第256話 嫌悪と欠陥
*
暗夜の中。統也が作成した作戦と彼の指示のもと、私――天霧茜は大輝、リカ、雪華さん、舞花さんと共にジャングルのような森林公園内を、道という概念を無視して走り抜けていた。
行先は無論、公園全体を覆うように張られている結界の外側。
幾ら単独行動を容認している代行者組織とはいえ、風間薪にもギアとなるバディがいるはず。よって、外で敵が待ち構えているのはほぼ確実。
「私は外に出たあと大輝を最優先で護衛するつもり。それが私の役目であり統也から任されたプライオリティ」
誰に向けてでもなく告げた。
「分かってますわ。自分の身は自分で守る」
今回統也は珍しく、舞花さんではなく私に指揮権を譲渡したのもあり、うしろの彼女らをまとめ仕切るのは私でなくてはならない。
まあでも、統也に頼まれては仕方がない。
「天霧さん……ちょっと待ってよ!!」
早速問題その一、かな。雪華さんが何やら文句を言いたげ。
「なに? 今は揉めている時間などないのだけれど」
「別に揉めたい訳じゃない!」
「ならなに?」
走りつつ振り返ると、雪華は私と目をわせてくる。その白に限りなく近い水色の髪、まるで水晶や宝石のように乱反射した水晶眼は、雪子博士を彷彿とさせる。
「五十嵐先輩はさっきまであんなに元気で笑顔を絶やさなかった……!! ついさっきまで生きてたんだよ! なのに、なのに……!!」
「一日二日の関係でしょ? 何をそんなにのめり込んでいるの?」
「……ッ! 天霧さんの、その冷めた目……それが嫌いなの。……分かるかな? 統也と同じで人を見透かしたような目をする。でも統也と一つ違うのは、あなたの方は土足で踏み込んでくること!」
脈絡のない話題の展開にも度肝を抜かれたけど、随分な言われようで驚いた。
私はそこまで人の心を覗き見るコールドリーディング力はないし、ましてや心理掌握術もない。せいぜい、虚を衝かれないように交渉するための会話テクニックや、諜報活動のためのハニートラップとして男性の気の引き方を心得ているくらい。
「おい! 何がなんでも今するべき会話じゃないだろ! んなこと分かるだろ雪華!?」
少し、というかかなり怒り心頭気味でリカが叫ぶけれど、確かに的を射ている発言。今の私達に必要なのは連帯感を高める心理誘導と、一時的でもいい、結束力を築くこと。
私は再び前を、結界外へ続く最短経路を見つめた。
「戦場で死ぬのは当たり前。生き残るのはごく一部の人間。私の周りにも戦死した友人はたくさんいる。けれど死に際、彼らは口を揃えて言う。悲嘆するな、前へ進め、と。私はその強く揺るがない遺志を尊重しているだけ。それを無視し嘆くことは時に、その志を踏み潰し冒涜するに同じ」
「そう……そういう考え方……なるほど……物凄く冷徹なんだね、天霧さんは」
「――――」
「私……統也の、前に理緒を修復した技思い出したよ。ダークテリトリー調査のとき、あれで理緒は完治した」
その当時のことは統也の報告で聞き知っていた。女影よりも理緒の生死を優先し「再構築」を発動したという報告書を読み、統也の信条に変化が現れたことを知った。
「でも、統也の五十嵐先輩を見る目で確信したよ。先輩は助かんなかったって。でもあなたは、まるで先輩が死んだ事実をすぐに呑み込んだような、受け入れたような、そんな顔をした。それが許せない!」
走り抜けながら悲痛とストレスを叫ぶ雪華。それにリカと大輝が対応してくれる。
「雪華、誰だって受け入れるのは簡単じゃない。あたいだって辛い。でもな、自己の責任を、果たせなかった後悔を人になすり付けるのは違うだろ」
「ああそうだ。俺もつれぇよ。でも……!」
声やその調子だけでその人の心情が分かるほど、私は人間という生き物について詳しくない。でも、五十嵐寧々を失い、彼らが平常心を欠いているのだけは明確に伝わってくる。
「分かってるよ。……けど! けど! 何も解決しないのは、分かってるつもりだけど……!」
悲嘆を隠せない雪華。むしゃくしゃしているのか、彼女は泣いていた。
確認する必要もない。鼻水の混じる声を、ここで走る全員が聞いているだろうから。
ふと、統也が昨晩寝泊まりしたビジネスホテルにて放った台詞を思い出した。
*
昨晩、潜伏先のビジネスホテルの二人部屋にて。
「茜、本当は分かってるんだろ。雪華はただ、新しい仲間を引き入れて、死んで、引き入れて、死んで……その魔のループが嫌いなだけだ」
ほのかなオレンジのベッドランプに照らされ、その色を反射しながらベッドの端に腰かける統也と私。
「魔のループ……?」
「ハン・リア、千本木刀果に始まり……神崎雫、静名真昼……」
ちなみに要らない補足だけど、ベッドは別で寝た。私は統也が押し倒してくれるんじゃないかって淡い期待を抱いたけど、結局統也はそんなことはしなかった。
おかげで私は柄にもなく、夜もすがら統也とのえっちな妄想で脳内が埋め尽くされ、自らの泉のように湧き上がる情欲を抑え込む羽目になった。
「まあ異能士として未熟なところがあるのも事実だ。異能やセンスには恵まれてる方なんだがな。以前オレが彼女に呪いをかけてしまったのが、いけなかったらしい」
「呪い?」
「そうだ。刹那伝説にも出てくるあの第零術式……彼女は以前それを使い死のうとした。当時いた五人の懲罰委員メンバーを助けるためにな」
刹那伝説。太古の昔、「刹那」という白夜一族の先祖がシベリア以北に出向き、一年を通じて凍結している北極を作ったという逸話。
しかしこの話には不審な点がある。海氷や氷山は約4,600万年前に北極海に現れたとされているからだ。その時代には当然、人類などいない。
『霜』の中でも、氷を顕現させ一帯を氷結させる術式。正式分類名は「白極」。これの第零術式の最大出力で命と引き換えに北極を作ったという、あくまで伝説の与太話。
「それを統也が、寸前で助けたの?」
少しの間のあと、
「どうして分かったんだ?」
「統也の行動ならなんでも分かるから、と言いたいとこだけど、現に雪華さんは生きてるしあなたはすぐに女子を助けるから」
私は心の靄を隠しながら顔を背けた。
「あのときの彼女の乱れぬ決意を、並大抵では抱けない死ぬ覚悟を、オレがふいにしてしまった。だが彼女自身はそれを特別な出来事のように考えているんだ。それ以来彼女はオレという男に縛られているように見える。何故かやたらと茜へ懐疑心を抱いているようだし、それも関係してるのかもな」
「ふーん。分かってるから避けてるけど、私はどうすればいい?」
「……避けてる、か」
統也は一拍開けて、
「茜、問題を避けるのもいいが、真正面から衝突しなければ見えないものもあるんじゃないのか。たとえば……彼女の本音、とかな」
*
……本音、ね。
恐ろしいことに、私には何がそこまで雪華を悩ませているのかが分からない。
その根幹が分からない。私は雪華に危害を加えた覚えはないし、嫌われるようなこともしていない。
赤い瞳、雷電一族、鬼――いわれのない理由で、全く正当性のない評価、偏見を受ける。そういう経験には慣れている。だから雪華に嫌われて傷付くことはないし、実はかく言う私も雪子博士の義姉ってこと以外、彼女に特別興味はない。
いや――これが駄目なのかな?
この、統也を除く世界の全ての人がどうでもいい、というスタンスが問題なのかもしれない。
「総員注目。移動しながらでいい。聞いてほしいことがある。いや、嫌でも聞いて」
進行路を定めて木々を抜ける中、私は先頭を走りながらも背後の即席部下に語り掛けた。
「ん? 何だ、あかねっち」
「私は――雪華が嫌い」
「はぁ!?」
いきなりの発言を受けたリカは想像通りの反応をくれる。
意外にも雪華は何も言ってこなかった。我慢しているのかもしれない。
「というより、統也を好きな女子全員が嫌い」
「いや、えっ、ちょ……」
「でも、けれど。今だけは部下として認めているつもり」
見ていないのにリカの胸を撫で下ろす様子が目に浮かんだ。
「なんでこんな不道徳な発言をするかって? ……嫉妬心という感情は私の中にもある。同様に、他人を疎ましく思う気持ちも存在する。けれど同時に、怒り狂うことも、ヒステリーを起こすこともない。それが私の――『欠陥』。それを説明したくて」
「欠陥ですの……?」
と舞花さん。結界外に出れば即戦闘が始まる。戦闘前にすべき話題か?と疑問に思ったのでしょう。それとも単に、それは欠陥ではなく良いことなのでは、と思ったのかもしれない。
「はっきり言って聞く意味のない、どうでもいい話だけれど必要経費だと思って」
しばらく誰も喋らない沈黙が続くが、大輝がそれを破った。
「……俺は統也みたいに賢い会話とか上手い返しはできないけど、話くらい聞ける。ここに居るみんなも作戦や自身の行動パターンについては暗記してるはずだ。今更話すべきことなんて何もないしな。だからその、必要ないどうでもいい話……聞かせてくれよ」
「ええ、ありがとう。そう言ってもらえると遠慮なく話せる」
大輝に背中を押され、話すことにした。自分のコンプレックスを。
人の心をこじ開けようとして駄目なら、まずは相手に私の弱さと色づけされた劣等感を知ってもらう必要がある、そう考えた。
うしろで駆けるリカ、雪華、舞花、大輝にとっては意図の汲めない語り出しだっただろう。
「深い共感能力、激しい情動、感情による衝動性、エトセトラ……私には生まれつき、それらが大幅に欠如していた。感情の起伏が少ない児童が産まれた、そう思ってくれれば分かりやすい」
そう、生まれつき一部の感情が欠落している。柳沢邦光が率いたORIGIN計画の研究所で、自分の担当研究員は私にそう告げた。
けれど「生まれつき」が嘘かどうかなんてのは外の世界に出ればすぐに分かる。
だって。
だって、雷電凛の遺伝子クローンである私が「私だけ」特別にそんな感情欠落を持って産まれてくるはずがない。オリジナルの凛にはそのような失感情症のような症状がないのに「私だけ」そうなるはずがない。
凛という少女は普通に笑い、普通に泣き、普通に怒れるのだから。激しい衝動を持って、人間として当たり前の性質を持って生きているだから。
だから「私だけ」にあるその素因があるとすれば、それは私が起源「雷」の「超聖体」である点や「強化戦士」である部分にあるはずだ、と。
「でも調べていくうちに、その限定的な感情の欠落は生まれつきではなく後天的で人工的なものだと知った。私は異能士として強化されるべく特殊な人体実験を受けていたから、その実験による付随的なものだった」
「は……? 人体実験?」
流石に驚いたのかリカがその言葉に初めて反応した。
「うん。たとえば、本来人間には備わっていない耐性を強制的に植え付けられたり、単に過酷な戦闘訓練を受けさせられたり、脳の異能領域を拡張されたり……色々。それはそれは楽しい日々だったかもね」
その冗談に返す人はいなかったけれど、皆が息を飲むのが伝わってきた。
「私の強い衝動の欠如に限って言えば、脳を弄られたのが原因だった。人間の感情処理領域、これらに異能演算領域を人工拡張したせいで起こった副産物。……本当に厄介な副産物でしょ? まあおかげで、主産物である異能の演算処理能力は人並みはずれているのだけど」
ここではそういった文化はないだろうけど、こういう特殊な改造手術を受けた人間を、異能や魔法の世界では兵器として作られた戦士――「強化戦士」と呼ぶ。
私は凛の遺伝子クローンでありながら、超聖体であり、同時に強化戦士でもあるのだ。
でもだからと言ってそれらを施し、私にそのような運命を背負わせた柳沢邦光を恨む気にもなれない。正直どうでもいいというのが本音。それが忌むべき悲劇だと豪語したいわけでもない。
ただ私の弱点を一つ、この場の皆に晒すことに意味がある。
「ん、待て? でもじゃあ……あかねっちに恋愛感情は――」
申し訳なさそうにリカが口を挟みそうだったから、急ぎめに私は口を開いた。
そう。でも、それらの生まれながらに課せられた使命を、変わることのなかった運命を、研究所の壁ごとぶち壊してくれた人がいた。
当時コンプレックスだった私の全てを許してくれて、私を助けてくれた英雄がいた。
真に、私を私にしてくれた人がいた。
そう――。
「だけれど……そんな霧神の最高傑作にして人間の欠陥品である私にも唯一、残った感情がある」
それは鬼であり贋者である私が、凛と入れ替わって過ごしていくうちに、暗闇の中でやっと探り当てた、発掘した、確かな情緒。
「それは、ある人への想い」
それが誰なのかなんて尋ねるような愚者はここにはいないだろう。そっち方面の感情に疎い大輝でさえ、その相手が誰かはっきりと思い浮かべることができるはず。
――統也に会いたい。ひとりじめにしたい。一緒になりたい。彼に尽くしたい。彼を支えたい。彼に全てを捧げたい。彼のものになりたい。
この胸の奥から湧き上がる止めどない想いが、溢れる気持ちが、人間という生物が本来持っているべき感情だと思った。
そこには不純な思考、打算的な欲望も混じっているだろうけど、それでもそれがそれである限り、とても綺麗だと思った。
彼の見せてくれるこの世界が、突然きらきら煌めいて見えた。
本能的な衝動。未知への好奇心。霧のように不明瞭で不鮮明で、こんなにも根拠がなく、形がなく、こんなにも直観的で、こんなにも切ない。
どれだけ冷静になっても、ただひたすらに彼に強く惹かれる。辛いまでに深く思いを寄せてしまう。
まるで林檎を木から落とす重力のように、炎の穂が上へあがるように、私の全ては彼に吸い込まれてしまう。
それが私の支柱。私の全て。私の人生。今の私を人間たらしめていると言ってもいい。
「その感情が、私の中の人間としての本物。コピーではないオリジナルの産物」
私の生い立ちを知らない彼女らには発言の趣旨は咀嚼できない。でもそれでいい。私という人間も何かに悩んでいることが伝われば、それでいい。
しかし、理想と現実は違う。その思惑に反し雪華が堪らなくか、
「だからなんなの!? 結局彼に相応しいのは自分だって言いたいの? だから私には分不相応だって言いたいのっ? 統也があなたのものだとでも言いたいの?」
と、意味不明なことを叫び出す。当てつけに彼女を批判したとでも思ったのか。そのヒスぶりに少しだけ羨ましいという異常としか思えない考えを抱いた自分に驚いた。
「どうしてそうなるの。そんな面倒なことは一言も言ってないでしょう」
「あなたが悲劇のヒロインだろうとなんだろうと私には関係ない。私は異端のあなたを信用できないし、する気もないの。たとえ統也がどんなにあなたに心を開いていようと、リカがどんなにあなたを信用していうようとそれは変わらない」
「今はそれでいい。私を恨みたいなら恨めばいいし、嫌いなら嫌いでもいい。私にも好き嫌いはあるから。だけれど、最低限上司として信用してもらわないと困る、と言っているのよ。命令系統の一貫性が損なわれるレベルまで嫌悪されると、迅速な状況把握に苦戦したり、判断や対応が遅れたりする。そのくらいあなたでも分かるでしょう?」
「うん、そうだね。そうかもね。でもごめんね、無理なものは無理」
冷たく突き放すようにそう言われてしまった。私は雪華さんに随分と嫌われているらしい。
「おい雪華! なんでそんなに意固地になるんだ! お前、今はそんなこと言ってる場合じゃないってなんで分かんないんだっ!」
私のために怒ってくれてありがとう。でも、
「いいのリカ。雪華さんだってストレスの限界だったのでしょう? 私に不満があるのなら戦闘の最中で破裂したり、亀裂が生じるより、今ここで吐き出してもらった方がありがたい」
「お、おまっ、あかねっち……まさかそのために……」
「そういうこと。とにかく雪華さん、今は何があっても私に従って。拒否権はない。指揮権は私にあるのだから。もし破るようなら身内でも容赦はしないからよろしく」
途中から雪華に向けての発言だけど、そう簡単に納得はしてくれないでしょうね。
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