第250話 極夜行
*
十月上旬。
『今日もいい夜ですね。……あ、すみません! 一日を通してずっと夜でしたねっ』
博物館内、そんな呑気な戯言を録音した女性のループ放送が耳に届く。また、照明の消された廊下を反響した。
館内の一般人は
「――――」
日光を大幅に遮る紫の天井が展開されてから早一ヶ月だが、その暗闇の続く世界でも人々は何とか活気を保っている。
夜時間は通常通りの暗夜が継続され、朝と昼はほんの僅かにその光量が届く程度の現状。
この現象を世界的に、原義に沿って「極夜」と呼んでいる。
境界内世界は、この「極夜」現象に対し四六時中街灯類を点灯させておくことを発表。個人的には当然の判断だと思っている。太陽の力によって示されていた人間の体調リズムや体内時計に狂いが生じるミクロの支障は時間の問題だが、仕方がないだろう。
青の境界内部からの外部系観測は不可能に近いため、世間的に「極夜」の原因は不明とされているが、浄眼を持つオレにははっきりとその「原因」が見えている。
菫色の、な。
『隊長……雪華と茜が到着だ。少し待てばお前の所にも――』
「必要ない」
オレはワイヤレスイヤホンから報せられる椎名リカの増援報告を遮り、浄眼を発動。
その蒼き瞳で正面を見据え、建築構造を透視。
『え……?』
北海道博物館の廊下、その先にある秘蔵庫への大扉をマフラーの空間切断で素早く切り刻み、その後速やかに侵入。
すると目の前の床に、無残に拡がる紅い液体を発見。暗がりでも異能士先遣隊の死者数名を確認できた。
「間に合わなかったか」
お前らの死は無駄にはしない。
「博物館の外……右は五体、左は三体いるな」
『は……!? いや、確かにそうだが……』
「右の五体を翠蘭に、左のC級を雪華に。茜には先遣隊の異能士を介抱させろ」
『……!?』
茜には虚数術式で他人を治療する能力がある。
『虚数術式』とは固有術式の名称ではなくあくまで技術群、発動形式の名称。オレが異能『檻』としてマナ回路に刻んでいる起動式「境界術式」などとは別物。
そしてこれらは主に「虚数を掛けていく技術」の総称。
また、マナという形態に虚数単位を四回掛けることで、期初のマナ情報をその後の物体に上書きできる。これを上手く利用し人体への治癒効果を発揮する。それが虚数術式の治癒。
現に影人はこれを毎秒規模で行い人間を超越した俊敏性と再生力を得ている。
茜はその比類ない演算力と経験値で、自己だけでなく、他者へもこれを流用できる。
「中は、オレが片付ける」
『は? 中はA級影び――』
ぷつんと途切れるリカの声。正確にはオレがイヤホンの通信を切った。
『地域放送です。××にA級影人三体を含む十一体が発生。異能士協会直属特殊親衛部隊第五班は、速やかに戦闘態勢を組織し、直ちに現場に急行してください。一般市民は――……」
それを聞き、
「放送が遅過ぎる。……な? お前らもそう思うだろ?」
正面で黒光りするマシンガンをそれぞれ構え、銃口を向けてくる影人二体に尋ねるが返答は返ってこない。
「グ……ァ……ァッ!」
加えてもう一体を闇の中……左後方から探しだし、背後からの奇襲要員と判断した。
「マシンガンに奇襲か。影人にしては考えた方だろう」
銃の扱いに、対人戦闘の陣形……「極夜」発生以来影人の知性レベルが上がっているな、そう思考を巡らせた瞬間、正面左右の影人は何の躊躇いもなくすさまじい発砲をスタートする。
「……っ!」
反射的に左手を右サイドから左に素早くスライドし、正面に4.5畳ほどの「檻」障壁を展開。
無数の弾丸が青い障壁と衝突し発生するマナの火花を横目に眺めつつ、倉庫構造の右側壁面へ座標収束「蒼玉」で瞬間移動。檻を解除しながら壁面を蹴りその反動で、右の影人の元に瞬間的に進行。そのまま胴体をマフラーで切り裂く。
「ガァッ……!?」
右側の影人が血を吹きだしている最中、もう一体もマシンガンを構えたまま反応し振り向くが、その赤い眼で背後のこちらを睨んだ時には既に、そいつも真っ二つになったあとだ。
「残りはお前か」
そう言って蒼き瞳で睨みつけたとき、最後の影人は俊敏な動きで左右の銅像や立体的な展示物を飛び回り徐々にこちらへ直進して数メートル先までジャンプ。だん、と鈍い音と同時に着地。
そうして後ろから奇襲予定だったその影人と対峙したが、
「じゃあな」
瞬刻には、疾うにオレは影人の僅か数センチ手前まで迫っていた。いや、正確にはそう認識した時には既に通りすぎていた。
マナの弾く作用で、素早くマフラーに付着した血液を分離。首に巻いたあと、落下した紫紺石には目もくれず、吹き荒れる鮮血三つの源泉を後ろ目に、オレはこの場から退散した。
*
何処とも特定できず一日中影人が蔓延る悪魔の時代へ突入したと言えるか、極夜毎日が一か月続いている。
当たり前だが世間的にも公認された異能士が活躍するようになった。特に厳しく軍隊形式で育成される部隊組織「
一般人はこぞってオレら「
先の緊急任務から帰還後、
「で、どうすんだよ統也。今回の件はあたいらが出動したから上手くいったが……言わずもがな異能士協会はもう潤滑に機能してない。なのに影人の自然発生率は未だ拡大の一途を辿るだろう。影人の発生件数と、その被害件数だけが伸びつづけている」
「どうするも何も、オレの班はオレ達の任されている領土に出現した影人だけを狩る。二条紅葉に従い続ける。基本的にはそれでいい」
そう告げたがその返しが不服らしく、不機嫌そうな顔でオレを見たあと、
「人々の不安も最高レベルにまで達してきてる。それも無視するのか?」
「その『人々』にオレ達は含まれていない。不安かどうかって程度で部下を危険にさらすようでは意味がない」
無論その募った不安による暴走、例えば庶民反乱などを未然に防ぐという意味では着目するべきかもしれないが、この万事多忙な時に反乱を起こすような庶民なら、悪いが助ける価値はそもそもなかったということになる。
この世界はもう平等という虚ろな形すら維持できないほどの、無情な世界へと変わった。それに適応できない人間は死んでいく。
「影人そのものの正体は相変わらず不明だが、人間から発生することだけは分かってるんだ。そして今や猛獣や通り魔が増えた程度の認識で世界に浸透している。たった二ヶ月で、だ」
人間が影人になってしまう原因は「人為的なもの」と「無作為なもの」が存在する。知り得ている知識を開示した茜もそう推測しているらしく、人為的なものは発生の際に電気的爆発を生じる。
また、影人としての細胞活性や有機組織に電磁的要素が含まれるため、そのトリガーには雷電一族が少なからず関係しているだろうとも語っていた。
自然的発生の方はその詳細の一切が不明で、こちらは実際に無能力者からランダムに選ばれた者が次々影人になるだろうと云われている。
中でも異能者は脳を制御する術を持っている影響か、作為的なものはともかく、無作為に影人化することはまずない。つまり「自分が影人に成るかもしれない」という、いつ何時も離れぬ恐怖と不安は非異能者にしか分からないのだ。
「わあったよ、隊長さん」
横目に確認するとリカは分かりやすく顔をしかめていた。
異能士協会直属独立部委員会「日輪」は実質資金が無くなり、その多くがなだれ込んだことも相まって異能士協会直属特殊親衛部隊「矛星」に所属する人口が増えたので、その恩恵で兵力システムは大幅に変化した。
六人一班、二組。計十二人の体制をなし、二条隊は言わずもがな隊長が紅葉、副隊長が風間蓮、他、功刀舞花、黒羽大輝、割石雪乃、三宮希咲。
名瀬隊隊長がオレ、副隊長が玲奈。雪華、翠蘭、ここのリカ。そして一応オレのギアにあたるのが――、
「それより、あかねっちについてだが……」
「……?」
オレはすぐさまにその意味を理解できなかった。
「茜がどうした? 非公式とはいえギアを彼女にしたのはオレの独断と偏見によるものだ。気にすることはない」
「そうじゃなくってだな……」
「ならなんだ?」
今はIW異能監督上層への書類報告等で忙しいので問題があるなら出来る限り早く述べてほしい。
まあ、今からリカが何を口にするかは大体見通しが付くが。
「一応、あたいはあかねっちを信用に足る存在だと判断してる。嘘が見抜けるからこそ、あかねっちが変な企みを持たないってことくらいはすぐに分かった。問題は……」
「雪華と玲奈か」
要は、雪華と玲奈は「天霧茜」というどこの馬の骨とも分からない女性を未だ信用できずにいる、ということだ。
*
「この女を仲間に迎え入れると……?」
二か月前、ミコ&レナコラボライブ会場の騒乱が落ち着いた頃、あくせく働く代行者と
「――――」
茜はオレの左で静かに佇んでいた。黒のスーツに着替えているのだが、これがなかなかに似合っている。着ていたオリジン軍服を、もう一人の
正面に雪華、向かって右には玲奈、その奥にはリカ、大輝が。翠蘭は事情聴取と報告書作成を続けている最中でこの辺にはいなかった。
「いや違う。仲間に迎え入れる、ではない。もう仲間だ」
雪華を見つめ真顔で頷いたが、
「統也。冗談はよしてくれるかな?」
そのときの雪華は氷煙を制御できずに全身から振り撒き、眼鏡の奥の怒り目を隠す気もなさそうだった。
「私心配したんだよ。翠蘭から統也が死んじゃったんじゃないかって聞いて」
「心配かけて悪かった。だが、もう大丈夫だ。現にオレは生きている」
「そんなこと訊いてない。その間、その黒髪の女と何してたの? まさか殺されかけたのってこの人に……」
「それは違う」
オレは強めに否定した。ここで変な誤解をされるのは困るからな。
「彼女は天霧茜。オレの協力者だ。いや……これからは、オレ達の、か」
すると雪華の隣にいた玲奈も訝しみ百パーセントのしかめっ面を見せ、腕を組んだ。
「この女性を信用しろと言うの?」
「ああ、彼女を信用するオレを信用しろ。彼女は今回、ネメを始末するのに一役買った。ネメを敵勢力から削れたのは他でもない、茜のお陰だ」
「確かに凄いことだし大感謝。でも、今はそんなことどうでもいいってば。せめて身元くらいは明かしてもらわないと。大勢が亡くなった騒乱の後にまるでタイミングを見計らったようにいきなり現れて、統也に引っ付き虫みたいに……その後も二人でコソコソと……信用できるわけがない」
雪華の意見はもっともだ。だが、すまないな。今、彼女が
「悪いが、茜の詳細については口を閉ざさせてもらう」
「はい? 統也……あなた正気なの?」
と玲奈は隠す気もなく眉を顰める。
「そんなんで私と雪華さんが納得するとでも?」
「はなから納得してもらおうなどとは考えていない」
「統也、なにか変よ。その女の美貌に惚れて、脳がやられた? それとも……洗脳でもされた? 精神干渉系の異能とかで……」
「いや、正気だ。もし理が非でも納得ができない、受け入れられないというのなら、オレが武力で対応することになる」
「勝てるわけないでしょ……あの場のCSSを全て抑えていたあなたに。雪華と翠蘭が束になっても勝てなかったネメを打倒した名瀬家異能者に」
そう呆れを漏らし俯く玲奈に続き、雪華は不満を醸す面持ちでオレと目を合わせた。
「完治不可能な傷を治してくれてありがとう。あれがなければ、私は確実に死んでいた。その感謝はしてる。ありがとうね統也」
「……ああ。構わない」
「でも、気にくわないかな。その茜って女の正体を私達にも秘密にするなんて」
そう吐き去ってゆく雰囲気だった玲奈と雪華とリカ、大輝だが、その背中に呼びかけ足を止めさせたのは、なんと――、
「結果は保証しないけれど、あなた達に確約できることがある」
――オレの左に立つ茜だった。少し前に、覚悟と共に一歩。そうして両足を揃える。
「私はあなた達に全面協力する。全身全霊で助力する。主に統也の指示のもと、だけれど。必ず役に立ってみせる。だからお願い」
茜は無表情のままだがそれでも、真心もって謙虚な姿勢でお辞儀をしてみせた。
ここで下手に出るのは正しい。本来霧神家の茜は、インナーにとって雲の上の存在で上流階級。オリジン軍の中でも特務官という上位階級の枠組み。真実の身分は彼女らより格上であり、ここで頭を下げる必要性は皆無。
「それで、私達が影人と同じ瞳のあなたを信用するとでも?」
そんな事情を知る由もない雪華は怪しむ表情のまま、不審者を見るような眼差しで茜を射抜いた。茜はその人種差別まがいの粗野な発言を受けてもなお、
「信用してもらわないと困る。私はあなたたちとの対立を望まない。だから……お願い」
再び頭を下げる茜。今度はもっと深く。光った絹糸みたいな真っ黒な髪が重力に抗えず道路を刺す。
オリジン軍の厳格な規則のなかで身についたのか、綺麗な直角での敬礼。オレ自身、茜として接する人物像はまだ不確定な部分があり、性格を読み切れていないが、粋な彼女がここまでするのは多分珍しい。だが――――。
*
――まあ仕方がない。おそらく彼女という存在背景以前に、この世界構造を正しく理解していなければ整理のつく説明さえできない相手だ。
もし仮に、その前提を完全無視して茜という存在を正確に説明しようと試みると宇宙人のような都市伝説として映るだろう。そしてそうなっても反論はできない。
「二か月前、突如オレと行動を共にし始めた正体不明の傾国の美女。S級異能士並みの戦闘力。難易度の高い他者の治癒を含め自己へも可能な虚数術式の流用。有能な解析眼を持ち、オレと遜色ない近接格闘能力。非常に汎用性の高い電気を扱う異能者……周りからの視点ではこのようなてんこ盛りの評価だろう。懐疑心を抱かない方が不自然と言える」
「そー。あたいの説得も空しく……」
更に、誰よりもオレの思想や見解を理解し、隣り合えるだけの豊富な知識と経験。そして覚悟を持つ。
結果だけ見れば不信感、違和感を抱かないはずがない。
「君と翠蘭の理解があるのが、せめてもの救いだな」
あらゆる状況をある程度心得ている翠蘭は、茜という人物がどういった人間か情勢的な趣旨だけでなく「起源」的な意味でも把握している始末だった。
「天照雷姫」……一応、現世に伝わる天照大神のようだが、日本神話上は太陽神であり雷など微塵も関係ない神として知られる。翠蘭に言わせてみれば「人類の伝承などインパクトを重要視した粗末な産物です」とのこと。正体は不明。
茜の異能領域で扱う反電子の別名「陽電子」という言葉の綾から発生したかもしれないとも言っていたが、そもそも神について語るだけ無駄だとオレは思ってしまう。
「二か月前から何も変わっちゃいない。雪華も玲奈さんも全面警戒、まともにあかねっちを信用しようともしない。いきなり現れた不可思議な異能士、統也に近づく危ない虫と相変わらず思ってる。正直、
「言わんとしてることは分かる」
「どうしろってんだ?」
オレはその問題を聞きながら、自分の仕事部屋を開ける。リカは臆することなくあとをついてきて、中に入るなり電気をつけた。
「再三言うが、あたいは分かってる。茜を紹介してる時の統也の真摯な眼差しでも裁量は済んでる。問題は伏見当主と、我らが雪華をどうにか説得しないと」
しつこく言ってくるあたり、深刻な内容だと受け取っているようだ。
真摯な眼差しだったかは別として、嘘を見抜けるリカに信用してもらったのは大きい。しかし雪華はどういう訳かやたらと茜に突っかかる。茜が大人な対応をしてくれる分、隊内部での衝突は現段階では起きていないが、この様子だと雪華の神経が持たないだろう。
そう思考している時、リカは何気ない顔で衝撃的な事を口にする。
「あと――お前ら付き合ってんだろ?」
「は?」
オレは資料などを机にまとめている最中だったが、その動きを思わず止めた。
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