第251話 極夜行【2】



「どうしてそう思い至った?」

「いや、どう見たって茜の統也への視線に色恋を感じるから? ……違うのか?」

「お前が見抜けるのは嘘だけじゃないのか」


 ため息と共に冗談交じりに訊くと、


「色恋も見抜ける。最近会得した第二術式だ」

「そんなわけないだろ」

「へ。うそうそ。冗談だよ」

「冗談に付き合っている暇はない。この部屋から出ていけ」

「あーすまんすまん!」


 必死に両手をすり合わせるリカを見てオレは表情を微かに緩めた。


「茜とは付き合ってない。おそらくそういう関係にはなれないだろう」


 そう語りながら資料の整理を再開した。


「え? でも、あっちは百お前のこと好きだぞ?」


 オレの事を好き……か。多分それはない。


「そう……思うか?」

「はい???」


 リカは逆にオレの言ってる意味が理解できないという顔をしていた。でも事実、最初はオレも傲慢にもそうだと思っていた。自惚れた時期があった。茜はオレの事を大切に思ってくれていると思っていた。

 いや、ありがたいことに実際に大切には思ってくれているだろう。だが、


「…………」


 もはや誰が誰を大切に思っているとかそういう次元ではない。今はそう理解してしまっている。それでもなお彼女を愛せたならオレのこのうちに抱く不思議な感情が、真に彼女への想いだと言えるだろう。


「…………」


 それにな……オレには今、何をすべきかがはっきりと分かっている。


 この世界に異能という力が存在しなければ、二か月前のあのような悲劇は起こらない。起こらなかった。


 おそらく起源も異能も影人も、全て何かしらの繋がりがあるはずだ。それらを解明し、


 この世から影人と異能という概念を消し去る。


 それがオレの進む道だ。


 たとえゴールがなくとも、たとえ残酷な結末しか待っていなくとも、オレはあの三人に報いたい。報いなければならないんだ。


「いいか? あかねっちは統也以外の男にはめっぽう興味がない。信じられないくらい突っぱねるんだぞ? そこんとこオーケー?」


 それ耳に通し普通は喜ぶ場面なんだろうが、オレはそれを聞き少し気まずい感情を催した。


「この間だって有名な金持ちのA級異能士から食事を誘われて即断ってたしな。イケメンで優しそうで健康体。結婚したら絶対苦労しない相手なのに!」

「そうか」

「しかもそんとき、なんて言って断ったと思う?」

「さあ」

「冷めた目で『ごめんだけど、下心が見え見え。あなたは無理です』って! はっ、逆に見ててせいせいしたね! そこまで言い切るのはあかねっちだけだろー」


 などと何を自慢げに語っているのか知らないが、リカは堂々とこれがオレへの好意だと証拠だと提示したいようだ。


「あたいはてっきり統也と付き合ってるもんだと……」

「いや、それはないな」

 

 そう、それはない。


「結論から言うと――オレはその人らと何ら変わりない対応を茜から受けている」

「え?」


 言った瞬間リカはオレの言葉に絶句した。趣旨が分からなかったのか、意味を理解してなお驚いているのか、どちらかは判断が付かない。


「疚しい気持ちなど一切ない食事に誘っても即座に断られる。二人で散歩しようって言っても拒否られる。まあ、あれだ。オレには脈がない」

「は?」


 リカの言うような自分への好意を自覚し、自意識過剰で勘違いしていた時期があった。


「あれだけやれ大好きだの、やれオレだけの味方だの言ってくれて……なのにもかかわらず、何故かオレへの対応が冷たいんだ。信じられるか?」

「は?」


 あのときオレを散々好きとか言っといて、素っ気ない、塩対応。任務関連ではそうでもないがプライベートでは特にすげない態度で接してくる。


「は、だよなほんとに。だが事実だ。見合う存在になるには、今のオレじゃ駄目なんだろう。そう無理くりに納得している」

「は?」


 やはりあれ以来、自分は変わったと思う。茜に安らぎを求めるのではなく、安らぎを与えたいと思っている。そう思えている。

 

「未登録だが、オレの新しいギア。今はその関係で落ち着いているな」


 ちなみにオレと茜は矛星本部の正式なギア登録を済ませていない。茜が思ったより理緒の死を気にしているのか、何か精神的な理由で憚られるように見えるため取りあえずは保留している。


「……は?」


 真意は不明だがリカは「くだらな」「呆れた」と言いたげなジト目でオレを見続け、またその表情のまま「は?」と言い続けた。


「――――」


 オレはオフィス用の書斎椅子に座りながら窓の外に拡がる闇を眺めた。

 紫の天井のせいで裸眼により星空を拝むことは叶わないが、それでもその天井の彼方には満点の星があると知っている。

 マフラーの柔らかい生地と、心臓の鼓動をそれぞれ確かめるようにして右手で触り、想いを馳せた。



  *



「――とか抜かしてたんだぜ!? 許せるか!?」


 矛星ステラ本部棟から数キロ離れた女子寮の二人部屋にて、あたいは件の天霧茜あかねっちと対面していた。


「統也にしては随分と弱音で、途中から聞く気も失せてきてさー」


 普段の姿と言えばいいか、ブラックスーツを着こなし丸眼鏡をかけている茜をテーブル越しに、あたいはまくしたてる。

 どうでもいい補足だが、あかねっちは病気になりそうなほどハチミツをかけたホットケーキを臆せず、むしろ美味しそうに頬張っていた。


「それにあかねっち、どういうつもりだ!? 統也と付き合ってないって!」


 彼女は窓際のテーブル席でホットケーキナイフを上品に置き、微かに泳ぐ目線を左の壁へすっと逸らした。


「いったん落ち着いて、リカ」

「これが落ち着いてられるか! ……好きなんだろ? 統也のこと」


 すると、あかねっちは分かりやすく頬を赤らめて、


「聞かないで……」


 もじもじし始める。冷静なその仮面は途端に落ち着きを失う。――分かりやすすぎ。

 あたいは呆れと共に、この恥じらった赤面をスマホの写真に収め統也に送りつけたい気分になった。――統也さんよ、こんな顔もするんだぞ、あかねっちは。

 しばらく彼女は言い訳を考案中か少し考える仕草をしたあと、おもむろに口を開く。


「……命さん、理緒さんへの申し訳なさと、私自身の偽物としての存在の引け目が心のどこかにあって、それで彼と上手く接することが出来ない。……簡単に言うとこういう事になる」


 はっきり言い切る口調の多いあかねっちにしては珍しく、口籠った返答だった。

 漠然とだが「泥棒猫にはなりたくない」と言っているわけか。偽物がどうとかの問題については何を言ってるかさっぱりだし。


「――――」


 自分で言うのもなんだが、あたいは嘘を見抜ける分、他人と仲良くなりやすい。

 そして寮が同部屋で共同生活が強制される環境、更には虚飾しないあかねっちとも仲良くなりやすかった。彼女は良くも悪くも本当のことを言うから。


 なんて言うか、あかねっち……この人は存在そのものが嘘偽りを象徴してる気がするんだよ。真贋を顕示できる気構え。もちろんあたいの勘違いかもしれないけど。

 「真っ赤な嘘」って言葉があるだろ? それが一番合致するかもな。


 でも、存在自体が紛れもない嘘である彼女は、真贋の均一を保つかのように、整合を取るかのように口から嘘を吐かない。

 おそらく自分自身が嘘である、偽りである、贋者である、というような認識を持ち続けた結果、口から紡がれる言葉くらいは誠実に、真実にしたかったのだろう。そうやって彼女という聡明で品性の高い人格者が形成されたのだと思う。自分の事はだいぶ卑下してるみたいだが。


 あたいは、彼氏の大輝も、この人も好きだ。両方、正真正銘自分の運命に抗おうと美しくもがいている。そのためだけに必死に生きている。嘘のような不安定な存在でありながら、非道な悪を受けてなお綺麗な生き方を選んでいる。折れない理想、不屈の精神を持って安定に、真実に生きようと前へ進んでゆく。

 

 上手く説明できないけど、それってさ……素晴らしいじゃん?


「――――」


 でも、あたいは知っているんだ。

 人はどこでも誰にでも嘘をつく。


 簡単だ。人を騙すため、人に良く見せるため……人は日々当然のように、当たり前のように醜い嘘を吐く。

 異能家椎名の『虚実の識ライリーアイ』という第六感。最初の頃は嘘を見抜くこと自体も、人狼ゲームも楽しかったよ。まるで魔法使いのような、全知全能な気分を味わった。

 けどな、あるとき気付いてしまったんだ。


 ――人は、嘘しかつかない。


 単純明快な事実だが、そう思わされた時、どうしようもないほどに呆れてきたんだ。人間という生き物に。

 だから初めて見たんだよ。

 

 信念を持って強すぎる嘘をついている統也って男を。


 まーそうそういないわな。苗字も嘘で、異界術士ってのも嘘で。成瀬ではなく名瀬、異界術士ではなく異能士。全てを明かした今、あの、青の境界を展開してるなんて話も暴露してもらった。だがそれでも未だ何かを隠してる。何かを嘘で覆っている。それはあかねっちも同じ。

 でも、彼女らは信念を持ってその巨大な嘘をついている。だから、あたいはそれを無理にでも信じることにしたんだ。

 

 円山事変で刀果とリアを失った当時の統也が、まるで嘘を纏っていなかった。泣きじゃくるあたいを目の前にして「すまない」と連呼した彼は本当に刀果とリアを助けたいと思っていてくれたのが分かったから。

 だからあのとき、統也についていくと決めた。あいつからしたら意味不明なタイミングだったかもだけど。


 二か月前のライブ会場のときもそうだ。


『結果は保証しないけど、あなた達に確約できることがある。私はあなた達に全面協力する。全身全霊で助力する。主に統也の指示のもと、だけれど。だからお願い』


 茜はポーカーフェイスのままだけれども、丁寧にお辞儀をした。


『それで、私達が影人と同じ瞳のあなたを信用するとでも?』


 雪華は怪しむ表情のまま、不審者を見るような眼差しで茜を射た。それでも、


『信用してもらわないと困る。私はあなたたちとの対立を望まない。だから、お願い』


 あかねっちがあたいらに本気で助力するといった時も、嘘を纏っていなかった。あなたたちに協力するとそう言った彼女の強い意志に、嘘の淀みはなかった。だから得体の知れないような、ミステリアスな美女でも受け入れられる。


 ――統也は変わった。風格というか、初見別人なんじゃないかって勘違いしそうなほど、その奥に宿る王様としての気迫のようなものが。

 ――あかねっちも、地雷を踏んだときに鬼のような冷たい目をする。内に大きな存在を宿しているとフィーリングだけで分かる。

 でも関係ない。


 やっぱし、あたいはこの二人が好きだし、これからも信じたい。

 そういう訳で、できる限り幸せにしてやれたらいいなって思うんだ。

 両想いならあわよくば……って、甘い考えかもだけど。


「千歩、いや……一万歩譲って付き合ってないのはいい。けど、なして進展がないんだ? 公式ギア登録もまだらしいな」


 両腕で頬杖をついたあたいをチラリと見たあと、茜はその差が分からないほど少し俯きながら目線を下ろし、その綺麗な唇を動かした。


「統也は今、理緒さんと命さんに報いるために戦っている。死んでいった彼女らに応えるために、覚悟を持って生きている。そんな重い感情を抱かせている人に、『恋』なんていう淡く、非科学的で曖昧なものを提示したくない」


 驚くことに、これも嘘じゃない。真面目な性格だな、素直にそう思った。


「…………」


 でもな、あかねっち……それは恋愛の思想を難しくし過ぎだ。あんたは哲学をやってるのか? 強弁にもほどがあるさ。

 素直に、彼と接するのが難しい、でいいんだよ。自分の気持ちに正直になれない、理緒と命に申し訳ない、でいいんだよ。


「お前ら二人を見てると、ムズムズするって言うか……なんていうか、こう……」


 半ば独り言だったが、


「そもそも統也と私だけでは完結しない命題でしょ。理緒さんも命さんも、統也が大好きだったのを私は知ってしまっているから」

「まーな。あの二人が統也にぞっこんだったのは有名だからな」

「一度だけ生きていた頃の二人を見たことがある。中島公園の祭りの日だった。理緒さんも命さんも統也にデレデレだったのをよく覚えてる」


 確かに在る記憶を掘り起こすようにそう語った。


「二人とも引けを取らないくらい稚拙だったけれど、私なんかよりもずっと愛嬌があって、可愛らしくて、いい子だった。……統也が二股したくなる気持ちも少しは分かった。……最低だけれど。もう一回言う。最低だけれど」

「おい……」


 意外と根に持ってんじゃねーか。


「とにかく、統也を守るために死んでいった彼女らを差し置いて、私だけがいい思いをするなんてそんな不埒、汚行……許されるわけがない。他人が許しても、私が許せない」


 その双眸は紅く紅く、そして鋭い、覚悟が宿る。しかしあたいは自分の表情が曇ったのを自覚した。

 マフラーをつけたどっかの三股クズ男とは別で、こっちの方は恋愛観についてとても楽観的とは言えないな。

 理緒とミコさんの亡霊、もしくは嫉妬の怨念に憑かれてるわけでもあるまいし……つっても、彼女らの死を蔑ろにしない部分が、茜の人としての良さなんだろうな。

 でも、彼女らがそれをどう思うかは、あかねっちの決めることじゃない気がする。


「ふーん。少なくともあかねっちはそう考えているのか。……それでいいのか、ほんとに」

「良し悪しじゃなくって、私は理緒さんと命さんを尊重する統也を尊重している。だから別に仕方ないとも思わないし、それが悪いとも思わない」

「…………」


 私は無口でいるしかなかった。


「まあそんな所かな? 理解してくれた?」

 

 彼女は皿に残っていた一切れのホットケーキを端麗な姿勢を保ちつつ口に運び、完食後、それを持ってキッチンへと向かった。


 ――似てる。似てるんだよ統也に。どうしようもないほど、その屁理屈な考え方が。


 じゃあ、あたいは、理緒と命を尊重する統也を尊重しているあかねっちを尊重するとしようかなー。そう思いながら彼女の背に言い掛けた。


「お前ら、すげぇ」




  ***



 次の日のとある霊園。ずらりと列する墓の中、焚きたての線香が添えられている二つの墓の前、マフラーをした一人の青年は両手を合わせ黙祷していた。

 その墓標にはそれぞれ右から森嶋命、霞流理緒と記されている。


「理緒……許してくれとは言わない。新しいギアが見つかりそうなんだ。今のこの土俵で、一番信頼できる人だ」


 その彼の言葉に返すべき少女は、勿論この世にはもう存在しない。


「でも、最初にオレのギアになってくれたのは君だ。それだけは絶対に変わることはない。永遠に、ずっとずっと君だ」


 否、守れなかったのだ。その少女を。それだけの「力」がなかった。

 少し右へ向き返り、


みこと、オレはあのとき全てを捨て去ろうとした。あまつさえ君から貰ったこの命でさえ投げ出そうとした、大馬鹿野郎なんだ」


 それでも彼は、


「だが安心してくれ。もう変な気は起こさない。オレは君たちのために生きる。君たちの分までしっかりと苦しんで生きていく。罪を踏みしめて、痛みを抱いて――」


 彼女らへの懺悔ではない、決意と感謝を込めて言葉を続ける。


「命、理緒。また一緒に祭りに行けたら――……いや、ごめん。今のはなんでもない」


 不謹慎な発言だったと気付き、また彼女らが二度と彼に顔を見せることはないという確たる事実に咽そうになる彼は、意識的に優しい目をもってその並ぶ墓を見つめた。

 現在時間帯は真昼であるが「極夜」の影響で景色は言わずもがな夜のものになっている。


「……二人とも、オレを好きでいてくれてありがとう。オレを、守ってくれてありがとう」


 ――理緒、命。君らを片時も忘れない。君らが傍に居るとそう信じて戦う。いつだって、これからだって。たとえ、どんなことがあったとしても。


 その微笑みから発せられる情緒の熱は周囲に漠然閑散と広がる暗闇の森林の景観に消えた。


「――――」


 そうしてふと、左手から近寄ってくる気配に名瀬統也は向き直り、左側から歩み寄ってきた正体――天霧茜とその目線を交わした。


「私もする」


 突然なタイミングでやってきた茜はそう囁き、しゃがみ、彼女らの墓へ黙祷を捧げた。およそ一分後その合掌をやめ、スムーズに立ち上がり統也と並ぶ。

 その佇まいはまるで新妻だが、未だ正式なギア登録さえ終わらせていない関係なことにその他全員が驚くだろう。


「ごめん。私がぬかった。理緒さんの遺体回収にまで気が回らなかった」

「いや、茜は悪くない。あの時オレが急遽再現したネメに対応して、茜が残存していた数千規模の影人を殲滅。これが最善だった」


 実は、理緒の遺体は呪詛のマーキングを施したヘアピンごと行方不明になっていたのだ。

 だがしかしそれ自体は何も珍しいことではなく、異能者の遺体が盗まれる事案は昔から頻発している。

 異能者の遺体を医学解剖し、その生物学的な異能の能力位置とブラックボックスを解明しようと、大儲けしようとする遺体盗賊どもがわんさかいるのだ。


「理緒は超越演算者アベレージオーバーであることも相まって、その異能者としての特異性に気付かれれば高く売られるだろう。想像しただけで殺意が湧く」


 統也はぐっと握り拳を作る。


「…………」


 茜はそれに対し何も言わず、ただ統也の握り拳に優しく手を重ね、そっと触れることでその苛立ちを緩和させた。

 何も言わなかったのは興味がない、返す言葉がないのではなく、単に彼女自身も胸糞が悪いと思っていたためそれを押し殺していたからだった。


「それにな、それ以前の問題だろ」


 自分のギアであり、同時に弟子である理緒が「第零術式」の準備していた事実を統也は知らなかった。

 第零や第一といった実数の術式群はその演算領域の所望度合いの強制の指数でしかないが、それでも詠唱を短縮した第数術式にこれまで理解があることを見抜けなかった統也の落ち度だ。


「オレはあんなに近くにいたのに、彼女の成長について知ろうともしなかった。みことの権能に関してもそうだ……」

「私も知ってることは限られていた。中に伊邪那美のデータがあること、権能も因果の逆転を利用する能力だとは知らされていた。でも詳細までは旬も知らなかったのだと思う」

「だろうな」

「……『起源』――アークデータについて、私ももう少し積極的に研究しておけば良かった。関連する古代の考古資料も抹消されてるし、過去の九神の継承者の情報も、上層部の重圧なストップがかけられてる。だから諦めてたけど……結果的に無知でごめん」


 二か月前の茜は、統也死後消失した「青の境界」線上、三つの特別紫紺石の運搬阻止のため単独で敵勢と戦闘を開始、そして激戦、しかし多勢の無力化には成功したが肝心の運搬阻止に失敗した。跡を追うため、「それ」を越え、侵入。その後捜索するも取り逃がし、諦め、死んだはずの統也のもとへ向かった。そうしているとき何故か青の境界は再起動、再び世界を閉じた。それを受け、そうして微かなる希望だけを持ち駆けつけ、果てに彼が生きていたことをその目で確認した。

 その折りの茜は心底安心し、良かったと思ったがしかし、通過する最中で無慈悲に崩壊した街と多数の惨い死体を目撃。敗北を体現し膝を折る統也の隣には、生気を失い横たわる森嶋命がいた。

 それらを見て悟った。


 理屈は分からないが統也は沢山の犠牲の上どうやら息を吹き返したらしいと、茜は抽象的ながらそう理解するしかなかった。

 しかしその“生きている”という状況とは裏腹に統也の精神はひどく疲弊し、人生を含める全てを放棄する勢いで絶望に沈み、無力感に苛まれていた。


 ――その心の雨に傘を差すのは、自分しかいないと茜は思ったのだ。


「謝るなよ。茜は悪くない。茜が来てくれなければ、今ここにオレはいないだろ」


 彼女は静かに頷いた。


「茜が持ち込んだあっちのデバイスは避雷針ヒールと時計型レーダー二式、だったよな。あと同調装置チューニレイダー

「ええ」

「オリジン社の軍事機密も面倒事が多い。代行者がすぐに君を取り締まったところを見ると演算装置ミッドや専用オリジン武装を持ってこなかったのは正解だったな」

「どうだろ……担保できるだけの材料がないとも取れる」


 二か月前代行者に捕まった茜はオリジン軍服を纏っており「どこの国の軍隊か」等の詰問を多く受けたが統也と二条紅葉の計らいでその言及を逃れた。


「それにオリジン武装『グングニア』は雪子博士が私専用に作製してくれたものだけれど、今はあなたのお姉さんに奪われている」

「杏姉?」

「彼女の場合はレイピア形態からスピア形態に移行して使ってるのだろうけど」


 統也はあの槍が茜の所有物だということを知らなかったがたったいま、成程と思った。仮想演算機構をインプットしている、柳沢家が開発した携行兵器。それがオリジン武装。

 しかしそういう仕様の装置でも、自身のものでない演算領域を補うにはそれ相応の演算能力が求められるため、基本的な運用は本人の異能、固有術式の効果強化と、マナの消費効率の向上が目的。

 

「杏姉は演算能力がずば抜けている関係から例外的に茜の天照術式を一部扱えたという話か」


 『檻』は一部が発電系の能力。ある程度ならカバーできる。オレも凛の虚数術式『λ』を使ったことあるしな、統也はそう言いかけてやめた。


「やっぱり私の能力デルタを扱っていたの?」

「ああ、任務初日にな。いきなりぶっ放されたからよく覚えている」


 統也は任務初日の黒い槍から放たれた紅い電撃とそのパルス弾を思い出していた。


「ふーん。バリオンのストックがあったのね」


 それを聞いたのち、統也はもう一つ指し示しておくべき内容を語る。


「それと、旬さんが封印された件だが……こちらも影響が大きい」


 茜は居心地が悪そうにそっぽを向き、自分の過失を語る。


「旬が封印されたのも、少なからず私のせい……。私が独断で持ち場を離れた。特別紫紺石が移されるのを阻止しに行って、更には生きているかも分からない統也を探しに行った」

「言ってるだろ。結果は誰にもわからないんだ。何をしていても失敗は起こっていた。オレだって、あのときは失敗しかしてない」


 そう言って二つの墓石を見た統也。その行為には誰にも貶せない、誰にも侵せない極大の重みがあった。


「惨状を二度と繰り返さない……なんてことは個人にはできない。だが、今のオレには君がいる。――そうだろ?」


 今度は隣に立つ雷電凛の容姿を持った女性に、傲然たる眼差しを送った。


「うん。そうだね。あなたの最強として、隣にいるからね」

「ああ。たとえどんな障害が待ち受けていようと、オレの――オレ達の歩みは止まらない。もう引き返せないぞ?」

「なに、煽ってるの? 当然でしょ。二人のためにも、前を向くしかない。一緒に進むしかない」


 統也は目尻を下げた。


「ふっ、オレについてこれるのか?」

「年下のくせに生意気」

 

 夜風に当てられながら、二人はクスクスと笑いあった。



  ***


 

 ――今のオレには君がいる。


 イマノオレニハキミガイル。イマノオレニハキミガイル。イマノオレニハキミガイル。


 統也が[K:0916]に放ったその台詞が、どうしてか脳内に不快に反響して拭えない。その前に語られた自分への事実がどんなに捻じ曲がっているかを提示するより、とにかくそれを訂正させたい、不覚にもそう思ってしまった。


 恨む、なんて醜い感情を統也に抱いたことはないはずだがしかし……樹林の闇に溶け込み、茜と統也を遠くから傍観するその人影は、妙な苛立ちを抑えきれずにいた。


 その存在は「完全なる孤独の陰」に生きると決めた女子。

 極夜行。そう、闇の世界で生きる彼女こそが真に極夜に生きると言えるのかもしれない。

 だがその沈鬱な生活の中にも、希望と呼べる光はあった。

 

 その存在は横髪を右耳にかけながら、高度な呪詛術式『隠密漂』を用いることで、浄眼の統也と、野良猫よりも敏感な茜に気取られずに、木々の陰から退散してみせた。

 こう言い残して。


「まだかな……」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る