第226話 羽化



  ◇



 血だらけの学ラン姿で伏見旬(当時、十八歳)は佇む。その目の前に居たのは、黒羽玄亥げんいという男。

 いや、「男」は正しい形容ではない。なぜなら瞳は赤く冴え、漆黒の肌を纏っているからだ

 そう、その後ネメに継承される『反転の影人』である。



  ◇◇◇



 その日は雨が降りしきる、暗冥の世界。横の道路には二人の女子が横たわる。

 片や金髪の麗しき異国人。その目には「浄眼」を持つ――今はもう瞑られているが。


「エミリア、君との子は責任を持って俺が育てる。次女はまだ名前、決まってないだろ? ……レナって名前はどうだ?」


 一人目は『弑蝶マナエネルギー』の色から取ってルリと名付けた。

 片や黒髪ボブの少女。起源にて「伊邪那美命」を内包する者。


「渉に顔向けできねぇ……でもな……」


 旬は静かに俯く。髪を濡らしながら。


「美音。俺はただ、君に生きててほしかった。先に死なないで欲しかった」


 旬は思った。

 俺は、死ねない。


 奥の花壇、植えてある花にカラスアゲハが止まり、雨宿りをしていた。びしょびしょに濡れながら。

 その大きく立派な、しかし湿っている黒き翅のしなりは、まるで蝶が俯いているかのようだった。



  ◇◇◇



「“伏見旬だと!! どういうことだっ!!”」


 玄亥は目の前に瞬間移動して現れた伏見旬に疑問を叫ぶ。それは無条件反射。


「別に。そのまんまだろ」


 旬は今、何も考えていない。

 正しくは、考えすぎて前が見えない。未来が見えない。

 希望的な思考がぐしゃぐしゃに潰れていく。

 絶え間なく降り続ける雨に濡れて、潰れていく。


 なんだこれは。


 夢か。


 地獄か。

 

『あなたが好きよ、旬』


 エミリア……。


『ごめん、嘘ついて! 私、渉くんじゃなくって本当はあなたが!』


 美音……。


 両方守ると言って、両方守れなかった。


 人の手は、運命は、初めからどちらかとしか繋げないんだ。

 両手で花を持つのは、駄目なんだ。


 じゃないと零れ落ちる。

 どちらかの二者択一だったなら……俺は――。


「ふっ! はははっ、ははは! くはっ!!」


 それは唐突。旬は笑い声とは呼べない“何か”を雨空に放出した。それは絶望。それは託された命。


「自分でも分かんないんだ……!! 俺がなぜここに立っているのか! 俺は……俺が守るべき二人の女子に助けてもらって……守ってもらって、ここにいる。はぁっ、なんて惨めなんだぁぁぁぁ!!」


 怒り悲しみ、自分への憎しみのままに叫ぶ旬を見て、頭がおかしいと玄亥は思った。

 前の様子から比べても異常であるその変貌は、玄亥をある意味恐怖させた。


「俺は大切な者を何ひとつ守れやしなかったぁ! なんにもぉぉぉぉ!! なんにもぉぉぉぉぉお!! 無能の黒蝶……その通りだよ、なぁぁぁ!?」


「“は――?”」


(コイツ……本当に数時間前俺が殺した伏見旬か? 頭がバグってやがる!!)


 と、玄亥は自分の目さえ疑い始める。


「でも一つ……明確に分かることがあるんだよ。今の俺なら、お前に勝てる。お前を、殺せる――」


 言うと玄亥は赤い眼で睨んで、


「“今更何言ってんだ……? お前が最後、一体誰にボコられたのか。誰に殺されたのか。……俺はお前だけでなくホワイトの嬢ちゃんまでってる。もちろんそこの美音イザナミもな!”」


 瞬間、地面を反転し、作用を反作用と結合して地面を押す技で加速した玄亥。

 彼は黒い大剣に『反転』を付与し、切りかかってくる。いや、正確には切りかかってはいない。


 なぜなら旬はその高速、大振りの斬撃を距離吸収でかわしていた。旬は今や無制限に空へ浮かぶことができた。

 ――蝶のように。

 ただ蝶と違う点は、雨の中でも浮かんでいられること。


「数時間前は確かにお前にボコられた。それは認めるさ。でも、今の俺は違う。はっきり感じる。美音が俺のマナに干渉して……異能の式が完成する、その様を」

「“伏見旬、てめえ完全に頭湧いてきたな! 『異能を式に変形できるか問題』は既にオワコンなんだよ! てめえほどの天才でも式のように明確に区分けしたり出力を解放したりはできねえ”」

「いや、出来る。今の俺になら。――というか、出来たんだ」



  ◇



 俺は雨を落とし続ける空で、玄亥の反転剣をかわし続けた。

 反転剣とは、反転を付与し、異能効果を中和する反則級の大剣。


「“俺にはガキがいる。丁度、美音イザナミが今年生んだ子供の一個上だ”」


 美音が今年……ああ、白愛か。なら、統也と同い年だな。

 両方彼女が残した宝だ。まだ赤んぼだが、必ず俺が面倒見てやるからな、美音。


「“俺はあいつと女房のために……懸賞金のために彼女らを殺した! だが、そのリストにてめえは含まれてねぇ。逃げるっつーなら見逃してやってもいいぞ!!”」


 どうでもいい。


 今、俺の脳内は忙しいんだ。


 話しかけるな。


「―――」


 俺が使っていた技術はマイナスのエネルギー。出力を回し、二乗して正数出力を出していたそれが炎霊として現出する黒いマナ。

 それを美音の九神、伊邪那美から取って『イザナミ』と呼称する。

 そしてそれを式に変える――異能の式……そうだ――、


「『イザナミ術式』」


 美音が俺の中にいる。その呪縛が、術式という技術を、世界で初めて実現させる。君の残した「負の感情マイナス」が、俺にこの「プラス」を与える。この感覚を掴む、コツをくれる。

 マギオン情報体の解は三つに分けられ、


 虚数域――虚数解。

 零域―――重解。 

 実数域――実数解。


 数学では二次方程式の解の公式のルート内部、その符号でこれらが決まる。

 今までの技術で異能を起動式に分けられなかったのは、その性質の違いを明確化しなかったからだ。不確定の未来ではそこで場合分けが生じる。それを異能に組み込めなかったからだ。


 美音、君が俺の性質を定めてくれた。

 俺は生まれ以って、


『旬、私ね。腹黒い……黒幕……どす黒い……嫌いだった『黒』。今は大好きになったよ。何色にも染まらない最強の色だって思うの。ほら! あなたにそっくり!』


 ――『黒』だ。虚数だ。



「美音……ごめん」


 君を救えなかった。いや、正確には君が俺を。

 救った。


 晴れた空。雨上がりの夕暮れ。黄昏時。

 先程の土砂降りだった雷雨が嘘のようで、現在は俺の心のように、晴れ晴れとしていた。


「ん、いや、いいか……そんなことはもう。どうでも」


 俺がするべきはそんな後悔じゃない。

 そう思えば思うほど、俺の身体に暖かな日差しが照りつける。


 玄亥、お前が身体に纏っている反転防壁は領域構築そのものだ。

 お前が成していた技術は、近づてくるベクトルを反対方向にして跳ね返すこと、ただそれだけだった。

 最初から、こうすれば良かったんだ俺は。


「残念だな、玄亥。お前はもう二度とお前のガキには会えない」


 虚数空間のエネルギーを、純黒の弑蝶を、俺の渾身の力を、俺の懸けられる全てを、捧げられる全てを、ここに乗せろ。


 彼女らの想いを、ここに―――。


 乗れ。


 乗れ。


 風に。空に。宇宙に。


 そして、羽ばたけ。ありったけの力で。ありったけの翼力で。


 制限解除し、今俺に残っているほとんどの体内マナを全て乗せたイザナミ、それによって純黒のアゲハ蝶を象り、エネルギー構築によって情報的な限界まで再現。殆ど本物のカラスアゲハを生成する。

 否、イザナギから羽化させたと言ってもいい。

 これに触れたものは最後、究極の吸い込みによって捻じ曲げられる。それに方向などないわけだが。


「―――」


 極限まで収束するエネルギーよって完成したカラスアゲハが、生をもって黒き翅を広げる。

 黒に光る欠片、その鱗粉は美音とエミリアの記憶と共に、風に吹かれた。


 そして、全てが詰まったそのカラスアゲハは俺の手のひらで二度三度と羽ばたき、長い旅路への準備を始める。


「―――」


 虚構を現実にする虚数域の術式……そうだな、名前は「虚数術式」でいいや。

 重力が無限大である「黒の特異点」……その性質を、逃げても永遠に追尾するカラスアゲハとして飛翔させる。


 黒の特異点は宇宙最高速度である光でさえ、時空の歪みから逃げることができず真っ黒な空間になる。

 ならば、ベクトルを反対方向にする領域だった場合、それから逃れられるのか。



 ――答えは否だ。



 お前の弱点は、近づく物か、他からの作用しか『反転』できないこと。


 俺は大空から真下にいた玄亥に向け、放出の構えを取り、呟く。



 ――虚数術式――


「『無光蝶ヴォイド・バタフライ』」





 

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