第205話 みことの場合【1】
*
十二月十二日がオレの誕生日。その日は里緒。
十二月二十四日のクリスマスイブ。その日は
いつの間にか里緒と
オレは両日予定がなかったのでそれを受諾したのだが――。
*
去年の十二月二十三日。LIMEにて。
玲奈 16:01「じゃあ私、その派遣討伐依頼で四日間家に戻らないから。その間ミコトの護衛よろしく」
統也 16:05「分かった」
「はぁ……。オレを伏見家の部下だとでも思ってるのか。容赦なくこき使う気だな」
まあ、命と四日間一緒にれると思えば悪くないか。そう切り替えた。
*
去年の十二月二十四日。二十二時三十二分。
真っ暗な空に、さすがの北海道と言わざるを得ないほどの積雪。そして緩やかに降り落ちる雪。
積もった雪は数え切れないライトの輝きによって反射される。
デートの締めくくりとして、オレと
ホワイトイルミネーション。札幌の街が幻想的な色彩に彩られ、冬のワンダーランドとなる人気のイルミネーションイベントだ。
「北海道の雪も、これで四年目か~」
命は整ったスタイルに合う純白のロングコートを纏い、黒い手袋と赤いマフラーを付けていた。
そんな命は白い息を吐き、楽しそうにはしゃいでいる。
“これで四年目”
つまりかつては別の地域に住んでいたということ。「青の境界」内に逃げ込む前。
「青の境界ができる前の個人情報を深掘りするのはタブーだと分かっているが、命の出身地はどこなんだ?」
「私? 東京だよ。統也は?」
「オレも東京だ」
「え、じゃあもっと昔に統也と出会えてもおかしくなかったんだね……って、あれ……」
直後彼女の端正な顔が歪む。何かの痛みに耐えるかのように。
どこから来る痛みに耐えていたのかは分かりやすかった。
「痛っ……!」
命はこめかみを右手で押さえる。つまり痛みの源は頭。脳。
「大丈夫か?」
彼女の背をさする。
「うん……。凄い頭痛が……今!」
オレ自身、症候学には詳しくないがこの頭痛症状と兆候。激痛の突発度……「変調頭痛」か。
青の境界ができてから一斉に増加した頭痛症候群の一種で、恐ろしいのはインナーワールドの人類漏れなく全員がそれに襲われたこと。
発生する原理などの医学的解明は進んでおらず、頭痛のきっかけは「過去の想起」とだけ判明している。
しかも二〇一八年以前の記憶を遡ろうとするとそれは例外なく頭痛となって襲ってきた。
それが「変調頭痛」とされている。
現代医学のスペシャリスト達は口を揃えて言った。
「おそらくこの頭痛の原因は、
と。
さらにこんな事も言った。
「それに加え、影人という正体不明の怪物に襲われた悲劇、血塗られたそのトラウマから生じる恐怖イメージが脳に多大なストレスを与え、二〇一八年以前の記憶想起が引き金で、頭痛を催す」
と。
以後インナーワールドでは、二〇一八年以前――すなわち約四年以上前の出来事、住んでいた地域やそこでの体験、経験などを想起しないよう、暗黙のルールを作った。
それが「青の境界ができる前の個人情報、事情を訊くな」というもの。
世界的に認められた、「変調頭痛」を起こさないための最低限の工夫だったのだろう。
まあ、結論から言うと、これは身体の変調による頭痛ではない。
現代医学のプロ達が寝る間も惜しんで考案した頭痛の原因も、事実とは全く異なる。
これが何により起きている頭痛なのかをオレは知っているが。
突然想起されるダークブラウンの髪に、整った顔立ちの小悪魔フランス人女子。
――『
シャルロット・セリーヌだけが操れる精神干渉系の能力。『
自分の未来の記憶や、過去に記憶を送るなどやりたい放題。しまいには人の記憶を自在に改変することも可能。
能力発動に特に制約もない事から世界では『虹の歌姫』――ヴィオラ・ソルヴィノと並ぶ「神からの贈り者」と称されていた。
オレは「神」などという非論理的なモノを信じないので。ヴィオラもシャルロットも、持っているのはおそらく九神の『権能』の類では、と今は推測している。
「異能」か「■■」かさえ分からない能力だが旬さんの計らいで二人は異能士と分類を受けた。
法律上、異能や■■などの能力はその正体をダイヤデータに記載する義務。
が、シャルロットはそもそもそれが出来ないのだ。
入力式から出力式までが存在する今の
るりや玲奈も含めインナーは彼女の記憶改変を受けている状態。
その改変を受けていないのは、雹理や拓真、紅葉や杏子、オレといった『アドバンサー』と、『聖境教会、代行者の一部の人間』のみ。
「命、すまない。オレが昔のことを思い出させたせいだ」
「ううん、大丈夫だよ。統也くんは何も悪くないから。……だいぶ良くなってきた。さっき凄い痛くて、脳みそ潰れるかと思ったけどね」
「怖いこと言うな」
「変調頭痛って厄介だぁ。でも間接的原因である青の境界がないと、私達は外の影人に蹂躙されちゃうから……仕方ないよね」
頭痛が治まったか血色を取り戻す。だが逆に表情は少し暗くなる。昔の悪夢を思い出したのだろう。
「命、少し休憩したあと、向こう行かないか?」
「うん、行きたい。……統也くんとなら、どこまでも」
「ん?」
最後が聞き取れなかった。
実はオレはそこまで耳が良くない。少なくとも一般よりは。
「浄眼」という特殊な眼への膨大情報に耐えるため、脳リソースとその負荷の兼ね合いで視神経領域は強化されている。だが引き換えに、視覚以外の五感は性能が落ちる。
これは仕方がないこと。脳内の容量は無限じゃない有限だからだ。
「ううん、なんでもないよー」
「なんだ? 気になるだろ」
「ひ、み、つ」
可愛いなこいつ。そう思っていたとき、
「ねぇねぇ見て! あれ『ミコ』じゃない?」
「えー、どれだよ。こんなとこにいるわけ……って、えーっっっ!!」
向こうにいたとある大学生カップルが、隣の命に気付いた。
「命、逃げるぞ」
「え。でも私、今走れない……」
不安そうに言う命をオレは、優しい目線で見守った。
頭の痛みが引いたばかりだからな。だがそんなことは了承済み。
「任せろ」
言いながらオレは屈み、おんぶするぞ、と見せる。
「え、もしかして、おんぶ……?」
「正解だ」
「さすがに恥ずかしいよぉ」
「待って。あれミコちゃんじゃない? セイミーの」
「ホントだ、似てる!」
「でも隣に男いないか? マネージャー?」
「もしかして恋人? だとしたら熱愛じゃん」
さすがにマズイと思ったか、
「でも、私……重いかもよ?」
「お姫様抱っこしたことあるから大丈夫だ」
体重を乗っけてきて、背部に密着される。
オレの背中、コートの厚着越しでも
「すまんが幸せの絶頂だ」
「えっ、何が?」
「いや、なんでもない」
オレはおんぶしたまま雪の中、イルミネーションの中、標準的かつ平均的な速さで走り、遠くへ逃げた。
*
「ここまでくれば大丈夫だろ」
十分離れてから止まると――、
「ははははっ、統也くんばかぁぁ!」
言いながらオレの背中ではしゃぐ。
きっと今年の後半は仕事詰めで相当疲れていたのだろう。
こういう息抜きの時間があったっていい。
「もう、速いよ~。新幹線に乗ってるかと思った!」
「だって、追いつかれるだろ」
「だからって速すぎる!」
一般人のような平均的速度を意識したつもりだが、駄目だったか。
「頭痛治った。もう大丈夫だよ。降ろして」
言って着地する命。バサッと雪を踏み降り立つ。
「統也くんってこんなやんちゃするんだね。ほんの少し、印象変わったかも」
オレはそう語る命の表情を、正面側から眺めた。
イルミネーションに反射される頬、陶器のように白い艶肌が寒さで少し赤くなっている。
彼女は木に付するイルミを見つめ、上向いていた。
「あの爆発したデパートの事件の時、外で、統也くんが私に色々特別な存在だ、私が大切なんだって言ってくれて、凄くすごーく嬉しくてね。……だから私も統也くんを私の特別にしたかった。それが『呼び捨て』。けど今はちょっと違ったかなーって思ってる。『統也くん』は『統也くん』だよ、多分」
「なるほど?」
「うん。私が誰かを呼び捨てにするのは、多分、私がその人を愛した時だと思う」
「難しいな。命は今、物凄い哲学的なことを話している自覚はあるか?」
「無いよっ。へへ」
笑いながらこちらを向き、見つめてくる。
当然目が合うがしばらく互いに目を逸らさないでいた。
それは数秒だったのかもしれないし、はたまた数分だったのかもしれない。
普通は恥じらいなどが湧くが、それはなく、ただただ
美貌、黒いストッキングで見える脚線美。ちょっとした仕草、声。
全部が綺麗。とにかく美しい。
魅了される、という表現が正しいかもしれない。
「
気付けばそう口走っていた。
「へっ――?」
不意を突かれた、と命の表情は固まる。
「いや、今のは……」
ここでオレが目を逸らす。
「統也くん、今のは私に対して言ってくれたの? それとも、イルミに対して言ったの?」
「それは……」
「私にとってはとても大事なことなの。ハッキリ言って」
オレは少し考えた。
これは、嘘をつくかつかないか、ただそれだけの思考。
だが「命、綺麗だ」と言っておいてイルミネーションライトに対してだった、とはさすがに言い訳不可能。
「
正体不明の負けた気分になりながらも仕方なく素直に言ったら、今度は命が目に涙を浮かべていた。今にも零れ落ちそうなほど。
「ねぇ……そんなのズルいよ。そんなの卑怯だよ」
高まった感情のままに頬を濡らす。
「すまない。付き合ってもないのにこんなこと言って」
「ううん。なんで謝るの? 嬉しいに、決まってるじゃない?」
嬉し涙だったらしい。
何度か涙を拭い、すぐさま落ち着いた様子。
これは流石にプロ。落ち着く速度が尋常じゃない。アイドルとしての業か。
「嬉しい、ほんとに。嬉しい」
命は感極まった表情で近づいて来て、こちらに手を伸ばしてくるが、途中でその手を引っ込める。
「でもだめだ、我慢しなきゃ……」
「我慢?」
「統也くんは凄いよね。いつだって冷静で、かっこいい。おまけに頭もよくて、強くて、優しい」
「オレも嬉しいよ、そうやって褒めてくれて。でも、すまない。オレにとって命は大切だが、付き合うのは難しいかもしれない」
「うん。分かってる。……でもごめん、こっちこそ謝らせて」
命は真面目な顔を作ると、真摯な眼差しでオレを見てくる。
「私にとって統也くんより大事なものはないよ。残念だけど、私は統也くんが大好きなんだ。この気持ちに嘘はつけないから。誤魔化すこともできない」
この幻想的なイルミの色彩がオレを惑わせているのか。それとも彼女自身がオレに妖艶な手を差し伸べ、惑わせているのか。
オレには分からなかった。
「気持ちは凄く嬉しい。そう言ってもらえるだけでオレは長生きしようと思える」
本心だった。
それを聞き満足したのか、微笑む命。
諦めのような念も含まれる寂しい微笑みを見た気がした。
*
二十三時十四分。そのまま彼女はコートの中から茶色く小さい紙袋を取り出して見せた。
既に表情は元の元気活発な
「気を取り直して……はいこれ! クリスマスプレゼント!」
そう言って両手で前に出してくる。
「貰っていいのか?」
「もちろん!」
「ありがとう。開けるぞ?」
「うん、どうぞー」
中身を取り出すとそれは黒の「指無し手袋」一双だった。
許可は取らずそのまま手にはめると、物凄い密着間。安定感。よく馴染む感覚があった。
そして何より指部分が空いている。命は意図していないはずだが、これはオレにとっては好都合。
なぜなら『檻』という異能を扱うオレにとって「マナ」と「空間」の親和性を保つのは絶対。そのためには皮膚と空間が直接触れる必要がある。
つまり、その条件を満たしつつ冷える手をカバーできるこの手袋は画期的だ。
「正直言うと、冷え性のオレは手元が冷える。だから凄くいいチョイスだ。嬉しい。ありがとう」
「はい、どういたしまして~」
命が言ってる最中、
さて、こっちもか。
貰った黒の手袋を付けたままオレはポッケに手を入れる。そして「それ」の感触を確かめる。
よし。
こんなことは初めてやるが。
「命、少しの間、目を瞑って後ろを向いててくれないか」
「え? あ、うん、いいけど。急にどうしたの?」
クルッっとダンスの振り付けかの如く向こう側へ反転し、おそらく目を瞑っているだろう。
オレはスッと素早く「それ」を首に付ける。
「ん? これなに?」
「オレからのクリスマスプレゼントだ。目を開けてもいいぞ」
オレは反対側に周り命の正面に来ていた。彼女は目を開けすぐに胸元にあるハート型を模った飾りのネックレスを触る。
「え……ネックレス? これ貰っていいの? 私が?」
「ああ。君へのプレゼントだからな。他にあげる相手もいない」
「駄目だよ統也くん。こんなの……こんなのだめ。こんなの……嬉しいよ」
再び嬉し泣きのような表情になる。口角は上がったまま目は感動。
大事そうにネックレスのハートを両手に包む。
「大事にする。ありがと」
「ああ。こっちこそ大事に使わせてもらう」
「うん!」
その時だった―――。
「っ―――?」
オレは咄嗟に素早く振り返り後方を全体的に透視、索敵する。
命に浄眼を見られるわけにはいかないので出来てあと数秒か。
すると。
あれは―――。
「また代行者? 瑠璃達じゃないのか……」
「統也くん……?」
命が心配そうにオレの前に来たので、急ぎ眼の発動をやめる。
「ん、どうした?」
「え、いや、どうしたって……これはこっちのセリフだよ? 統也くん今の一瞬だけ凄く怖い顔してた」
「すまない。通りすがりの人が昔ケンカした相手に似てたんだ」
「へぇ……そんなこともあるんだね……」
「ああ」
最近は「代行者」が命を監視しているのか。
ほとんどが非干渉だが、代行者は特別独立組織だ。最高責任者あたりがでしゃばんないと、こうも組織的な動きは見せないはず。
しかも暗殺ムーブなのが癪に障る。
いや、実際に決行してないだけマシか。
代行者。
仮に
容赦などしない。
「……あの? 統也くん?」
命の声ではっとなる。
気づけばオレは無意識のうちに眉間に皺を寄せ、歯ぎしりしていた。
「目が怖いよ……?」
「すまない」
表情を意識的に柔らかくすることで気持ちの切り替えと、命を安心させるよう誘導。
「ううん、大丈夫。もしかしたら……私のためなんでしょ?」
「ん?」
「……実は知ってるんだ。私を監視してる人たちの事。結構前から、知らない人につけられてるってマネージャーさんが気付いて」
「――――」
知ってたのか。
代行者の方だな。玲奈の付けている護衛がそんなへまはしないだろう。
「警察には何度も行ってるけど、全く取り合ってもらえないんだ。その代わりいつもは一緒に住んでるある人からボディーガードを貰って、その辺で待機させてる」
ある人は玲奈のことだろう。
しかし、ボディガードのことまで知っていたとは。
「統也くんがたった今睨んで牽制してたのって、もしかしてその人達? その、私をストーキングしてるっていう連中のこと?」
「まあ、そうなるな」
言うと、俯く命。
しばらくの間静寂がオレ達を襲った。
どうして何も言わないのか、オレには理解ができなかった。
オレがどうして代行者に気付いたのかなど、無数の疑問が湧いているだろうに、命は何も言ってこない。訊いてこない。
「やっぱりそうだったんだ」くらい言ってくれてもいいのに。
「怖い。私、怖いよ……」
出た言葉はそれだった。だが、なぜか少し芝居がかっていた。
「大丈夫だ。少なくとも今日明日明後日はオレが君を守る」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあさ………」
嬉しそうな表情のあと、なぜか少しもじもじする。
恥じらいを隠す気もない――というより、わざと見せつける。そんな振る舞いを見せる。
「命?」
彼女は156cmの身長で上を向き、目を合わせてくる。
北海道の寒いクリスマスの夜。息さえも白くなる寒さの中、オレと命は互いの両目をしっかり見つめ、互いに熱い視線を送り合った。
命は変にはにかみながら、訊いてきた。
「統也くん、今日、
――――――――――――
■■の穴埋め、この本文に答えがあります。ヒントは「るり」を「瑠璃」と変換していない事です。
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