第268話 衝撃



「統也、私じゃだめなの? 私だけじゃ、満足できない?」

「いや、悪いが――」

 

 すると突然、茜は肘を曲げた状態で腕を上げ、手の指をグーのように丸めると、手首は前方に折り曲げ、とあるポーズを完成させる。

 

「浮気は許さないにゃん」

「―――は?」


 オレは茜の言動を情報処理するのに数秒を要した。言わずもがな普段のイメージからはかけ離れているためだ。

 一瞬の間で猫に豹変した茜だったが、耐えられなくなったのか、または我に返り恥じらいを覚えたのかは分からないが、


「あの…………ごめん、違くて。ただの間違い……。なんでもないから、本当に……。本当に気にしないで」

「あ、ああ……」


 急に目線を逸らし、途中からまるで何もなかったかのようにすぐさま能面にリセット。膨らんでいる胸の下で腕を組み、構えていた猫の手から直した。それでやっと平時のクールで優雅な立ち振る舞いを取り戻す。


「さっき固有領域を構築したから、その影響で頭が疲れてるのかも……」

「前頭葉前半部の演算処理領域消費による疲労……判断力の低下……まあ実際に起り得ることとはいえ」


 さほど関係はないだろうな。逆に言えば、茜が珍しくオレに感情らしきものを見せてくれたということでもある。

 そして何より、全てが可愛かった。正直、抱きしめたくなってしまうくらいには。


「もしかして、嫉妬でもしてくれたのか?」

「んと、違くて……。ただ、雪華さんには統也を渡せないなって、そう思って……」

「ああ、成程。独占欲強めか?」

「な、何か悪いですか?」

「いいや。そんなことは言ってない」


 これの立場が逆バージョンを、以前やり取りした気がする。


「悪いがな、」


 さっきの言いかけた「いや悪いが、」の続き――。

 オレは意識的に表情筋を緩める。


「――オレは茜じゃなきゃ駄目なんだ」


 それを聞いて小さく息を吸うと、多少俯くばかりで彼女は何も言わなかったが、いつもは動かぬそのポーカーフェイスに一瞬の緩みと紅潮を生んだのをオレは見逃さなかった。



  *



「……大輝が死ぬかもって時に、何やってんだか私。自分の落ち度なのに。再認識すると面目がない」


 茜は懺悔のような様相で呆れ顔を作った。厳密にはそう見えただけで、思ったより無表情なのだが。

 そして猛省を終え、オレに顔を向けた。


「で、その表情だと何か他に話したいことがある様子だけど」


 今までのこれはただの余談だ。メンタル回復のための。

 二人とも戦争中におけるメンタル回復の重要性には理解がある、ただそれだけ。


「そうだな、大輝について。少し真面目な話をするか」

「うん、そうね。さすがに駄弁が過ぎた」

「まあある程度の推測はできてる。これまでの連中の動きから、まず間違いなく大輝は殺されるのではなく何かのツールにされる。というのがオレの見解だが、茜はその辺りをどう考えてるんだ?」


 言うと、茜は補佐指揮官コンダクターモードに切り替わり自然と表情が引き締まる。さっきの猫になった事実は早くもデリートしたようだ。


「うん、私もそうだと思う。八雲も遺言で、虚数式の『焔』で特別紫紺石アメジストをシトリンに昇華させるとか言ってた。そのための熱処理道具にされるって」

「シトリン? 黄水晶のことか」


 シトリンという宝石特有の黄色やオレンジ色は、クォーツの結晶構造に含まれる、ごく少量の鉄分によるものだ。


紫水晶アメジストを450度から500度で加熱し、アメジスト内部の鉄イオンを変化させ、それまで反射していた紫色を逆に吸収しやすくする。その結果、紫色の補色である黄色を反射しやすくなり、黄色に見える。一般的な原理はこんなものだが、異能を絡めるとどうなるかはさっぱりだ」

「単に継承者の異能を強化できるとかじゃないの? コラボライブのときに見た糸影、女影は正直異能を巧みに操れているとは言い難かった。そういったことを踏まえての強化が必須なのかも」

「かもな。ただでさえ魔力回路のようなデータ機構はブラックボックスが多い。そこは推測しても正しい結論が出るわけじゃない。机上の空論というやつだ」


 茜がうんと相槌を打ち、それから数秒の間があった。

 話題転換のための沈黙か。彼女はオレから目を逸らし、そして戻した。


「……それと……もう一つ、話しておこうかな。あの時は周りに皆がいて言えなかったけど、あののこと」


 沈黙を破った茜は複雑そうな無表情でそれだけ述べた。あの凍結、と。

 適宜、敵勢力を削っている大規模な凍結のことを指しているのは言うまでもない。

 

「ああ、間違いない。あれは特級指定の広域冷却領域魔法……さらに虚数魔法の一つ。[大紅蓮地獄インフェルノ・ゼロ]だ」

「でしょうね……」


 茜はため息交じりに漏らして、精神的に脱力した。向こうで培った豊富な戦闘経験からなんとなく推測はできていたはずだが、いざオレの浄眼の保証付きで断言されると、頭を抱えたくなるのだろう。実はかくいうオレも頭を抱えたい。


「仮に実数振動魔法による上昇術式[灼熱王国ムスペルヘイム]、低下術式[氷霧王国ニブルヘイム]だったとしても理解が追い付かないのに……虚数魔法なんて……あり得るの? よりによって、で」

「ただでさえ純粋な魔法を扱える者が存在しないIWで……やはりどう考えても妙だよな」

「本当に意味不明。統也、再展開の際、青の境界の選別式を間違えたの?」

「いや、そんなことはあり得ない。青の境界の再起動は前回の術式情報をそのまま引き継ぐ。初展開の当時は白愛や杏子にも確認してもらった。あの頃は味方だった杏子が嘘をつくはずもない」

「シャルロットに記憶を弄られてた可能性は?」

「ないな。あそこには旬もいたんだ。旬が、シャルロットの権能発動を見逃すような間抜けだと思うのか?」

「……ないね」


 茜自身が苦慮、混乱しているのは伝わってくるし、その理由もよく理解できる。そのくらい、魔法士がここに居るのはあり得ないことだ。

 右利きの集団に、左利きが混じっているなど。

 しかも、混じること自体が禁忌だというのに。


「こんな思案に意味はないかもしれないが、オレの周囲の敵勢力のみが削れているのも不思議でならない。まるで『お前を守っている』と、遠回しに言われている気分だ。茜はどの程度把握している?」

「はい? ……どういうこと?」

 

 茜は意味が分からないという顔をした。


「実はな、オレたちが目撃した二か所以外にも凍結による制圧はあったらしい」

?」

「全て浄眼による検視でしかないから、言い切っていないだけだ」

「他にも[紅蓮地獄インフェルノ]の痕跡が残ってた、ってこと?」

「ああ。一件だけ誰の目にも明らかな焼痕が残っていた廃病院があったがな。風間戦を終えたあとの道なりでだ。要約すると、その魔法使い様は少しずつオレの周囲の敵勢力を削りながらも上手く立ち回っている」

「え……でも待って。それだとおかしいのだけど。莉珠はそれを察知している様子も、配慮する様子もなかった……ってことは、まさか――」

「ああ、気付かれないように削っている、とうことだ。少しずつ、敵陣だけを。巧妙に、計算高く」


 茜は何かを考えこむ仕草をする。彼女が今考えていることはオレにも分かる。


「味方だと思う?」


 その魔法使い様が、敵か味方か。この二択はおそらくこの世界の命運を分かつほど重要な鍵になってくる。無論、茜もその事に気づいてる。

 言い方は悪いが、無知で素人の雪華たちは知らない。――「魔法」が汎用性や強度、種類、応用などを総合的に評価しても「異能」に勝ることを。それも、一般的な水準で述べるなら圧倒的に。


 「魔法」と「異能」。それぞれメリット・デメリットは異なるが、魔法士は生得的な異能力に縛られる異能士と異なり、多種多様・変幻自在、あらゆる事象情報を書き換え、別の事象を引き起こす。

 勿論、今認可されている魔法術式の中でも得手・不得手や可・不可が存在するだろうが、それでも能力の系統や分類は多岐に渡る。

 分かりやすく例えるなら、風間一族は炎しか出せない。名瀬一族は空間しか操作できない。

 が、魔法士は固体の位相変換から、更に風圧を変化させ、振動上昇で物体を熱し、炎をおこし、爆弾を作ることも可能だ。この組立魔法を[真空破裂サーモバリック]という。

 そう、世界は言うほど単純じゃない。


「茜、莉珠のところへ向かうまでの間、どれくらいの代行者暗殺チームと交戦した?」

「んと、三つかな。だから駆けつけるまでに時間がかかった。彼ら、雪華さん達のことは見逃してわざと莉珠のもとに通してたみたいだから戦闘にならなかったのと、そもそも雪華さん達はその存在に気付かなかったみたい」


 話から茜は三つの代行者グループにより待ち伏せされ、攻撃を受けたらしい。雪華らは八雲の融通でか戦闘せず素通りされたらしいが。

 それに対し一呼吸置き、答えた。


「オレは、ゼロだ」

「え? 何が?」

「代行者に襲撃された数が、だ」

「ゼロってことは……なに、統也が強すぎるからはなから標的にしないってこと? それとも風間薪が相手すれば事足りると想定していたから準備不足だった? ……そんなわけない」

「おかしいだろ。つまり、その魔法使い様はなぜかオレに攻撃する予定の代行者達だけを余さず掃除してしまった、というわけだ。まるで――オレを護衛するかのように」


 「都合が良すぎるね……」と顎に手を当て悩む茜だが、オレはそこで、


「あと、もう一ついいか」


 賢い茜ならオレのピリついた顔付きだけで、これ以上に真剣な内容を話すと察しただろう。


「ん?」

「これを教えたくて、どっちみち君を呼び止める予定だった。緊急性はこっちの方が高い。手短に結論から言う。――おそらく雹理らとは全く関係ない、海外の諜報潜入官アドバンサーがオレ達を狙っている。いや、もしくはオレ個人かもしれない」

「今度は何? 海外からの刺客? ……でも、どうしてそんなことが分かるの?」

「浄眼だ。青の境界内、オレの動向を監視している衛星が四つほどあると確認した」


 オレはそう言って上空を指差す。


「……四つも?」


 これはもう自意識過剰、で済まされる数ではない。ここからは完全な予想だが、欧米が主な勢力だろう。


「オレも気付いたのは風間薪を倒した直後だ。違和感を頼りに空を見上げた、その時は何もなかったんだが、少し後に集中して再度確認すると、結果はこの通り。気付くのがあと少し遅れていれば状況はさらに複雑化したかもしれない」

「けれど、それが諜報潜入官アドバンサーによる監視だとは限らないんじゃ?」

「確かにな。IWの人工衛星管理権は例外なく記憶改竄を受けていない人物。だが、アドバンサーだと断定できるわけではない。確かにそれはそうだ。が、うち三つの衛星内部の機械構造に同調装置チューニレイダーを改造したような痕跡を発見した」

情報体マギオン信号は『檻』を透過する。その特性を利用して情報を流してる、ってこと?」

「多分な。……だが一つの衛星だけ、なぜか不可視化がかかっていて内部を視ることが叶わなかった。まあそのお陰で無理に把握を試みて、結果、他の監視衛星にも気付けたんだが」


 情報収集衛星ごときに「反情報」と「不可視化」を付与し構える陣営は普通じゃない。おそらく、相当こちらを警戒しているか、こちらの脅威度をよく理解しているか、のいずれか。また、単に代行者などに知られるとまずい違法衛星なのだろう。

 オレに気付かれたのは現在の浄眼の性能を見誤っていたから――と言いたいが、恐らくそれはない。つまり、この一つのモニター衛星だけはオレがこれらに気付くよう誘導するためのキーだ。

 遠回しなやり方だが、こんな意味不明なことをする人間をオレは一人しか知らない。


「ちなみに、中国の諜報潜入官アドバンサーは既に動き出したらしい」

「もう? 嘘でしょ」


 オレを始末したいなら、注意が逸れる関係上、現状のような何かと対立して戦場に身を置いている段階で決行するだろうからな。割と常識の範疇だが、茜はその展開の速さに目を丸くした。


「核ミサイルを構えてらっしゃるようだ」

「核爆弾? どうしてそんな事まで分かるのか知りたいのだけど」


 訊かれる少し前から、オレはスマホ画面のメール本文で茜の眼前を遮った。


「さっき、柳沢から秘匿回線でメールが来た。オリジンコードの暗号文を使用しているが、内容は今言ったとおりだ」

「珍しい……まさかそれを信じるの?」

「こんな虚偽を述べても聖境教会に利点はない」

「教会に利点が無くても、邦光本人にはある。自分の主題研究を潰され、台無しにされた過去の報復を果たせる」

「中国軍への報復、か」


 それは、茜とオレが初めて出会った日の出来事らしい。中国の空軍によってマギオン放出式の爆撃が投下され、更には遅延性のサイバー攻撃を受けた事件。柳沢邦光のORIGIN計画の研究を頓挫させたその事件。

 

「その側面もあるにはあるだろうな。まあ、実際の真偽は茜に調べてほしい」

「ここの通常PCで衛星回線をハッキングする手段は知らないけど……分かった、調べておく。けれど……調べて事実だったらどうするの?」


 茜は顎を引いた状態で、真摯な紅い瞳を向ける。

 少しの間があった。それはオレが口を開くまでの間。されどオレの覚悟を示す間。


「事実だった場合、核ミサイルの発射や、攻撃を開始する兆候を全国の衛星にわざと映させてから――」

「中国のミサイル発射場を潰すの?」


 茜は遮り、オレが告げるべきセリフを確認した。まるでオレの罪を肩代わりするかのように。

 通常は不可能に思える北日本国北海道から中国湾岸東部への超遠距離攻撃。しかし、世界に六人しかいない存在であるオレには、不可能ではなかった。


「ああ。オレを暗殺する目的のためだけに、北海道の一部を獄炎と放射線の海に変えるような連中に、オレは躊躇しない。あと数分で離脱し攻撃準備に入る。雪華らには別件を済ませてくると伝えておいてくれ」

「私も行くから一緒に言い訳を考えればいいけど……ミサイルはもうじき発射されるの?」


 茜の懸念していることは分かる。大輝の生死についてだ。

 彼を救出する前に済ませておかなければ間に合わないのか、という類の疑問。

 しかし、逆だ。大輝のことを考えているからこそ、中国アドバンサーの余計な介入によって損失を増やしたくはない。


「予定では一時間二分後だ。……できるだけ大輝奪還に集中したい。野暮用は済ませておきたい」

「成程……うん、そういうことなら分かった。弾道ミサイル発射の真偽の調査以外に、私は何をすればいい?」

「とりあえず、こちらに爆撃される正真正銘の核ミサイルの処理をお願いしたい。茜の特級異能攻撃なら可能だろ。放射線の影響についても君の方が詳しいからな。着地点の計算や誤差補正が必要ならオレも手伝おう」

「分かった」



  ◇◇◇



 二〇二二年、十月二十日。この日、世界に衝撃が走った。

 否、が世界を震撼させたのだ。


「あ……? なんか津波警報鳴ってるぞ。地震か?」


 現場。統也と茜が諸事情によって姿をなくしてからはや一時間が経過した頃、そう言ってスマホ画面を凝視したのは椎名リカ。

 続いて雪華が口を開く。


「ほんとだ。えっと津波の原因は……正体不明の大爆発……?」

「あぁ? 爆発ぅ?」

「爆心地点から同心円状の青白い発光によって核ミサイル軍種が壊滅……中国臨海部軍基地で、って。なに……これ……。一体なにが起ったの……?」


 彼女はニュース画面をスマホで確認、スクロールしていきながら、不安からか眉を寄せ誰に言うでもなく整理を求めた。


「青白い発光……どういうことですの? 核爆発って化学反応でそういう発光色なんですの?」

「核ミサイルの誤爆や他勢力による爆破ならば、綺麗に同心円状なのも、青白いエネルギーなのにも説明が付きませんが……」


 眉間に皺を寄せる舞花と希咲。互いの表情は俄に曇り出す。この場には正体も分からぬ緊張感だけが漂う。

 

(これは――。やったんですね、ついに)

(いつかやるとは思っていましたが……)


 翠蘭は「この場に居ない人物」そしてこの「ニュースの報道」だけで何が起こったのかを完璧に推理することができてしまった。



 その正体不明のは個人で中国の軍事力に対抗しうる実力を実際に提示した上で、唯一全世界へ通じる改造された監視衛星インターネット回線をハッキングしてもらい、それこそ各国の権力者に宣言した。その英語メッセージは直訳で、


『――ここにて告げる。自分は異能士とも、魔法士とも、因子体インナーとも、また、そうでない者とも平和的な共存を望む。だが自己防衛のために武力行使が要される場合は、決して躊躇わない』


 世界にはその脅し紛いの言葉を笑止千万、荒唐無稽と笑い飛ばした者も大勢いた。何を馬鹿なことを。とんだ大口を。と。

 だが事実と正体を知っている実力者、関係者は彼が実際に一人で国家と戦い、勝利できることを知っていた。それだけの価値ある功績を持っていることも知っていた。

 早急にあらゆる国で情報操作が行われ、専制国家では徹底した隠蔽、また、民主国家では戦果の矮小化。敵を取るに足らない存在であると印象操作することで、「彼」の力も大した脅威ではないと思わせようとした。

 

 しかし――情報を操作したその当人たちは、また、それを命じた上層部や諜報潜入官アドバンサーは、彼の恐怖から逃れることができなかった。

 一時は決して彼の逆鱗に触れない。それが彼によって呈された暗黙の了解。


 伏見旬以来の世界的衝撃と、各国の均衡が崩れ始めるその瞬間が、今日――。


 たった一人の異能者に、国家規模が恐怖する空前絶後の事件。

 のちに、この事件は「彼」の姓から取って『ナセ・インパクト』と呼ばれることになるが、それはもっと先のことだ。




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