第225話 最凶の菫
◇◇◇
「健闘を祈ってる……」
茜は統也との同調接続をいったん切断し、旬達が陣取る戦線から無断で離脱。
しかし、この無断離脱には大きな意義がある。
――彼女は気付いた。
雹理勢力、彼らが統也を殺しに来た……すなわちそれは「青の境界」をこの世から消し去りに来たことを意味する。
そこから得られる結論。
「この世界で何の役にも立たない最強三つの
その後、茜は急ぎ足で、また、本来は湧いてはいけないはやる気持ちを抑え、2060年に開通予定だったはずのリニアモーターカー本線に乗って東北へ向かった。
「統也。絶対に死なないでね。今、私が――」
◇◇◇
世界最強と謳われる異能士、伏見旬は――僅か二分余りで結界内の戦場を治める――。
彼に楯突いた異能士、■■士の計約百名は例外なく無力化された。
「コイツら……何がしたかったんだ?」
旬が独言を漏らした時、後ろから声がかかる。
「きっと時間稼ぎがしたかったんだろうさ」
旬は、はっと振り返る。これは想定外だったからだ。気配すら感じなかった。
「お前は誰だ? あーいや、七瀬家の人間か」
「おっと、どうしてバレたのだろう? あぁなんだ、その嗅覚のせいか」
その癖のある髪型の彼はわざとらしく言った。初めから嗅覚については知っていたのだろう。年齢は二十代後半ってところか、と思いながら旬は、
「ああそうだ。俺は他の伏見にはない、エネルギーを匂いとして感じれる特殊な嗅覚を持ってる」
(コイツ、ナニモンだ? ……七瀬家当主、ではないな。当主さんは俺が過去に唯一会ったことのある七瀬家の人間。統也とかの義父に当たる人物だが)
「私が誰か知りたいのだろう。……私は七瀬
(名瀬杏子の? 成程ね、というか本格的にインナー排他派になっちゃったか……彼女)
「ふーん、悪いけど興味ない」
あしらうと、
「ディアナに『
「だから何さ?」
初耳だが旬は別に驚かない。
一方で国見は彼の驚く姿や慌てる素振りが見たくて見たくて仕方ないのだ。
「ついでに言うと、五年前、エミリアに嘘情報を流したのも私だ。それでエミリアが死んだのは出来過ぎていたがな」
ここでやっと国見の念願が叶う。
「は? どういう意味だ」
――旬が初めて動揺の色を見せた。
「おお、伏見旬ともあろう人間が、やっと食いついた」
「おい、答えろゲス野郎。どういう意味だ?」
伏見旬は最近の出来事の中で一番の苛立ちを覚えた。
「ほう、凄い殺気。さすがに
瞬間、旬の頭に流れてくる美音、エミリアとの思い出。
誰よりも大切な人と、誰よりも大切なギア。
今はもう、どちらもこの世にはいないけれど。
「おい雑魚、言わないなら――」
旬は「距離吸収」で彼の背後に回る――フリをする。
国見は後ろに来ると分かっていたかのように結界術式『玄武』を展開。余裕の表情を浮かべていたが――、
「アホが」
国見は異能『檻』のように背後の防御をしたつもりだが――なぜか旬は目の前に居た。
「はっ??」
そのまま腹部を思いっ切り蹴りつける旬。
「――早く言えよ」
そう、この黒い男は「距離吸収」を二回連続で使った。ただそれだけ。瞬刻の中、背後に行き、気配を残して正面に戻る。やっとことはただそれだけ。
しかし、国見はそれをしないと踏んでいた。いや、的確にはしないだろうと踏んでいた。
なぜならば特殊的な術式の瞬間的連続操作は脳への負荷が甚大で扱い切れないという知恵があるから。
ただ――その知恵は凡人である人間にのみ適用される。
「『逆霊』による時間反転、それで肉体に宿る時間というエネルギーを逆転させる。肉体の状態はそれで瞬時に回復、元通り。ま、実際脳は一回壊れんてんだよね。ただ、治すのが速すぎるってだけで」
踏ん張り、立ち上がる国見。吐血しながらもなんとか立ち上がって見せた。
「ははっ……お前……どうやって肉体時間を遡っている?」
国見はある目的のために、時間稼ぎを。
旬は相手を殺さず無効化するための時間稼ぎを。
「ん……知らないの? 俺の黒い『衣』――イザナミはさ『負の数』。虚構のエネルギー解……端的に言うとディラックの海、つっても分かんないか。エネルギー符号の拡張“
「でたらめな男だ……。それで距離の吸収やら、他のエネルギーの無限吸収を? 意味不明なことこの上ない……」
エネルギー符号の拡張。普通じゃあり得ない「マイナスのエネルギー」。
真空からエネルギーを取り出すことは出来ない。つまり負のエネルギーを持つ物質や放射は宇宙に現出することは無い。
「あー、たとえばブラックホール、知ってるよね? 極めて高密度、強い重力。光さえも脱出することが出来ない。ま、だからイザナミは黒い。で、色々吸収もできる。はい、以上説明終わり」
旬はふざけてパンと、手を叩く。
「オリジン社が開発した『シュンブラック』という光の吸収率が高い黒色繊維。あれはお前にちなんだ名前だったのか」
「へー、そんなのあるんだー。知らなかったよ。勝手に俺の名前使うなって言っとくわ」
旬は言いながら、結んだ諸手で国見を「鳥居封印」しようと炎霊の拡張術式を組んでいると、微かに、甘い香りが旬の嗅覚を刺激した。
それは『
――この時の旬は油断していた。この巨大密閉結界を張った七瀬国見を無事封印し、一旦ここから離脱、茜と合流というプランを立てていた。
しかし。
目の前の男、七瀬国見。彼は結界術にたける七瀬家の異能士。結界最強家系。名瀬の先祖。異能十二家の「七」を冠する一族。だが問題はそこではなかった。
旬が彼とどうでもいい会話を続けたのは「鳥居封印」という『衣』の封印術式を準備する時間稼ぎのため。
だが、国見の目的もそこにあった。
「最後にあったのは、十年以上も昔だったな。……懐かしい」
旬の背後で、そう聞こえた。それは国見の声ではない。クールな声。統也を彷彿とさせる声だった。
そして――旬はこの声を知っていた。
誰よりも。世界の誰よりも。おそらく
瞬間彼の鼻腔をくすぐったのは、ただただ懐かしい匂い。
「は――――――――――――――?」
旬は林檎が落下するかのように、何の抵抗もなく目を見張った。
伏見旬。それは戦闘時、恐ろしいほど冷静になる男。鋭い勘と、比類ないステータス。体術、術式、戦略。どれもバケモノ。
世界が恐れる、制御不能の“特級異能士”――
黒い蝶のエネルギーを制す、ブラックホールという核兵器として日本を恐れさせた世界最強の異能士。
しかし、その彼がたった今、脳内を真っ白にした。
旬は振り向かない。その声の鳴る方を見ない。
「旬、顔も合わせてくれないのか? 流石の俺でも少し傷付くんだが」
「ありえ……ない」
その思考だけが止まらずぐるぐる回り続ける、そんな不快感を体中に感じる。
旬は息を詰まらせ、
ただこの二文字を何度も脳内で回した。
――――――『なぜ』――――――。
「お前……死んだはずだろ……」
旬は言った。世界最凶と謳われた異能士に。
何度も何度も鼻から息を吸い、確かめる旬。彼はまだ後ろを振り向かない。
現実を受け入れられない。
「いや、俺が殺した――……十年ほど前に、俺が、この手で……」
「ふ、旬。君にはもっと喜んで欲しかった」
この軽い笑い方。喋り方。声。マナの匂い。菫の香り。
すべてが肯定した。
「お前、どうして生きてる――?」
その人物は世界を破滅に追いやった張本人であり、伏見旬の唯一の親友であり、恋のライバルであり、
名瀬統也の父である人物――。
「
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