第166話 美しい音を知らずに
オレは命の背に手を回さない。
ここで性欲に近いような感情の起伏に任せ行動すれば、ただのクズになるだろう。そんな気がした。
ただでさえクズのような人間なのに。
「命、離れて」
優しく言う。
本当は離れてほしくなかった。
このまま可愛くくっ付いていて欲しかった。しがみついていて欲しかった。
でもオレの使命が、それを許さない。
「いや」
甘い声で拒否される。
「駄目だ。離れて。もしミコのファンに見られたら大変なことになる。それくらい分かるだろ」
「うん……けどもう離れたくない。ずっとこうしていたくなっちゃった」
そんな可愛いこと言われたら耐え難い。オレは所詮男だ。
「こんな場所では駄目だ。中道とはいえ、人が通る可能性もある。さっきだって札駅内を歩いているだけで、大勢から声をかけられ大変だっただろ」
「それは、そうなんだけど……」
オレは今「こんな場所では」って言ったのか?
ならなんだ。他の場ならいいのか? ふざけるな。オレは何を言ってるんだ。
「命、勘違いさせたなら謝る。里緒か命かなら命を選ぶ可能性はあるだろう、それは本当のことだが付き合うって意味じゃないし、告白を承諾したわけでもない」
「……知ってるよ。私と付き合うと何か不都合があるんだよね? 統也ずっと隠してるもんね。何かは分からないけど、凄い大きなことを裏でやってるのは伝わってくる」
案外観察力があるな。抽象的表現だが間違いなわけじゃない。
「いいよ、まだ。いつか私を好きにさせる。そのためならなんだってやるつもり」
覚悟ある目でそう告げて、少しオレから離れたかと思うと、すぐさま抱き着いてくる。
「命、前よりも大胆になったか?」
「大胆? 私がー?」
「ああ、性格的な部分の話だが」
「えー、どうだろ。……けどね、ファンが私のことを応援してくれたり褒めてくれるから、承認欲求? が満たされてきてるんだと思う。それで自信がつく。自分を誇れるようになってきたのかな? でも……アイドルが理想像なんて嘘っぱちだよ。私はファンを裏切ってる。だって、私には好きな人が居る。なんならすぐ目の前に」
オレは自分の中にある男という獣を抑制しつつ、くっ付く彼女を引きはがそうとするが、
「やだ、離れないもん」
しっかりとホールドし、固定される。
「命、お前な。可愛すぎるんだ。どうにかしろ」
「ふふっ……やった! 褒められた!」
「褒めてない。いいから離れろ」
「やだね、離してあげない」
「おい、命」
「離れないー!」
オレ達は暗闇の中、街灯の真下でスポットライトのように照らされながらしばらくイチャついた。
*
彼女を伏見家が所有する高級マンションへ送り終わり、オレは茜中尉と同調通信を繰り広げる。
さらに言うなら、命とオレを追尾していた怪しい代行者の類を始末し、その倒れる二人の代行者の身分証を確認しつつ話していた。
「つまり、命さんが九神だったってこと?」
この言い方……気付いてたのか。
「ああ、そうなるな。だが権能の詳細は愚か概要さえ不明だ。家族関係を聞いてみたが特に異常はないって感じの普通の家庭。どうやって九神になったのかも分からない」
少しの沈黙のあと、
「そもそも、その話って誰が教えたの?」
「ん?」
「きげ――……んと、権能とか九神がどうのこうのって話」
「旬さんの娘、伏見瑠璃から聞いた。あいつは大まかな勢力の内、何故か中立って立場を取ってる。今、IWには『手荒ながらも九神を捕獲、保護し、その光とやらで影を消す計画を持つ――三宮勢力』と、『なんとしても境界内人類を消し去りたい、そのために影を増やし、邪魔な九神を滅ぼしたい雹理勢力』。オレや玲奈のような『人が影へ変化するメカニズム、原理を突き止め、その発生自体の消失を目指す伏見勢力』の三つがある」
杏姉は初め、通称「伏見勢力」に属していた。
そもそもオレのようなアドバンサー、オリジン軍の目的の一環が影の発生原因の追究。
だが、姉さんは裏切った。どういうわけか雹理勢力についた。三宮とも多少繋がっているところから推測するに、完全に染まったわけではないだろうがもう手遅れだろう。
姉さんは芯の強い性格上、自分が決めたことは最後まで曲げない。
「なるほどね……けど三宮瑠璃は三宮勢力じゃなかったの?」
「いや、そう見せてるだけだ。茜が旬さん率いる異能側についてるってことは、オレがオリジン軍へ潜入しているスパイだとも知ってるんだろ?」
関係はそれに似ていると言おうとしたがその前に、
「ええ、まあ。私もあなたと同じく国家機密指定の特級だから。同じくスパイなわけだし」
「は――?」
茜がオレと同じ国家機密の「特級」だと? ……そんな馬鹿な。
仮にそれが本当だとして、異能家以外の人間が特級なんてあり得るのか?
茜が旬さんの里子と聞いた時から、オレと同じ「異能サイド」に身を置くスパイなのはなんとなく分かっていた。つまり味方なのは知っていた。
しかし、
六人の特級――――現在、基準がほぼ等しいS級異能士という者より遥かに強いその存在は世界に六人しか存在しない。
――「異能の六頂点」――茜はその中の一人?
自分と、故人エミリアの娘「セシリア・ホワイト」、実は生きている「旬さん」がその六人に含まれていることは言うまでもないが、他の三人は世界情勢上秘匿されていた。
オレの推測では虹の歌姫「ヴィオラ」とこの間会った「紅葉」が残りの特級に該当すると思っていた。
「―――統也、実はさ私……」
物理的には気が遠くなるほど離れている彼女が、今すぐ目の前にいるのではと錯覚するほどの躊躇いを感じた。
「ん?」
「……実は私、らい……………いや、きっと今じゃない」
「は? なんだよ。その言いかけるのやめてくれるか。気になるんだが」
「ごめん。でもやっぱり教えれない。今じゃないなって思って」
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