第228話 制限解除



  ***



  ――『時空零域』にて時間を止められた世界で――名瀬統也は爆弾の爆風ごと「檻」で囲い収束式『蒼玉』で消し去り、同時に、会場内部にいる一般影人およそすべての討伐を果たした。


「はぁ……はぁ……はぁ……。意外と……疲れるな……」


 時間の流れが極限的にゼロに近いその現実世界は、理論上地球全域から宇宙にかけて広がっていたがしかし、それは観測上の話である。正味では彼自身が光速度に達するか否かの主観の問題なのだ。

 つまり、周囲にとっては彼が一瞬で――否、零秒で――その四百体を始末したように映る。

 その相対的な差が、時間は絶対的、不変的であるというバイアスを殺したアインシュタイン考案の「相対性理論」である。


「なんだっ!!」

「え……っ!?」


 ステージ上の大輝、玲奈も何が起こったのかと周囲を見渡す。彼らにとっては僅か一秒未満の出来事なのだ。同時、大量に落下する紫紺石。

 だが一方、対峙する陸斗はすぐさま攻撃を開始した。なんなら今だ、とばかりに。

 

「波導臨界射出、『正弦弾波サインバレット』!!」


 目の前に繰り出される波動を見て、玲奈は一歩前へ踏み出し両手の限りに『衣』――「橙鱗」の第三出力『炎霊』のマナエネルギーを盾として張る。


 しかし、それは愚行であった。

 炎などの固定力の低いエネルギーは波動などの空気の揺れに弱い。中途半端な炎は強い風に煽られれば消える。

 そして、この「正弦波導」による空気伝播は、里緒が同等の位相を持つ正弦波動の干渉で打ち消すべきものだった。


「待って! それじゃ防げない!」


 里緒はすぐに気付いたが、玲奈が前へ出てしまい、その隙とスペースを失った。

 状況として、大輝は周囲の一般影人とやり合うために影人化を果たしていたが、周囲の影人はすべて統也によって片付けられ、紫紺石となったため今はフリーだった。

 大輝も玲奈に加勢しようと近寄ると、次の瞬間には、


「なにぃっ!?」


 叫ぶ大輝。その「正弦波導」の臨界射出の爆風を受け、玲奈、大輝、里緒、リカが会場壁面ごと巻き込まれ、外部の領域へ飛ばされた。

 玲奈の炎霊防御が耐えきれず、限界に達したのだ。


「みんな……っ!!」


 戦場から一定の距離を保っていたアイドルみことの声も空しく消えていき、他はそのまま場外へ。


「どうしよう……どうしよう………。と、統也くん……」


 不安に押しつぶされそうなみことはやがて統也の方へ視線を送る。

 しかし彼は―――、



  ***



「えっ……私達が生きている? ……どうして?」


 『時空零域』解除後、といっても彼女らにとっては一瞬の出来事だが、ネメはまず心底の疑問を呟いた。 

 周囲の一般人はわけもわからず、しかしこれ以上の好機はないと考え、急ぎ会場外へ出始めるが、その外部にも影人がいる事に気付き、会場内に戻ってくる――などと想定内の動きをしていた。


「お前らを殺さなかったのは、ただの“都合”だ」


 声がした方を見ると冷徹を浮かべた名瀬統也の姿が。血だらけになって佇んでいた。

 

 名瀬統也の『時空零域』が解かれたのは、現実時間感覚にて「約0.000002秒後」。

 統也の体感時間にして、およそ「47秒後」。

 その間に彼は会場の影人約四百体を討伐おうさつした。


 ただし、彼は自分の『時空零域』が不完全な領域構築であることも自覚し、いつ解かれるか分からないという前提を考慮して標的を“一般影人”に絞った。

 ネメ、糸影、女影、陸斗を殺そうとしても紫紺石コアがどこに内蔵されているかは瞬時には分からない。また、解けた瞬間にどのような反撃があるかも分からない。それらも加味し、殺すのは会場内にいる一般影人だけに絞った。


「次は、お前らの番だ」


 影人の血を体中に浴びて真っ赤になっても気にせず、ゆっくりとその足を進める名瀬統也。彼は左手で掴んでいた影人の紫紺石を握力で砕き、その手でネメを指さした。

 返り血が光の欠片として蒸発するさ中、ネメ、糸影に着実に近づいてく。


(これは…………)


 ネメは少なからず焦り、冷や汗をかいていく。


 否。明確に焦り、


(逃げましょう……!)


 そう判断を下す。


(正直『反転』の領域構築は持続時間が短いという弱点があります)


 加えて糸影は未だ両脚の再生を終えていない。女影はもはや再生が始まらないほど細胞が分離している有様。

 陸斗は異能『加速』『振』を併せ持つ強化影人。さらに訓練時間が取れない関係で、通常スペックが上がるよう特殊な呪詛を付与されている。

 今の彼は本気を引き出せれば玲奈くらい倒せてしまう戦闘レベルであった。 

 しかし、宮野陸斗は霞流家の長女と話したい、一つになりたい一心で、任務を放棄。


 そうして、ネメに見えた二文字――詰み。


 確かに名瀬統也は、時空という膨大な情報へ干渉する領域構築を発動した影響で体内保有マナ、その半分以上を消費し、マナ、体力、スタミナどれも不足状態にあった。有機体に『再構築』を施すのに最低限必要なマナは、統也の体内マナ保有量の半分であることから、よって、人知を超えた再生ももうできない。


 しかし、統也には奥の手が存在した。

 ―――制限リミッター解除という、奥の手が。


 それは本来、世界最強の異能士・伏見旬が使用を許可した際にのみ使用条件に適応される、禁忌の上限解放。

 名瀬統也は自らの身体に概念封印される「量子の鍵」の術式を、浄眼を活用することで一年間、毎日少しずつ読み解き、解体する準備が整っていた。


「お前の今の思考を当ててやろうか、ネメ」


 蒼き瞳を有する無表情の青年を前に、ネメは徐々に後ずさる。怯えに近い感情に襲われ、足がすくむ。

 そのときのネメは、サメを前にした小魚。ライオンを前にしたウサギ。トカゲを前にしたバッタ。


「さて……何のことでしょうか?」


 ネメはおぼつかない足運びで後ろの瓦礫に躓きそうになる。

 対して統也は右手でマフラーを強めに掴み、「蒼」次元を付与するだけ。


「それは当然――“どうやって逃げようか”――だろ?」

「…………」


 ネメは目の前のマフラーの青年に恐怖し、心の警戒を感じ、狼狽を体感し、生命の憂虞を感じた。


「逃がすわけないだろ」


 顎を突き出し、そう宣言する統也の蒼き瞳は、相手を殺すまで逃がさんとする、凄まじいほどの殺気を押し出していた。


(弑蝶制限施錠の破壊――――成功)


(次元純度の再構成――――完了)


 『解』で「量子の鍵」の最後のロックを解除後、権能『再構築』によって生得の次元濃度、次元精度を再取得。

 

(「蒼」次元――――解放)



 ――彼が今まで扱っていた『檻』は、制限が付し、更に高度な術式構造を無視した古風な形態。

 


「異能――『境界』」







 ―――――――――――――――――――――――――――――――

 勘違いされないように述べておくと、『檻』=『境界』です。もの自体は全く同一のものと思ってくれて構いません。


 ただ、『皐月』=『五月』のようなことです。しかし、年代を重ねるにつれ、異能は進化してゆくので、古風の『檻』と、現代の『境界』とでは、次元干渉規模も術式の真価、強度も異なるわけですね。

 今までの統也はわざと、というか「量子の鍵」による影響も相まって『檻』で戦っていた、ということです。


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