第140話 虚数術式×領域構築



  *



 虚数―――それは実数ではない複素数、想像上の数。

 ある数学者が作り上げ、物理界、数学界のあらゆる困難命題を解決可能に導いたとされるその虚構原理は、まさしく世界を変えた。



  *(鈴音)

 


 およそ30分前、別荘からかなり離れた森の海。

 人の影一つない静寂の場で私――雷電鈴音はある人の指示のもと、強電子で構成される「ε」のうち88よりの術式『斥電の檻』の能力を「虚数域」へと展開する術式を組む。


 実数世界により構築を受ける現実の現象を虚数世界の作業「虚数域」(または「虚域」)として投影する異能式群。虚構の現実化。

 これの使用者は現実離れした各の違う能力から悪魔と俗称を受ける。


 私がこれ会得したのはほんの数年前。

 過去、私を含めてもこれを使えた人間は世界に十人と届かなかったそう。

 これらは総称してこう呼ばれている。



「虚数術式」―――――。


 特異性の高い術式による、驚くべき程の情報の欠如。能力の虚構性。どれも他を圧倒するには充分な要素。


「純電子『λ』」


 103の術式――それと、


「反電子『δ』」


 88の術式――これを融合。



虚電こでん拡張『ε』」



 演算確定のために静かに呟き、私は紫電に帯電した右の片手を上に広げそこから虚数電荷の拡張を行う。


 主に88寄りの術式拡張〈仮想的にマイナス電荷同士の斥力作用を強制する術式〉―――クーロン力で互いを反発させ、弾くことを強要する。私の紫電の加護・雷電乖離スパークの……正確には「ε⁺」。


 クーロン力とは帯電した物体同士が近づくと、同じ極性の静電気は反発し合い、違う極性の静電気は引き付け合う力のこと。

 プラスとマイナスはくっ付き、同符号は反発し合う。そのミクロ的な視点「電荷」を術式規模に拡大する。

 クーロンの法則によって導かれる電気的な斥力。


 こうして私はある人の指示通り、円山を包囲するようドーム状に領域構築「虚電空間」を展開し終える。


 スマホを取り出し、ある人に電話をかける。


「指示通り、成瀬くんを排斥しました」

『ほう、よくできたね。それでは第二フェーズに移行しようか』


 ゆっくりと自分の優位性を一切崩さない雰囲気。そして物凄く低い声が聞こえてくる。

 この通話主が命令を下した相手。


「でも、これほど大きな虚電領域を構築することに何の意味があるのでしょうか。正直理解しかねます」

『それを知る必要はない』


「しかし……やはりこれは―――」

『今、言わなかったかい? 知る必要はない、と。君を助けたのが誰か、忘れたわけではないよね?』

「……はい」


 この方の計らいで、私の突発性睡魔および弱体化を受けた身体をある程度治療してもらった上、その費用を代行していただいたために、あまり逆らえないというのが現状。

 でも、協力とは言い難い。

 

「虚数電荷に基づく異能体のエクスパンドは苦手なんですが、これで本当に学園の生徒たちを助けられるんですか?」

『ああ、もちろんさ』


 少し不気味に、それだけ言って一方的に電話を切られた。


 名瀬くん。私は、正しかったのでしょうか。

 なんとなく、道を間違えちゃったんじゃないかと。そうも思うんです。

 このタイミングで決行する意味も正直分からないですし。何か胸騒ぎがするんです。

 私は少し焦りすぎたのではないか、と。

 あの人を信用してよかったのか、と。


 けど、これでみんなが助かるなら――――安い。

 この時はまだそんな甘いことを、私は考えていました。



   *(舞花)




 ―――――――19時43分―――――――。



 それは突然のことだった。

 あまりに不意な出来事で、誰もが唖然とした。


 アタシの別荘の外。

 紫系の強烈発光―――。落雷のような衝撃音と共に煌めいた。


 それは一つなど単体ではない。気味が悪いほどに数多くの発光と落雷音。

 地面に這う大量のアリが全て紫色に光り輝く。そんな様子を目にしているかと錯覚さえ起こさせる。

 実際はそんな小規模の話ではなく、一つの光が人間ほどの大きさを持つ。


「はっ……!? あれは……私の……!」


 別荘内、二階フロア。ちょうど服装お披露目会で、ドレスをみんなに見せ合う会をしていた時。近くに居た小坂鈴音さんが、深刻な口振りで発した言葉が舞花アタシを現実に引き戻した。


「鈴音さん……どういうことですの?」

「あ、いえ……」


 と、口篭る彼女。


「えっ……何アレ!?」

「ら、落雷かな……?」

「それにしては数が多すぎない?」


 周りの女子生徒が凄い勢いでざわめく。

 ここまで至ってもまだ、アタシは現実味のない夢のような感覚を味わっていた。


「あの紫の光、住宅がある方ですわね……」


 隣に寄ってきた鈴音さんに話しかけるが、彼女は何故か放心状態。

 私が知る彼女はいつもどこか達観している雰囲気を持っていて冷静さがあり、包容力のある人物。

 でも、今の彼女はそれどころか青ざめた顔で冷静さを欠いていた。


「鈴音さん? アタシの話を聞いていますの?」

「えっ……! あっ、はい……」

「どうしたんですの? もしかしてとは思いますが、あの紫の大量発光現象の正体が何か、知っているのですの?」

「…………」


 何も言わない彼女。より青ざめた顔で泣きそうな目をしていた。

 分かりませんわ。何が起こっているのですの。

 

「鈴音さん!? 何か知っているなら答えて欲しいですわ。鈴音さん!」

「私……こんなつもりじゃ……みんな助かるって……。きげ…いん…を消せるって言われたから信じて……でも、私は……」


 するとそんな時、ある生徒が騒ぎ始める。


「おいおい、電波来てねーぞ。スマホ圏外表示になっちまう!」

「待って、私もだ。どうして……」


「皆さん落ち着いてください。ただの電気的ショックによる電波障害かもしれませんわ」


 なんとなく、半無意識的に単なる電波障害じゃないと分かっていた。

 ただ、荒れた生徒をなだめるために気休め程度に言った言葉だった。

 しかし鈴音さんは、


「――いいえ、違います。電波障害とあの多数の紫の発光は関係ありません。でも……ここ一帯の円山全域は電磁波を絶対に通しません。私の虚電拡張はスマホなどの電波などを全て弾きます……」

「……どういうことですの、鈴音さん。やはり何か知っているのですの?」

「知っているも何も、私が展開した仮想空間……領域構築ですから……」


 もはや投げやりな表情で、その色は強い「後悔」を示していた。

 彼女のこんな表情を見るのは初めてですわ。


「でも、まさかこんなことになるなんて…………私は……道を……誤りました」


 鈴音さんの揺らぐ赤い眼も、揺れるツインテールも。声も、雰囲気も、オーラも。それら全てが深い「後悔」を強烈な印象として表していた。

 言い分的に、この電波障害を起こしたのは彼女本人。けれど、悪事を働きたくてこのようなことをしたようには見えない。

 後悔しているということはこれが最悪の事態を招くと知らずにやったことを意味している。


 そんなとき、


「舞花様……これはどういうことなんでしょうか!」


 物凄い焦った表情と、駆け足で近寄ってくる六本綾香ろくほんあやかさん。

 彼女は大まかに空間を認識できる第三級異能者で、索敵などが戦闘の際の担当となる。


「どうしたのですの?」


 そう聞いた次の瞬間、私の脳内は一瞬にして真っ白になる。


「どういうわけか……この場所に影人が接近してきています! 方角、東西南北! その数……数百です!!」


 はい……!? なにを……言っているのですの?


「舞花様、どうすれば!?」

「今度は……なんですの? 影人? ……鈴音さん、どういうことですの」

 

 再び隣の鈴音を見る。


「私……騙された……取り返しのつかないことを……」

「鈴音さん……何を言っているのですの」

「すべからく罪は償います。でも、もう手遅れです。ここにいる生徒、誰も助かりません。唯一、私と舞花さんが対抗出来る可能性はありますが、あくまで可能性の話です」


 相変わらずの放心状態で語る。

 やっぱり何か知っていそうですわね。


 すると近くに寄ってくる進藤樹という決闘順位第三位のホワイト男子生徒。彼は私の最愛の妹……まいまいを含めるブラックを差別するので大嫌いですが、ここは強力してもらうしかないようですわ。 


鈴音りんねさん、まずいことになってるみたいだ。外の四方から影人の大群が押し寄せてるって話だ」

「四方……?」


 聞いたのは私だった。

 六本が言う「東西南北」は事実ということ。


「はい。話によると北の円山公園方面や他の東西南でも同様に住宅地から影人が来てるとの話でした。索敵系の異能力者が皆、口を揃えて同じようなことを言ってます」


 彼も焦っているのか、随分と早口だった。


 何が起こっているのか。さっぱり分かりませんわ。

 あの紫の光に、応じるかの如く現れた無数の影人。電波のジャミング。

 何一つ現状を正しく把握できない。


 でも―――抗うしかない。それしか、今のアタシたちに出来る抵抗はないですわ。

 

 四方を影人の大群に囲まれ、逃げ道はない状況。電波も繋がらない。

 こんな今。アタシたちに出来ること。

 

 ―――戦うんですわ。


 それしか道はない。



「皆さん、ここに集めてほしいのですわ! 『異能決闘ランカートップ10名』を!!」



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