第247話 『混沌』の覚醒



  ◇◇◇


 

「はぁ……もう疲れた……」


 無機質でメカニックな廊下。九月の冷え込みに耐えきれず両手をすり合わせる凛は、最近の溜まった任務の過労と、伏見旬封印事件の一件から数を増やした異能犯罪者達を取り締まるための役職に就き、その職務の日々で積もった疲労を溜息に乗せ、雲散を試みた。しかし当然のごとく、それほど単純に疲れは消えない。


「待ち望んだディアナ解放日なのに、なしてそんな元気ないんだ?」


 横を歩く雪子の一言で現実に引き戻される凛は、顔を背ける。


「……なんもないわよ」


 ――そうよ、今日はディアナのコールドスリープを解く日。


 IWでは周知されていないが……ディアナ、セシリア、故人エミリアを含むホワイト一族は異能血族的な観点から評価すれば伏見一族とその遺伝子レベルの要素を違えない。

 詰まるところ、全くの同一族なのだ。

 その差は「かぐや」遺伝子の繁栄した国が他国か日本かという点のみ。

 異能名称も国内では『弑蝶しいてらす』――古風『衣』と呼ばれ、国外では『キルライト』や単に『ライト』と呼ばれる。


「しっかりしてくれよ」

「ええ……ごめん」


 エミリアが施した精神世界(白昼夢以来)の支配のお陰で優位的に勝利できた統也と異なり、起源「くう」の中身――「空の九神」の“因果”を悪用する精神攻撃に負け起源暴走したディアナは、以前からホワイト一族が有する聖封印という「エネルギ―束縛」を受けて擬似コールドスリープ状態にあった。

 そうすることで死刑執行等の上層部による決断が保留され、彼女は生かされていた。正確には伏見旬がそうなるよう仕向けていたのだ。

 その「エネルギー束縛」を解除する日付が今日。


「凛。分かってると思うが、今日は実質ただの保留最終日だ。ディアナの中にある『弑蝶ころも』異能演算子を特殊な装置で引き出し、その『エネルギー束縛』で自身の物体性質、所謂肉体をエネルギーごと束縛する。つまり生命活動を束縛し、自己封印するという形態を取ってる。それを機械的に維持できるのが、決断を保留できるのが今日までだ」

「体内から発する魔力磁場の影響で封印装置の稼働は今日まで……分かってたことでしょう? 上層うえが言いたいのは、封印解除後ディアナの現在の様子を見て、暴走を継続しているようなら秘匿死刑を実行しろってことだろうし」

「ああ。そーゆーこった。ちゃんと分かってるじゃんか」


 ディアナ処刑を執行するのは、この廊下を進む雷電凛本人。青、白が主体のサイバーパンクな戦闘衣服を身に纏い、避雷針ヒールを履き、戦闘準備を済ませている。


「上層部により命令されたことは基本絶対の規則。破れば今度は凛が死刑対象になっからな」


 勿論、起こしたディアナの身に『起源』的エラー等々……何の異常も見られなければ、死刑は見送られることになるため、少なからず状況が好転する。

 家族同然に過ごし、親友として愛した人間の「死」という実刑を下さなければいけない凛の荷も下りるだろう。統也にも面目が立つ。


「そんなこと言われなくてもわかってるわ」

「――――」

「……覚悟を、決めないとね」


 凛は表情を引き締める。

 以上目的のため、また、特殊な生命維持装置内部に静置されていたディアナを迎えに行くため、無機質な廊下を進み、その一室へと向かう白夜雪子と雷電凛はその足並みをそろえた。


「――――」


 この時丁度、雪子はその心配を浮かべる端正な顔、不安が滲む赤瞳を伺い、あることに気付いた。そして、またかと思い溜息を漏らす。

 今、引き締めた凛の表情の奥に見え隠れする懸念材料は、ディアナのことだけではないと鋭い雪子は気付いた。

 凛はあの日以来、ずっと心配している――。


「統也なら大丈夫だ。流石にひと月前に一度『青の境界』が途切れた時は心底ビビったがな」


 子供っぽい所もあるが、クールな一面もある――そんな天才科学者、天才発明家としての顔を持つ雪子でも焦るほどの事態。それは一ヶ月前に起きた、青の境界の一時的な消滅。

 それが意味するのは統也の死と世界の終焉。各国状況や異能勢力の均衡を大きく左右する事件に外ならず、世界中が震撼し怯えた日でもある。


 そしてその日に、全く同じ日に――伏見旬が何者かによって封印された。

 故に世界中の戦力図が今、渦のように変化し始めている。伏見旬一人この世にいるだけで、抑止できる兵器、犯罪、異能が五万と在るのだ。

 統也と伏見旬が特級異能者という異常者の烙印を押されたことは、俗に、世界を左右できる存在であることをそのまま示唆する。

 依然問題は山積み。だが、凛たちもしょぼくれているわけにはいかない。


「流石に……大丈夫よね。あの統也よ。きっと負けないわ。どんな状況でも、必ず生きてる」


 そう暗示をかける凛はかつての誰よりも強かった青年を思い出す。紺色無地のマフラーを想起し、彼の落ち着いた面持ちを記憶から呼び起こす。

 もうあれから一年以上経つ。元気にしているだろうか。青の『境界』展開が途切れた件は、問題がないだろうか。向こうで、恋人らしき存在はできたのか。色々な疑問がふつふつと湧く。


「ん、そうだぞ。統也あいつが死ぬってなったら、絶対に許さないおんなもいるしな」

「え……? 女? 誰のこと?」


 凛には思い当たる節が無かったが、


「いやぁ、なんでもねえ」


 雪子は惚けたような表情を作り、手を頭のうしろに組み、口笛を吹いた。茜のことは全体的に秘密事項なんだよな、と思いながら。


「この世には自分より大切な誰かを優先する阿呆もいるんだとよ。愛とか非科学的なことを嘯いてな」


 ディアナと旬に加え雪子は、天霧茜という人物の正体を知っているし、凛と入れ替わっていた過去を承知していた。

 一方で凛はそれ聞き、


「――――」


 正直あの時――青の境界が無くなった瞬刻、凛の頭によぎったのは『この隙を狙い、あわよくば向こうへ……』という思考。それは実行すれば即死刑判決が下る、言い逃れのできない禁忌。隠遁が見つかった因子体か、もしくは諜報潜入官アドバンサーにしか許されない。

 でも実際、『特別紫紺石』三つを奪取した謎の組織もそれが目的で、統也と衝突したのではと雪子は推測している。

 

 言わずもがな絶好のチャンスだった。おそらく二度とない統也へ会いに行く最大の好機だった。

 しかし凛はいざ実行しようと、東北地域へ向かおうとすると、足がすくんだ。精神が許容しても、肉体が拒絶した。かつてないほど冷や汗をかいた。

 怖かったのだ。その罪が、その計り知れない重さが、彼女には途方もなくハードルが高かった。

 ただそこに、蒼く煌めく境界があっただけなのに。


 でも凛は分かっている。そうしていれば、凛という人間は統也を助けに行けたかもしれない。

 実際は自分じゃない人間が。もっと有能で聡い人間が、彼を救ったのだろう。それは彼の恋人に当たる人かもしれないし、そうなる寸前だった女子全員かもしれない。


 ――そうよ、私は何もできなかった。その覚悟を、統也のために全てを捨てる覚悟を。持てなかった。

 こっちにはディアナもいる。皆がいる。選択肢として自分がここに残らないと……そう言い訳して、統也を助けに行けなかった。行かなかった。


 ――『皆』って誰? 結局私は伏見旬捜索任務でも役に立たなかった。


 歩きながら俯いていく凛はふと思った。


 ――本当に統也を愛していれば、私は、彼の下へ駆けつけていたのだろうか。


 答えは多分否だろう。そんな、地位などを全て捨て去る覚悟は凛にはない。ただそれだけ。


「とにかく統也は大丈夫だ」


 その不器用にも励まそうとする台詞を聞き、凛は仕方なく微笑んだが、その顔は浮かないものだった。



  ◇◇◇



 そうして小さな一室。ディアナ・ホワイトが静置されているカプセル内に着く二人。

 カプセル内部のメディカルチェック、及び乱数調整装置を操作可能なタッチパネルモニターの前にて、


「はぁ?? こんな奇跡があるのか……ッ?」


 ピッ、ピッ、ピッと、モニターにタッチしていき滑らかに操作しながら見つめる雪子は、無際限に湧き上がる喜びもあり思わず声を上げる。凛は紅い瞳でその高めの背丈を眺めながら、


「ど、どうかしたの雪子!?」

「これは……ありえない」

「何か、重大な問題でも……?」


 臨戦態勢を取る凛は、自分のために作製された仮想演算機構をインプットする携行兵器であるオリジン模造青霊刀「神罰」の持ち手に手を掛ける。体勢を低く構え、そのメカニカルな刀で居合準備をする。

 魔力回路に刻まれている異能式『月夜ツクヨ術式』の魔力電撃変換を体内組織より開始していたが、


「いや。その逆だ。全くの問題がない。精神可変量や異能領域活性も安定している。因子係数0.00000234……許容最低数値を大きく下回ってる! ディアナは助かるぞ!」

「へっ――! ほ、ほんと!?」


 凛の表情は緊張から見る間に喜びへと変わる。目を見開き、感動の涙を浮かべる彼女には良かったという思いしかない。

 雪子自身もディアナ体内の起源因子率の低さを見て、驚愕し、さらには心の底より安心し、喜悦の声を上げる。

 外空気に触れて初めて因子率を測れるので、この数値を測定できるのは今日が初めてだったがしかし、ディアナは擬似コールドスリープのお陰か、その起源暴走を押さえ込むのに成功していたのだ。

 

「ほんとに良かったぁ! 良かったよぉぉ!!」


 泣きじゃくる凛はその紅い瞳から漏れる水を、必死に拭き取る。


「ああ! 良かったな凛!」


 思わず雪子は凛にハイタッチを求めた。雪子がこれと同じ行動を取ったのは、彼女が同調装置チューニレイダーの研究開発に成功した時だった。

 二人とも残酷な事件、不安な毎日、悪辣な犯罪などによって精神が削れていたこともあり、その状況の好転は果てしない歓喜を催す。


 ――ディアナを殺さなくて済む。

 この腐った世界では、その事実はあまりに大きすぎる喜びだった。


 不覚にも有頂天になり、当のディアナがたった今覚醒したことに気づかない二人。


 ――真珠のような純白の瞳、儚い金髪ロングヘアの少女の眉毛が少しあがり上下のまぶたがゆっくりと離れる。 

 目を開けたのも束の間、世界にもう一度時間が流れ始めるディアナの肉体。彼女は臆さず一トン近くあるカプセルの蓋を平然と開けてみせる。

 元よりディアナは非力で、とても膂力には長けていないはずだったがしかし――、


『確かに。それは良かった』


 ――瞬く間に空間は違和に侵され、呪いのような声が響いた。


 いや、逆だ。呪いの声に満たされ、空間魔力が不審なほど歪んだのだ。

 色白の肌は微動し、不敵に口角が上がり、ディアナの声が鳴った。雪子も凛も耳に通せば聞いたことある懐かしい少女の声だ。

 雪子は聴診器と酷似した装置を耳に嵌め、その声が内耳神経に届くことはなかったが、凛の耳はその声を聞けた。そして、


「は――――?」


 凛の猫顔は俄に曇り、蒼白になっていく。ふいに言葉にならない声を漏らす。その紅き瞳は動揺に揺さぶられ、むくりと起き上がるディアナを凝視する。


「待っ……て……、……せつ……こ……」

「あ? どうしたよ?」


 雪子はディアナの精神覚醒を促すために特殊な電気ショックを与える準備を整えていたが、只ならぬ雰囲気で震えた声を発する凛に呼ばれ、振り返る。


「これは……だ、れ……?」


 そうして振り向きざま雪子は、異様に怯える凛と共に“知らぬディアナ”を見たのだ。いや、確かにこれは二人がよく知るディアナ・ホワイトの外見だ。しかしその中身が――、


『――死を迎える準備は、整った?』


 女性の悪声が混じる、不気味なノイズのような魔力音声が含まれ、ディアナの発した声ではないと本能的に直観的に理解できる。また、自らの崇高さを顕示し、悠然と語るその口調と意思は誰が聞いても明らか、ディアナ・ホワイトのものではない。

 鋭利な目付き、神妙に大人びた表情、悪の権化を象徴するかのような魔力、恐怖を体現したような威圧。全てがディアナという無垢なる少女のものではないのだ。


「な―――ッ」

「うそ――!!」


 先ほど二人の間にあった歓喜は、今はただ、尋常でない慄然へと変化している。憂懼よりもただの圧迫。犯しがたい重圧。信じられないほど張り詰めた緊張感が萬栄するこの空間では、一挙手一投足が自身の死へ直結する。そう理解させられる威圧と恐怖。


「ぁ……!! まさか……『受肉』していたのかッ」


 歯を食いしばり、眼前のブロンドを睨みつける雪子が正答を述べた瞬間、


『さあな?』


 目の前は正体不明のエネルギー発散と、禍々しい紫の極光に遮られた。その空間そのものに発生した衝撃波のような体感により凛と雪子は施設の壁を激しく突き破り、外へ吹き飛ばされる。


「きゃ――!!」


 瞬時に視認した海面、視認した大空。香る潮の匂い、とてつもない空気抵抗。ぶつかる風圧。

 そう、現在彼女らが過ごしていた在所は、アメリカからの特定を妨害するため航行する軍艦内部の施設だったのだ。つまり海上に位置する。

 通常艦艇サイズの約三倍を誇る特殊イージス艦の内部施設から壁面を破り、猛スピードで落下する凛は咄嗟の判断で雪子を巻き込み、


「『展開エクス』!!」


 次いで、軍艦構造上の第1甲板に叩きつけらる二人。


「くッ!!」


 最中、凛は雪子をお姫様抱っこしながら何とか甲板デッキに着地。しかし叩きつけられたも同然の衝撃を受ける。

 魔法陣対抗技術――異能照準領域――マナ標準領域の簡易構築『反情報領域アンチテリトリー』。俗にいう「球形バリア」の一種で、自己を中心に半径1.44mで隙間なく展開する情報体とマナ、物理干渉を弾くバリア。これによる電磁反発フィールドがなければ、今頃あの世だったと凛は考えた。

 

「雪子!! 『受肉』ってどういうこと!! ディアナは助かったんじゃなかったのッ!?」


 『反情報領域アンチテリトリー』のマニュアル展開を解除しながら、悲鳴に似た金切り声で叫ぶ。希望が絶望へと一転したのだ。誰でも泣きたくなる。誰でも叫びたくなる。


「ああ、そのはずだ! どう考えても……体内の起源因子率ゼロで『受肉』は不可能なはずじゃ……!」


 受肉――正確には「空の九神」またの名を「カオス」の魂が目覚め、九神として覚醒した形態のディアナ。しかしディアナの精神は埋もれているのか一切表面化することはない。


「ならどうして!!!」

「肉体への干渉は情報の強制ブロックと、エネルギーの束縛で遮断していた……はずだ。どうやって……ッ」


 平常心など疾うに失った二人が思案し、冷静さを失って更に混乱するさ中、どこからともなくコツン、コツンという軽い衝突音が一定間隔で反響した。

 不気味なほど静かになった空間は、その音が世界に静寂を要求し、世界はそれを容認したように凛と雪子には映った。


「――――」


 コツン、コツン――単調に響き渡るそれは二人の寒慄を極限的に高める。


『――黙れ人間』

 

 異能と同等性能の『境界おり』を利用して階段を展開、解除しつつ下る空の九神「カオス」。この続くコツンという音は、ディアナの魔力ころもを高密度で構築して作ったのか履いていた白色ハイヒールが足場用の『境界』にぶつかる足音だった。

 そうやって甲板へ降りる恐怖そのものが着地。

 彼女は艶かしいディアナの裸体に、ワイシャツのような白い『弑蝶』を一枚纏っていた。脚は露出している。


「ッ――!!」


 その間、それと対面した雪子は内心で、


(ハイヒールとシャツは置いといて……足場の方の異能……肉体主であるディアナの『もの』じゃない。名瀬の『檻』だ……!)

(しかも展開する色が「紫」! 理論値での空間最高純度だぞ!?)

(ありえない……!! どうやって!!)


『貴様ら下等生物の叡智が、森羅万象を知り尽くしているなどと思うな』


 発言するこの鬼女に、この九神に、この無秩序の象徴に、コレに反論すれば命がない――そう気圧される。二人の身体は無条件にすくむ。どうしようもない恐怖が身体中に巡り、寒気が襲った。

 その圧倒的なまでの戦慄は、彼女らにある種のトラウマに似た衝撃を植え付けた。


『人類。――それは存在そのものが間違っている。戦争、嫉妬、欺き、傲慢、怠惰、貪欲』


 ――圧倒的だ。この差は生物界でも、アリとヒトくらいのギャップが、人間とこの「カオス」には存在する。そう本能的な危険信号が雪子と凛を理解させる。


『だが今日……私が起源の名を持って、人類が作り上げた文明を飲み込む』

「――――」


 愛嬌のある声なのに、その奥に隠れる絶対なる邪悪と、反響する魔力音声が闇と昏天黒地を露呈する。


『――見よ。私が、この世界の「混沌」なのだ』


 大海原の中央、空間の王女は両手を壮大に拡げ、そう嘯いた。



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