第144話 “俄雨”



  *



 そして―――――――――21時00分。


 ついに正時が訪れた。オレにとってこの30分間はとても長く感じた。

 その間浄眼による分析で、おそらくこの紫電バリアは一時間ほど前に展開されたクーロン仮想空間「領域構築」の一種だとも把握し終わっていた。


 バリアは電磁波を通さないので、光や音の類は固定情報以外一切透過しないだろう。

 変な話、中で爆発が起こってもオレには分からない、ということだ。


 20時30分、つまり30分前に雪華を「紫電バリア」の内部に送った。その上で21時になっても彼女が帰ってこなければ緊急事態と取る、そういう約束だった。


「仕方ない。あの人を頼るか……」


 オレは念のために電話をかけ、たった今、通称「紫電バリア」を破壊することに決めた。

 21時を過ぎても、雪華は戻ってこなかった。もう待っていられない。


 おそらく――――中で何かあった。


 とはいえ、この紫電バリア及び雷電乖離の斥力術式。どうやって排除しようか。

 鈴音の持っている、あの「雷の加護」とかいう特異体質もおそらくこの電気的斥力作用が関わっているとみてまず間違いない。


 異能配色は「紫」―――あまり聞かない。

 オレの父・名瀬わたるが展開する『檻』――「スミレ」も似たようなマナ波長だったそうだが。


 それにあの加護、通例の物理攻撃は愚かマナ標準による異能座標でさえ弾くときている。

 同様にこのバリアもそうなのだろう。

 加えて檻との複合術式。オレが第一術式「解」で術式を無効化できるのは単一術式のみ。


「さて、どうするか」



 いや――


「面倒だ」


 オレは思考放棄しながら自分のマフラーとネクタイを緩める。


「多少、手荒にはなるが―――」


 そう言うと、左足を後ろにすり下げ、前に出した右手から何かを放つ構えをとる。


「檻『蒼』・収束式―――」


 中指の先端。濃い青に輝く空間エネルギーは極限まで収束を受ける。

 檻で制御した空間極限に「マイナスへの収束」を強制する虚数域。


 空間を支配する名瀬一族『檻』の秘密奥義。

 その放たれる一撃は鈴音の紫電バリアさえも穿つだろう。

 まあ威力は、旬さんが作る仮想ブラックホールの「10分の1」程しかないがな。



「『蒼玉』―――“星鳴り”」



 手先から放たれ、一直線に進む蒼き球体は空間を歪ませつつ、凄まじい時空の吸収と共に直進する―――。


 防御不能の仮想的な重量のみが空間を歪ませる重力として放出される。通常「蒼玉」の強化版。

 案の定、鈴音の展開した紫電バリア――仮想空間に極大の穴を開けた。


「ふぅ……」


 これで内部に入れるようになった。

 オレは急ぎ足でその穴をくぐり、別荘へと向かった。



  *



 オレは坂状の山道を猛スピードで駆け抜ける。異界術で強化した脚と足で駆ける。

 杞憂に終わるといいが、変な胸騒ぎがする。

 まあ最悪向こうには翠蘭や鈴音、異能決闘第二位の舞花がいる。何とかなるか。


 粛々と浄眼を発動して、別荘近くを透視しようと試みるが、それ以前に「住宅地」を通過した。


「……住宅?」


 位置から考えて東側と言えるか。

 オレは急停止したあと山道をずれ、影人のマナ気配がある、住宅地の手前に位置する森へ足を踏み入れる。


「影人だと? こんな場所に?」


 確実に奴らのマナ気配を感じる。浄眼でもその残穢を確認できた。

 影が、紫電バリアを含めるこの異常事態と何か関係があるのか……?


 ちょうどその時、しくしくと雨が降り始めた。

 ポタポタから始まり、ザーとオレの頭を濡らしていく。

 頬から顎へと滴る雨水。急速に自分の体温が奪われていく。冷え性のオレを容赦なく冷ましていく。


 次々と雨水が降り落ちていく、その水音を作業音のように聞いた。

 さらに前進し様子を見に行くと、その地面には赤い鮮血が広がっていた。

 その赤が、ぬかる地面とグロテスクに混じり始めていた。


 紫紺石が10個ほど落ちた地面。続くその先には2人の死体が。

 ぐちゃぐちゃ、という表現が的を射るか。まるでスクランブルエッグで大量の血が無造作に広がる。


「…………」


 亡骸の状態から明確な顔や体格は確認不可能、しかしおそらく若い男女か。

 死体に近寄っていく。


 スーツを確認して―――




「は―――――――――?」




 一瞬、息を詰まらせる。

 さらに、鼓動を速くした。



 オレは今、何を見ている?



 現実?



 いや。





 ―――――――――悪夢。





 間に合わなかった。




 オレの目付きはもはや人間のそれではなかったかもしれない。

 ゆっくりと表情の周りにある筋肉を停止させていく。そんな意識。


 体中を脱力させ、虚無感に身を任せる。

 オレの中にある感情という概念はまさに「無」だった。


 2人の遺体。彼らはもはや原型を保っていなかったが、間違いなかった。

 精密なマナ解析機能を持つ浄眼が、知り合いのマナ特質を見間違えるはずがない。


 残酷な切断を受け、ちぎれた2人の手は強固に繋がれていた。男と女の切り離された手だけが「恋人繋ぎ」で連結していた。

 まるで「ずっと一緒」そう主張しているように見えた。

 その、式夜と舞の遺体を越え、奥にいる影へ視線を送る。

 数は11体。


「お前らが――殺ったのか?」


 そう尋ねるが黒い怪物からの返答はない。当たり前だ。


「…………そうか。だとしたらその報いは受けないとな。そうだろ? ……だって、お前らは2人の命を奪ったのだから……。人生を、未来を踏み躙ったのだから」


 オレはマフラーを手に握り、青い檻を付与する。作業のように。


「お前ら、知らないだろ? 舞は今日、誕生日だったんだ。つまり……生まれた日だった。……それに、あの子は今日から普通の人生を歩めるはずだった。普通に笑い、普通に遊び、普通に恋をして、普通に生きるはずだった」


 彼女は自由に生きる……はずだった。

 ―――今日から。


 見える未来を消し、真の彼女として人生を謳歌する。そんな道を歩み始めた。

 ―――はずだった。


 舞だと思われる遺体の方を見ると地面に血でダイングメッセージのような文字が「s=h」と力なく書かれていた。


 成程。最期の最後、舞は持ち前の推理力で影の正体に気がついたらしい。

 残穢―――奴らが来た方角―――住宅地―――つまり……。ということか。

 流石だな。オレは彼女のそんな並外れた思考力を全般的に尊敬していた。


 まあ、今となっては過去のことだが。

 


「……全員ここで、討伐ころす」



  *



 11体全ての影を一秒未満で仕留め終え、急ぎ足で西にある別荘に向かう。



 間に合わなかった。間に合わなかった。間に合わなかった。


 オレは―――遅すぎた。


 悲しみはある。けど多分、舞や式夜が死んだことにじゃない。

 異能という特殊な能力で現在という時は止めれても、過去には戻れない。だから、受け入れるしかない。そうやって人間は前へ進む―――そう誤魔化している。

 その事実が切なく、虚しい。

 人間が絡める感情という面を排他的な視点で見始める自分がいると確認する度に、虚無感に襲われる。

 だから、悲しい。


 悪いな舞。オレは今、お前のために悲しんでない。


 暫時進むと、浄眼で透けた視界―――木々の奥に、男女問わず死体の山が見えた。

 場所にして別荘から200メートル付近。

 ゆっくりと、異界術で強化した足を止め、辺りを見渡す。


「なんだ……一体何が起こった?」


 見るからに無惨な死を遂げた死体が血まみれで横たわっていた。全員例外なくホワイト生徒のようだ。

 だが、もう驚かない。驚けない。


 もういい。ここ一帯で何かあった。詳細は知る由もないが、別荘付近で何か良くない事が起こった。

 曖昧ではあるが影の大群が襲ってきた、って感じか。

 

 オレは数多の死体を越え、進んでいく。

 激しい雨の洗礼を受け、周りを観察していく。


 その時だった。



「………………ろ」



 横たわる死体の中、左の男子が声を微かに発する。

 急いで近寄り屈み、声をかける。


「一体何が起こった?」


 話しかけてはいるが、実際に声として聞こえているかは分からない。

 内蔵が丸見えで、両腕両脚は引きちぎられていた。

 おそらく意識もままならない。


「…………に……げろ」





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