第248話 空間の王女
◇
震えた声で、必死に、
「ディアナ……しっかしりして。お願い、目を覚まして……」
受ける潮風、甲板上、この「私」と対峙する二者の雑種のうち、そう弱々しく語る赤目が切実な眼差しで「私」を見ている。
二者……片方は赤目の黒髪
もう片方は呪詛メガネをかけた水晶眼持ち、水色
両者、高身長でオリジン社の戦闘社員だと見受けられる。魔法士ではなく異能士だな。
『私の肉体主の真名はそういうのか。塵ほどにどうでもいいが』
「あなたはディアナ……! 他の誰でもない。統也と旬と、私で暮らして育った。あなたの名前はディアナ・ホワイト!! 思い出して!!」
『……“ホワイト”? 成程』
無意識に流用していたが、この
純白色……正数の発散魔力……無限大……『シンシアエネルギー』……浄眼なしでは制御できない。この肉体も不遇極まりない。
「――――」
私は手を出し白いエネルギー体を意図的に構築して、その感触を確かめる。
これがかぐやの「
「羽織ってるワイシャツとハイヒールはディアナの異能!! 返して!!」
返すも何も、魔力回路に刻まれている術式だ。それ専用の演算領域も脳に備えられている。いち肉体性能としてこれらを使用できるのは道理。
「くッ! お願いだから目を覚まして……! 戻って!! ディアナッ!!!」
先から鬱陶しく叫ぶこの赤目の女……「
蒙昧な人間はすぐにその膨大な力を分化したがる。愚蒙、脆弱を表現した悪しき風習だ。
恐らく陽電子側と電子側でクォークなどの不均一な粒子を分けたか。量子論の運算を上手いことやったな、人類ごときで。
仕方ない。殺そうと思ったが、やめた。
「起きてッ、ディアナぁぁぁ!!!」
『二度は言わない。――黙れ人間。至極不快だ』
「……くッ!」
『神の前では「服従」か「死」しかないと知れ。その不敬は人類の「悪」そのものだ』
「善悪云々の前に……駄目な時は、私があなたを斬ると約束した! だから――!!」
恐怖に侵され、感覚が麻痺してきているようで、赤目の女は甲高く叫びながら抜刀、居合の準備をし、異能照準を私の位置に定める。
その構えには見覚えがあった。
――ほう? 『
領域対象を定めて電気の推進力を借り、剪断力をも高める。砂利にしては中々の異能演算力。
大方、本有的な素質に、師が優れているのだろうな。
「だから私は……!!」
「おい、それ以上やめろ凛! 冷静になれ! このままだと殺され――」
眼鏡をした水色総髪の方は「刹那」の一族の末裔。差し詰め結晶体構築の異能者。
そう瞬間的に理解し距離を詰めても問題ないと判断した私は、座標収束「蒼玉」の虚数滴下で瞬間移動を果たし、赤目の女の前へくると、か細い首を鷲掴みにして持ち上げる。
「はや――」
「んかッ!!」
その比類ない私の握力に喉を潰され、咽る暇もない。刀を振る時間もない。
『ふっ、ふふふふふふ』
脆弱惰弱の愚かな存在。ただただ滑稽で、矮小な存在。それを徐々に斜め上へと持ち上げる。
『ああ、しかも貴様、推古の遠い親戚か。だから瞳が赤いのか』
「ディ……ア……ナ」
消えそうで女々しいその声を聞き、私は思わず顔をしかめる。
『ちっ。貴様はそればかりで詰まらない』
今度は左方が動きを見せる。眼鏡をかけた水色総髪の女は、状況的に自分が太刀打ちしても敵わないと認識しているはずだ。しかしそれが何もしなくていい理由にはならないらしい。
「
時を同じくして、甲板床から直立するように貫く氷の結晶体。逆さの懸氷として赤目と私がいた位置を下から狙い刺す。氷塊の結晶はいつの間にか床面一杯に張り巡らされていた。
『ふん。それだけか人間?』
雪女と恐れられた刹那、彼女の足元にも及ばない。薄まった遺伝子……千年近くでこれほどまで能力の質が暴落するとは失望を隠せない。嘲るように込み上げた笑いと共に、私はそれをかわし、少し後ろへ下がる。
その拍子に赤目を甲板に落としたが別にどうでもいい。起源覚醒前の貴様には欠片も興味がない。
月詠の力を間借りするのも悪くはないが覚醒前では話にならない。
「かはッ! かはッ! ……九神――称号者――自然法則の代弁者? なんでもいい! あなた達の目的はなに!!? 起源って何!? ディアナを返して!! お願いだから、返してぇぇッ!!」
『目的? それは、今からこの世界に蔓延る人類という人類全てを皆殺しにすることだ』
「「は―――!?」」
愚鈍な二人はその含意を解釈できなかったようだ。
『この私自らが、千四百年待ち望んだ第二次起源の元凶になろうと言っているのだ』
すると立ち尽くす水色髪はこちらを見据え、何かに気付いたように表情に緊張を走らせる。
「第二次起源……? 第一次起源が五年前の影人の大量発せ――……」
『それは私の仕業ではない』
語気を強めてその台詞を否定する。
『二〇一七年二月一四日、
「…………」
『それは、名瀬渉が主犯で幕が上がったことだ』
「は!? ありえない……! 名瀬渉!?」
度肝を抜かれたと、それはあり得ないことだと、そう叫び散らかす水色髪。
『なんだ、知らなかったのか』
「統也の父……名瀬渉、十年ほど前に旬が始末をつけたって聞いてるが。つまり五年前のあの日……世界が影に呪われたあの日、渉は既に墓の中だった。……神と言えど世迷言を口にするんだな」
『だから……先刻より述べている。森羅万象を知り尽くしたなどと思うな、人間ごとき下等生物が。伊邪那美の
「よく分からないが問題はそれだけじゃないはずだ。主犯が名瀬渉なら……どうやって彼一人であんな事件を成し得た?」
『名瀬渉。私と“因果”の制約を結び、私の力を一部大幅に借り入れて得た生得的な異能力の「菫」次元。私が与えた有益な知識。それらが渉を渉たらしめていた。果てに成せた影人災害だ』
喜べかぐや、伊邪那美。シベリアに幾千万の影人を眠らせておいたのも、渉という将来使えそうな奴を産んだのも、雷電一族に電源としてのトリガーを持たせ、そうして影人再起を目論んだのも私だ。私こそ全ての首魁だ。
およそ千四百年前からその細工の序章は始まっていた。結局私の思惑通りに大芝居が進んでいる。
「……訳が……わからない……。処理が、追いつかない……」
そう漏らす水色髪は眼鏡のブリッジを押さえたあと、とうとう頭を抱えた。
かぐや、お前は救いようのない戯けだ。幾星霜を経てなお生きているんだろう?
これらはすべて私の計画の一節に過ぎないというのに。
「えッ……? せっちゃん、これは――」
「なに……!!」
丁度その頃合い、増援と言わんばかりの軍艦が周囲の海面から押し寄せる。そうして大砲発射準備を整えてみせた。しかし増援というより、この軍艦に乗る船員をも巻き込む同士討ちだ。
有害無益、笑止千万。私を潰すためだけに味方をも殺すか。袖手傍観してればいいものを。
「これは、オリジン軍の増援? 私達を助けに来たの!? すぐ乗り移る準備を始めないと!」
「いや……この戦艦陣形、的確なポジション……残念だが多分援軍ではないだろうな。……おそらくここらごと砲撃、爆破する気だ。私らはもう、助かんないんだよ」
赤目は瞬時の判断、戦闘センスに長け、水色髪の方は高い分析力、大局がよく見えているな。まあだからなんだという話でもないか。
『折角降りたが、貴様ら下等生物と同じ景色を眺めるのは癪でしかない』
私はそう言って、人間の視覚で感じとる波長の中で最も長い光として知られる――空間発散『紅玉』(『青玉』は厩戸の発明した技術。これよりも出力そのものを抑え、精密化できるのが『紅玉』)の空間的な爆風を利用することで甲板からの距離を取り飛翔する。
その先の空中で足場として、オリジナルの境界「菫」を展開し荘厳に佇む。
『私の所有物「空間」という次元物にはそれぞれ「色」という魔力概念が存在する。かつての異能科学者ニュートン……だったか? 光というものに物理的意義を見出した人間は秀逸だったかもしれない』
私が雄大に語る状況下、周囲から容赦なく振り撒かれる砲弾の雨。数秒後には音速規模の直撃と特大の爆破が予見できる。
下に居る赤目と水色髪は、絶望を浮かべるかと思いきや意外と防御や回避する方法を考案中かあたふたし始めた。
一方で、境界「菫」を椅子状に模りそれに悠々と座る私は一縷の絶望感もない。威風堂々、両手を大きく広げ、伏見特有の金髪を靡かせ、蒼穹を仰ぐ。ゆっくりとその手を左右に拡げる。
『なに、この程度――』
そして私のいる水平位置……海水面より約六〇メートル上空の座標上に真なる“虚空”を生み出した。その一列に拡がる京紫の亀裂は、砲弾らと私の間に大規模に発生したものだ。
「えっ、これは何!?」
それを見て驚愕を露わにする赤目の黒髪ロングと、呪詛メガネの水色髪ポニテ。砲弾よりも空間の異変に目を奪われてる様子で、
「私にも分かんねぇよ!!」
「空間に罅が……?? 境界線が……いいえ、空間の亀裂!?」
「そういうものだと思うが……周囲の光子反応を見るに光速度に空間の情報が追い付いている……!! あり得ない!! 超光速航法……じゃない……まさかワープゲートなのか!?」
そうか、
全方位から浴びせてくる砲弾がこの軍艦に当たる直前、私は虚数空間の“切り取り”を行う。
『そっくりそのまま還してくれよう』
赤目と水色髪には信じられないか、大砲弾は、私が展開したワープゲートのような空間の狭間へと消えていき、
『人類。浴びせたはずの砲弾が己へ飛んでくる絶望。その身を持って味わうがいい』
合図としてパチンと指を鳴らした瞬間、音波振動を原点とする魔力操作で一帯に再度亜空間を展開。その
衝突後、轟音と衝撃波の群れ。散らかる漆黒の破片。橙の炎が伊吹をもって爆散。淡い青の海面を穢してゆく。
まるで塵のように――援助艦隊は全滅した。
いいや、この私が、
『――ふふ、ふふふははははは』
全滅させた。
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