手と自分の左手を強制リンクし、彼女からマナを分け与えてもらい、また回路を直結することで光励起の補助もしてもらう。そこに媒介はない。
「ん―――」
彼女の予言通り、髄まで痺れるような感電感覚。と同時に、凄まじい電気エネルギーが流れてくる。
正に充電されているような感覚で、茜の壮絶な苦労が、逆境への奮闘が、オレの内に流れてくるように思えた。
「反数の写像は茜に任せる」
「分かった」
「境界――複合『蒼』」
「電界――共役『紅』」
手周りの直列部分から溢れ出し放電する色彩は、彼女の名の通り茜色で、塒を巻くその紅気はビリビリと明滅する度に外場をオレの術式に侵入させ、違和感なく馴染ませてくる。その電弧はエネルギー音を抱き赫々と拡がってゆく。高まる次元の波が赤、青にそれぞれ発光し原子モデルのように乱れ――、
「――――」
『とーや、大好き』
『好きだよ、統也くん』
『あたしは統也とずっと一緒に居たい。統也のギアとして生きていきたい』
『私にとって統也くんより大事なものはないよ。残念だけど、私は統也くんが大好きなんだ』
理緒、命――すまない。
オレは今、君らを踏み台にして前へ進もうとしている。
確かに君らが好きだったし、大切だった。多分、誰よりも。
自らを孤高と嘯くつもりは毛頭ない。でも自分の心に蓋をして、孤独の意識は変えられなかった。愛されていることを自覚できなかった。
分かっていなかったのはオレだ。
愛を育めなかった。君らと見つめ合えなかった。並べなかった。
どんなに接近しても、心に触れても、どこか独りで、君らのそれを受け入れられなかった。
「好き」という感情……それは紛れもない本心だったと今でも思う。
今でも君らが好きだ。今でも君らに会いたい。今でも君らの声が聞きたい。
でも結局、オレの小さな小さな掌では、誰も守れなかった。
だから――すまない。
「ネメ……お前はオレが会ってきた敵の中でおそらく一番強い。お前が最終奥義を用いるなら、こちらも出し惜しみするつもりはない」
別にネメや影人という異形の存在を怨んではいない。更に言うなら憎んでもいない。単に自分という無力な存在を認めた記念がネメだった。
オレの考えが足りず、全て自分の知識不足、経験不足が招いた惨劇だと分かっている。だがその苦境も全て乗り越えた――隣の人と共に。その契機の遠因がお前ってだけだ。
「オレ達の花と共に散れ――」
茜の手をしっかりと握り、そのほとぼりを、その電位を擁したまま、反対の手をコイントスのような手印に。その握り拳を蕾として、親指の溜めを作り、悠然とネメの方に差し出す。
「はッ……! なにを――――ッ!」
他の異能家の人間は、容易にこの技の情報を入手できない。
オレが第零定格出力『霊』や三宮家秘技『糸槍』についての予備知識があったのは旬と、彼が昔仲良かった三宮桜子が暗黙了解を破り教えてくれたからだ。
それらと並ぶ、異能『檻』の極致。「蒼玉」と「青玉」の複合術式。
名瀬家の秘奥義『檻花』――放つ空間が個々に、花のような千差万別の色を持つことから。また、その空間純度を維持するため、花のように象る空間を構築して押し出すことから。
「一体、何をッ!! 名瀬統也ぁッ!!」
恥ずかしいことに以前オレが円山事変で放ったものは空間の調和を為さず、花形さえしていなかったが。
「じゃあな、ネメ。来世は同志であることを願うばかりだ」
この境地に至った名瀬家異能者は、濃い色と淡い色の空間を抱き合わせ合成する『檻花』にて、それぞれ異なる純色の空間を押し放つ。
名瀬家では、その生得的な「空間純度」――押し出せる空間の濃度、密度のようなものは、可視光「赤、橙、黄、緑、青、紫」の順でその空間純度指数が高まると判明している。
赤から紫になるにつれ、2.999次元のような「仮想の三次元」から「実際の三次元」へ極限的に遷移する。
仮想限界である「青色」を超え、実物の境界線を作る理論上最高純度は「紫色」だが、人間の異能領域で演算可能な上限は「青色」。
故に異能界では、空間の最高純度は「青色」だと知られている。
無論、オレが自身の術式や異能力に依存し、生成可能なのはその「青色」――「蒼」次元のみ。
だが、それを一個上に伸し上げる特殊解が存在する。
これは――他家の人間は愚か、名瀬家でも極わずかしか知らされない、その上界への到達方法。
「――――」
茜が備えるデルタ粒子の「紅」電界で空間精度を補強し、純度を一段階押し上げる。
「『
掌の開花と同時に親指を弾き、五弁花を象ったプリズム状の空間を放つ。
――複素式――
「『
*
右隣の彼はそれを放った。目を瞑りたくなるほどの光彩を魅せる紫の
異能領域に則するガウス平面の実装――虚数と実数の性質を併せ持つ「複素数」の術式。複素術式。今の統也にとって、それの掌握は至難ではない。
完全に生まれ変わり覚醒した統也。稚拙に言えば大人になった統也。理想や願望だけの指標で動くことを辞めた彼の横顔が、私には理解できなかった。
けれど別にいい。そう思う。
その矛先を理解できなくとも、彼に寄り添い、彼の破綻を受け止め、一緒に矯めていくのもまた私の役目。私の命の証。
そんな感情面を度外視にしても、きっとそこに、彼は最強として君臨し続けるから。
最強として彼方を目指し続けるから。消えることない罪と痛みを抱き締めて。
「……っ。凄い……眩しい」
私はその激しい光波と、空間に割れ目を生み出す非スペクトル色、燦爛たる紫を遮るよう小手を翳す。太陽光を直視した時のような感覚にやられ、眼球が麻痺してしまいそう。
伏見旬から一度だけ聞いたことがある。名瀬家には、真に洗練された『境界』を扱う人間にしか伝授されない秘密奥義があると。そして「蒼」の更に上があると。かつての親友が、それを単独で演算する偉才だったらしい。会得難易度は最上級で、旬でさえ防御できないという技。
『んー、なんだろ。複合での純色は当たったら絶望する技ナンバーワン。アレは世界自体を押してるって感じで、防げる防げないとかそういう話じゃないんだよねー』
その攻撃に音や実像はない。実存する物体でもない。ただ空間を押し出したという結果だけが残る。現実世界そのものを削る。
その最高純度を持ってすれば、これを前に不可侵な概念など存在せず、対象は絶対に抉られる。
『雷電家と名瀬家が仲いい理由……「異能共役性」。あまりに複雑な機構で、俺も理解してないんだけど……役に立つ日、来るかもね。愛しのダーリンのためだ。茜は覚えときな』
お調子声でそう言われたのを今でも覚えている。
『「
――“勿忘草”というムラサキ科の青い花にちなむ、至高の一撃。
その花言葉は「真実の愛」。
放出工程を終了し、また共同演算も終わった。もう手を繋いでいる必要はない。けれども繋ぎ合う手の力は弱まるどころかよりいっそ強まり、彼に「絶対に離さない」と告げられているように感じた。
そこからくる温もりが私に安心をくれる。幸福をくれる。
「統也」
意味もなく呼ぶと彼は、
「茜」
意味もなく呼び返してくれた。
在りし日の夕暮れとは違い、今は「私」だと判別してくれる人がいるから――。
[K]でも、「凛」でもなく、私として――。
暗黒の中、手探りで前に進めるかなんて分からない。この世界がどうなるかも、誰にも分からないこと。きっと永らく闇を彷徨うことになる。
それでも、私は彼と歩んでいく。誰にもこの共役を否定させない。
「この先もずっと、オレの隣にいてくれるか?」
彼と進むのは、それ自体が茨の道。過酷な試練の連続。
名前のない感情が右手から伝わってくる。それは覚悟かもしれない。
二人で道を模索していくしかない。手を取り合ってその茨道を越えていくしかない。その命尽きるまで。
「当たり前のことを質問しないで。約束したでしょ――二人で歩こうって」
言うと、心做しか彼の表情は緩んだ気がした。
「――――」
そうして紫の花形の極光はネメに直撃し、次元を震わせ、波打つ空間を為し、けれども静寂なままに振る舞い、彼女へ確たる死をもたらした。
*
オレはその静けさに耐えられず、何も考えずに彼女の手を引き、海抜が高めの位置にあった瓦礫に上り立ち止まる。そこで西の地平線を眺めた。
「綺麗だね……」
「ああ……君もな」
遥々渡って駆けつけてくれた君に、どん底から救ってくれた君に、オレは人生をかけて寄り添う。
こんなどうしようもない存在を見捨てず傍にいてくれた。折れた自分に必要な言葉、全てを言ってくれた。最後まで見限らず、奮い立たせてくれた。
「ありがとう、茜」
*
世界で一番嬉しいくらい、素敵な「ありがとう」をくれた。
私が今一番欲しい言葉、なりたい気持ち。
凝縮した想いがそこに込められていた気がした。
「ううん、こちらこそ」
すると彼は隠すように、誤魔化すように、ゆっくりと顔を上げ、限界まで赤く染まった空を見上げた。
その陽は沈み始め、今から極夜が訪れることを示唆する。
「耳を、塞いでてくれないか」
残照を眺める統也の頬には一筋の水が流れ落ちるが、私は見なかったことにした。
未練の水滴は顎を伝い、その色をきらきらと反射しながら、落ちた。
「さよなら……理緒、命。オレは―――、――――」
――――――――――――――――
黄昏編が終了しました!お疲れさまでした!
ここまで読んでいただき感謝感激です。いいねやコメント、質問など待ってます!
次章は「極夜編」です。世界の変革と、統也や茜らの変化を、見守ってあげてください!
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