第270話 姉と弟


 

  *



 俺は東北地方のとある田舎で暮らしていた。具体的には秋田県北部の小さな町だ。

 山の方や最深部に行けば本当に田んぼしかないような辺鄙な場所で、それでも、俺の人生は十分に充実していたと思う。


 二〇一七年、二月十四日。バレンタインの早朝。学校に行く前の出来事。


「黒羽くん。私、四つ葉のクローバーを見つけました」


 俺ん家の庭。雪の白が微かに残り、まだ新芽の緑はなく、雪解けの気配と積雪の名残だけが庭に広がる。そこで屈みながら嬉しそうに、しかし控えめに言ったのは同い年の向坂こうさか音芽ねめという女子生徒。

 低身長のボブヘアで、弱々しそうな容姿だが、その芯には俺でも気圧されるほどに強い一面を見せる。

 俺と彼女は今、十四歳の中学生だった。


「ほーん、すげえな。こんな季節に生えるもんなのか。バグみたいな感じかなー」

「ようちゃんに言わないでくださいね。また子供みたいなことして、と小馬鹿にされるので」


 音芽が言う「ようちゃん」とは、桃山陽子だ。いつも元気で笑顔を絶やさない性格の、俺の幼馴染。

 昔から何故か火を起こすのが異常に得意で、小学校の宿泊学習にてキャンプファイヤーの火源を失くした際などに大活躍した。けれど、どういうわけかその過程を俺には見せてくれない。

 火起こし職人にでもなれ、と言ってやりたい気分だが、彼女はパティシエを目指している。


「言わんよ。てか陽子はどこいった? まーたお菓子作りか?」

「ん……? 黒羽くん」


 意味深長に止める、台詞。


「あ?」

「今日が何の日か知らないんですか?」

「え?」

「フフ、変な人です」

「今日ってなんかあったっけ?」


 俺は意味深に微笑む音芽を見て、頭蓋内にはてなを浮かべた。

 されど俺には関係ないと思い、また、「ま、どうでもいいか」という考えに話題を帰還させる。


「で、結局陽子はどこいったんだ?」

「さあ……? 『仕事』があるとか言ってましたが」


 音芽はクスクスと鼻で笑いながら悪戯にそう言った。しかし当時の俺はそれを理解する頭脳と所謂「敏感さ」を備えていなかった。


「仕事かぁ……。はぁ~あ、俺もさっさと見つけないとなー」


 俺は大きく息を吸って田舎の自然を体感しながら、足を伸ばしきった状態で家の縁側に腰かけていたが、それを眺めて音芽が大きなため息を吐く。

 俺はそれを気にせず東雲の空を見上げ、思考を巡らせた。


「――――」


 母子家庭という環境から、俺はすぐにでも働かなくてはならない状況であると自らの運命について悟っていた。

 俺はこう見えて意外と成績がいい。優秀な高校に行ける学業成績は有していた。しかしそれだけのお金がなかった。奨学金なんて助け船のような制度もあるけど、働いて母を支えたいという想いが根底にあり、奨学金入学はやめた。それでいいし、それで幸せだと思ってた。


 まぁこうなった元凶は俺の父にある。黒羽玄亥という人らしい。俺の父は一言で述べると「クズ男」って感じ。

 母が俺を産んでくれた直後、彼は一生遊んで暮らせる大金が手に入るとか宣いて、結局そのままどこかへ姿をくらませた。

 警察の見解では、公的機関である関係上公には言えないが要は「もう死んでいるのでは?」とのことだった。

 

 過去に一度だけ、


「俺は今でも、後悔はしてない。とはいえ、君に言えることは『すまない』だけだ」。


 伏見と名乗った黒色の布マスクをつけた謎の長身男が会いに来て、そう話かけてきたことがあった。信じられないくらい、黒い髪、黒い瞳の。

 今思えば、俺の推しである伏見レナの異能的な血族だったのかもしれない。にしては金髪じゃなかったけど。


「何の話ですか……」

「ん。君の、許されないことした父親の話。ま、『父親』って難しいよね。俺も絶賛体験中」


 にやけ面で冗談っぽく口にしたかと思えば、今度は異常に声のトーンを下げ、真面目テイストをその声色に乗せる。そうして何もない空を見上げながら、


「君の父さんは、ただ君たちを裕福にしたかっただけなのかもしれない。ただ、その手段が間違ってた」

「はあ……」

「十年前の、美音にベットされた多額の懸賞金。それの四分の一を君の家庭に入るようにしといた。たぶん、今日とかに振り込まれると思うんだけど。こんなに時間差になっちゃったのは、それだけ上層部との許可、申請に時間がかかったって事だ。あの老いぼれ、まじで腐ったミカンたちだからさ。保身のことしか頭にないの。ほんと、きしょいよね」


 それを聞いてなお、俺には理解が得られなかった。


「結局、何が言いたいんですかね?」

「その金があれば、好きな高校にだって行ける。資金の使い道は自由だ、そう言ってんの」

「俺が……高校に行ける? それは、確かに嬉しいことだけど……」

「うん」


 男は確かな意志を持つ黒い瞳を擁して、強く頷いたあと、


「――たださ、忘れないでよ。それが、過去に生きた森嶋美音っていう一人の少女を犠牲に成り立ってる幸福だってこと」


 この台詞は俺にとって呪いとなった。彼が俺に何かを強制した、俺にはそう感じられた。

 その結果が『反蝶術式アンチバタフライ』による森嶋命との「出会い」だと知るのは、ここから数年先の事だ。


「頑張ってねー。俺は応援してるよ、君のこと」


 男は僅かに口角を上げて、去っていった。もう未練はないと、その背中は語っていた。


 まぁ話は逸れたが、そんな平和な日々、平和な日常を過ごしていた。

 今日だってその平和な日々、平和な日常が繰り広げられると、そう信じて疑わなかった。

 毎日何も起こらない、されど充実している、当たり前にある平和。

 ふいに、るんるんな雰囲気で音芽が開口。


「あのですねー、私、実は今日チョコレートを……」


 軽快な調子で喋り出した次の瞬間、彼女は自らのうなじを触り、


「は―――」


 急に音芽は口を噤み、「は?」と何かに対して強い驚愕を見せる。同調するかのように、共鳴するかのように表情が曇り始める彼女。その形相はまるで絶望を知ったような、そんな顔で、筆舌に尽くしがたいものだった。


「どうかし――」


 どうかしたのか、と俺がそう聞く暇もなく、


「っ……! なんですって!? そんな話は聞いてないです!! ふざけないでください!!」

「は?」


 今度は俺がそう口走っていた。突然そう叫んだ音芽を見て、とち狂ったのかと思ったよ、ほんとに。

 音芽は十四歳。そういう変な言動を皆に見せびらかしたくなる時期だろう。元々変なことを言うことが多かった子だし。


「私は許しません、そんな方法!! そもそも私があの伏見旬に敵うわけありません!!」


 脳内と会話するかのような仕草。ただただ意味不明で、その違和感、謎の言動に恐怖さえ覚えた。


「留めるだけと言ったって!! しかも今日決行!? 馬鹿なんですか!!」


 しばらくそれを続けた後、彼女は突如憂いを帯びた顔で俯き、


「ああ、そう……私を、裏切り者の代表にする気ですか……なるほど、そういうことだったんですか……。――渉、あなたは人間の仮面を被った悪魔です。『悪魔の因子体』よりも、ずっとずっと悪魔です……」

 

 その奇妙な独り言は続く。


「私が陽子と画策して因子体を救おうとしていたこと、どうやって知ったんです?」


 彼女の表情はみるみるうちに蒼白になってゆく。


「はあ、そんなことで……。私は……『彼』に賛成です。彼は自らがこれから犯す罪と向き合っている頃でしょうが、私はそれを罪だとは思いません。――『救い』です。救済です。この腐った世界をより腐らせる罪は、確かに存在するでしょう。しかしそれでも彼は最善を尽くそうとしてるんです! それを、まるで自分の計画の一部のように!! 許せません!!」


 そう憤慨を露わに叫び出す。それは珍しい光景で、彼女の心頭は滅多にお目に掛かれないからだ。


「後悔しますよッ! あなたのアドバンテージは『実は生きている』という事実の隠蔽、そしてその隠遁のみ! 伏見旬があなたを殺してから、実に何年が経ちました?? まだ幼児だったみことさんから権能アークの悪用。勝手に人の生命力を借りてまで蘇生」


 続ける彼女の口は収まらない。


「……伊邪那美の因果逆転で蘇生できる事実は、伏見旬には知り得ない。玄亥げんいの記憶でました。なぜ自身が生き返ったのか、蘇ったのか、伏見旬はその様相や式の構造、構築手段だけ理解し、それ自体を理解していない様子だった」


 怒りを前出しするその声色と台詞の直後、彼女は俺を悲し気に一瞥して、


「黒羽くん……ごめんなさい」


 そう言ってすぐさまその目線は彼女の前髪によって隠された。いや、隠したのだろう。

 しかし、左頬を伝った涙の線だけは見えた。


「は? 何がだよ意味分かんね。何の話だよッ!」

「ああ、こうなるくらいならセリーヌを先に殺すべきでした。私にはそれができたのに……」


 そう深い悔恨を告げ、空を仰いだ。


「どうせあなたの記憶も、私の記憶も変えられるでしょうから……何を言っても意味はないですね、フフ。けど黒羽くん――ありがとう。ここにあった思い出は、絶対に消えません。そう、絶対に。……そして、さようなら。できるなら、ようちゃんにもそう言ってお別れをしたかったです……」


 そう言って音芽は悲壮感漂う目を伏せたかと思うと、一目散に南へ走り出した。身長より高い、俺の家の塀を、人間離れした身体能力で容易に越えて、どこかへと向かった。


「おぉい!! ねめぇ!!」


 そしてその日、俺は気付いた。

 当たり前にあるその日常が、掛け替えのない特別だったのだと。


 二〇一七年、二月十四日。世間ではバレンタインデーなどと呼ばれるその日、「それ」は起こったんだ。


 

  *



 上下の瞼が徐々に開き、赤い光が両眼に侵入してゆく。

 なぜか俺の目がしらには妙に熱い感覚と、水の味。涙か――そうして意識を取り戻した俺は、赤い結晶により埋め尽くされた洞窟のような内装の壁面を見た。

 徐々に戻る視界。ぼやけていた視覚が鮮明になっていく様を感じる。壁面にはところどころ呪詛による灯篭が見られ、壁を為す血のような水晶はその光源を赤にきらきら反射し、不気味なムードを作り上げていた。


「う、うう、うう。う……ううーーー」


 ここはどこだ? そう言おうとしたが、俺の口はその言葉を発することはなかった。

 なんだこれ? 猿轡……? 

 それが口に痛いほど食い込み、気づけば両手首が強烈に縛られ、両側の壁から突出する鉄格子に括られていた。


 現在進行形で俺の身体を強力に束縛している、苺色ピンクに光るロープのようなものを視認し、心当たりがある、と思った。

 一年前、異能士協会の協議か何かで俺の処遇を決めるとき、今はうちの隊にいる三宮希咲さんが俺を縛ったものと同一のものだ。つまり、異能『糸』で間違いないはず。

 仮に上手くいってこの周囲の『糸』を振り切れたとしても、手前に蜘蛛の巣状に張り巡らされていることも考慮すれば、とてもじゃないが突破は出来なさそうだ。


「やあやあ、起きたかい? 黒羽大輝くん。……いや、玄亥の息子と言った方がいいかな?」


 目の前にはその協議のときに出席してた三宮家の男の姿が――。

 名前は確か、三宮拓真。三宮家の当主じゃないのか?

 黒調子の袴を着こなし、紅い結晶で構築された椅子に座り、脚組み。更に肘置きで頬杖していた。偉そうに座り、余裕綽々を態度に浮かべこちらを見物していた。

 

「うう、ううううう!!」


 放せよクソ野郎!!


 そいつは世の悪の権化のような不気味な笑みで、悠々と告げた。


「大丈夫、そんなに暴れなくても心配は要らないよ。君はもうすぐただの熱処理人形になる。ただ、そうなる前に、少し答え合わせがしたくてね。君が起きるのを待っていたのさ」



  *



 オレは姫奈と約束を結んで、それから三宮家の敷地内にある南部・外苑森林の進行を継続していた。

 この辺にもう一つ、地下室への入り口があると聞いたが。希咲の情報なので間違いはないだろう。

 そうして浄眼を発動し、地下の構造を確認しようと意識を情報次元に移した、その瞬間。


「っ――?」


 唐突、前触れもなく闇夜の木々の間からこちらへ撃ち込まれる電撃のようなビーム。赤い閃光と轟音を纏った独特の放出。音速を遥かに超え、爆音と共に直進してきた。

 オレはそれを感知するや否や即座に上半身を伏せ、そのビームの下に潜り、何とかかわすことに成功する。

 すぐさまビームは赤光と共に霧消し、その轟音を静める。


「これは……」


 呟くと同時、なんと、


「ええそうよ。実物を見たことが無くても、東亜連合艦隊をこの攻撃だけで撃退した、という話くらい聞いたことあるでしょう?」


 木々の奥の闇から、姿を見せる『碧い閃光』。オレの姉。

 

 名瀬杏子、ご本人の登場。

 やっと会えたな、そう言いたい気持ちを抑え今のビームに関して思考を巡らす。


 今のは茜の固有能力で、何より特級指定の異能術式である――『反電子雷爆レッド・スプライト』。なんならさっき、中国の核弾頭ミサイル精密迎撃の際、実物をた。

 超高層紅色型雷放電の一種を地上で強制的に引き起こし、爆心地点から全方位にプラズマ放射する最大広域雷電術式。


 寄与する窒素分子の発光スペクトルから赤に発光することが有名で、未観測の特級戦闘員「悪魔の紅雷」として海外に知れ渡った。

 数年前からオレもこの技とそれを為した異能者が存在するのだけは知り得ていた。雷電一族以外にも電気を扱える者がいるのかもしれないと考察させた原因で、電気が雷電一族の専売特許ではなかったと誤った知識を刷り込ませた事実だったが、旬さんはあえてこれに応じず茜の存在をオレから隠していたようだ。


 開発者・使用者共に茜。反電子群を球状配置し圧縮固定チャージする。その圧縮を解気き、互いの電気的斥力を利用して高エネルギーの電撃を無秩序に放出する広範囲攻撃で、名の通り、本来は爆弾としての技だ。

 しかし、最近では通り道のような「アンカー」を指定して、『陽電子加速砲ポジトロン・コライダー』という指向性を持つビームとして運用できるように改良したと茜から聞いた。これによってビームを収束させ一定方向に狙いを定められるだけでなく、有効射程、拡散範囲さえもコントロールすることができるようになった、と。


「久しぶりだな杏子。自分の技術ではオレに敵わないから、他人の技を利用しようってか?」


 オレはあえて慣れ親しんだ愛称「杏姉」とは口にしなかった。


「くっ……」 


 杏子はその煽りを受け、目付きを険しくすると同時に眉を寄せ歯噛みした。

 再度杏子を見ると、黒い戦闘用の衣服を身に着けており、また、その手には長めの槍のようなものが握られている。機械的な構造であり、見覚えのある外観。オリジン武装携行兵器「グングニア」か。

 それの先端に付属する射出口をこちらに向けている事実から、先のビームはあそこから射出されたもののようだ。

 

 杏子は歪んだ顔に浮かぶ皺を疾くと消し去り、その煽りを無視して仕切り直す。


「ええ、久しぶり統くん。元気してた?」

「さあ……どうだろうな。暗い未来と受け入れられない現実の中、生きる意味を見失ってた時期はあったが、比較的健康だと思うぞ」

「あら? そのまま生きる意味を忘れて死んでくれたら私としても楽だったのだけど」


 彼女は冷めた目と薄笑いを浮かべ、言いながら夜空に向け右手を伸ばし、その掌から瞬く間に『檻』を展開。尋常じゃない監禁速度で広範囲を囲い、オレ達もろとも付近数百メートルの領域を監禁する。


「たった今展開された檻「碧」で、『律』の封殺と、こちらの空間干渉力低下を狙っている、か」

「そうね、目的がバレたところで対処などできないけど」


 オレが100%出力の『蒼玉』『青玉』を放っても、正味その半分ほどしかアウトプットしない。一方で杏子はそれの逆、いわば強化効果を得ることができるだろう。自分本有の空間制御領域だからな。

 つまりこの『檻』内、『蒼玉』『青玉』の撃ち合いでは圧倒的に不利。コラボライブのときは相手に『檻』使いがいなかったため考慮する必要性がなかったが……。


「厄介だな」


 それだけじゃない。

 また一方で、領域構築の押し合いにおいて優位なのは演算力、異能術式の構築力がより勝る方。その観点からオレが杏子に領域構築で圧勝する未来は存在しない。


 平たく言えば、オレは何をしようと彼女には勝てない、ということだ。

 腐ってもオレの姉。名瀬家、稀代の才女。S級異能士「碧い閃光」。諜報潜入官アドバンサーに抜擢された逸材。最初に踏み入れた、最初に訪れた者。


 ――だが、彼女は知らない。

 オレが「権能アーク」を完成させたこと。

 『再構築』を有機体に対して何度も行使できるように改善したこと。その速度が異常であること。そして、それゆえに完成した防御不能の技があること。


「我が物顔で虎の子にしてるソレ、茜の私物らしいな。身内の犯罪に耳が痛くなるからあまり聞かなかったが、一体いつ盗んだんだ? しかも、盗んだ後も使用を続けている。まるで自分の所有物のように。杏子がそこまで下劣な人間だとは思わなかった」

「っ……。あなたには、関係ないわ……ッ」


 オレは静かに、『反電子雷爆レッド・スプライト』を可能にしている、その漆黒のグングニア――オリジン槍、全長約1.1mに目を向ける。その射出口、円筒状に広がるメカニックな内部は、まるで粒子加速器の中枢のように複雑な螺旋構造をしている。


「関係はある。杏子、あんたは裏事情にばかり首を突っ込んでに気付かなかったようだな」

「……? 何のこと? ……何を、言ってるの」

矛星ステラではかなり話題になっていたから、当然知られているものと思っていたが……茜は――内側こっちにいるぞ」


 わざと不敵に口角を上げて見せ、少し溜めて勿体ぶってから教えると、俄然杏子はその顔面から冷静さを失う。


「なっ、そんなわけ……!!!」

「ふ、知らなかったのか」

「く……!! でも……だから何。私には関係ない。ただここで、あなたを打倒するのみよ」

「言っておくが今のオレは昔とは違う。そしてオレがここで負けて死んでも、今度は茜があんたを止めてくれる。そういう確固保険つきだ」

「ふん、私があの凛の贋者に敵わないと?」

「さあ。だが、茜はそんなに柔な女じゃない。まあこっちも、負けるつもりは更々ないがな」


 オレはその開戦宣言と同時にマフラーを首からするりと外し、『檻』の「空間切断」を付与。瞬間マフラーはこの闇夜で、光源として蒼く光る。


「諦めなさい統くん。『檻』では電磁的な相互関係から、コレの完璧な防御は不可能。第一術式『解』でも、このグングニアの超絶的な射出速度を無効化することはできないわ……!」


 正式名、オリジン神姫矛「グングニア・デルタスピア」。

 グングニル。北欧神話の主神オーディンが持つ槍を模した、オリジン武装のスピア形態か。曰く、白夜雪子せっちゃん自ら完成させた茜の携行兵器。

 オリジン武装のパイオニアは柳沢邦光だが、完成品のこれを設計、作製したのは紛れもなく雪子だ。


 神話にてグングニルの性質は「決して的を外さない」と「敵を貫いた後に自動的に手元に戻る」という二通りの解釈があるとされている。ゆえに、この槍を向けた軍勢には必ず勝利をもたらす、と。

 おそらく雪子はこの兵器の「速射性」と「不可避性能」、そして高出力ビームとして放ち、すぐに霧散する様をもって命名したのだろう。


「解の虚数強化『虚空』でも、予め術式を展開しておかないと間に合わない。それほどに速い」

「へぇ、そうか。それは、そうしとけっていう助言か?」


 浄眼にて情報次元に視覚を移し、改めてグングニア本体を視ると凄まじい機構であることがよく分かる。如何にして負荷なく使用者に『天照術式』由来の正の荷電粒子を流し込めるのか。

 荷電粒子……主にバリオンをストックするため、電荷ストレージを電池のような特殊容器でそれを密封している。放出とその後の工程の作成に必要な魔力供給源のみ使用者にする形だ。


 先刻あのビームが放たれた際、オレは衝撃波を受ける覚悟でいた。『再構築』もやむを得ないだろうと考えていた。しかし実際は体勢を低くし、その陽電子の流れを避けるだけで完全に攻撃を避けきれた。

 だが通常、荷電粒子であっても実物体を音速のおよそ数十倍で放てば衝撃波が発生するのは自明の理だ。それは雷鳴が轟く現象からも理解できるだろう。

 しかしあったのは轟音だけで、衝撃波は生まれなかった。ということは、電界の方向補正だけでなく不可視の結界か何かで「通り道」のようなレールを敷く機構が存在する。それが茜の言っていた有効射程、拡散範囲のコントロールに使用する「アンカー」だと推測できる。


「助言ではないわ。そもそも虚数術式の純蒼解『虚空』……浄眼で術式を解読する必要性がない解体は空間情報を元の状態にリセットする技術。空間を知覚できる私に気取られぬように発動するのは不可能よ。そして発動の兆候を確認し次第、私はあなたを撃つ」


 そして杏子は再びグングニアを見せびらかすような仕草で構えた。

 機械的な内部構造を隠す反情報シールドも完璧な代物で、オレの浄眼でも容易くは読み解けない。そして、異能として誤差なく作用する仮想演算も文句の付けようがない。


 素直に雪子に脱帽したい。

 これほど高度な技術力と非凡な発想を三年も前に。

 しかもオレより年下の人間がこのオリジン武装を完成させたという事実。


 功績はそれのみで終わらず、仮説上でしか実現しなかった同調装置チューニレイダー、無理難題と言われていた「VAI理論」までもを決定版に至るまで進化させた。というか、オリジン装置の大半は彼女の発明だ。オリジン社の各研究部署が躍起になって勧誘、その莫大な資金を彼女一人に払うわけだ。

 茜が、あの年齢の少女に対して臆せず「博士」と呼び敬意を示すほどの人間だ。

 天才、なんて言葉は容易に使いたくはないが、白夜雪子は本物だったな。

 

「オレを殺して何がしたい。それとも単に邪魔なのか? 悪いがオレは黙って死ぬつもりはない」

「……そう……なら、今ここであなたの身体を貫くまでよ!」


 杏子はその場で演算を開始する。起動式から入力され、仮想演算術式がグングニアの内部回路に凄まじい速度で巡り出す。明らかに杏子由来ではない、紅く迸るマギオン光。

 オレも『解』のため、浄眼で付随する発動式を読み取ろうと奮闘するが、


「なにっ――?」


 起動式――解読、完了。


 展開範囲、確認。


 発動式――、


「――――」


 ――複雑すぎる。駄目だ、これでは間に合わない。


 オレはせめてもと思い、上半身を捻じらせる。それが功を奏し、紅い閃光と轟音を纏った雷のようなビームはオレの右腕のみを巻き込み、マフラーごと焼き消す。痛みに対してはかなり強靭な耐性があるオレだが微かに表情筋を歪ませた。

 幸い、傷口は焼け溶け、溶接されたようになっているため、応急手当や止血の必要はない。

 しかし、胴体に当たらなくて良かったと考えずにはいられない。特に心臓。直撃ならば即死も視野に入る。

 右肩から先を失なったオレは身体を前に向けたまま素早く後退し、大股で二歩下がりさらに距離を取る。


「次は身体に当てる。もう観念しなさい!」


 そう言いながら大きめのジャンプで接近してくる杏子。


「観念? オレはまだ戦えるが?」

「何を言って……。あなたの権能アークは有機的な難解構造に対しては一日に一度だけ。おそらく風間薪との戦闘で一度使わされているでしょう? つまり、その右腕は直せない」

 

 成程、そのために風間薪と戦わせたのか。こちらが致命傷を負うと想定して。

 実際オレは負傷を、火傷を含めれば二度か三度負ったわけだしな。


 だが、杏子は知らない。

 オレを愛してくれた二人の女子を犠牲にして前に進んだあの日、それを無制限に行使できるようになったことを。

 オレは左半身を前に、逆に右半身をうしろにして死角を作り上げる。



 ――アーク――。



「空間切断のためのマフラーももう無い。今のあなたに私は殺せないわ。いいから私の言うことを聞いて。私に従って……この世界インナーワールドの人を、皆殺しにするのを手伝って。そうすれば全てが終わる。この悪夢も、終焉を迎える。もう、誰も苦しまなくていい。関係ない人が、罪のない人が、この理不尽で涙を流すこともない」

「皆殺し? それで六割ほどの人間が救われると、本当にそう思っているのならそれは勘違いだと述べておくぞ」

「……どうして?」

「姉さんが何をどう考えているか知らないが、魔法士は影人に居なくなってほしいんじゃない。異能士に居なくなってほしいんだ」

「影人が消えれば、その争いはなくなる」

「本当にそうか? オレはそうは思わないが」


 ――よし、終わった。


「うるさい……! 私は、もう決めたの!」


 そう言って、否定的な声に耳を塞ぐように感情に任せてグングニアにて演算を始める杏子。

 先と同じく凄まじい回転速度だが、その発動式をしっかりとこの浄眼で捉えることに成功した。


 オレが先程術式を解読できなかった最たる理由は、茜の『陽電子加速砲ポジトロン・コライダー』がとても複雑な術式で、特に電界での射出方向の限定と、「通り道」の作成の工程がとても入り組んでいたからだ。

 これらを同時に操作し制御する茜は凄いな。その演算力は世界トップレベルだろう。というより、異常だ。

 しかし意外か、結界を自動で出力する内部装置の恩恵で、杏子でもその荷電粒子の流れを見事に収束し放っている。

 再三、雪子がどれだけ凄い発明家であるかが分かる。


 瞬間、放出されそうになる赤光の荷電粒子。デルタ粒子というバリオン。

 右手とマフラー無しでは流石に詰みか――。


 否。

 オレは素早く、そして大きく一歩踏み込み、実は予め『再構築』して再生していた右手と右手で握るマフラーを射出口に思いっ切り突っ込む。


「えっ? 右腕が!? マフラーも!? どうして!!」

 

 マフラーに付与された『解』の高出力空間分解によって『陽電子加速砲ポジトロン・コライダー』を解体。

 しかしその「赤い放出」と、「青い破壊」の効果は同時に作用した。ゆえに放電現象と共に散る電撃が飽和し爆散。両エネルギーが魔力光波の色彩を放つ。

 杏子はグングニアを中心に、オレは右腕を起点に、そうして互いが強烈な反作用を得た。


「くっ……!」


 この分解速度でもギリギリなのか。茜に文句を言いたい気分だ。

 オレはこの衝撃波でまたしても右手を壊してしまう。右上腕はあらぬ方へ曲がり複雑骨折。また、マフラーも灰燼と化し、背後に吹き飛んでしまった。


「くあッ!!」


 杏子の方はバネで引かれたように飛ばされ、手に持っていたグングニアも遥か後方へ弾かれた。

 だが、彼女は二度地面に身体を打ち付けた末、咳込みながら素早く立ち上がる。

 オレはマフラーと右手の相対位置や骨ごと砕けた右腕の肉体情報などをまとめて『再構築』。


アーク


 それを瞬時に……いや零秒で終了し、オレはそのまま全速力で向かってくる杏子へとマフラーを薙ぐ。

 彼女はそれを華麗な身のこなしでかわし回し蹴りを入れてくる。

 すかさず反情報強化した左腕で防御の構えを取る。しかし、彼女の足には檻「碧」が付与されているのを目視。

 このままでは左腕が悲惨になってしまうと判断し、オレは縦にしていた腕を伸ばす動きに変更し、左掌を咄嗟に前へ出す。そうして『檻』の障壁を展開してそれを防ぐ。

 バジンと響き渡る衝突音。燦爛たる青と緑が散った。


「くっ……」


 その隙を狙ったのか、戦闘状態をリセットしようと試みたのか、杏子は『蒼玉』と思われる濃密な碧の虚像球体をオレに打ち込む。『蒼玉』の経路圧縮でバックしかわすと、それは地面を抉ると同時に砂塵を撒き散らす。あわせてオレは一旦距離を取る。杏子も同じく下がったと浄眼で確認。


「はぁ……疲れた、疲れたわ……」


 何を思ったのか、遠くで、不意に開口した杏子。彼女は自我を制御できていないような妙な表情で、懐を漁り出す。


「私にとって……あなたは弟。たった一人のね」

「――――」


 その発言は決意だったのか、しかし無視すると、杏子は戦闘用コートの懐から正体不明の「注射器」を取り出す。中の液体物は無色透明なのが遠目に分かるが、明らかに正常な薬物ではない。


「杏子、やめろ。何をするつもりだ?」

「気付いてた……素の私は、成長したあなたには勝てない。……これは嬉しいこと。うん、とっても嬉しいわ。強く、なったのね。……でも、実力という真正面の要素だけが戦闘の勝敗を分ける材料ではない」


 あの怪しげな液体。もしや風間薪が言っていたドーピングとかいうやつか。

 運動能力、筋力の向上や神経の過剰興奮などを目的として使用する特殊薬物。通常のドーピングの意味を取れば、こうなるが。

 彼女は注射を三本、立て続けに首元へ打ち込み、そうして深く溜息を吐くと神妙な面持ちでポツリと告げた。


「……私は『因子体インナー』じゃない、そうよね?」

「ああ、当然だ」


 諜報潜入官アドバンサーは例外なく――。


「あんたも、オレも」


 紅葉も、セシリアも。雹理も、拓真も。


「『因子体インナー』じゃない」


 そして、凛もディアナも、旬さんでさえも。


「そして茜も」


 人種が違う、なんて差別的に思ったことはない。

 彼らを「悪魔」だと「化け物」だと蔑み、冷遇したこともない。オレは一回でも理緒をそんな風に考えたことはない。そしてこれからも考えるつもりはない。

 しかしそれでも、事実として生物学的に「雪華や玲奈ら内側の人間」と「オレ達」に存在する差。

 

「ええ、だから『影人』にはなれない。――なりたくても」 


 そう。


 影人の正体は人間だ。それは紛れもない事実。

 実際、知性影人シーズである大輝は影人化できるし、極論雪華や玲奈でも無垢な影人化ならできる。


 だが、俺も茜も、影人にはなれない。たとえ、どんなことをしようと。


「そうよ、なりたくても。そうなのよ……。なれたらどれほど楽にこっちにつけただろうって、意味もないと分かっていながら考えてしまうのよ」


 言いながら杏子は、浄眼でなくてもその変わり様が認識できるほど甚だしく肉体を変化させた。肉体の形質ではなく主に色素。視覚的にはすぐにそれが何かを判断できた。

 そう、視覚的には――。


「もう一度聞くわ。私は『因子体インナー』じゃない、そうよね?」

「ああ、そうだが」

「じゃあ……私は……悪魔じゃないのかしら?」


 自分でも何を尋ねているのか理解していないような雰囲気で問う杏子。オレはそれを無視して思考を続ける。

 これは、ドーピングなんていう生易しい物じゃない。

 浄眼が告げる。影人化よりも負荷がかかる。瞬間的なゲノム編集? 肉体改造か。いや――、


「ねぇ統くん。私は、白愛とあなたをこの世界から守りたかっただけなの。それがどうして……どうして……なんで、自分から危険に飛び込むの? あなたも白愛も……」


 切なる瞳はこちらを見据えるが、こちらはさらに身構え、手に入る無為な力でマフラーを握った。


 オレの中にはずっと疑問があった。


 収束式『蒼玉』は名瀬家奥義ながら、一部の人間にしか扱えない。

 『蒼玉』は虚数域の技術。虚数式の平方工程を術式に組み込むことで負数効果を得ていることは言うまでもないが、数学上、負数は実数に分類される。

 だから実数域で演算する名瀬家相伝の裏道たるアイデアが存在するものと思っていた。

 だが、『蒼玉』の収束式そのものが虚数の級数のような術式構成として成り立っている。負数なのはあくまで投影した後の付随事象に過ぎない。


 ――では何故、虚数域の異能演算領域を持たない杏子が『蒼玉』を発動できるのか。


「”どうして、こうなったの?”」


 ここで、その解答を知ることになるとはな。

 

「”分からないわ。今の私はただ、あなたを殺したい。どうして……?”」


 杏子は右の瞳を赤にして、右半身の皮膚がトカゲのように黒色に変化し、まるで半分影人に成ったような容姿でオレを睥睨した。


「”殺し、たいの?”」


 その赤き片眸は、オレがよく知るかつての姉のものとは異なっていた。

 オレはオレの中にある「杏姉」を抑え、封印するように目を逸らす。


「杏子、あんたが成りたかったモノは、それなのか?」


 影人は――虚数術式の、虚数術式による、虚数術式のための細胞と肉体、脳を持っている。


「本当に、それがあんたの目指す姿なのか?」


 虚数域を持たず、また、影人に成らずにそれを為すためには……。


「オレは認めない。今のあんたがオレの姉だとは」


 つまりは、そういうことだ。


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